With A Little Luck!

趣味と生活と衝動買い日記です!(笑)。

師走の木更津ナイト

2007年12月18日 | 仕事
昨夜は年に一度の木更津飲み会。
接待というよりは、全然カジュアルな同業種の飲み会
とは言えやっぱりお客さん相手なので一晩中飲まされる・・・。
お酒、強くない身としてはちょっとおっくうだったりする・・・。

一次会:居酒屋、
二次会:オバアチャンしかいないスナック、
三次会:不気味な雑居ビル内で焼肉。という去年とまったくおんなじコース

木更津駅前は、シャッター商店街って言われて久しいけれど、2007年の年の瀬も、やっぱり寂しかった。


居酒屋からスナックまでの道のり。おそらく繁華街の中心部。
まだ夜9時だってのに、人っ子ひとりいない。


「木更津キャッツアイ」のロケ地ということで(ドラマ見てないから知らない)。
なんかお葬式の写真みたい。


二次会のスナックのあるビル・・・。昭和・・・。
ここも去年とまったくおんなじ店内風景。
迎えてくれたオバアチャン達も髪型から、並んで出迎えてくれる風景までまったく同じ。
何が哀しくて、こんなお袋より年上のオバアチャン達と、お金払って飲まなきゃいけないんだろう、と思いつつ「腰痛にはフェルビナクが効きますよ。」とか話して過ごした


モニターと向き合い、浜省の世界に入って行った某社営業部長。

三次会は焼き肉屋さん。と言ってもマンションのひと部屋みたいな店。
看板もないし夜中の3時だってのに、予約もしないで開いてた。
まだ食うんかい・・・と出席メーカーみんな思いつつも出された石焼ビビンバをペロリ。
・・・うまい。
さすがにマッコリはきつかったけど、カルビもユッケもうまかった。
食べて飲んでる間にも2組くらいが覗きこんでは出て行ったから、知る人ぞ知るお店なのかも知れない。表向きの木更津は、寂れてる、過疎の町、なんて言われることも多いけど、地元ではこうやってしたたかに経済活動が行われてるんだろうな。

2人ほど撃沈されてしまったけれど、なんとか自分は乗りきった。
来年も皆元気で、また集まれますように・・・。
あ~、今日は眠かった

乱入・・・

2007年11月28日 | 仕事
得意先の懇親パーティーにえがちゃんが乱入してきた!。
目の前で見るえがちゃんはかなりの迫力

お約束というか、ステージ上を縦横無尽に走り回り、タイツ脱ぎながら女性営業マンに向かってダイブ。欲望丸だしの言葉を浴びせて、かなりウケた。
男ばっかりの集まりだったから、登場した瞬間からみんな目がキラキラしてた

空気を読めない雰囲気出しつつも絶妙に場を盛り上げ、踏み外してるような危うさを出しながら誰も傷つけない・・・。そんなプロとしての営業スタイルを見せてくれたえがちゃんを見直してしまった


遠慮なし。

大和さんに、えがちゃん、今週はなかなか華やかだなあ・・・

缶コーヒーが苦かった日・・・

2007年01月13日 | 仕事
心ない、いや、無邪気で、そして他人事な彼の一言に、冷静さを保とうと、懸命に引っ張ってきた心の綱引きのバランスが崩れた。

20以上も歳の離れた彼にブチ切れた。

「馬鹿なんだから、何言ったって傷つきゃしない」…そんな心境に至った自分。

明日も休日出勤。
でも休みなんてなくなってもいい、立ち戻らせてほしい…。

船橋ナイト ~ガックリ編~

2006年04月05日 | 仕事
今日は千葉で得意先との懇親会。
仲の良い業者同士でと思っていたけれども、異業種のメーカーさんばかりのちょっと
形式ばったものになった。

一件目は、地元では有名という、お豆腐屋さんがやっている小料理屋さんみたいなところにいった。とろけるような刺身湯葉や、出来立てのおぼろ豆腐、豆腐の田楽やら、豆腐を素材にバラエティに富んだレシピでなかなか美味しかった。なんというかお腹に優しいというか、久しぶりにまともな食べ物を口にした感じ。
ちょうど雨降りで気温が低かったせいもあって、日本酒がとても合って美味しかった。

