珍しく夕方から買い物に出かけたので、帰りはすっかり暗くなった。
車が山道にさしかかると、道路の片側に、色つき電球が長く並んで
ぴかぴかとにぎやかに点滅している。
あ、こんなところにもイルミネーション。
きれいねえ。
と、通り過ぎながら、どこか頭の片隅で「違う違う」と声がする。
工事中の区間の注意を促す電球であった。
峠を上り、トンネルを抜け、連続カーブを降りてくると、
葉の落ちた木々の枝ごしに、ぽつんとわが家の灯が見える。
おかえり、と声が聞こえるようで、心なごむ、よい光景である。
つけっぱなしで出てきて、よかった。
・・というところで、ふと出てきたのが、本日のタイトル。
「峠のわが家」って、近ごろの学校では習わないかな?
でも、最近どこかの電話の「お待たせメロディ」で聴いたくらいだから、
聴けば「ああ、あれ」ってわかる人は多いでしょう。
アメリカの歌で、いろんな歌詞がついていますが、
いずれも、望郷の歌、ということになっています。
が、わたしは子どもの頃から、このタイトルに
何かひっかかるものを感じていました。
何がどう変なのか、それがずっとわからずにいたのですが、
峠を越えて、我が家の灯を見た途端に、あ、と思ったのです。
峠のてっぺんには、ふつう人は住まないんじゃないか。
峠や尾根というのは、境界としての意味が大きい。
たとえばそれが国境(くにざかい)だったら、その周辺は、
いわば緩衝地帯として、定住は避けるような気がする。
そして、地形的にみて、峠は農耕に適していない。
そこからどちらかに下った川沿いのやや平らな場所に
畑や家ができて、人が住む、というのが一般的でしょう。
峠にあるのは「山小屋」か「峠の茶屋」か「お地蔵様」くらいで、
帰りたい「わが家」があるには不自然な場所ではないかしら。
えーと、この話、長くなるので途中少しとばしますが、
それで、アメリカの原曲をあたってみたところ、
カンザス州のBrewster Higley という人が1870年代に発表した詩に
Daniel E. Kelleyが曲をつけた「Home On The Range」という歌である、と。
♪ Oh, give me a home where the Buffalo roam
Where the Deer and the Antelope play;
Where seldom is heard a discouraging word,
And the sky is not cloudy all day.
6番まである歌詞をざっと眺めて、はて?と、さらに疑問が深まる。
「峠のわが家」というタイトルは、どこから出てきたんだろう?
「range」で辞書をひくと、たしかに「山脈」の意味もありますが、
その「上」にある「ホーム」、と訳すのはどうも無理な気がするなあ。
だいたい、家のまわりをバファローや鹿がうろつくところでは
畑なんか絶対つくれませんでしょう。
この歌は、西部開拓時代にカウボーイたちが好んで歌い、
そこからアメリカ全土にひろまった、といわれています。
牛の群れを追って、大草原をつねに移動している、
いわば「流れ者」の愛唱歌、として考えてみると、
「この広い広い大草原が俺たちの心のふるさとさ」
というような雰囲気が一番ぴったりします。
しかし、これが、峠じゃないとして、どういうタイトルなら
この歌にふさわしいか、と、ちょっと考えてみたものの、
もう長年にわたり「峠のわが家」で親しんできてしまったため、
何ひとつ思い浮かばない・・のでありました。
追加。
このrangeって、往年の西部劇「ローン・レンジャー」の(見てませんが!)
ranger ← range ですよね?
そういえば、ジョニー・デップが出る予定の映画「ローン・レンジャー」は
その後いったいどうなったんだろう??
本日の水玉。

ぽよよよん、と。
(「本日の」といっても毎日撮っているわけではありません。
ストックがたくさんあるのです)