日本人なら、慶事は神社で、弔事はお寺で行なうのが一般的でしょう。
チエちゃんの家もそうでしたから、私は何の疑いも持たず、そういうものだと思っていました。
ところが、私の嫁ぎ先の宗教は「神道」でした。
といっても、大きく違っているのは弔事の時だけです。
お坊さんの代わりに、神主さんが祝詞をあげ、御焼香の代わりに玉串奉奠、礼拝は「二礼二拍手一礼」で、柏手は音を立てない「しのび手」をします。
仏教が初七日・四十九日・一周忌・三年忌・七年忌・・・に対し、神道では十日祭・五十日祭・一年祭・五年祭・十年祭・・・となります。
そして、このことが私の古代史への興味を更に深くしたのでした。
昭和天皇崩御の時の様々な儀式、今上天皇の即位の礼の儀式をテレビで食い入るように見ました。この儀式が1300年以上前から、ずっと続いてきたのかと思うと感激しました。
それから、こうしてテレビで見ることができる今の時代へ感謝しました。
昭和天皇即位までは、決して一般人が見ることはなかったのですから。
残念なことに、私も含めて日本人は「神道」のことを知らなさすぎると思いました。
私は、声を大にして言いたい「日本人なら、神道でしょ!」と。
こんな事を書くと、どっぷりと神道にはまっているように思われそうですが、私は無宗教といってもいいでしょう。
ある意味、宗教は、諸刃の剣、一種の麻薬のようなものだと考えるからです。
でも、お盆やお彼岸には墓参りに行くし、お正月には初詣にも行きますよ。
ただ、神話の中に隠された歴史の真実を紐解くカギとしての「神道」にたいへん興味を持っています。
こんなんじゃ、答えになりませんか?
チエちゃんの家もそうでしたから、私は何の疑いも持たず、そういうものだと思っていました。
ところが、私の嫁ぎ先の宗教は「神道」でした。
といっても、大きく違っているのは弔事の時だけです。
お坊さんの代わりに、神主さんが祝詞をあげ、御焼香の代わりに玉串奉奠、礼拝は「二礼二拍手一礼」で、柏手は音を立てない「しのび手」をします。
仏教が初七日・四十九日・一周忌・三年忌・七年忌・・・に対し、神道では十日祭・五十日祭・一年祭・五年祭・十年祭・・・となります。
そして、このことが私の古代史への興味を更に深くしたのでした。
昭和天皇崩御の時の様々な儀式、今上天皇の即位の礼の儀式をテレビで食い入るように見ました。この儀式が1300年以上前から、ずっと続いてきたのかと思うと感激しました。
それから、こうしてテレビで見ることができる今の時代へ感謝しました。
昭和天皇即位までは、決して一般人が見ることはなかったのですから。
残念なことに、私も含めて日本人は「神道」のことを知らなさすぎると思いました。
私は、声を大にして言いたい「日本人なら、神道でしょ!」と。
こんな事を書くと、どっぷりと神道にはまっているように思われそうですが、私は無宗教といってもいいでしょう。
ある意味、宗教は、諸刃の剣、一種の麻薬のようなものだと考えるからです。
でも、お盆やお彼岸には墓参りに行くし、お正月には初詣にも行きますよ。
ただ、神話の中に隠された歴史の真実を紐解くカギとしての「神道」にたいへん興味を持っています。
こんなんじゃ、答えになりませんか?
世間の人がするぐらいの事かな
正月には神社お盆にはお墓参り程度だよ
熱心になれないよ
趣味で四国八十八カ所参りしたけど罰当たり者かな
そうですか。なるほど、、。
神道では十日祭・五十日祭…と、祭りとなるんですね。
弔いが悲しみよりもよい思い出などを引き出し、しめりっけのない明るいものになるように思えます。
先日兄嫁の実家(福島)からわざわざ線香を上げに来てくれた際、たまたま神道の話が出て、焼香の仕方の違いを聞いたので、実際にはどんなものなんだろうと興味をそそられた次第です
神道は日本文化の根幹を貫くもので、私の好きな作家三島もその文化を守りたいが為殉じてしまった。
けれども、文化を守ることと溺れることとは違いますからね。
大切にしていきたいものです。
昨日ちょうど諏訪大社下社にいってきたので、信仰について考えてみました。私的には無神論者で宗教は大嫌いですが、諏訪と言う地域は周囲を山に囲まれ自然が大変厳しい所だったために、自然現象に対する畏敬の念が発達していたらしいです。天皇制が生まれる前にはすでにミグシャジ信仰なるものがあったようです。
でも熱心な信者というわけでは有りません。
昔から有ったからそのママ有るというだけの事です。
言葉は悪いですがその時々で自分に都合の良い方を拝むというのが、今の日本じゃないでしょうか。
結婚式は神式・教会で、葬式は仏式でという人が多いと思います。
一度 神式の葬式に出た事有ります。
神式のやり方が判らず始まる前に説明を受けたのですが、殆どの参列者見よう見まねでした。
四国八十八箇所めぐりとは、素晴らしいです。
私も、お伊勢さんと出雲大社くらいはお参りしたいと思っているのですが、なかなか実現しません。
祭とつきますが、やはり、仏式のお葬式と変わりません。悲しいときは悲しいです。
嫁ぎ先の本家筋に当る家が、代々神官の家柄だったらしいのです。
そこに古文書が残されているらしく、読ませてもらおうと思っているのですが、その前に漢文を勉強しないと・・・
え~と、神道は「しんとう」と濁らずに読みます。それで、入力してみてください。
そうですね、畏敬の念。大自然を畏れ敬う心、最近の私たちに欠けている事ではないでしょうか。
神社にお参りをして、厳かな気持ちになるのは良いことです。
日本人は八百万の神を信仰していましたから、いろいろな神・仏を受け入れることに抵抗がないようです。
私も嫁いだばかりの頃は、見よう見真似でした。
私の実家は、某新興宗教です。
一般に言う、仏教に対して神教です。
信仰宗教で葬式をすると、参列していただく方に堅苦しい?ことをさせるからと言って、
神社の禰宜さんに、葬式を頼みました~。
(本当は、世間から、眉をひそめられそうですから)
私も、八百万の神の話は、大好きです。
日本書紀や古事記は、愛読書の時代もありました・・・。
今も、神様の話は、面白くて、興味深く、
楽しいです。
日本人の場合「多神信仰」なので「単一信仰」の民族から見ると無宗教に見えるだけで、実際は日本人ほど信仰心の厚い国民はないと認識していた方がいいようですよ(^_^.)。
大喪の礼も明治以前の1200年もの間は僧侶が参加して行われたものですし、日本にある2万以上の神社の神官は僧侶がやっていたのです。
日光東照宮は比叡山天台宗が貫主(かんす)を置き、八坂神社は仏教の牛頭天皇を祭り、日吉(日枝)神社は天台宗の本山中国天台山から比叡山に伝教大師(最澄)が比叡山に安置した仏神ですしね。
お寺は葬儀だけにされたのは「薩摩、長州」が明治天皇を利用するために日本古来の伝統を壊し知識人で幕府大勢の中枢だった僧侶を追い出すためにしたもの、とわたしは理解しています。