閑猫堂

hima-neko-dou ときどきのお知らせと猫の話など

2017年のおしごと

2017-12-31 22:05:30 | 日々

〇出版したもの

絵本
『しゃっくりくーちゃん』(岡田千晶絵 白泉社)
『ぜんまいじかけのトリュフ』(あゆみ絵 カミオジャパン)
『いそげ!きゅうきゅうしゃ』(鈴木まもる絵 偕成社)
紙芝居
『りんごのき』(いちかわなつこ絵 教育画劇)
『あんなちゃんのおさんぽ』(たぶちあい絵 教育画劇)
翻訳絵本
『きみはライオン』(ユ・テウン作絵 偕成社)
文庫
『風町通信』(初見寧絵 ポプラ文庫ピュアフル)

〇これからの予定

2年くらいのうちに絵本が2冊くらいできるかもしれない…
(というものすごくボンヤリした予定)

今年は思わぬ入院からのスタートで、大変ご心配をおかけしました。
普通にご飯が食べられることの幸せをあらためて感じた年でした。
さてさて、コマちゃんも来たことだし…こっちも元気で長生きしなきゃですね。

最後は、寝るコマ画像で。

コマ吉や~、ベロ出てるよ~~。

 

それでは、みなさま、よいお年を!

 

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蕎麦屋

2017-12-31 22:04:13 | 日々

コマばっかりだから、クレ兄ちゃんも。
一時期ちょっとグレかけていたクレですが、帰ってくると「あ、クレちゃんだ! クレちゃん、お帰り~」「クレ、ゴハンは? ゴハン食べる?」と誰よりもちやほやされるので、このごろいくらか落ち着いて家にいるようになりました。

毎年恒例、年越し蕎麦を食べに行く。
ここ数年は、西の町の古い蕎麦屋に行っていたが、今年はたまたま他の用があったので、東へ行くことに。
西は「タウン」で、東は(いちおう名前だけは)「シティ」だ。
シティは車の量が多い。多いといっても田舎だから知れているけれど、とにかく盆と正月はふだんよりずっと多い。
混雑を避けて、歳末買い出しはいつも西タウンに行っていたから、こっちは久しぶりだ。
スーパーに車を置いて最寄りの蕎麦屋に歩いて行く、というつもりだったのに、駐車場の入り口には交通整理のおじさんが立って「満車」の札を掲げている。
あら、どうしましょ、と、とりあえず車を走らせ、蕎麦屋の前を通ると、「年越しそば」のポスターやのぼりは出ているのに、シャッターが下りている。
しかたなく、他の用を先に済ませてから、第2候補の蕎麦屋をめざしたが、なんとこちらも同様にシャッターが下りているじゃないの。
大晦日のお昼どき、かきいれ時のはずなのに、どういうことだろう。
出前に忙しくて店は手が回らず休みにしちゃった、とか?
どこも高齢化プラス人手不足だから、ありえない話ではない。
ぐるっと回って戻ってきたら、最初の店は開いていた。
(準備にてんてこまいでシャッターを上げるのを忘れていた、というのもありえない話ではない)
しかし車を停めるのに手間取っているうちに、店内は満員になってしまい、何人も立って待っている状態で、一歩も中に入ることができない。
路上で待つのは寒いし、雨も降ってきたし、うっかりすると「年越し蕎麦難民」になりそうだったので、早々にあきらめ第3の店へ向かう。
第1も第3も、ここに蕎麦屋があるなとぼんやり記憶していただけで、実は一度も入ったことがない。
間口が狭いので、外からは小ぢんまりした店に見えたが、入ってみたら表通りから裏通りに突き抜けた長ーい店で、席数もずいぶんあり、お客さんは表からも裏からも次々に入ってくる。
そのわりに活気のようなものが感じられないのは、働いている人が少なすぎるからだ。
注文を取りに来てくれないし、注文したものがぜーんぜん出てこない。
べつにこちらは急ぐわけではないからいいけれど、ぼーっと待ってる間が退屈だ。
周囲をうかがうと、食べている人より待っている人のほうが圧倒的に多く、あまり会話がはずむという感じでもないし、店内は全体的に(……)という雰囲気。
討ち入りを控えた赤穂浪士が一般客を装いつつコッソリ待機してるような感じ。
まあ、待った甲斐はあって、討ち入り、じゃない、蕎麦はいかにも「手打ちです」という蕎麦、天ぷらもさくさくの揚げたてをいただくことができたのでよかった。
でも来年はやっぱりいつものタウンに行こうと思う。

