イギリス時間6月1日。
移動時間の長さと睡眠不足から、こちらへ来て何日目なのかも、ややぼんやりと。
夜のポール・マッカートニー、ライブまで、今日はリバプールのゆかりの地巡りをすることに。
ホテルからアルバート・ドックまで歩く。
途中には、ポールがあちこちに。
今日は世界中からここに、自分達のようなおバカちゃん達が集まってきてるんだろうなあ。
定番の「ビートルズ・ストーリー」に入る。
さすがに80年代前半(?)のオープンだけに、造りや展示スタイルにやや古さを感じてしまう。
増床されたという後半部分は、「さいたま」みたいだった。
でも、キャバン・クラブを模したブースで、ハリボテのレンガ壁に触れた瞬間に「ツイスト&シャウト」が流れ、思わずウルっと・・・。ベース持って初めて練習したのがこの曲だったんだよなあ・・・。なんだろう、やっぱりリバプールにいるっていう意識からか、感じ入りやすくなってるみたいだ。
ファンにとってはここも聖地のひとつ、マシュー・ストリート。
そう、デビュー前後のビートルズが夜ごとギグを繰り返してきたキャヴァン・クラブのある通り。
取り壊されたオリジナルのキャヴァン・クラブの、少し離れた場所に再建され、現在営業中のキャバン・クラブ。
オリジナルのレンガを使って、元通りに再現された内部。
思っていたよりも広かった。
このフロアにティーンエイジャーの女の子、男の子がぎっしりとつまり、その先のステージに、若き4人が立っていたのかあ・・・。
今日のステージ上では、地元の?、ハウスバンド?の太っちょのオジサン・バンドが、大汗かきながら熱演中だった。でもあまりにも雰囲気に合わない音だったので、そそくさと地上にあがってきた。
こちらパブの看板。
こっちのデザインの方が雰囲気があると思う。
ジョンの銅像。
ライブの合間に、メンバーが飲みに来てたという「GRAPES」。
ここがオリジナルのキャヴァン・クラブの入口があったところ。
マシュー・ストリートを振り返ってみる。
意外に広い通りだし、とっても明るい。リバプールは寂れた町で、暗い街並っていうイメージはもう昔のことなのかな。
リバプールの中心街からバスで30分ほどしてたどりついた交差点。ここがペニー・レイン。
歌詞の中にも出てくる床屋さん。
おそらくジョンやポールが少年期を過ごした40年、50年前とほとんど変わってないであろう街並。変わらな過ぎじゃ・・・。
長~い、「Penny Lane」通りを小雨に打たれながら歩いてみる。
頭の中に、曲なんか流れたりしなかった。通り過ぎてく車のタイヤが、路面にふった雨をはじいていく音だけが聞こえる。
ビートルズに出会ったばかりの10代の頃の、むさぼる様に音を聞いて、彼らの情報をかき集め、歌詞カードを辞書片手に解読し、ジョンやポールのメッセージを夢中で読み取ろうとしてた自分がふいに蘇ってきてこみあげてしまう。あれからずいぶん長い時間がたっちゃったんだなあ。家族に守られてた生暖かい時間の空気の中を歩いてるみたいな気持だった。
通りの終点にあった「PENNY LANE」の標識。そう、今、ペニーレインに立っている。
引き返して、またバスに乗って数ポイント行ったところにある、ジョンが幼少期を過ごしたミミおばさんの家。
閑静な住宅街にあって、家庭環境は複雑であったけれども、住環境は意外にイイところだったんだなあ、と思う。ナショナル・トラストの管理下にあって、自分達は入れなかった。
そしてメンローブ・アベニューを少し引き返して交差点を右折すると、ほどなく「STRAWBERRY FIELD」が現れる・・・。
う~ん、何とも・・・。言葉がでなかった。
この奥の原っぱで、少年ジョンは何を見てたんだろう・・・。
成功してから、あっちの世界に連れて行かれてしまうまでに、ここに立つ時間はあったんだろうか。
ちょっぴり複雑な気持ちになったまま、その先へ歩くこと10数分。
すべてのスタート地点、そして大げさでもなくROCKの始まる出会いがあった、「セント・ピータース地区教会」。
ジョンとポールが初めて出会った場所ですね。
たまたま他のツアー客を案内してた現地ガイドさんが、「ここを見てみろ」と教えてくれた、「エリナー・リグビー」の名前が刻まれた墓標。鳥肌がたった。
ここまで来て、時計の針は17時を過ぎていた。
そろそろポールに会いに、コンサート会場に向かいましょうか。
