元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ケーララの獅子」

2010-10-04 06:35:36 | 映画の感想(か行)

 (原題:Kerala Varma Pazhassi Raja)アジアフォーカス福岡国際映画祭2010出品作品。観ていて疲れた。3時間14分もの長尺だが、それはインド映画では珍しくもない。ただし難点は、お馴染みの歌と踊りがほとんど出てこないこと。これは辛い(笑)。

 18世紀末、イギリス統治下のインドで東インド会社の圧力に敢然と立ち向かった勇士を描く史劇だ。17世紀前半から英国のインド進出は始まり、それは1947年まで続いたことは周知の事実であるから、主人公の企てが失敗に終わることは最初から分かっている。重要なのはいかに巧みな語り口で観客を惹きつけるかであるが、これがどうにも上手くない。

 ハリハランの演出は一本調子でストーリーの大きなうねりが感じられない。しかも、加えて主演のマンムーティをはじめとする男優陣が全員髭面のデブであるため、登場人物の見分けが付きにくい(爆)。ついでに言えば、女優達もすべて太めでフットワークが重そうで、映画的興趣に欠ける。

 これらはいずれも昔のインド映画のキャスティングだ。時代劇だからといって、俳優もオールドファッションにする必要はない。昨今はスマートで垢抜けた俳優も多いのだから、そういうのを積極的に起用して幅広い観客層にアピールすべきではなかったか。

 肝心の活劇シーンだが、これはまあ健闘している方だと言える。時に後半の、イギリス軍陣地に夜襲を掛ける場面はかなり盛り上がった。しかし、その程度では足りないのだ。もっと思い切った撮り方で盛り上げて欲しかった。さらに、香港映画のモノマネみたいな中途半端なワイヤーアクションも挿入されるに及んでは、脱力するばかりだ。

 それでも歌と踊りを大々的にフィーチャーすれば退屈さもしのげるはずだが、前述のようにほとんどないので観ている側は不満が募ることになる。音楽もカメラワークも凡庸だ。

 せっかくインド映画をこのイベントに持ってくるのならば、四の五の言わずにミュージカル場面が満載の“いつものパターン”の作品群をまとめて公開すればいいのだ。知られざる歴史を描いているからといって、面白くもないシャシンを見せられてはたまらない。
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「Eighteen 旋風」

2010-10-03 06:31:45 | 映画の感想(英数)

 (英題:Eighteen)アジアフォーカス福岡国際映画祭2010出品作品。韓国製の青春映画だが、前に紹介した「水辺の物語」と同様のパターンの作品だ。実につまらない。舞台挨拶に出てきた監督(チャン・ゴンジェ)はやはり若く、思い切った作りの映画を期待させつつも、見終わってみれば映画青年の自己満足に終わっている。

 主人公の18歳の男子高校生は、周囲に黙って同い年の恋人と旅行に出掛ける。それに気付いた両方の親は当然のことながら激怒し、二人に対してお互いに会うことを禁止する。だが彼は相手を忘れられない。塾の帰りなどで彼女を待ち伏せたり、勝手にプレゼントを買ったりするのだが、すでに相手の心は彼を離れている。

 要するに一時の気の迷いで男と出歩いたヒロインが、親が本気で心配してるのを目の当たりにして我に返り、すっかり熱が冷めてしまったというありがちなパターンである。それに気が付かずに未練たらたらで彼女に付きまとう主人公の愚かさも、ありがちな図式だ。

 こういう“語るに落ちる”ような話を一編の映画としてまとめ上げるには、撮り方や展開の段取りに細心の注意を払わなければならないはずだが、本作には見事にそれがない。ただ“二人の思い出”を心象風景的にあれやこれやと映し出し、主人公がひたすら懐かしむという、脱力するようなパターンの繰り返しだ。

 これがたとえば、彼の内面と現実とが混濁して異様な次元へと突き抜けるとか、あるいは別の異性を登場させて失意から立ち直るきっかけを掴むとか、そういう“ドラマを動かそう”という方向性を取れば何とか冗長さを回避出来たのかもしれないが、まったくの無為無策では観る方もアクビをかみ殺すのみだ。

 主演のソ・ジュンヨンとイ・ミンジには魅力がない。ルックスも冴えず、ただ脚本通り仕事をやりましたというレベル。デジカムで撮られているせいもあり、映像も表面的でインパクトがない。まるで素人の作品だ。

 ひと頃の韓国映画ブームは廃れたものの、良い映画は確実に存在しているはずだ。それを選んで持ってくるのが映画祭プロデューサーの仕事だが、こういうシャシンを漫然と採用しているあたり、作品を見る目が養われていないようだ。
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「禁断の扉」

2010-10-02 06:42:30 | 映画の感想(か行)
 (英題:The Forbidden Door)アジアフォーカス福岡国際映画祭2010出品作品。これは面白い、インドネシア産のホラー映画だ。ネタの振り方といい、掟破りスレスレのあざとい展開といい、この手の映画としては欧米製の出来の良い作品と比肩できるレベルに仕上がっている。

