ようやく涼しくなったと思っていたら、
いきなり寒くなって驚く。
秋は一年中で一番好きな季節なのに、
飛び越して冬になってしまうのだろうか。
父のペンネームに秋という字が入っていた。
本人は夏が好きだと言っていたけれど。
亡くなったとき、戒名に秋の字を入れてほしいと
母が頼んだが、寂しい字だから入れないほうがいいと
和尚さんに言われ、採用してもらえなかった。
わたしは秋が寂しいとは思わない。
むしろ実り終えた豊かな安心のイメージがある。
静かなのと寂しいのは違う。
枯れ草も落ち葉も、夕焼け雲も冴える月もみな美しい。
数日前、家の近くの木で鳴いている鳥がいた。
はっきりしたさえずりではなく、柔らかい声で
ひとりごとのように何やらチュクチュク言っている。
聞いたことのない声だ。
メジロにも、ホオジロにも、ツバメにも、スズメにも
ちょっとずつ似ているけれど、どれでもないような…。
そおっと近づき、見上げて探したら、
山桜のてっぺん近くの枝にとまっているのが見えた。
くるり、くるりと、輪を描くように尾を振っている。
あ、モズだ。
漢字で「百舌鳥」と書くように、
モズは他の鳥の物真似が得意だそうだ。
それで油断させおびき寄せて襲う、という説もあるが、
本当はどうなのだろうか。
春から夏のあいだにコレクションした声を、
並べたり並べ替えたりして楽しんでいるようにも聞こえる。
モズの本来の声は、キーキーキチキチという
甲高い「高鳴き」だが、今年はまだそれを聞かない。
この季節、エナガやメジロなどの小鳥が群れになるのと逆に、
モズは独立を宣言し、秋から冬じゅうひとりで暮らす。
ひとりが寂しいとは限らない。
それぞれのやりかたで行けばいい。
夕方、ストーブに火を入れた。
煙突が詰まっていないか、ほんの試しのつもりだったのに、
焚き始めると消えるのが惜しく、ついつい薪をくべてしまう。
画像は、金平糖のようなミゾソバの花。
いきなり寒くなって驚く。
秋は一年中で一番好きな季節なのに、
飛び越して冬になってしまうのだろうか。
父のペンネームに秋という字が入っていた。
本人は夏が好きだと言っていたけれど。
亡くなったとき、戒名に秋の字を入れてほしいと
母が頼んだが、寂しい字だから入れないほうがいいと
和尚さんに言われ、採用してもらえなかった。
わたしは秋が寂しいとは思わない。
むしろ実り終えた豊かな安心のイメージがある。
静かなのと寂しいのは違う。
枯れ草も落ち葉も、夕焼け雲も冴える月もみな美しい。
数日前、家の近くの木で鳴いている鳥がいた。
はっきりしたさえずりではなく、柔らかい声で
ひとりごとのように何やらチュクチュク言っている。
聞いたことのない声だ。
メジロにも、ホオジロにも、ツバメにも、スズメにも
ちょっとずつ似ているけれど、どれでもないような…。
そおっと近づき、見上げて探したら、
山桜のてっぺん近くの枝にとまっているのが見えた。
くるり、くるりと、輪を描くように尾を振っている。
あ、モズだ。
漢字で「百舌鳥」と書くように、
モズは他の鳥の物真似が得意だそうだ。
それで油断させおびき寄せて襲う、という説もあるが、
本当はどうなのだろうか。
春から夏のあいだにコレクションした声を、
並べたり並べ替えたりして楽しんでいるようにも聞こえる。
モズの本来の声は、キーキーキチキチという
甲高い「高鳴き」だが、今年はまだそれを聞かない。
この季節、エナガやメジロなどの小鳥が群れになるのと逆に、
モズは独立を宣言し、秋から冬じゅうひとりで暮らす。
ひとりが寂しいとは限らない。
それぞれのやりかたで行けばいい。
夕方、ストーブに火を入れた。
煙突が詰まっていないか、ほんの試しのつもりだったのに、
焚き始めると消えるのが惜しく、ついつい薪をくべてしまう。
画像は、金平糖のようなミゾソバの花。
