「長島義明」をネットで検索すると「日本の芸術写真家」と出てくるが、彼の写真は芸術写真というより報道寄りのフォトルポルタージュ、あるいは写真に長いキャプションを付けることも多いのでフォトエッセイと呼ぶべきかもしれない。
わたしは長島氏の「ONE WORLD ONE PEOPLE」という写真集を若いころ見て、こんな写真の撮れる写真家になりたいと思った。
若き日の長島氏は世界各地の人間の営みをストレートな視線で切り取っている。
いまだにこの写真集はわたしの座右の銘だ。
いま大阪の西区にあるギャラリーTOONで「長島義明写真展 東日本大震災-津波、その傷跡」が開催されている。
きょうが最終日なので午後から見にいく。
ギャラリーの壁面に直貼りされた写真群は、累々とつづく倒壊した建物やガレキを克明に描き出し、まるで自分が被災地に立っているような幻覚におそわれる。
水たまりに浮かんだ真っ赤な草履に胸がつまる。
だがじっくり見れば見るほど、その異常な光景に現実感がともなわない。
3階建ての屋根の上に漁船が乗っていたり、道路の中央にひからびた大マグロが横たわっている。
凄まじい津波の威力にわたしの頭のなかがパニックを起こしている。
ことばが出ない。
この撮影はさぞかし苦しかっただろうと思う。
長島さんがいらっしゃったので、撮影の苦労話を聞く。
4月下旬から10日間で岩手・宮城・福島の13カ所以上の町や村を回って撮影したのだという。
被災地へは岩手県遠野の知り合いの家から毎日2時間かけて通う。
ガレキから発生する腐臭がすごいのだという。
テレビや新聞では臭いまでは伝わらないから、それは想像を絶するものらしい。
彼は来週からまたアフガニスタンへ行く。
世界を股にかけてきた長島氏ならではのフットワークの軽さは写真家の鏡だ。
この人のどこからこんなバイタリティが出てくるのか。
彼は現在69歳、偉大な写真家だ。
わたしは長島氏の「ONE WORLD ONE PEOPLE」という写真集を若いころ見て、こんな写真の撮れる写真家になりたいと思った。
若き日の長島氏は世界各地の人間の営みをストレートな視線で切り取っている。
いまだにこの写真集はわたしの座右の銘だ。
いま大阪の西区にあるギャラリーTOONで「長島義明写真展 東日本大震災-津波、その傷跡」が開催されている。
きょうが最終日なので午後から見にいく。
ギャラリーの壁面に直貼りされた写真群は、累々とつづく倒壊した建物やガレキを克明に描き出し、まるで自分が被災地に立っているような幻覚におそわれる。
水たまりに浮かんだ真っ赤な草履に胸がつまる。
だがじっくり見れば見るほど、その異常な光景に現実感がともなわない。
3階建ての屋根の上に漁船が乗っていたり、道路の中央にひからびた大マグロが横たわっている。
凄まじい津波の威力にわたしの頭のなかがパニックを起こしている。
ことばが出ない。
この撮影はさぞかし苦しかっただろうと思う。
長島さんがいらっしゃったので、撮影の苦労話を聞く。
4月下旬から10日間で岩手・宮城・福島の13カ所以上の町や村を回って撮影したのだという。
被災地へは岩手県遠野の知り合いの家から毎日2時間かけて通う。
ガレキから発生する腐臭がすごいのだという。
テレビや新聞では臭いまでは伝わらないから、それは想像を絶するものらしい。
彼は来週からまたアフガニスタンへ行く。
世界を股にかけてきた長島氏ならではのフットワークの軽さは写真家の鏡だ。
この人のどこからこんなバイタリティが出てくるのか。
彼は現在69歳、偉大な写真家だ。
最初は「この人は誰なんだろう?」と思っていましたが、
その後に良く調べてみると、「凄い人だったんだ!」と、知った思い出があります。
長島さんの写真を見て、
「カメラに足が生えている」
そんな印象を持っています。
山口さん、うまいこといいますね。
そうなんですよ、もう長島さん自身がカメラなんです。
神戸震災のときはフィルムだったけど、今回の撮影はもうデジタルに変わってました。
でもその方が機動力があって、彼の写真には向いているとも感じましたね。
長島さんから褒めてもらうなんて、うれしいですね!
自分の写真の方向がまちがっていないという自信になるね。