ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

偉大な教師である神~ヨナの話から

2012年11月19日 | 聖書

Whales  私はテニスを43年も愛好してきた大のテニスファン。だからテレビでウィンブルドンの試合を観て、一つ一つのプレーに心から感動する。それがどれほど超人的で驚くべきものか、実際にプレーしているからこそ分かるものがある。
 同じように、長らく教師をプロとして経験したので、聖書にある神さまとは、実に偉大な教育者であると真底感動する。今回のイスラエル派遣では、ほんとうに久しぶりにヨッパに行くことができた。ここはドルカスが住んでいた街であり、ケパによって生きかえさせられたところである。今日の話は旧約聖書に出てくるもう一つの話で、ヨッパから航海に出た預言者ヨナの話である。(右絵は大魚からはき出されたヨナ)

 真の教育とは、知識を詰め込むことよりも、良き人間に変容させることである(全人教育などとも言う)。ところがこれが至難の業である。というか、私のような粗末な教師ごときにできることではなかった。しかし神にはできるのである。その典型的な例を旧約聖書のヨナ記に見ることができる。

 一言で言えば、「自分で体験し、その誤りに自ら気づかねば、頑ななこころを溶かし、悔い改め、心を変えることは出来ない」ということだ。

 神はイスラエルの預言者であるヨナに、強大な敵国アッシリアの首都ニネベに行き、その民に悔い改めを迫れと命じる。アッシリアは先には南ユダ王国を攻め、欺いてその審きを受け、後にヨナの母国北イスラエルを滅ぼすことになる宿敵の国だった。もし自分が使命を果たし、ニネベの町が悔い改めたら、あわれみ深い神はニネベの町を滅ぼさないだろう。するとイスラエルが滅んでしまうことを悟ったヨナは、愛国心の故にこの命令を忌避する。
 そしてイスラエルの港町ヨッパから遠国に船で逃れようとするのだが、なんと船は激しい嵐のため難破しそうになり、災いを呼び込んだヨナは自分を海に投げ出し、難を逃れるように乗組員に進言する。そのヨナを大魚がジャストタイミングで飲み込んだ大魚がいて、三日三晩ヨナはその腹の中で過ごす。結局ヨナは悔い改めて、命令を果たすことになった。

 ここまででも相当すごい話(大魚に飲み込まれ、三日間も過ごし、陸地に戻される)だが、これはイエス・キリストも認められた(マタイ12:39-41・ルカ11:29-32)話なので、私としてはこれを事実と信じる。天地創造の神にはできないことはない。教育者の問題はこの話の後なのだ。
 さて、ヨナが使命を果たすと、ニネベの人々は王から民にまで悔い改めた。そうなるとヨナは成功を喜ぶどころか、すこぶる面白くない。きっと自国イスラエルの滅亡がこれで決定的になったからだろう。ヨナは広島弁で言う「はぶてる(不満たらたら)」のである。ここからである、神様の偉大な教師ぶりがわかるところは。

 神はきつい役回りをさせたヨナに体験をさせ、骨身に浸みてから分からせてから教えられるのだ。頭では納得して従ったヨナも、感情というものがついていかない(はぶてる態度のこと)。それはありのままの人間の姿でもある。普通はそんなはぶて者に「馬鹿モン!」と一喝して終わりだろう。
 ところが神はニネベの町外れに陣取っているヨナに、一本のとうごまを生えさせ、それでヨナの頭上を覆わせる。涼しい日陰に恵まれた
Jonah_2ヨナは喜ぶが、神は次の日にはそのとうごまを枯れさせる。焼け付くような東風と照りつける日差しの中、ヨナは怒って自分の死を願うようになる。
 

 そこで神はヨナに語られる。「あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。」(ヨナ4:10-11)と悔い改めた町をあわれむのが正しいことを教えられる。まさにぐーの音も出ない、これこそ偉大な説諭ではないだろうか。完全に参りました神様。(下方の挿絵は「アトリエTrinity」から)    ケパ

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失礼!貼り違えです

2012年11月18日 | 教会のこと

失礼!貼り違えです
アラァ 続いて書く予定の写真を貼ってしまいました(>_<)

礼拝後のランチメニューはケパさん特製のカレーライス。昨夜野菜の準備から丁寧に愛情一杯です。しかし、昨夜二人で試食…夕食では自分で、イマイチとガックリしてましたが、なかなか私にはサラっとした味でよかったよ。ドルカス

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帰ります

2012年11月18日 | 教会のこと

帰ります
金曜日から船橋でした。礼拝と学びの時が終わり、今日は東京のカリスマ聖会が有るので早目に帰ります。 と、その予定でしたが予定をはるかに長引き、今船橋脱出中。 コールが指揮を取るかのようにf^_^;,車最前にいますが、君では役に立てないよ。せいぜい私達の心和ませてね。君の使命の実践。(callとは使命の意味!) ドルカス

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伴奏者急募!