帰ってから念のため調べたら、赤穂浪士の討ち入りは12月14日でした。
蕎麦屋とは関係あるけど(あるの?)、大晦日とは関係なかった。

 

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遊ぶコマ

2017-12-30 10:47:18 | 日々

さて、よく寝るコマちゃんですが…

 

起きてるときは、ばっちり起きてる。

 

この紙袋がお気に入りで、
(持ち手部分に上半身を突っ込んで身動きとれなくなったことがあるので、持ち手は全部切ってあります)

 

このポケモンキッカーもお気に入りで、両方あると興奮状態になり、キッカーを獲物に見立てて袋に追い込んだあげく…

 

とつぜん「ばしゃっ!」という音とともにすべて視界から消え去る(笑

 

いたいた。

 

小休止。そしてまた、

 

 

 

 

 

ちょっと疲れたか? まだまだ?

 

いただきもの。
瓶に入ったキャンデーがとても綺麗だったので。

そして閑猫は、おなじくいただきものの黒豆150gを煮ているところ。
思いつきで、あとから干しあんずを3個ほどこまかく切って混ぜてみた。
新しいことを試みるとたいてい失敗するんだけど、どうでしょうか。
あとは明日、お煮しめ(筑前煮ふう)と紅白なますをちょこっと作れば、お正月の支度はおしまいです。

 

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寝るコマ

2017-12-29 22:57:53 | 日々

コマ吉はよく寝る。
夜は9時すぎから明け方まで、おとーさんと一緒。
そのあとこっちに来て、朝7時すぎまで、すーぴー。
昼間はひとりで寝てたり、誰かにくっついて寝てたり。

ほら、きなこおばちゃんにくっついてる、くっついてる~。

 

「…見てた?」

 

さんちゃんと。
「コマ吉。落ちるぞ」

 

真鈴おばちゃんと。
おばちゃんは、ときどき機嫌わるいけど、ときどき頭なめてくれる。

 

寝るコマは育つ。

裏の倉庫で、もうないと思っていたベビースケールを発見したので、全員の体重測定。

さんちゃん 6400g
真鈴 4700g
きなこ 4600g
クレ 4500g
コマ 2100g

クレは見た目に大きくなった気がするけど、重くはなっていないのか。
コマちゃんは、うちに来てから500gくらい増えました。

 

本日の(まぎらわしい)ゲスト。
(うす暗いところで離れた場所から撮ったのを、拡大して見えるように調整したため、画質悪くてすみません)

階下の猫ドアが、カコン、カコンと小さく揺れるので、じーっと見ていたら…

 

黒い頭が、ひょこっと。

 

コンバンワ~。
って、誰ですか、キミは。
(だって、うちの黒猫ズは2階で寝てるのよ)

赤い首輪も鈴もないけど、この顔だちは、「第3の黒猫」スリちゃんだな。
やっぱり猫ドアおぼえちゃったね。

 

するーりと…

 

オジャマシマス。

そのままするすると廊下のゴハン皿方面へ。
もうちょっと寄って撮ろうと思ったら、素早く逃げられました。
でも、あとでもう一度来たようで、お皿がからっぽになっていた。
(うちの猫どもは食べ方が雑で、こんなに「なめたように」ピッカピカになることはめったにない)

マドリが初めてやってきたときも、ちょうどこんな感じだったなあ。
でもスリちゃんはNさんちの飼い猫(のはず)、そして夜しか来ない。
音を立てずに出入りするのがとてもうまい。
このまえ、夜中に入ってきて「わぁいわぁい」と大声で挨拶したら、人に「こらっ!」と怒られたので、黙って入ることにしたらしい。
うちの子たちがぜんぜん気にしていないのは、もう慣れちゃったのか、同じ黒猫だから親近感があるのか、それとも…ただ気づいてないだけ、でしょうか。