気温が下がってきて、気がついたら着るものがない。
あわてて大遅れの「衣替え」をする。
衣替えといったって、階下の押入れからケースをひとつ出し、
2階に持ってあがり、引き出しの夏物と詰め替えて、持って降りる。
たったそれだけのことが、今年はいつまでも暑かったせいで、
なかなかできなかった。
この夏買った衣類は結局Tシャツ2枚だけで、
それも1枚は袖を通さないままだ。
冬物のタートルネックなど、ひろげてみるが、どれもうっとうしい。
もう着る機会のなさそうなものと、着ても気分の良くないものは、
もったいなくても、どんどん捨ててしまおうと思う。
あれこれ着替える必要のない猫がつくづくうらやましい。
同じく残暑のせいで、冬野菜の種まきも大幅に遅れ、
いまようやく本葉が4、5枚ほど。
大根、かぶ、青梗菜、ほうれん草、水菜。
ちょいちょいと間引いただけで、けっこうな量になる。
濃いめに調味しただし汁を煮立て、
ざるに山盛りの混合菜っ葉を入れると、
みるみるかさが減っていく。その鍋を見ながら、
「…名は九郎判官」「では義経にしておけ」
なぜかそんなせりふが頭の中を行ったり来たりするので、
調べたら「青菜」という古典落語だった。
いつどこで耳にしたものか、頭の中に保存されていて
こういうタイミングでひょっこり出てくるのが不思議。
しかし、酒の肴に青菜というのが、どうもぴんと来ない。
江戸時代には味醂のような甘い酒が好まれたそうだが、
菜は、おひたしだろうか、胡麻和えだろうか、
それとも、油揚とでも煮たのだろうか。
昨夜はなんだか物凄いような月あかりで、
何も持たずに外を歩けるほどだった。
某所では素敵なライブコンサートが行われた模様。
今年はがんばって行ってみようかと、ちらっと思ったのだけれど
思っただけで、やっぱり気後れしてチケットは買えなかった。
でも、野外だから、雨が降らなかったことがうれしくて、
ぴかぴかのお月さまを長いこと見ていた。
あわてて大遅れの「衣替え」をする。
衣替えといったって、階下の押入れからケースをひとつ出し、
2階に持ってあがり、引き出しの夏物と詰め替えて、持って降りる。
たったそれだけのことが、今年はいつまでも暑かったせいで、
なかなかできなかった。
この夏買った衣類は結局Tシャツ2枚だけで、
それも1枚は袖を通さないままだ。
冬物のタートルネックなど、ひろげてみるが、どれもうっとうしい。
もう着る機会のなさそうなものと、着ても気分の良くないものは、
もったいなくても、どんどん捨ててしまおうと思う。
あれこれ着替える必要のない猫がつくづくうらやましい。
同じく残暑のせいで、冬野菜の種まきも大幅に遅れ、
いまようやく本葉が4、5枚ほど。
大根、かぶ、青梗菜、ほうれん草、水菜。
ちょいちょいと間引いただけで、けっこうな量になる。
濃いめに調味しただし汁を煮立て、
ざるに山盛りの混合菜っ葉を入れると、
みるみるかさが減っていく。その鍋を見ながら、
「…名は九郎判官」「では義経にしておけ」
なぜかそんなせりふが頭の中を行ったり来たりするので、
調べたら「青菜」という古典落語だった。
いつどこで耳にしたものか、頭の中に保存されていて
こういうタイミングでひょっこり出てくるのが不思議。
しかし、酒の肴に青菜というのが、どうもぴんと来ない。
江戸時代には味醂のような甘い酒が好まれたそうだが、
菜は、おひたしだろうか、胡麻和えだろうか、
それとも、油揚とでも煮たのだろうか。
昨夜はなんだか物凄いような月あかりで、
何も持たずに外を歩けるほどだった。
某所では素敵なライブコンサートが行われた模様。
今年はがんばって行ってみようかと、ちらっと思ったのだけれど
思っただけで、やっぱり気後れしてチケットは買えなかった。
でも、野外だから、雨が降らなかったことがうれしくて、
