先日、小学校の国語教材をながめていたら、
浦島太郎の歌が出ていました。
「むかし むかし うらしまは たすけた かめに つれられて」
と、1番か2番まではどなたもご存じでしょうが、
「つきひの たつのも ゆめのうち」の、そのあとは?
この歌、5番まであるんですけど、最後まで正確に歌える人は、
少ないのではないでしょうか。
わたしは、1番と2番、あとは4番のあたまの
「帰ってみれば怖い蟹~」ってとこしか覚えてませんでしたが、
昔話のあらすじが見事にコンパクトにまとめられており、
主人公が老人になってしまう悲しい結末と、
あっけらかんと明るいマーチ風の曲とのミスマッチが
またなんともいえず印象的です。
さて、本日は歌の話ではなくて。
浦島太郎というと、多くの人が、上のような絵を
思い浮かべることでしょう。
海の底にある竜宮城。群れ泳ぐカラフルなお魚たち。
海草がゆらゆらたなびき、サンゴの木が生えていたり。
なんで海の中でも息ができるの?
うーん、それはねー、おはなしだからねー。
だけど、閑猫は、ふと考える。
「海の中に竜宮城が」といった場合、
それはほんとに「水中にある」という意味なのか?
垂直方向の「中」だけでなく、水平方向の「中」もある。
「太平洋の真ん中のハワイ島」が深海に没していないように、
竜宮だって海上に浮かんでいてもいいのではないか…
というのが今回の「謎」の発端です。
浦島太郎の話は、一寸法師や、ものぐさ太郎の話と一緒に、
「御伽草子」という本におさめられています。
この本ができたのは江戸時代ですが、収録されている
二十数篇はだいたい室町時代に書かれたもの。
中でも「浦島太郎」は、古くは日本書紀、丹後国風土記にも
その原型らしき話があるそうですから、文字で書かれる以前から
語り伝えられていた昔話、と言ってよいでしょう。
先日、調べもののついでに、その御伽草子の浦島太郎を
ぱらぱらと見ていたところ、知ってる話とだいぶ違うことに
気づきました。
助けた「亀」は、子どもたちにいじめられていたのではなく、
太郎が自分で釣り上げた亀である。
竜宮城へは、亀の背中に乗って行くのではなく、
美女が迎えに来て、太郎が舟を漕いで行くのである。
そして、その竜宮城は、海の底ではなく、海の上の島にあり、
四方には四季の花が咲いている。
(あれえ、こんな話だっけ?)
竜宮が島だと考えると、これは急に現実味をおびてきます。
水平線の向うがどうなっているか、いや、地球が丸いってことさえ
まだ誰も知らなかった時代。
船でどんどん行けば、未知の国があり、素晴らしいものが手に入る。
そう信じて乗り出していった冒険者もいただろうし、
たまたま嵐でどこかに漂着してしまった人もいたに違いない。
そういう人が、何年もたって、すっかり忘れられたころに
ひょっこり帰ってきたとしたら。
そりゃもう、みんな話を聞きたがる。
聞いた人は誰かに話さずにはいられない。
そうして語り継がれるうちに、いろいろ尾ひれがついて変化して、
「こうだった」という話が「こうだったらいいなあ」にすりかわって、
現実にはありえないようなものになっていく。
昔話って、たいていそんなふうにしてできるんだろうと思うのですが、
何もかもフィクションにすりかわってしまうとは限らない。
ちょこっとだけ「事実」が残ってる可能性もある。
浦島太郎でいえば、どのバージョンでも必ず亀が出てくるし、
最後におじいさんになってしまうのも共通している。
とすると、主人公は実在した漁師で、大きな海亀をとったことがあり、
(亀を「助けた」というのは、後付けの美談でしょうね)
漁に出て行方不明になり、帰ってきたときは老人になっていた。
と、そのあたりは実話なんじゃないか。
というのは、例によって根拠のない閑猫説なので、
話を竜宮に戻そう。
