母が居る間は、季節の移り変わりを感じるゆとりもなかったみたいです。
我が家でも紅葉が見られるんですよ。写真は、お向かいさんのお庭から飛んできて芽を出し成長した山椒です。(私は植えてませんから😏 )こんな風に紅葉するんですね。
こちらは紅葉したトレニア。でも、みすぼらしくなってきたのでそろそろ片付けねば・・・
母がケアハウスへ入居して、私は少しのんびりできるかと思っていたら、翌日スタッフさんから電話がかかってきました。
枕が高い、マットレスが固いと言ってるので、今まで使用していたものを持ってきてもらえませんか?と。
え~っ!干してから持っていきたいのだけれど・・・合わないと辛いよね~
ということで、翌日も施設へ行く羽目になりました。
そこで、面会できないと思っていた母に会うことができました。
母は、近しい親戚へ施設に入居したことを知らせてくれたかと心配していたのです。
弟が昨日のうちに知らせたよ。と言うと安心した様子。
そして、同じユニットに知っている人が3~4人居るのだと言います。
(10人中3~4人は高い確率だ。地元を優先的に入居させているのかもしれない)
母:ヨシエちゃんは、わだしのごどわがったよ。
サキちゃんは、認知症でわだしのごど判んねがったげんちょも話はでぎだ。
もう一人は、名前は分がんねげんちょも顔は判る人。
てっちゃんにはびっくりした。認知症がひどくて、何言っても分がんねの。
こうして(母は机の上で鍵盤を弾くような仕草をした)手を動かしてばっかりいるの。てっちゃん!てつ子さん。
あんな風になってるなんて、ほんとにおどろいだ。
私:ああ、てつ子さん! きれいな人だったね。そうなのね。
たぶんピアノかオルガンでも弾いてるんじゃないの?
(たしか、てつ子さんは中学校の先生の奥さんで、長年、婦人会長などをやっていた知識人だ。その人が認知症を患っているのでおどろいたのでしょう)
誰しも認知症にはなりたくないけれど、認知症になる人とならない人、どこが違うのかしら?
私は人が長生きし過ぎているのだと思う。
名残惜しむように陽に当たるカエル。この夏、ずっと我が家に棲んでいた。
命あるものを愛おしく感じる。
(なんか、今日はうまく書けないです まとまりがなくてごめんなさい)
人は長生きし過ぎている。--- 同感です。
脳も、心臓も、関節や筋肉も、心も耐用年数を超えてしまい、様々な弊害が出ていると感じます。前首相が提唱した「人生百年時代、一億総活躍」には素直に頷けません。あくまでも僕個人の意見ですが、自分で尊厳死が選べる世の中になればいいなと思います。
ではまた。
元気で長生きなら良いですが、自分が誰だかも解らなく成ったり寝たきりでも生かされるってのは何か違う気がします。
私の大好きな本「ゾウの時間・ネズミの時間」によれば、人間の寿命は40~50歳だそう。
知恵のおかげで30年以上も寿命を越えて長生きしていたら、そりゃあ不具合も出てくるってもんですよね。
母の施設入所に当たり、延命措置の確認書というのを書かされました。
もちろん、いかなる延命措置も希望しないと書きました。