誰でも知っている、グリム童話の「蛙の王様」という話。
お姫様が泉に金のまりを落とし、蛙に拾ってもらうところから始まる。
しかし、考えてみれば、変だ。
まりというのは普通、水に浮くものではないだろうか。
・・というような疑問を、時鳥さんが提示されていたので、
そちらのコメントにも書かせていただいたのですが、
さらに熟考してみたく、あらためてここに書いておきます。
「蛙の王様」には「鉄のハインリヒ」という妙な副題がついている。
副題がついているのは、200余篇中これだけだ。ということも、
ハインリヒって何?ということも、ここではまったく関係ないけれど、
KHM1、つまり全集では必ず最初にのっているため、とても探しやすい。
まずは、完訳版をみてみましょう。
<暑くってしようのない日には、おひめさまは森のなかにはいって、
このすずしい泉のへりにすわることにしていました。
それから、退屈すると、黄金(きん)のまりをだして、
それをまっすぐにほうりあげては、落ちてくるのを
下でうけとるのがおきまりで、これが、おひめさまの
なによりすきな遊戯でありました。>
(金田鬼一訳 岩波文庫)
さあ、この中に、すでに手がかりがいくつもある。
まず、放り上げては受けとめて遊んでいた、という点。
「まり」といえば当然「まりつき」と思いやすいが、
お姫様はぽんぽんついて遊んでいたわけではなかった。
次に「まりをだして」という点。
どこから、ということは書かれていないが、
ポケットにでも入れてあったような印象を受ける。
少なくとも、ずっと両手に抱えていた感じではない。
それから、「黄金のまり」だ。
これは「見た目が金色をしたまり」とも読めるし、
「黄金で作られたまり」とも読める。
「まり」という訳語が気になってきたので、
例によって近代デジタルライブラリーをのぞいてみる。
本邦初訳のグリムは明治20年の「西洋古事神仙叢話」だそうで、
これには残念ながら「蛙の王様」は収録されていない。
(タイトルを見ても、それが何の話だか見当がつきかねる。
シンデレラは入っている様子)
「蛙王子」というのが明治43年の「家庭十二ヶ月」という本にあり、
これには「金の手毬」となっている。
「まり」「てまり」以外の和訳は、わたしは見た記憶がない。
女の子のお気に入りの玩具ということで、自然にそうなったのだろう。
まり。まりつき。ゴムまり。
「水に浮く」と思うのは、おもにそこからの連想だ。
しかし、中に空気の入ったゴムまりができたのは近代になってから。
なにしろ、コロンブス隊が南米から持ち帰るまで、
ヨーロッパ人はゴムというものを知らなかった。
だから昔話にゴムまりが出て来るはずがない。
もちろん、糸でかがった「和てまり」や「蹴鞠」はうんと古い。
西欧にも革や布製のボールを使うゲームは昔からあった。
が、それらが金色をしていたとしても、水には浮く。
いや、お手玉のように、小石でも詰めてあったら、どうだろう。
沈む・・かな?
(物理が得意な人は考えてください)
ここで、グリムの原典をあたってみる。
初版も、最終版も「goldene Kugel」と書かれている。
独和辞典が手元にないため、グーグル翻訳にかけると、
まぜか「金のまり」ではなく「ゴールデンボール」と訳されるのだが、
「まり」と「ボール」ではずいぶん違うじゃないの。
「玉」とか「球」とか訳せば、また違う。
お姫様が持っていたのは、いったい「何」だったのでしょうか。
次なる手がかりは、蛙。
<蛙は、この約束を聞くと、頭を水の中へくぐらせてもぐって行って、
しばらくしてからまた浮かび上がって来た。
口に毬をくわえて来て、草むらにほうり投げた。>
(関敬吾・川端豊彦訳 角川文庫)
わたしは、なんとなく、ヒキガエル的なものを想像していたけれど、
原典では「Frosch」だ。フロッシュというのは、一般的な蛙のこと。
絵本などでは、たいてい緑色に描かれているやつ。
日本語ではアマガエルもトノサマガエルもヒキガエルも蛙と呼ぶが、
ドイツ語では、陸棲のヒキガエルは「Kröte」で、
水棲の「Frosch」とははっきり区別される(らしい)。
いくら「おはなし」でも、雨蛙がバスケットボールのようなものを
くわえてきたら違和感がありすぎる。
とすると、この「まり」は、意外と小さいのかもしれない。
(ドイツにものすごく大きいフロッシュがいるのかどうか、
わたしは知らないので、この点はこれ以上追及しないでおきます)
で、結論は、といいますと、ぐたぐた長く書いてきたわりに
「これが真実」というものはないのですが(期待した方はすみません)
もしも「金のてまり」ではなく「黄金の球」と書かれていたなら、
取り落とせばころがっていって泉の水底深く沈んでも不思議はない。
そして、お姫様が投げ上げて遊ぶことを考えれば、
(「空高く」投げたとは書かれてませんが)
砲丸投げの玉よりは小さいほうがよい。
イメージ的には、フランスの球技「ペタンク」に使う玉と、
ハリー・ポッターに出てくる「クィディッチのスニッチ」の間くらい?
金の比重は19で、胡桃大でもけっこうずっしり重そうだなあ。
まあ、いつもそういうもので遊んでいたおかげで、
蛙を壁に投げつける腕力がついた、と、
そういうことでしょうか。
以下おまけ。
よくよく考えてみたら、水に沈む「金のまり」というものが
実在する必要はぜんぜんないのだった。
ドイツでもどこでも、ボールという玩具は古代からある。
それは革か布か、ひょっとしたら木製だったかもしれない。
糸を巻いた玉かもしれない。鉄の球もありうる。
投げて受けとめたり、棒で打ったり、ころがしたりして遊ぶ。
お姫様も、ボールで遊ぶ。
ただし、お姫様だから、庶民と同じではいけない。
ボールだって、お姫様のは、うんと上等なのに違いない。
たとえば、そう、金でできているとか。
日本の戦前・戦時中の小学生(男子)のあいだに、
「天皇陛下のおトイレは金でできてるんだぜ~」的な
「誰でも知ってる禁断のジョーク」がひそかに存在した、
という話をどこかで読んだことがある。
(久保田二郎の本だったのかな。うろ覚えですが)
「上つ方」の生活の実態など、庶民は知らない。
「金でできている」というのは、つまり「象徴」なのだ。
金のまりなんて、重くて大変じゃないの、ということは
いちいち考慮されない。
投げれば落ちる。落ちればころがる。水には沈む。
金属は比重が重いから沈むんじゃなくて、
語り手が「沈んだ」と言ったから沈んだのである。
すべては言葉のワンダーランドで起こるできごと。