 

本日の「いいね!」


El Costurero Real

こんな衣装が買えるお店があるって、耀子さんに教えていただきました。
いやいや、着られませんて。見るだけね(笑)
バルセロナ、スペイン。

 

こっちはあんまり「いいね」じゃない。

ネジザウルス大図鑑

こういうの、ひとつあれば安心と思って買ってはみたものの、まだ一度も使ったことがない。
うちのは「頭の出てない皿ネジ」に対応してないんじゃないか、ということに、たったいま気づいた。
え~、回らなくなって困るネジって、たいてい皿ネジなんですけど。

 

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柴刈りの謎

2017-12-28 17:40:24 | 


ホームセンターの駐車場で、都会風の若いカップルが、カートに積んできた一束600円くらいの堅木の薪を乗用車のトランクに入れようとしていた。
週末を別荘で過ごすのか、ストーブか暖炉かわからないが、扱いが不慣れな様子に見えたので、その太いのをいきなり放り込んでもうまく燃えないと思うけど大丈夫?…とつい余計な心配をしてしまう。
こういうのを「老婆心」っていうんでしょうね。
現在メインが薪暖房(サブは猫)のわが家では、一晩二晩ならともかく、冬じゅう買って焚いていたら、光熱費が大変なことになってしまう。

燃料にする木のことを、このあたりでは「燃し木(もしき)」という。
細いのも太いのも、暖房、風呂、煮炊きからキャンプファイアー的なものまで、燃すのはすべて「もしき」。
「焚き物(たきもん)」と呼ぶ地域もある。これだと木に限らず、松ぼっくりやおがくずなども入るだろう。
薪と書いて「たきぎ」と読むのも、つまり「焚き木」で、これらはすべて用途をあらわす言葉だ。

「柴(しば)」と「薪(まき)」はどうだろうか。
上にのせた写真のような、手でぽきぽき折れるくらい細いのが「柴」で、のこぎりで切ったり斧で割ったりするのが「薪」…と、境目はややあいまいだが、頭の中では区別がある。
ストーブを焚くときは、まず杉やヒノキの枯れ葉などこまかいものを入れ、細い小枝、割った竹、ちょっと太い枝、割った薪、割ってない薪…と順番に火を移していくようにする。

「しばるのが柴、まるく巻くのが薪」
そんなことを、ずいぶん前に何かで読んで覚えていた。
なんだったかなあ…と長いこと思い出せなかったが、つい先日、偶然その本にめぐり会えた。
斎藤たま著『ことばの旅』(新宿書房)。
「柴と薪」の話は、最初から3番目に出てくる。
そうそう、これ、福音館の「子どもの館」という月刊誌に連載されていて、同じ時期にわたしも「土曜日のシモン」という話を連載していたので、そのとき読んだんだった!
わたしの連載は6回だったから、「ことばの旅」も6回分しか読まなかった。
いずれまとめて福音館から出版されるのだろうと楽しみにしていたら、いつまで待っても出なくて、そのうち忘れてしまっていた。

「曇り」は「籠り」で、お日様がこもるところが「雲」で、「蜘蛛」も「蝙蝠」も巣や穴に「こもる」からついた名だとか。
「猫」はやわらかいから「柔毛(にこげ)」の「にこ」から「ねこ」になったのではないか、とか。
著者が日本各地を訪ね歩いて耳で聴いたことばの集積と、そこからの直感的な考察が興味深い。
わたしみたいに、「語源」や「字源」の話が大好きという人は、けっして多くはないと思うけれど、そういう人には絶対面白いですよ、この本。

