毎年この時期だけ、この場所だけが「なんちゃってイングリッシュガーデン」になる。
(実際に見れば驚くほど狭いです)
あんまり世話をすると葉っぱばかりたくましくなってしまう。
ほったらかしがちょうどよい感じ。
日本名は「釣鐘水仙」になるけれど、日本でいう「鐘」のイメージと西洋のそれとではだいぶ違う気がする。
「ごお~~~ん」と柔らかく余韻を長く引く日本の鐘。
がらんがらんとにぎやかに鳴る西洋のベル。
大きさや重量の違いだけではなさそうだ。
たとえばロンドン名物のビッグ・ベンなんか、相当にどっしりしていそうだけれど、音色は「があぁぁぁん」と大鍋でも叩いたように聞こえる。
そもそも鐘の音に何を求めるかが根本的に違うのだろう。
野生のシロバナハンショウヅル。
以前は川向こうにあったのが絶えてしまい、残念に思っていたら、今年は知らないうちにこちら側のフェンスにからんで咲いていた。
完全に開く前の花は、ごく薄い和紙でできた風船のようで、ぷらぷらと下がって咲くのが可愛らしい。
ハンショウヅル(小さい赤紫の花が咲く)やボタンヅル(白い小花がたくさんまとまって咲く)の葉と似ているので、花が咲くまでなかなか見分けられない。
だいたいつる植物を管理するのは難しいけれど、同属のセンニンソウが憎たらしいほど丈夫なのに比べ、この子はとてもおとなしく、巻きつく力も弱いので、「えーと、どこにつかまろうかな」と迷っているうちに、遠慮のないアケビやスイカズラにどんどん場所をとられてしまっている。
西洋の鐘は、日本でいうと「釣鐘」よりも「半鐘」のほうに近いのかもしれない。
そういえば、揺らして鳴らすか、外から叩いて鳴らすか、という違いもある。
弥生時代の銅鐸は、長いあいだ用途が不明とされてきた。鐘のようだが鐘ではない、と。
わたしはそれがすごーく不満で…祭祀に使ったというならなおのこと、わざわざこの素材でこの形に作っておいて、ここぞというときに音を出さないなんてありえないでしょう、と思っていたところ、近年の研究で、中に舌(ぜつ)という棒を吊り下げた痕跡がみつかったという。つまり揺らして鳴らす、西洋の鐘と同じだ。
しかし、銅鐸の遺伝子はなぜかそこでぱったり途絶えてしまった。
お寺の釣鐘や半鐘は、どれも舌を持たない、外側から「撞く」あるいは「打つ」ように作られた鐘だ。発想が違う。おそらく先祖が別なのだろう。
なんとなく恐竜の絶滅の話のように謎めいている。
いや、本当は絶滅したわけではなく、形を変えて今もちゃんとあるのだ。恐竜が鳥になったみたいに。
銅鐸は、そののちに小さく小さくなり、やがて二種類に分かれ、一方は軒にぶらさがって風鈴と呼ばれるようになり、もう一方は口を閉じて鈴と呼ばれるようになったのよ、ね?
(…というのは何の根拠もない閑猫説なので、むやみに信じないでください)
ナルコユリか、アマドコロ。どっちか。(もう覚えるのをあきらめた!)
「鐘」「半鐘」ときて「鈴」…じゃなくて「鳴子」です。
すうっと長い茎の下側に等間隔で2こずつぶら下がる花を、鳴子に見立てた昔の人のセンスが素晴らしい。
この花が咲く頃には、谷にオオルリのさえずりが響くようになる。
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