でも、いくら豆腐料理の専門店といっても、さすがに豆腐ばかりでは飽きてしまう。で、途中に出てくる焼き鳥やら、お造りが、これまた際立って美味しく感じられて美味しかった。
中でも美味かったのが、恥ずかしながら初めて食べたもので、「のれそれ」というもの。
お品書きに「のれそれ」と書いてあるのを見て、なんだこりゃ?、と注文してみた。
穴子の稚魚だそうで、足が早いらしく、あまり広範囲には出回らないものとのこと。
白魚の踊り食い(実際には活きてないけど)みたいに酢醤油でつるり、と食べるメニューだったけど、しっかり脂の味もして美味しかった

お客さんと同席という場面ながら、美味しい食事を楽しんだ後・・・、当然一次会で終わるわけもなく、男だらけの8人で二次会に繰り出すことになった。
「いきつけのスナックがあるんですよ」と、ある飲料メーカーさんが切り出し、じゃあ、まかせてみようと、そのお店に行くことになった。
雑居ビルの中に入ったその店は、いかにもなネオンが輝く、まさに「男の終着駅」系な佇まい。エレベーターの扉が開くとすぐに店内!。

30代後半の恰幅のいいママさんに導かれ店内へ。なんだか懐かしいというか、ここだけ時間が80年代でストップしているような雰囲気・・・
白いビニール革製のソファに、ガラスの天板のテーブル、壁には定番のクリスチャン・ラッセンのポスターが。
「ごめんねえ、今日、女の子3人しかいないの~。」でも、どう見回しても店内には女性は2人しか見当たらない・・・

そこそこ一軒目で飲んできたので、ウィスキーのボトルを頼んだ。すると氷と水と一緒に出てきたウィスキーは、どう見てもラベルのない、詰め替え用のボトルに入ってる!。うっそー。運んできてくれた自称女の子二人も、前髪がなんだかツンツンしてて、昔の工藤静香みたい・・・。元ヤンというか、まだヤン?って感じだ。
水割りを作りながら「お客さんって、私よりちょっと上くらいかなあ?。」って…、カンベンしてよ、どう見てもあなたの方が上でしょ。なんだか突っ込むのも面倒臭くなってきた。
カラオケでも歌って、時間を早くやり過ごそうと思い、ママに注文すると、「1曲100円になります」だって。今時懐かしい・・・。小銭をジャラジャラ鳴らしながら、ちょっとヤケ気味に歌うこと1時間、ようやく2次会もお開きの時間に・・・。
会計時にちょっとトイレに入ると、そこにもこれまた懐かしい80‘sグッズの「金のなる木」が。さらに、壁の張り紙「女の子募集!。明るくって、おしゃべりの好きな女の子待ってま~す!。ルンルン!」。ルンルンって・・・。
微妙な気分なまま、一同店を後にした。一応接待だから、店選びは大事だなあ・・・とつくづく実感。
三次会は、やや荒れ気味に、船橋ナイトは過ぎていった・・・

緊張・・・

2006年01月18日 | 仕事
今日は、ついにテレビショッピングに出演した。

朝6時からの生放送番組ということで、前日から幕張のホテルにチェックイン。
テレビショッピンなんて生放送でやるもんなのかなあ、ほとんど罰ゲームだな、なんて思いながらも行ってきた!

朝4時にスタジオに集合し、準備。
プロデューサーさんやら、ナビゲーターの女性の方(めっちゃ可愛いかった!)と簡単に打ち合わせしてスタンバイ!。あ~、緊張する~

持ち時間は30分。これは結構長い!。
「同じことを繰り返し言ってください。」、「とにかく笑顔でいてください。」と言われますます緊張!。
女性ナビゲーターの方が「緊張なんかしなくても大丈夫ですよ。リラックス、リラックス!」、「私喋りまくってフォローしますから。」と、とても優しくしてくれ、オチそうになった…

そして本番…。あっという間に終わってしまった…。
「新タイプの容器採用で、中身がこぼれません。」と言ったそばからこぼしたり、「専用工場を建てました。」と言うべきところを「~建ててしまいました。」と言ってしまったりと、人間、緊張すると何を言い出すのかわからないなあ、と思った
でもまあ、いい経験さしてもらいました。