…で、柴と薪。
燃し木は太さでわけて、柴は柴、薪は薪で積んでおく。
そうでないと、ごちゃごちゃになって使いにくくてしょうがない。
しかし、「しば」という名称が実際に使われるのはほとんど聞かない気がする。
(わたしは勝手に「たきつけ」とか「小枝」とか言っているし、Mは「こまかいの」とか「杉っ葉」とか言っている)
ホームセンターでは薪は売っているが、柴は売っていない。
現代では、商品でないもの、売買の対象にならないものから順に、その名を忘れられていく…なんてこともついでに考えたりする。

「おじいさんは山へしばかりに、おばあさんは川へせんたくにいきました」
おなじみ「桃太郎」の出だしだが、洗濯はともかく、「しばかり」が今の子どもにわからない。
ほっとくと、おじいさんは山で「芝刈り」していると思っている。
という話を聞いたのは、もうずいぶん前のことだから、「芝刈り」と思って育った子は、すでに親世代になっているだろう。

巌谷小波の書いた「桃太郎」の英訳版を見たら、次のようになっていた。

The Old Man went to the mountain to cut firewood and the Old Woman went to the river to do some washing.
(「MOMOTARO  The Story of Peach-boy」 明治36年 英学新報社)

これはとてもわかりやすい。
おじいさんは、山のゴルフ場へ芝刈りのアルバイトに…ではなくて、「たきぎをとりに行った」のよ!
今や昔話は、相手が外国人だと思って語ったほうがいいのかもしれない。
考えてみれば、桃太郎の「原典」だと多くの人が思っているものは巌谷小波で、それは江戸時代に熟した実を明治時代に加工して瓶に詰めた文章なのだ。
「しばかり」がもう通じなければ「たきぎとり」と言い換えて何の不都合もないと思う。
「たきぎ」もわかんないと言われたら、それまでですが。

テキトーに描かれた昔話のイラストなどを見ると、山に出かけるおじいさんは、竹で編んだかごをしょって、手には鎌を持っていたりする。
鎌は「稲刈り」の、かごは「キノコ狩り」のイメージと混ざっているのだろう。
しょいかごに小枝を入れようとしても、ひっかかってしまっていくらも入らないし、鎌で木は切れない。
では、「しばかり」には、何を持って行けばいいでしょうか。

まず、背負子(しょいこ)。
登山をする人やバックパッカーがしょっている大きな荷物の、アルミの枠の部分がありますね。あれが、しょいこ。昔はもちろん木でできていた。
それから、縄。
縄がなければ、つる草などを現地調達して代用するので、その場合は、なた(山刀)があると便利。
それから、えーと、のこぎり?
のこを持って行くかどうかは、状況による。
おじいさんが「貧しい」という設定なら、山といっても自分の所有ではないだろうから、立ち木を勝手に切ることはできない。枯れ枝を拾うだけなら、のこぎりも斧も要らない。
拾った枝は、分かれ目からぽきぽきと折り、ざっと長さをそろえて束ね、縄でぎゅうぎゅうしばる。それをしょいこにくくりつけて背負って帰る。
桃太郎のおじいさんが山で刈ってくる柴は、自分の家の炊事や風呂焚きに使うだけでなく、売ったり物々交換したりして生計を立てていたのかもしれない。
 
「背負って帰る」イメージから連想されるのが、昔の小学校の校庭にあった「二宮金次郎像」だ。
銅像か石像か忘れたけれど、わたしの通った小学校にもたしかあった気がする。
本を読みながら歩いたら前が見えなくて危ないじゃないか…と言うけれど、金次郎君が歩いていたのは江戸時代だから、車もバイクも走っていないし、田舎道なんて人や馬だってめったに通らない。
それに、この時代に「書を読む」といえば四書五経の素読ときまっていて、推理小説を読みふけっているのとはわけが違う。

いや、その話ではなくて。
小学校の金次郎の像に、何か違和感があったのだが、あまりよく見たことがなく、どこが変なのかわからなかった。
あらためていろんな画像を見てみたら、違和感のもとは背中だと気づいた。
まず、背負っている「薪」が小さいし、少ない。
ほとんどランドセルくらいしかないものもある。
ふつう背負うほどの荷といえば、もっとかさばるものではないか。
それに「薪」が薪に見えない。太さが均一で、長さもぴったりそろいすぎている。まるで節分の巻き寿司みたいだ。
 