2012年11月18日 | 派遣

Photo   昨夜はピースフル(船橋ゴスペルクラブ)の定例練習があった。最初はわたしたち二人だけかと思いきや、一人、また一人と加わって計4人で練習できた。本当はこれにAさんが加わっているはずなのだが。今回はどうしても抜けられないお仕事で来れなかった。

 実はこのピースフルには、ちゃんとした伴奏者がいない。
Junnodi仕方なくカラオケCDで練習していた。最初の発声練習も、ネットで探してきた音楽ファイルをパソコンで音を出して練習していた。そして伴奏者を祈っていたのだが、なかなか現れてくれない。しびれを切らして、なぜか間に合わせに私がキーボードシンセ(写真は私のJUNO-Di)から音程をとる音を「ポーン」と出す役をするようになり、ついでに発声練習の伴奏音を出し・・・・と、1曲、また1曲と伴奏できる曲を増やすようになってきた。

 実は娘の年齢の某姉から、実際にするとは思わず、数年前から伴奏の手ほどきを受けてはいた(神様は手回しがよい)。しかし若い男ならまだしも、いい年をして(^^;)と気後れがする。人目を気にしてはならないが、さまにならない。しかも腕があるならまだしも、ウンと下手である。子どもの時と高校生の時にピアノを習った経験があるだけだ。これが役に立ったのは、①教員採用試験と②パソコンのキーボード入力時で10本指入力の時だけ・・・・と思っていた。

Melody  不思議なもので、最近は自分が歌うより伴奏する方が楽しい。非常に緊張するが、うまく間違わずに弾けた時の達成感に喜びを感じると言うべきか。本物の伴奏者が来るまでの時間はいくらあるか分からないが、その時までは、せいぜい楽しませていただき、ドルカスとの二人三脚の伴走を、伴奏でしていくことになる。これもまた、不思議で面白く、感謝だ。   ケパ

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赤プリ?

2012年11月17日 | PC モノ 便利

__ 確か昨夜のうちにblogupのつもりが…不覚をm(__)m。

一昨夜たまたまテレビで赤坂プリンスホテルのビル取り壊しのニュースを見ました。 都内の立て込んだ場所でどのように?と興味津々で、その現場を見たくなりました。

それがなんと、昨日船橋に来る途中で首都高から見たのでした。 その解体方法は、だるま落としの様で、外観には解体していく様子はわからず、いつの間にか、建物が低くなっていくのです。 最上階には壁面が解体され床部分が残され、潰れて行く。写真で解るでしょうか?

日曜日帰る時に見える高さはどれ程になっているのかと、思います。何と言う発想でそして技術力なのでしょうか。、類技術の進歩は素晴らしい早さです。がこの赤プリは建築後30年とか、なんだか虚しくも思いました。すでに耐久性がない?とは思えませんが、どのような都合だったのでしょう。  ドルカス

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シナイ山~その見分け

2012年11月15日 | 派遣

  今回のイスラエルで、直前から示されていたことがあった。それは「見分け」だった。イスラエルなど聖地の舞台に実際行くとなると、それが特に重要である。
 今回ではないが良い先例がある。シナイ半島にあるシナイ山とその近くにある「聖カタリナ修道院」である。この場所は映画で有名な「十戒」の場所である。下記に詳しく述べているが、特に真贋、その「見分け」をどうやったのか?ということを述べます。こんなことに興味をお持ちでない方には申し訳ありません(-_-;)。でも、もし「へぇー面白い」と思っていただければたいへん嬉しいです。ポイントはただ、聖書と祈りだけが、すべての見分けの土台だということだけです。

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06

 はじめに・・・・今はイスラエルと周辺諸国が再び緊張状態に陥り、困難になって来ましたが、3年前に念願のシナイ山に登ることができた。しかし、どうも変でした。「モーセが神と会ったのはこの山と違う」という気がして落ち着かない。大勢の人と一緒に「シナイ山」に登って、それなりに達成感は相当あったのですが、この違和感は消えることはありません。

 そこで日本に帰る前、イスラエルの空港で一冊の本を買ってみると、1枚の絵に目が点になった。それがこの絵だった。そして「あっ」と思ったのは、この山が登った山(ジェベル・ムーサ―)では_mini_2なく、日が昇り、明るくなって下山しようとした時見かけたあの山、ものすごい急峻で、まるで巨大な岩石が逆立ちしたような絶対人が登れないようなあの山、調べてみて分かったラス・サフサファ(私の携帯で撮った写真が右)だったのです。それは想像を絶する全体が断崖絶壁の異様な山でした。この絵は決して極端な絵では無く、まさしくこの通りの山でした。