ぴかぴかのお月さまを長いこと見ていた。
韓国版が出ました。
画像左から
旧版(小学館1986年)・新装改訂版(金の星社2002年)・ハングル版(2010年)
ハングル版はサイズが一回り大きくてソフトカバーです。
この体裁の児童書があちらでは流行っているのかな。
デザインもかなり違いますね。
この画像ではよくわからないのですが、
タイトルとねこさんの絵柄のところだけ特殊印刷?で、
シールを貼りつけたようにつるつるしています。
そして、よくよく見ると、
タイトル文字にニクキュウが…(笑
こちらは裏表紙。
右下のバーコードの上にねこさんがのっていたり、
遊びゴコロたっぷりのデザイナーさんです。
本文は、原本の縦組みが、ハングルの横組みになっているので、
見慣れない感じで落ち着きませんが。
ついでに、旧版と新装版をくらべると、
ほうきが違うし、はたきは持ってないし、
買い物かごがレジ袋に変わってたりして、
しみじみ時代の流れを感じるのでありました。
(あ、今だったらレジ袋はエコバッグにしなきゃ…)
わたしおてつだいねこ (おてつだいねこシリーズ) | |
竹下文子/作 鈴木まもる/絵 | |
金の星社 |
3人の魔女が家でくつろいでいる。
ひとりの携帯にメールが入る。
「丘に来てくれ、って」
「何で行く?」
「ほうき」
「チャリで行こうよ」
ということで、黒い衣装をなびかせ、
自転車をこぐ3人。
場面変わって、階段にへたりこむ魔女たち。
「疲れた~」
「やっぱ、ほうきにすればよかった~」
…というようなCMを見かけたのだけど、
(細部は間違っているかもしれません)
いったい何のCMなのかが、よくわからない。
ハロウィン? 携帯会社?
自転車屋でもほうきメーカーでもないことは確か。
晴れた午後。
道に枯れ葉や栗のイガがたくさん散らばっているので、
愛用の庭ぼうき「おちば号」を持ち出す。
シーズンの到来だ。
1年使ったので、さすがに先がすり減ってきている。
お掃除をしたあと、ついでにそのあたりを一回り歩き、
戻ってきて、ふと気づいたら、ほうきを持ったままであった。
あんがい邪魔にならないものだな、と思う。
これは柄が竹でなく、なめらかな棒でできている。
そのせいか、大きさのわりに持ちやすく、手になじむ。
ちりとりやバケツだったら、こうはいかない。
あらためて、にぎり直し、軽く振ってみる。
バランスが良い。
持って歩くと楽しい。
いや、持って歩きたい、という気さえしてくる。
乗って飛ぶ日も、そう遠くはないかも。
ひとりの携帯にメールが入る。
「丘に来てくれ、って」
「何で行く?」
「ほうき」
「チャリで行こうよ」
ということで、黒い衣装をなびかせ、
自転車をこぐ3人。
場面変わって、階段にへたりこむ魔女たち。
「疲れた~」
「やっぱ、ほうきにすればよかった~」
…というようなCMを見かけたのだけど、
(細部は間違っているかもしれません)
いったい何のCMなのかが、よくわからない。
ハロウィン? 携帯会社?
自転車屋でもほうきメーカーでもないことは確か。
晴れた午後。
道に枯れ葉や栗のイガがたくさん散らばっているので、
愛用の庭ぼうき「おちば号」を持ち出す。
シーズンの到来だ。
1年使ったので、さすがに先がすり減ってきている。
お掃除をしたあと、ついでにそのあたりを一回り歩き、
戻ってきて、ふと気づいたら、ほうきを持ったままであった。
あんがい邪魔にならないものだな、と思う。
これは柄が竹でなく、なめらかな棒でできている。
そのせいか、大きさのわりに持ちやすく、手になじむ。
ちりとりやバケツだったら、こうはいかない。
あらためて、にぎり直し、軽く振ってみる。
バランスが良い。
持って歩くと楽しい。
いや、持って歩きたい、という気さえしてくる。
乗って飛ぶ日も、そう遠くはないかも。