…という話をMにしたら、Mは「どこからどこに行くのかが気になっていた」という。
なるほど。どこでどのように薪を作り、それをどこへ何のために運んでいるのか、ですね。
自分の家で使うぶんを運んでいるだけだったら、わざわざほめられたりしないから、これは「家の手伝い」ではなく、賃金を得るための「労働」だろう。
とすると、背中の薪は売り物だ。
桃太郎のおじいさんみたいに、山へ行って薪をとってきて、それをしょって売りに行く。
こんな少量ずつ買うかなあと思うけれど、町なかの家では大量にまとめ買いしても置き場がないから、その日使う分ずつ買う、ということもあるかもしれない。
しかし、金次郎君は、のこぎりも斧も持っている様子がない。
ということは、山で薪をこしらえている人が別にいて、「ほれ、これだけかついで売ってこい」と渡されたのか。
それとも、薪や炭を商う店があって、金ちゃんは配達のアルバイトを…?

などなど、ぐるぐると考えているうちに、そもそもこの銅像のもとになったと言われる絵を見つけた。
それが、こちら。

朝は朝未明(まだき)、霧立ち迷ふ山に入り、薪(たきぎ)を採りつ柴刈りつ、帰途(かえり)は其を売代(うりしろ)なし…<中略>…薪伐(きこ)る山路の往返(ゆきかえり)歩みながらに読まれける心掛けこそ尊けれ。
幸田露伴著「少年文学 ニ宮尊徳翁」(博文館 明治24年)

あらー、だいぶイメージ違いましたね。
これはむしろ「おじいさんは山へ柴刈りに」の図ではないですか。

しかも、この絵にはさらに元になった中国故事があるらしく、それは「漢書」の中の「朱買臣伝」に書かれているそうなので、金次郎君が熱心に読んでいる本がそのくだりだったらすごく面白いんだけど、どうでしょうね。
 
 
<おまけ>

こちらが、狩野元信えがく「朱買臣図」。
これまた不思議な運び方をしておられる。
本の向きも不思議だけど…後ろにぶらさげているのは、これから読む予定の本なのかな。
中国では「負薪挂角」といって、隋の李密という人(牛で荷運びをしながら牛の角に本をひっかけて読んでいた)とワンセットになっているようです。 
  
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2017-12-27 17:09:13 | 日々

おとーさんに遊んでもらうコマ吉。

 

このごろ動物病院に行くと、飼い主は「お父さんお母さん」と呼ばれるようになった。
まだその呼び方に慣れないので、ちょっととまどう。
わたしなんかは昭和のヒトだからかもしれないが、人間と動物とはきちっと区別したいほうだ。
動物を「人間の子どものように」扱うのではなく、犬は犬、猫は猫としての特性を尊重し、人と動物との間で可能な限り上質のおつきあいをしたい、いや、させていただきたいものだと思う。

しかし、もうじき「平成」が終わると、昭和は「前の前の時代」になってしまうわけで、自分が子どもだったころ、明治生まれの人たちが「いまどきの若いモンは…」と眉をひそめていた、あの位置にこんどは自分が立って「いまどきの…」とかつぶやいている構図になるのかなあ。
どうにもまだ実感がわかないけれど、実感がないというのは、もうすでにそうなってるということかしら。

 

 

 

つきたての安倍川餅はよくのびる。(俳句じゃありません)

先日の夜10時ごろ。
外で猫がうなり合っている声がする。
クレは足が治ったばかりだから、また怪我をしては大変と、助っ人に出ようとしてライトを持ち、ふと見たら、クレは(珍しく)家の中で寝ているではないか。
外の声が聞こえないはずはないのに、まったく反応せず、のんびりしている。
さんちゃんもいるし、他の子も全員そろっている。
あれ? じゃあ、けんかしてるのは誰なの??