明治時代の絵本をみると、竜宮は海の上に描かれ、
亀に乗って行くのもあれば、舟で行くのもあり、
(行きは舟で、帰りは亀というのもあり)
太郎を乗せた亀は、海面に甲羅をのぞかせ、
お客が濡れないよう気をつけています。
少なくともこのころまでは、あこがれの竜宮は
「海のむこうのはるか遠い島」という設定で、
誰も海底とは思っていなかったことがうかがえます。
しかし、大正から昭和に入ると、もう竜宮は「海の底」と
文字でも絵でもはっきり書かれています。
地球上がくまなく探索され尽くし、もう未知の大陸も島も
残っていないことがわかってしまったから、でしょうか。
海底はまだまだ神秘の世界で、想像の入る余地があった。
(そして、このあと想像力は「宇宙」へと向かうことになる…)
で、最初の謎に戻ると、
「いったい、いつから竜宮は海の底になったのか?」
冒頭にあげた文部省唱歌の「うらしまたろう」は
明治30~40年ごろにはできていたらしいので、
そこからは、歌にそった内容の絵本が主流になっていった。
ということはわかるんだけど、そもそも、その歌詞が、
「たすけたかめに つれられて りゅうぐうじょうに きてみれば」
ね? どこにも、海の底だとは書いてないでしょ?
手がかりは、次のフレーズだけ。
「おとひめさまの ごちそうに たいやひらめの まいおどり」
鯛やヒラメがひらひら踊ってるんだから、海中に違いない、と。
そうすると、この歌が作られた時点で、少なくとも作詞者は
竜宮城が海底にあると認識していた…のかな?
いや、それ以前に、海底だと書かれた本が存在したのかな?
わたしは、どうもそうは思えないんです。
なぜかというと、同じ御伽草子の中に、オコゼ(魚)のお姫様が
山の神に一目惚れされちゃう話があるんですが、オコゼ姫は
海からよちよち上がってきて、十二単を着て座ってる(笑)
魚を描くのに、未知なる海に潜っていくかわりに、
勝手知ったる陸に上げちゃうわけですね。
室町時代の人々の感覚が、そういうものだったと考えれば、
鯛やヒラメ(の精)が、乙姫様のお召しで陸にあがってきて
(まあ、あがらなくても、お座敷から見えるとこで、ね?)
舞を披露するくらいは普通だったんじゃないか。
そうすると、「陸に上がった鯛やヒラメ」の世界から
「海にもぐった浦島太郎」の世界にバージョンアップ
(アップ、というんですかね、こういう場合)した
ポイントというのが、どこかに必ずあったはず。
それは、いつだったのか。
「人は水の中では呼吸できない」という固定観念を打ち破って、
「想像の中ではできるんだよ」 と誰かが描いてみせ、
「あ、ほんとだ。それ、いいね」とみんなが次々に真似していった。
そのきっかけの最初の一冊というのが、もしあるんだったら、
見てみたいなと思います。
こういうテーマで、時代を追って、こまかく文献を調べて、
1年くらいかけてじっくりと「自由研究」してみたら楽しそうなんですが、
そうもしていられませんので、今回は、ここまで。
次回は「玉手箱の謎」です。
近代デジタルライブラリーより拝借。
明治32年刊の「浦島太郎」。
最初にあげた教材の絵は、どう見ても少年ですが、
昔の絵は、太郎もお姫様も、しっかり大人として描かれています。
(御伽草子の太郎の年は二十四五で、お姫様と夫婦になる設定)
乙姫様のファッションはいろいろなんだけど、
太郎の服装は、現在も、ほとんどこれですね。
帰るまでずーっと(三年間も?)宴会の席でも
腰蓑つけたままというのは、いくらなんでも変じゃないかなあ。
(この絵本では、ちゃんと着替えて、立派な殿様になってますよ)
「美しい人たちが、かわるがわる舞をまったり、笛をふいて
浦島太郎のごきげんをとる」場面。
最初のほうの文字が解読できないので、よくわからないけれど、
この人たちは鯛やヒラメではないらしい。