ついに、名前まで晒された!。


朝4時集合なのに、緊張して寝付けず、2時にはホテルの部屋で着替えてスタンバッてました・・・。


「おいし~これ!。」ナイス・リアクションです。さすがプロ!。
本当に助けていただきました。ありがとうございました。


「とにかく笑顔で」って言われたけれど、これが精一杯・・・

マーフィーは偉大だ。




困ったちゃん

2005年08月30日 | 仕事
金沢ナイトは、少々カッタルイ(笑)接待だった。
だって、困ったちゃんに遭遇!したから。
この人は地元金沢の得意先の部長さんで、T部長と言う。普段はほとんど顔を合わさない人。

一軒目の、金沢のうまいものが食える、ちょっといい居酒屋さんから接待はスタート
ホントにうまいお刺身などをつまみに、酒席はいいムードに。アルコールも日本酒にと切り替わってきた。出席者は、自分を含めたメーカー3社と得意先の3名だったんだけど、盛り上がるにつれT部長が怪しい目つきに…(笑)。
酔うと気が大きくなるタイプというか、「あ、キてるな」という雰囲気がビンビンに伝わってくる。

「俺が普段飲むところは、酒がなくなったら注文しなくてもすぐに出てくる!(ここは居酒屋じゃ!)」
「俺は銀座の8丁目にプライベートで飲みに行ってる。ほらこれが会員証や(知るか、んなもん)」
「俺はどこそこの社長とツーカーの中や、ほら、今携帯で電話してやろか(なんで番号教えちゃったのよ)」と何を自慢したいのかよくわからないんだけど、どんどんエスカレートし、店員さんにも絡む、絡む…(笑)。
「よっしゃ、2軒目行くぞ!」と全員を引き連れて、繁華街片町の大通りへ。
片町の賑わいは、今だプチ・バブルの様相で、高級外車が行き交い、ホストやらホステスがネオンの街を闊歩している。
そんな大賑わいを見せる大通りの交差点を、T部長は赤信号なんかおかまいなしに突き進んでいく…。当然交差点はパニックになり、急ブレーキの音や、クラクションを鳴らす音が響き渡った。そして、T部長、これまた恥ずかしいことに、クラクションを鳴らす車、一台、一台に食ってかかっている…。部下の人達と一緒になって、止めてしまった車一台、一台に謝りながら、T部長の体を引っ張って横断歩道を渡っていった。

2軒目は、T部長行きつけというクラブで、ここでもホステスさんやら、従業員の接客がなっとらんと、大声で説教を始める(笑)。説教するのに、イチイチ「俺は~(大物さんらしい)を知っている」とか、「銀座では~」と他人の衣を借りる、みたいな自慢が入ってくるのが切なかった(笑)。お店の女の子達も慣れているのか、どっちらけな雰囲気になってきて、それを察したのかT部長、今度は自分達に向かって「なんで、さっきの交差点、赤信号だからって、ついてこんのや!」と、ワケのわからないキレ方をしてきた(笑)。もういいでしょ。それくらいで。

さすがに、部下の人達も申し訳なく思ったのか、3軒目は自分達を解放してくれた。
いつもなら、もっとざっくばらんな話ができる飲み会だったのになあ。残念。

で、メーカー3社で飲みなおすことに。
楽しめなかったからといって、もう一度同じようなコースを3人で回り、金沢ナイトを満喫。東京に比べると、なんでもリーズナブルで楽しかったな(笑)。

翌日のT部長、バツ悪そうに、とてもおとなしかった。こういう人ってどこの業界にもいるんだろうけど、久しぶりに出くわしたなあ(笑)。


ああ、明日も3時起きだ。もう寝よ

グチも

2005年06月22日 | 仕事
グチったり、文句を書き残しておくのは嫌だけど、気持ちのざわめきもたまには書きとめとこう。

久しぶりにアタマにキた!。会社の人も少-し見てるので歯切れ悪いけど、ホントに悔しい。正直やる気なくした。経験のない連中にとやかく評価されるなんてまっぴらゴメン!。
追い詰めてやっからな~、見とけよ~(恨)。


という訳で、「Another Day」のmayuminさんから(ご無沙汰してます!)トラック・バックいただきました!。5つの質問に答えて5人にバトンを渡そうという「ミュージカル・バトン」という企画。ちょっと緊張!(笑)。トラック・バックやったことないし、5人も知り合いおらんしなあ(哀)。メールじゃダメかなあ。ダメか…。そうだ、この間トラック・バックいただいたあの人と、うちのハレンチ学園の学長に送ろう!(笑)。
かまえずにOK!とのことなので、直感で質問に答えます。

●コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量
iPodに取り込んでる曲とほぼイコールだから、10Gくらいかな?。

●今聞いている曲
これは特に決まってないなあ。先輩バンドさん達の隠し撮りしたライブ音源とか、ポールの73年、76年、89年、93年、02年、04年のライブ音源とか(爆)、邦楽や洋楽の80‘sコンピものとかかな(車で聞くことが多いっす)。

●最後に買ったCD
えー、なんだろう。フーの一番新しいベストか。

●よく聞く、または特別な思い入れのある5曲
いつでも、好きな曲?。
I Saw Her Standing There - The Beatles
Calico Skies - Paul McCartney
Beat Surrender – The Jam
Wterloo Sunset – The Kinks
Surfer Girl – The Beach Boys
歌うたいのバラッド-斉藤和義…etc
いっぱいあるけど。このへんで…。

写真は、89年、「フラワーズ・イン・ザ・ダート」発表時の「FMステーション」の特集記事。
「夜のヒットスタジオ」での写真が懐かしい・・・。

コラボレーション???

2005年04月25日 | 仕事
お酒の大手量販店M社の社長さんと、うちの上司がお友達ということで一緒にお仕事をすることになった。早速M社の社長のもとへ上司と共に商談に…。緊張した!。
先方のバイヤー以下が応接室に呼び出され、「ぜひこの話を軌道に乗せるように!。」と号令がかかった。「ははあ!」って感じだった(笑)。

会社に戻るとすぐにM社のバイヤーから電話があった。
「もうカンベンしてよ(笑)。おたくとうちの上同士で盛り上がっっちゃったんでしょう。
これ軌道に乗せるなんて大変な話だよ。あなたも思いっきり話振られちゃったんでしょう?。今度一人で来てください。ぶっちゃけて話をしましょう…。」
まったくおっしゃる通り(笑)。上は酒の肴にでもと盛り上がってしまった話かも知れないが、振られた下の人間はたまったもんじゃない。「コラボレーション」とか、「コンテンツ」とか、ちょっと使い方間違ってるような言葉が商談の席でも並び、胡散臭いったらなかった(笑)。
あー、面倒な仕事引き受けちゃったな。おいしい話なんてあるもんじゃない。
…まあ、でもなんとかカタチにしてみよう(前向きだ!)。

ここのところは自分の気持ちとは裏腹に、とりあえず日々は平穏に流れて行っている。
あんまり順調だと、思わぬ落とし穴に落っこちそうで恐い。
ないものねだりのI Want You(by C-C-B)と言ったところかな。寒い?

初心に還る!。

2005年04月23日 | 仕事
眠い。

今日はある得意先から、新商品の試食販売をやってくれと頼まれ、遠路福島にある店舗へ…。
普通試食販売と言ったら、派遣会社に頼んで、マネキンさんを手配するんだけど、エリア的に遠いっていうのと、売上げ規模を鑑み(費用対効果ってヤツです)、自分でやることにした!。

試食販売とは、そのものズバリで、よくスーパーとか、デパ地下で、おばチャンや、オネーサンがお盆を手に「ご試食いかがですか?」ってやってるあれ。

現場は、最近はやりのモールという業態で、スーパーや、ホームセンター、その他もろもろの商業施設が一緒になったもの。
駐車場も広いし、天気もいいし、客足も良さそうで、こりゃ楽勝だなって思ってた。バイヤーからは、全部売り切った時点で帰っちゃっていいよ、と言われてたから、車から出た瞬間に戦闘モードに入った(笑)。早く帰るぞー。

商品を陳列して、試食の段取りを整え、準備OK。いよいよ開店!。
天気も最高だし、きっとお客さんもドドーッと押し寄せてくるだろうから、こんな数一瞬だな、なんて思ってた。
…が、お客さんが来ない!。店員さんに聞いてみると、天気がいい日は逆に、皆行楽地に遊びに行ってしまうそう・・・。そりゃそうだな、こんな行楽日和の朝っぱらからスーパーに買い物来る人なんか、そうはいないわな…。

