歯医者の帰り道、いつも通る道沿いの公園です。紅葉した木々を都内で見ることができるなんて、ヾ(@⌒ー⌒@)ノ素敵。 週の初めに行った信州はすでに初冬の景色。翌日には山では吹雪のようでした。
ことしは信州の紅葉を見そびれガッカリしていましたが、 自宅のベランダから見る大きな桜の木が随分きれいに色づいて、二日前と色が変化していたのに驚き、さらにこの紅葉の微妙な変化が何とも言えず、神様は何て素敵をされる方と思ったのです。いつでも季節の変化をおしえてくださいます。ドルカス
歯医者の帰り道、いつも通る道沿いの公園です。紅葉した木々を都内で見ることができるなんて、ヾ(@⌒ー⌒@)ノ素敵。 週の初めに行った信州はすでに初冬の景色。翌日には山では吹雪のようでした。
ことしは信州の紅葉を見そびれガッカリしていましたが、 自宅のベランダから見る大きな桜の木が随分きれいに色づいて、二日前と色が変化していたのに驚き、さらにこの紅葉の微妙な変化が何とも言えず、神様は何て素敵をされる方と思ったのです。いつでも季節の変化をおしえてくださいます。ドルカス
これは両親が愛用?していた老眼鏡です。これを使う姿の親を見て、「うーん、年をとるとそんなに見えにくくなるのか。自分にはまだ先のことだ」しか思っていなかった。
ところが数年前田舎でこれを見つけ、以来、夫婦で愛用せざるをえなくなっている。ふと老眼鏡探しをしている自分に気づき「うーん、あの親の年になってしまったのか」と無理矢理年齢を自覚させられてしまう。
私たちの愛すべき某牧師は、自分は二十五歳だ(実はその2,5倍以上)と説教の中でよく言っていた。それでみなが笑っても私は、これは冗談でなく、実際の気持ちはそうなのだと共感していた。しかし、事実はこの老眼鏡のごとし、容赦無く「それは違う!」と教えてくれる。
かく言う私はこの老眼鏡で年齢を自覚させられながら「神さま、信仰をあなたが私に与えてくださって、本当に有り難うございます」と思うのである。なぜなら、この老いゆく体と、灯心の短くなった先が短い命しかなかったのであれば、どんなに心細く不安であるかと。しかし今や永遠の命の保証があり、天への希望にあふれている。どんなにこの先の世界に、私の心は躍っていることか!これは私の力ではなく、ただ神のあわれみと恵みによったので、ただ感謝をしているのだ。 ケパ