耳をすますと、一方はジャッキーのような気がするが、もう一方の声に聞き覚えがない。
どうやら別のよそ猫が来て、うちの前でジャッキーと鉢合わせしたらしい。
同じオス猫でも、こういうとき当事者以外はまるっきり無関心なのが不思議だ。
猫のうなり声は、どんなにやかましくても、向き合っている相手にしか意味をなさない「音」なのだろうか。
「やじうま」というのは猫の世界にはいないらしい。
(馬の世界にもいませんよね?)
唯一、きなちゃんだけが、いっしょうけんめい首をのばして窓の外をうかがっていた。
これは野次馬ではなく、単なる心配性。

また別の夜。夜中の2時ごろ。
さんちゃんのうなり声で、階下をのぞいたら、黒猫が猫ドアからするりと出ていくところだった。
真鈴はストーブの横でまったりしている。
そして、テーブルの下から、さんちゃんが出てきた。
あれ? じゃあ、いま出てった黒猫は誰なの??

そういえば、その夜もっと早い時刻に、猫ドアの外に顔を見せて、そのまま入らずに行ってしまった黒猫がいて、真鈴にしてはよそよそしい態度だなと思ったんだけど、もしかしてあれもよそ猫だったのかな。
前にときどき来ていた黒猫スリちゃん(クロ坊)が、ついに猫ドアの出入りをマスターしたのかもしれない。
ジャッキーとやり合っていたのも、スリちゃんか?
とにかく黒猫は見分けがつきにくく、暗がりではよけいにわかりにくく、ややこしくてしょうがない。

柿、山桜、ゴンズイ、ハウチワカエデ、アカメガシワ、山栗、あと何だっけ。

 

迷子の夕焼雲。

 

あ、もう消えてしまった。

わが家のすぐ下の県道で、走ってきた車が、車線を越えて反対側のガードレールに突っ込むという事故があった。
居眠り運転だったそうだ。
さいわい怪我をした人はいなかったが、もしも対向車が来ていたら自損事故では済まなかっただろう。
軽自動車だからガードレールで止まったけれど、大きい車だったら乗り越えて川に落ちていたかもしれない。
その直前にわたしはそこを歩いていた。
県道は幅が狭く、歩道もないのでめったに歩かないのだが、この日はほんとにたまたま、Mが木を切っている現場を見学に行って、その帰り。
ガードレールに沿ってとことこ歩いてきて、右に曲がって橋を渡り、坂をちょっと上ったところで「ガッシャン!」と大きな音が聞こえたので、はっと振り向いたら、車が1台止まり、人が降りて走って行くのが見えた。
積み荷のトタン板でも落としたんだろうと思い、戻ってみたら、別の車が斜めになっていたので、びっくりした。
通るのが30秒遅かったら、車とガードレールの間に挟まっていたに違いない。
考えてみると怖い話だ。
宝くじに当たるのも、車に当たるのも、どっちも「運」だと思う。
わたしは、どっちもいりません。
運転には気をつけましょう。

お月さまゲット。

 

あー、こらこら、どんど焼きの餅ではないぞ。

 

本日の「いいね!」


Victoria Walker Jewellery

お花のキネティック・ジュエリー。
ものを作る人のしぐさや道具は美しい。
コーンウォール、イングランド。

 

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Merry Christmas

2017-12-25 10:28:25 | 日々

ランプくまちゃんが来てくれて…

 

Mからは、にゃんこツリーのジグソーパズル。
と、

 

ん?

 

誰ですか、きみは。

 

石窯で焼いたパンみたいな…ジャッキー・ハバロフスクがシュトレンになったみたいな(笑)
越智香住さんの猫です。

 

メリー・クリスマス。

 

ということで、

アカネちゃんにもらった「わざわざのシュトレン」を切りませう。
濃密なフルーツとナッツとワインの香り。

 

本日の「いいね!」

Celtic Carol - Lindsey Stirling

 

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今年のリース

2017-12-24 10:04:36 | 日々

 

 

…と、その「上」にいるナニモノカ。

 

 …と、それを見上げるチイサイノ。

クリスマスと子猫のカワイイは期間限定なので、ついでにアップしちゃいましょう。

 