こうなりゃ、入ってくる数少ないお客さんに片っ端から声をかけていくしかない!。
…うーーん。声が出ない(涙)。以外や以外、見知らぬ他人にいきなり声をかけるというのは、非常に勇気がいる…。お客さんも、こちらをチラ見して目が合うとサアっと離れていくし・・・(涙)。立ちすくむこと数分。…自分とこの商品だし、こんなもんは考える前にヤルだけだ、と自分に言い聞かせ、歩いてくるおばあちゃんに声をかけた。
カゴに入れてくれた!。ふうっ、関門クリア、こうなりゃ後は同じ要領で続けるだけ。
やっているうちに、だんだんセールストークもこなれてきて、どんどん在庫は減っていった。
少ないお客さん相手に快調に続けていると、ある瞬間、急に客足が止まった。
鮮魚コーナーで、「まぐろの解体ショー」が始まったのだ(笑)。完全にお客さん取られた!。
せっかくなんで、休憩がてら「解体ショー」を覗いてみることに(笑)。大人と変わらないくらい大きなマグロがサクサクっと解体されてパック詰めされ、お客さんの手に渡っていった。結構グロかった…(笑)。

さ、自分の持ち場に戻って再開!。相変わらずお客さんの数は少ないが、コツをつかんでしまったから、あとはもうこっちのペース。1時前には完売させた!。店員さんも「早っ」って言って驚いてた(笑)。

こんなことは、営業部に配属になっった時以来のことで、今更なかなかやる機会はない。
でも、自分の会社の商品を、最終消費者であるお客さんに直接特徴を伝えて、直にリアクションをもらえるという点で、とてもいい経験になった。また、どこからうちの会社はお金が入ってきて、自分は給料をもらってるかという、シンプルながら、机に向かってパソコンで数字を叩いていると忘れがちなことも再確認できてよかった。

初心忘れるべからずって感じかな(笑)。

春の思い出2

2005年03月15日 | 仕事
おととい書いた、日記の続きを書く!。
長くなりそうだけど、今の自分にも関係あることだし、自分にとっては大きな出来事だったから、書いておこう。


社長は、自分に反発、意見する人間はわりと露骨に遠ざける人だったから、「ああ、来たか…。」とその時は素直に思った。
しっかし、たったひとりで山口なんて、いまどき島流しじゃないんだから、ありえないんじゃないかい?。
でも、同時に、自分は見た目と違って負けず嫌いというか物事を重く考えないタチというか、落胆した気持ちの半分、「おいしい。やったるで。」という気持ちが、今思えば悪い方に考えたくないという逃避だったか知れないが、ふつふつと沸き起こっていた(笑)。

この頃、実は迷っていることがあったが、何も言わないまま山口に行くことに決めた。この判断が、後々自分にダメージをくれることになるが、その時の自分の心境では、そう判断するのがベストだと思ったし精一杯だった…。

そしていざ山口へ…。

自分を待っていたのは、想像以上の状況だった。
買収した会社とは、ある得意先がもともと設立した会社で、創業以来14年間、ずっと赤字の会社だった。都合のいい売却理由だが、「本業に専念」、というわけでうちの会社に売却の話が来たわけだ。

そこで働く従業員達は、今の時代、ちょっと反発が起きてもおかしくないくらいの冷遇のされかただった。定年近い人でさえ、自分より余裕で年収低かったし、残業代も当然のように無し。休みも交代で週に一度だけ。中には365日出勤してる人もいた!。労働環境もひどく、関東のうちの工場に比べたら劣悪と言っても言い過ぎではなかった。初めて工場を見た時の印象は「ここが自分の働く場所か…」だった。

先に工場長(兼取締役)として入っていた元上司からは、「買収された会社の人間は、買われたという意識が強い。一方で、買われた先の人間がうわついた気持ちで入ってくると、顔には出さないがすぐになめてかかる。お前が山口に来てくれるのはいいが、『わざわざ東京から来たけれど、売り上げは上がらない』と、彼らから一瞬でも判断されると、ここでは人間扱いされない…。」なんて、マジなんだか、脅しなんだかよくわからない歓迎の言葉をいただいた(笑)。ただ、必死でやってくれ、という願いに近い気持ちだけはしっかりと受け取った。

自分にこの場所で課せられたことは、とにかく一時でも早く、安定した供給先を見つけて、経営の安定化、つまり黒字化してみせること、利益を出すことと理解した。うちの親会社からは、いつも「清算」、というナイフを突きつけられていたから。

従業員達は、露骨に不信感を浮かべた眼差しを向ける人もいたが、先の上司の言葉とはうらはらに、おおむね優しくて人なつっこい、田舎のとっちゃん、かあちゃん達が多かった。