 主人公は売れっ子の若手彫刻家。中でも妊婦をテーマにした作品群は評判が良く、美術品ブローカーからの信頼も厚い。ところが彼は、作品に“迫力”を付けるために、妊婦像の腹の部分に嬰児の遺体を埋め込むという外道なことをやる異常者だった。彼の妻は建築家で、二人は彼女が設計した新居で生活を始めるが、そこには妻から“決して入ってはいけない”と厳命された開かずの部屋がある。



 しばらくすると玄関の前や町の掲示板に“助けて”というメッセージが書き込まれるようになり、彼の親友が足繁く通う秘密クラブのテレビには両親から痛めつけられる少年の映像が流される。

 まるで互いに関係のないようなモチーフが平行して描かれるが、これは明らかにデイヴィッド・リンチあたりの影響を受けたようなプロットの積み上げ方である。ただし、本作はリンチの諸作のようにドラマを空中分解させたまま放り出すようなことはしない(まあ、リンチの場合はそれでサマにはなっているのだが ^^;)。これら禍々しいイメージの数々は、ラスト近くでひとつに収束していく。

 当然それだけでは終わらずに最後にはオチがあるのだが、勘の良い観客ならばそれは読める。しかし“読めるオチ”でありながら全体的に見応えがあるのは、各エピソードの粘着度が強いからだ。主人公が体験する不条理な出来事は、そのまま実社会の問題を照射したような切迫感がある。



 それは貧富の差であったり、世の中を覆う人間不信だったりするのだが、最もインパクトがあるのは児童虐待である。このシーンは怖い。狂ったように奇声を発しながら子供を打擲する母親の姿は、人間の基本的コミュニケーションが音を立てて崩壊していく様子を目の当たりにするようで、身の毛がよだつようだ。これに比べれば、終盤展開される血みどろのスプラッタ・シーンなど大したことはない。

 監督はジョコ・アンワルなる人物だが、演出テンポが良く弛緩した部分はない。主演のファクリ・アルバルとマルシャ・ティモシィはなかなかルックスが良く、陰惨な部分の“緩衝材”みたいになっていると言えよう。エンドクレジット途中での“エピローグ”の挿入も気が利いている。どうしてこういう血の量が多いシャシンが自治体主催の映画祭で上映されるのかよく分からないが(笑)、密度の濃い恐怖譚であることは確かだ。
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「夢追いかけて」

2010-10-01 06:40:45 | 映画の感想(や行)

 (英題:The Dreamer )アジアフォーカス福岡国際映画祭2010出品作品。前年(2009年)の同映画祭で公開された「虹の兵士たち」の続編だが、前作のクォリティをまったく落とさずに味わい深い映画に仕上がっていたのには感心した。

 前回に引き続き、インドネシアのブリトン島に住む三人の子供達の成長物語が綴られる。だが、映画は主人公格の少年が成長し、希望に胸を膨らませて大学を卒業したもののロクな仕事がなく、結局は郵便局員としてうだつの上がらない日々を送っているところから始まるのだ。彼の回想により、中学・高校時代に一緒に過ごした友人達のことが描かれる。

 ヘタをすると“子供の頃はいろいろ夢があったが、大人になってしまえば手近な職業に就き、そこそこの人生を送るものだ”という退屈な筋書きを追っていると思われるのだが、そうではない。彼は逆風が吹いているような生活から、反転攻勢を掛けるのだ。その原動力となるものこそ、少年時代の体験である。

 中学校の頃に疎遠だった叔父が亡くなり、主人公の家でその息子を引き取ることになる。同い年のいとこと一緒に学校に通うことになるのだが、彼は口が達者で破天荒な人物ながら性根は実に優しい奴だった。ちょっとトロい感じのクラスメートとも仲良くなり、3人は勉強するときもイタズラに精を出すときも一緒に行動する。

 彼らを取り巻くエピソードはどれもハートウォーミングだ。教育熱心で生徒を信じ切っている担任教師や、厳しいけど面倒見の良い校長先生、主人公達をいつも見守る父親など、周りの大人にも恵まれている。たぶんこれは監督のリリ・リザをはじめとする作者達の“願望”も入っているのだろう。でもそれは決してウソっぽく見えない。

 現実には誰しもが有意義な十代を送れるはずがないのも確かだ。しかし、いくら面白くない人生を歩んでいると思っていても、貴重な出会いというものは必ずある。それを糧にして生きればどんな逆境でも乗り越えられるという、送り手のとことんポジティヴな姿勢が嬉しくなってくる作品だ。

 なお、この映画は三部作の二作目だという。次回が“完結編”だが、舞台をヨーロッパに移して主人公達がどういう生き方をしてゆくのか、今から楽しみである。
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