移動時間の長さと睡眠不足から、こちらへ来て何日目なのかも、ややぼんやりと。
夜のポール・マッカートニー、ライブまで、今日はリバプールのゆかりの地巡りをすることに。
ホテルからアルバート・ドックまで歩く。
途中には、ポールがあちこちに。
今日は世界中からここに、自分達のようなおバカちゃん達が集まってきてるんだろうなあ。
定番の「ビートルズ・ストーリー」に入る。
さすがに80年代前半(?)のオープンだけに、造りや展示スタイルにやや古さを感じてしまう。
増床されたという後半部分は、「さいたま」みたいだった。
でも、キャバン・クラブを模したブースで、ハリボテのレンガ壁に触れた瞬間に「ツイスト&シャウト」が流れ、思わずウルっと・・・。ベース持って初めて練習したのがこの曲だったんだよなあ・・・。なんだろう、やっぱりリバプールにいるっていう意識からか、感じ入りやすくなってるみたいだ。
ファンにとってはここも聖地のひとつ、マシュー・ストリート。
そう、デビュー前後のビートルズが夜ごとギグを繰り返してきたキャヴァン・クラブのある通り。
取り壊されたオリジナルのキャヴァン・クラブの、少し離れた場所に再建され、現在営業中のキャバン・クラブ。
オリジナルのレンガを使って、元通りに再現された内部。
思っていたよりも広かった。
このフロアにティーンエイジャーの女の子、男の子がぎっしりとつまり、その先のステージに、若き4人が立っていたのかあ・・・。
今日のステージ上では、地元の?、ハウスバンド?の太っちょのオジサン・バンドが、大汗かきながら熱演中だった。でもあまりにも雰囲気に合わない音だったので、そそくさと地上にあがってきた。
こちらパブの看板。
こっちのデザインの方が雰囲気があると思う。
ジョンの銅像。
ライブの合間に、メンバーが飲みに来てたという「GRAPES」。
ここがオリジナルのキャヴァン・クラブの入口があったところ。
マシュー・ストリートを振り返ってみる。
意外に広い通りだし、とっても明るい。リバプールは寂れた町で、暗い街並っていうイメージはもう昔のことなのかな。
リバプールの中心街からバスで30分ほどしてたどりついた交差点。ここがペニー・レイン。
歌詞の中にも出てくる床屋さん。
おそらくジョンやポールが少年期を過ごした40年、50年前とほとんど変わってないであろう街並。変わらな過ぎじゃ・・・。
長~い、「Penny Lane」通りを小雨に打たれながら歩いてみる。
頭の中に、曲なんか流れたりしなかった。通り過ぎてく車のタイヤが、路面にふった雨をはじいていく音だけが聞こえる。
ビートルズに出会ったばかりの10代の頃の、むさぼる様に音を聞いて、彼らの情報をかき集め、歌詞カードを辞書片手に解読し、ジョンやポールのメッセージを夢中で読み取ろうとしてた自分がふいに蘇ってきてこみあげてしまう。あれからずいぶん長い時間がたっちゃったんだなあ。家族に守られてた生暖かい時間の空気の中を歩いてるみたいな気持だった。
通りの終点にあった「PENNY LANE」の標識。そう、今、ペニーレインに立っている。
引き返して、またバスに乗って数ポイント行ったところにある、ジョンが幼少期を過ごしたミミおばさんの家。
閑静な住宅街にあって、家庭環境は複雑であったけれども、住環境は意外にイイところだったんだなあ、と思う。ナショナル・トラストの管理下にあって、自分達は入れなかった。
そしてメンローブ・アベニューを少し引き返して交差点を右折すると、ほどなく「STRAWBERRY FIELD」が現れる・・・。
う~ん、何とも・・・。言葉がでなかった。
この奥の原っぱで、少年ジョンは何を見てたんだろう・・・。
成功してから、あっちの世界に連れて行かれてしまうまでに、ここに立つ時間はあったんだろうか。
ちょっぴり複雑な気持ちになったまま、その先へ歩くこと10数分。
すべてのスタート地点、そして大げさでもなくROCKの始まる出会いがあった、「セント・ピータース地区教会」。
ジョンとポールが初めて出会った場所ですね。
たまたま他のツアー客を案内してた現地ガイドさんが、「ここを見てみろ」と教えてくれた、「エリナー・リグビー」の名前が刻まれた墓標。鳥肌がたった。
ここまで来て、時計の針は17時を過ぎていた。
そろそろポールに会いに、コンサート会場に向かいましょうか。