   ☆☆☆☆☆  ☆☆☆☆☆

 聖カタリナ修道院(写真)のこの院内には「燃える柴」(出エ3:2)とその目と鼻の先に「モーセがチッポラたちを助けた井戸」(出エ2:15~Photo_4がある。手回しのよいことに修道院から数百メートル横の山腹は、モーセが幕屋を張った聖なる所であると言う。そしてこの修道院を経由してモーセが十戒を授かったシナイ山頂へのルートがあり、とある山頂がその聖書で有名な箇所であるという。誰が聞いても「そんなに都合よく集中してあるかな?」と思うし、胡散臭く感じるのは当然である。

 しかし、堂々とこのように言われても、これを否定する証拠もない。聖書での記事は、井戸は「ミデヤンの地」、と記されているだけで、シナイ山のふもとであることも、ないことも分からない。しかし「燃える柴」と「幕屋を張った」場所は神の山シナイ(ホレブ)山の近辺であることは確かだ。そのように出エジプト記3章.19章に記されている。問題は近辺はわかっても、そこがどこか特定できないことだ。

 シナイ山は富士山のような単独の山でなく連山である。そして聖書以外に「十戒をモーセが授かった所」「幕屋を張った場所」「燃える柴」等などが、この箇所だと地形を書いてないので特定できないことだ。しかし特定できないにも関わらず、現地のイスラムガイドによって私たちは「ここだ」「そこだ」と案内される。しかしおかしいことだらけで、まさに「見分け」というチェックせざるを得ない。以下はケパの独断と偏見での意見なので、ご参考までに。

1:シナイ山・・・・ジェベル・ムーサー(写真:普通に連れてPhoto_5行かれるその山頂)はモーセの山ではない。

 理由:出エ19:11「三日目には、【主】が民全体の目の前で、シナイ山に降りて来られる」と記されているように、山のふもとには二百万前後の民が宿営しているはずである。幕屋も当然その中心部にあったはず。しかしジェベル・ムーサーにはそのような広さを持ったふもとが見当たらない。ここではないと感じさせる。その北側のラス・サフサファ(下写真・ケパ撮影)は、この写真だけでは分からないが、ふもとには広い台地があって、まさに聖書さながらの地形がある。しかし山は・・・・恐ろしく急峻であって、ロッククライミングの達人でもなければ到底登れない山だ。人を拒むこの山に、おそらくモーセは、神の助けを得て登ることができた。私は山も幕屋もこっちだ、と思う。

2:聖カタリナ修道院の「燃える柴」(写真・ケパ撮影)と「井戸」・・・・もともとは「燃える柴」からの聖地だが、両方ともに根拠がなく、二つとも疑わしいし、少なくとも一つは違う。Img_0914

 理由:まず修道院の存在が設立された、6世紀もしくは聖地巡礼の記録がある4世紀は、モーセの時代から二千年近く経ている。「柴の木」がそこまで生きているはずも、痕跡もあるはずもなく、まず実際的な根拠はない。またモーセに率いられたイスラエルの民が、その足跡を残し記録するようにした証拠もない。

 ただし聖書の記述は真実なので、そこかも知れないし、そこでないかも知れない。数パーセントの可能性はあるだろう。しかし大事なのは聖書の内容が真実であり、神の僕モーセを信じることであって、場所を信じるのでは無いことだ。すべては(場所の根拠としては非常に弱い)伝承であって「柴の木」や「井戸」がこれだと思う必要はない。だから「ここなんだ」と納得してはいけない。ただ、想像の一助にはなる。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ※蛇足 : 単に経験的な見方での見分けの一助にしていただきたいが、アラブ(イスラム)側のガイドが聖 地とか旧跡とする所は、おおむね厳密な根拠が少ないようだ。彼らにとっては観光的な価値がすべてである。観光には「だいたいここらあたり」ではあり がたみ(価値)が乏しい。だから聖書の記述が曖昧なところを突いて「ここです」と、人間的にその場所(急峻で観光客が登れないような山は外して・・・・)を特定しているように私には感じられた。その点、ユダヤ人にとっては利得より聖書の正しさ、正確が実証できることが重要で、考古学的な発掘などを至る所でやっている。ただし、すべては神の御心で、確かなことは神さましかわからないことだ。  ケパ

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クルージング

2012年11月15日 | 感謝
クルージング
今東京湾のクルージングを楽しんでいます。美味しいケーキとコーヒーを船内で頂き、甲板にでて秋の東京湾でのんびり50分の旅です。 こんな恵みも感謝。
甥っ子の結婚祝いのお返しをこのクルージング券に選びました。

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チャレンジ

2012年11月14日 | 信仰

チャレンジ
教会に通う姉妹が、この群れの新年度と共に新しい歩みの踏み出しです。パソコンの学び始めます。 教えては、ケパさんとドルカスは付録ですが~取り合えず名前をあげます(^_^;)。 そして協力な助っ人に必ずなるであろう、彼女の弟さん。更にはドルカスの信仰の告白ですが、 やがて主の時に、彼はかならず救われます!!