賞味期限内に、ね。 

 

見た目におとなしげな茶トラなので、この子は「トラン猫」かと思っていたけれど、すでにバードウォッチングに目覚めてしまった様子。
コマ吉は「トル猫」かなあ?
クレが小さいときは、夏でもあったし、真鈴があれこれ獲ってきて「教えて」いた。
今回、真鈴おばちゃんは、コマの世話を焼く気はないらしい。
なにしろ寒いので、皮のうすいコマちゃんはあまり外遊びをしていない。
好奇心がもっとも旺盛な幼年期がどんな季節にあたるかということは、その後の人(にゃん)格形成に大きな影響をあたえる。
(…かもしれない。ぜーんぜん関係ないかもしれない!)

 

玄関の飾りは毎年Mの担当。
ヒノキの枝にナンテンとカラスウリなど。

 

 

いただきもの。チョコレート・ツリー。
すごく大きくて…600グラムくらいあるの!
夏までにはなくなると思います。たぶん。(こわい…) 

 

本日の「いいね!」


Astrocyte

べつにクリスマスのものではないけど、きれいだったので。
アメリカのアーティストで建築家 Philip Beesley の作品。


と、もうひとつ


サンタクロース≒なまはげ説

…を書くつもりだったんですけど(何年前からだ?)、町田さんが一目瞭然の絵を描いてくださってたので、思わずシェア。

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パラシュート

2017-12-23 13:43:51 | 日々

今年もテイカカズラの種が飛ぶ季節だ。
アケビが減ったのに比べ、テイカカズラは飛躍的に増えた。
地面をよく見ると、あちこちに着陸したパラシュートがみつかる。

 

ふんわり。

 

きらきら。

 

畑のフローズン・ブロッコリ。

 

霜の朝の苺畑は色とりどりで楽しい。

 

オオマツヨイグサのロゼット。

 

 

 

おはよー、さんちゃん。
(寝起きでぼーっとしてる)

 

いただきもの。ジンジャークッキーの親子。
どこから食べるかおおいに悩んだ結果、裏返すと比較的食べやすいことを発見した。

(じつはクリスマスに向けて「カウントダウン・スウィーツ」を計画していたのですが、ふと気がついたらもう日数がない! おかしいなあ。このごろ頭の中のカレンダーがすぐ1週間くらい遅れるのよ。電池がなくなってきたかも…)

 

本日の「いいね!」

江戸時代にもクリスマスが!?

阿蘭陀冬至。なぁるほど。

 

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本日のコマちゃん

2017-12-21 23:52:46 | 日々

どんな役者も動物と子どもには勝てないというけれど、動物で子どもだからこれはもう最強だ。
他に書きたいことはいろいろあるのだけれど、すべてコイツに食われてしまって、言葉化するところまで行き着かない。

コマのしっぽは長いです。
端から3目盛り(?)くらいは余ってる気がする。
(ここの部分を、クレは、小さいときになくしちゃったんだよね)
興奮したときなど、猫のしっぽはブラシのように「ぼわっ!」とふくらむけれど、コマのしっぽは根元のほうだけふくらみ、先っぽまで行き渡らないので、三角の旗を立てたようになる。
おでこには王冠マークのスタンプ、ぽん。

手のかからない良い子ではあるけれど、それでも事件は起こる。
先日、ピンポン球をお風呂場に追い詰めたあげく、排水口に落としてしまった。
排水口は直径6センチくらいで、まっすぐ60センチ以上の深さがあり、そこから真横に曲がっている。オレンジ色のピン球は底に見えるけど届かない。
Mが細くて長い角材2本をお箸のように使って、なんとか無事につまみ出してくれた。
やれやれ、と思ったら、排水口にのっているはずのスノコ状のふたが見あたらない。探したら、なあんと、ふたも60センチの底に落ちてるじゃないの。
このふたは、だいぶ前から一部欠けていて、それでも全然落ちそうには見えなかったんだけど、おそらくコマ吉が爪でカチャカチャしたはずみに傾いて、知恵の輪みたいに微妙な角度でストッと入ってしまったんだと思う。
ふたは金属で重さもあり、つまもうとしてもひっかかって取れないし、下手をして奥で詰まったら大ごとだから、気が気でない。角材と針金を使ってひっかけ、やっと釣り上げることに成功した。
クレーンゲームどころじゃないスリル満点。
それにしても、どうしてこんなややこしいことができちゃうのかね、コマ吉は。
新しいふた、急いで買ってきました。

コマちん! 目あけたまま寝るのやめてほしい!