知的障害を持つI君は、雨が降ろうと、雪が降ろうと、毎日工場から4キロ離れた自宅から自転車で山を、時にびしょ濡れになりながら登ってくる。発する言葉も、正直ままならない感じで、それでも自分に対してせいいっぱい大きな声で挨拶をしてくれるし、気遣いの言葉までかけてくれた。そして彼なりに、この仕事と自分の作る商品にプライドを持って働いていてくれていた。
借金取りに追われ、家族ともバラバラになり、ここに流れ着いたオッサンもいた(借金取りに事務所の電話番号教えんなよなあ!、怖かったよ)。
生活の苦しさから、この仕事の他に、夜の代行運転業までこなすオバチャン達。
生活苦しいって言うわりには、工場に住み着いたネコに高いキャットフードを買ってきては食べさせていたっけ…。

そんな人達を見ていると、実際に外に出て商談してくるのは自分しかいないので、物言わぬ彼らの期待(されてたかどうかはわかんないけど)に応えなきゃって思った。自分一人の力なんて、実際大したことなんかできやしないけれど、そうやって思い込むしか、やってられなかった。


着任早々、動きまくった!。本当によく動いた。山口を拠点にして、広島、福山、尾道、愛媛松山、九州の小倉、果ては岡山まで…、一日の平均走行距離は400キロはくだらなかった。時間と経費をかけて、毎日商談を続けた。問屋にもどんどん商談に連れ出してくれるようアプローチした。必死だった。

一番しんどかったのはやはり一人ということ。権限が何もないペエペエの社員を一人で置いとくというのは、今だにひどいし、いかがなものかと思う。この業界は即答を求められる緊迫した場面が多く、工場を背負っちゃってる分、常に緊張した状態が続いていた。

プライベートな面でも困ったもんで、土日の休みがきても(実際はあまり休めなかったが)、とりあえずしゃべる相手もおらず、当然一緒に遊ぶ仲間もいなくて、ひとりドライブが少ない休みの定番となっていた(哀)。一人で街をぶらついて時間を過ごしたりするのは全然苦じゃなく、むしろ好きな方なんだが、さすがにこの転勤でのひとりぼっち感はこたえた…。そんな自分を見かねたのか、それともボヤきが届いたのか(笑)、「お前ひとりじゃけえ、寂しかろう!?。」と、得意先のバイヤーは釣りに連れて行ってくれたり、問屋や、他のメーカーの営業マンは、広島の夜を食べ歩き、飲み歩きに連れ出したりしてくれた。今思えば、刺激のない田舎暮らし、彼らも自分をだしにして楽しんでたというむきもあるが…(笑)。それを差し引いても、向こうの人達にはよくしてもらった。お互いまったく別の会社にも関わらず、自分の仕事をフォローしてくれたり、今思い返しても感謝の気持ちでいっぱいだ。(ホント救われましたよ)。

半年経過したあたりから、徐々に営業の成果があらわれはじめ、夏には冷夏だったにも関わらず、ついに利益を出せるようになった!。当然自分の力だけでなく、商品の力がマーケットに支持された結果であるが、とても嬉しかった。心底嬉しかった。工場のみんなの顔も明るくなってきた。30過ぎて、こんなさわやかな喜びを得られるなんて思ってもみなかった。
関東の連中からはもう忘れられてるかも知れないけれど、自分はまだまだ終わってない、やってるぞ!って思った。

冬の声が聞こえ、来年の春のプレゼンの準備にとりかかろうとしていた頃、唐突に、関東営業部への異動の内示が出た。
実績を出したから帰れるのかな、なんてうぬぼれた考えも浮かんだが、関東の売り上げの急降下、親会社による、うちの会社の関東、関西の分割売却案などが出、若い社員を戻せと、社長が動いてくれたと後から聞いた。

わずか1年に満たない転勤だった。
この転勤がなければ、生活は変わっていたかも知れない。考えてもしょうがないけれど、たぶん変わっていたと思う。する、しない、どっちが良かったなんて比べられないけれど、とりあえず、一人になる、という貴重な体験ができた。自分をみつめるなんて感傷に浸る時間はあんまりなかったが、その時間を、数えられない人に出会い、数えられない孤独感や達成感を味わうことによって埋めてきた。東京に戻ってきて一年、ようやくあの一年のことが自分の中に活きてきてる実感がしてきた。

たぶんまだ途中だと思うけど。