この11月から姉妹にパソコンを学ぶ時間が与えられました。今まで祈っていました。主に感謝します。ドルカス

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オリーブ山の上からエルサレムを見る

2012年11月13日 | 派遣

View_of_jerusalem  オリーブ山(セブンアーチホテル付近)から、ヒンノムの谷越しに神殿の丘をはじめ、エルサレムが一望できる。ここが絶景のポイントであり、祈りに好適と感じている人は多い。それに異議をはさむ意図は毛頭ない。が、実は私にはどうしても・・・・平安な気持ちになれない所である。なぜか?

 それはここにいると、どうしても黄金の光を放ち続ける「黄金ドーム」が目に入ってしまうからである。「黄金ドーム」は通称「岩のドーム」と呼ばれ、そばに立つもう一つの銀のドーム「アル・アクサ」とともにイスラムのモスクである。

Rock  今はドームで覆われているが、中にはアブラハムが息子イサクを捧げた岩があり、ソロモンが立てた第一神殿、ゼルバベルの立てた第二神殿というユダヤの唯一無二の聖地がある。イスラエルはエルサレムと神殿の聖地を奪還しながらも、この神殿の丘に(黄金ドームを破壊して)新たに第三神殿を立てることをせず、ひたすら隠忍自重を貫いている。ただ彼らは「嘆きの壁(神殿の西の城壁)」で、嘆き祈り続けているのである。その嘆きの声が神殿の丘越しに、私には聞こえてきてしかたがない。

 またこれほどの聖地に、本来あってはならない他宗の施設があること自体、イスラエルへの神の戒めを感じてしまう。だから全世界のクリスチャンは
執り成しの祈りをするべきだろう。この世の終末期には神殿が再々復興されるのだが、今の現状は「あるべき姿ではない」という強い違和感が、ドームが光を放ってしまえばしまうほど感じられてしまう。

 だから私にとっては今のところ、どうしても居心地がよくない。ただ復興の時が一刻も早く来るよう祈るには最適なので、そういう意味では確かに祈るには良い所だと思う。  ケパ

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やはり・・・

2012年11月12日 | 派遣

 土曜日の午前中帰宅。昼にはCallを迎えに行く。元気で胸にしがみついてきてうれしかった。けれど、だんだんと熱が出てきてる感じ・・・なんと喉がかれ、痛いこと、ううぅ~~感謝します。と踊りたいほどきつい。 明日は主日礼拝。なんとしても準備をしなければならない。と、必死で週報を仕上げ、準備完了したのは夜中でした。
熱っぽいなどと言ってられない。神さま助けて下さいと、祈っての作業だった。

 朝目覚めても、時差ぼけと、感覚が・・Photo・一瞬今どこに居るのかつかめず、しばらくして日曜であることを自覚し、起き出かけた。がはやり熱が出ている。お腹の調子もけしてベストではなく、ああぁ主よ感謝します。

 日曜日の礼拝は何とか守られたけれど夕方になると再び熱が出てきていて、ケパさんが今夜はアンテオケ教会に行くのは中止にしたので、ほっとした。さらに外は 。


 そういえばイスラエルを発つベングリオン空港での待つ時間に、空は雷雲と稲光さらには強い雨が降った。その後きれいに晴れ上がったが虹は見ることが出来なかったけれど、その機内からイスラエルと地中海が窓から美しくみえた。ちょ2うど九十九里浜のよう・・・

 さらに機内では不思議な現象を窓の外に見えた。 太陽が見えるのではなく、 ヒカリの輪が見える不思議な現象を見た。 私にはどうしてなのかわからない。

 また、ウイーンに近づくと、窓の下に町の様子が見えた。きれいな町並み・・・
そうだ行く時にここに着いた朝には雪で白い畑や野山だった事を思い出した。ひんやりとたしか2℃

 とにかく今回のイスラエルは熱い日差しで、トランジットのウイーンは寒かった。完全に温度差20度以上はあった。過去一番熱かったのではと思う。
Photo_2

 イスラエルでは意識して水分を取っていたけれど、機内の乾燥がさらに、 喉の痛みをひどくして、疲れがたまり風邪となったのでした。
 でももう大丈夫。昨夜そして、今日は午前中しっかり休むことが出来てだいぶ良くなった体調です。主の十字架の教会の方々の祈りと、おとりなしを本当に感謝します。
そして派遣中もblogを開いて下さった方々、感謝します。


来年もイスラエルブルーの青空の下で祈りたい、そのようにケパさんと祈りました。ドルカス

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