 

きなこおばちゃん大好き~。

宮沢賢治の「猫の事務所」の四番書記の「かま猫」は、寒がりでかまどの中に入って寝る癖があるので、いつも煤で汚れている。
(わたしは、いわゆる「サビ」という毛色をそう呼ぶのかと思っていたが、あらためて読んでみたら違っていた。この話、猫は出てくるけど、可哀想なのであまり好きではない。宮沢賢治って猫に好かれるタイプの人ではないと思う)
かま猫が寒がりなのは、土用に生まれて皮が薄いから…だそうで、コマ吉も土用生まれなのか、皮が薄い。
というか、まだ子猫だから薄いのね。
ストーブを焚く準備をしていると、そばに来てちょこんとすわって、いまかいまかと着火を待っている。
昔だったら「かま猫」候補だな。
昼間は2階のひなたに来て、それでも寒いときは、さんちゃんか、きなちゃんにくっついて寝ている。
きななにも、小さい湯たんぽのお友だちができて、よかったと思う。

 

 

 

おみやげ。サンタと雪だるまのクリームパン。

 

本日の「いいね!」…と簡単には言わないけど…


“マイルド化する絵本”への警鐘 過激表現から“逃げない”編集者の想いとは?

わたしは人一倍怖がりで心配性の子どもだったから、本は大好きだったけれど、怖い本は大嫌いだった。
怖いものや気持ち悪いものって、一度見ただけで頭に焼きついてしまい、いつまでもいつまでも忘れることができないからほんとにイヤだ。
小学校低学年で読んだある本(けっして怪談の類ではない、動物もの)がすごく怖くて、大人になるまでずーっとトラウマになっていた。
だから、わたしは小さい子どもが手にする本を書くとき、自分がかつて怖かったことや不安だったようなことは絶対書かない。
大丈夫だよ、心配しなくてもいいんだよ…って、たぶん、子ども時代の自分に言い続けているんだと思う。
この世には、楽しいことや、おいしいものや、きれいなものがたくさんあり、びっくりするような不思議なこともたまにはあり、山もあり谷もあるけど、全体的に見ればいいことのほうが多く、生きててよかったと思えるときが必ずある。
だから、安心して大きくなっていいんだよ。
先に生まれた者として、あとから来る子にそう言ってあげるために、わたしは子どもの本を書いてるんだと思う。

と、それとは別にですね。
グリムでも日本昔話でも「ほんとうは残酷」という人がよくいるけれど、決してそうではないとわたしは思っている。
だいたい小学校のうちに「マイルド」じゃない大人の本(グリムの初版の完訳とか、未来社から出ていた地域別の「日本の民話」シリーズとか)をこっそり読破していたから、よく知っているのです。
残酷残酷と騒ぐ人たちは、昔話の表面しか見ていない。
怖いものや悪い敵を、はっきり区別し、徹底的にやっつけ、二度とよみがえらないようにしてくれるからこそ、子どもは安心してぐっすり眠れる。
親から子へ、子から孫へ、何代にもわたって語り伝えられてきたのも、基本にゆるぎない「安心」があり、「安心」を求める切実な願いがあり、時代を超えて同じ地盤でつながっているからだ。
教訓だとか、昔の人の生活を知るとかいうのは、あと付けのおまけにすぎない。
話は「おもしろいから」聴くもの、聴きたがるから語るもの。
はらはら、どきどきしつつも、最後は「おもしろかった!」と満足し、もう一回、もう一回と繰り返し見たがり、聴きたがる…そうでなければ「ほんものの昔話」とはいえない。と思いますよ。

 

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