
こんにちは 〝チエちゃんの昭和めもりーず〟管理人チエと申します。
この度、ゲストライターとして投稿させていただくこととなりました。
〝昭和めもりーず〟番外編「チエちゃんの青春」を4回シリーズでお送りします。
どうぞ、よろしくお願いします。さてさて・・・
チエちゃんが、初めて五つの赤い風船の「遠い世界に」を聴いたのは、中学3年の時でした。
お友達に誘われ、某高校合唱部の定期発表会に行った時のことです。
難しい合唱やチエちゃんでも知っている童謡などの発表のあと、一番最後に出演者・入場者による全員合唱が始まりました。
♪遠い世界に 旅に出ようか
それとも赤い風船に乗って
雲の上を 歩いてみようか
太陽の光で 虹を作った
お空の風を もらって帰って
暗い霧を 吹き飛ばしたい
この歌、何? みんな楽しそうに歌ってる!
みんな知ってるのに、私だけ、知らないなんて!
マジ、カルチャーショックでした。
前々年にはソルティ・シュガー「走れコウタロー」、前年にははしだのりひことクライマックス「花嫁」がヒットし、この年にも吉田拓郎「結婚しようよ」「旅の宿」がヒットしていたので、フォークソングというジャンルがあることは知っていました。
でも、自分の知らない世界があることに驚き、流行に取り残されている気がしました。
自分はなんて幼稚だったのだろう。
昭和48年('73年)高校生になったチエちゃんは、どんどんフォークソングにのめりこんでいくことになります。
まさに、フォーク全盛の時代。この時すでに、フォークの旗手吉田拓郎は大スターでありました。
そして、チエちゃんは「かぐや姫」に出会うこととなります。
南こうせつのあの歌声にチエちゃんは魅了されたのです。当時多くのフォーク歌手はTVに出演しませんでした。(そこがカッコよくもありました)
家にステレオが無かったので、チエちゃんが彼らの音楽を聴く唯一の手段、それはラジオ、深夜放送を聴くことでした。お父さんにおねだりして短波放送も聴ける高級なラジオを買ってもらいました。
毎週水曜日、学校から帰ったチエちゃんは夕飯とお風呂を済ませると、午後7時~8時には布団に入ります。
そして夜中の12時頃に起き出し、一応ちょっと勉強。このあと、1時~3時まで南こうせつの「パック・イン・ミュージック」を聴くのでした。
ここで、いろいろなフォーク歌手を知りました。
「チューリップのアップリケ山谷ブルース」岡林信康、「傘がない」井上陽水、「春夏秋冬」泉谷しげる、「カレーライス」遠藤賢司、「心の旅」チューリップ、「私は泣いています」リリィ、「煙草のけむり」五輪真弓、「面影橋から」小室等と六文銭、「プカプカ」西岡恭蔵などなど。
チエちゃんはせっせとリクエストカードを送りました。
続けてみるもんですね。ある夜のこと、とうとう、そのリクエストをこうせつさんに読んでもらえたのです。
うれしくて、真夜中の茶の間には誰もいないのに、ものすごく照れちゃって、ひとり真っ赤になって聴きました。「バス停まで自転車通学をしています」みたいなことを書いてあったと思います。
こうせつさんが、「女学生の髪が風になびいて、いいなあ」って、コメントしてくれたことを30年以上たった今でも覚えています。
翌朝、学校のお友達から「聞いたよう、あれチエちゃんでしょ」と言われて、盛り上がったなあ。
この「こうせつパック」から、あの名曲「神田川」がヒットしたのです。
この間に、こうせつさんは結婚し、その馴れ初めも聞いたものです。
結婚式で奥さんが「いくよです」と挨拶した可愛らしい声は今も耳に残っています。
つづく
注;この記事は、2006年12月27日昭和ダイアリーに掲載されたものを一部加筆訂正しました。
この度、ゲストライターとして投稿させていただくこととなりました。
〝昭和めもりーず〟番外編「チエちゃんの青春」を4回シリーズでお送りします。
どうぞ、よろしくお願いします。さてさて・・・
チエちゃんが、初めて五つの赤い風船の「遠い世界に」を聴いたのは、中学3年の時でした。
お友達に誘われ、某高校合唱部の定期発表会に行った時のことです。
難しい合唱やチエちゃんでも知っている童謡などの発表のあと、一番最後に出演者・入場者による全員合唱が始まりました。
♪遠い世界に 旅に出ようか
それとも赤い風船に乗って
雲の上を 歩いてみようか
太陽の光で 虹を作った
お空の風を もらって帰って
暗い霧を 吹き飛ばしたい
この歌、何? みんな楽しそうに歌ってる!
みんな知ってるのに、私だけ、知らないなんて!
マジ、カルチャーショックでした。
前々年にはソルティ・シュガー「走れコウタロー」、前年にははしだのりひことクライマックス「花嫁」がヒットし、この年にも吉田拓郎「結婚しようよ」「旅の宿」がヒットしていたので、フォークソングというジャンルがあることは知っていました。
でも、自分の知らない世界があることに驚き、流行に取り残されている気がしました。
自分はなんて幼稚だったのだろう。
昭和48年('73年)高校生になったチエちゃんは、どんどんフォークソングにのめりこんでいくことになります。
まさに、フォーク全盛の時代。この時すでに、フォークの旗手吉田拓郎は大スターでありました。
そして、チエちゃんは「かぐや姫」に出会うこととなります。
南こうせつのあの歌声にチエちゃんは魅了されたのです。当時多くのフォーク歌手はTVに出演しませんでした。(そこがカッコよくもありました)
家にステレオが無かったので、チエちゃんが彼らの音楽を聴く唯一の手段、それはラジオ、深夜放送を聴くことでした。お父さんにおねだりして短波放送も聴ける高級なラジオを買ってもらいました。
毎週水曜日、学校から帰ったチエちゃんは夕飯とお風呂を済ませると、午後7時~8時には布団に入ります。
そして夜中の12時頃に起き出し、一応ちょっと勉強。このあと、1時~3時まで南こうせつの「パック・イン・ミュージック」を聴くのでした。
ここで、いろいろなフォーク歌手を知りました。
「チューリップのアップリケ山谷ブルース」岡林信康、「傘がない」井上陽水、「春夏秋冬」泉谷しげる、「カレーライス」遠藤賢司、「心の旅」チューリップ、「私は泣いています」リリィ、「煙草のけむり」五輪真弓、「面影橋から」小室等と六文銭、「プカプカ」西岡恭蔵などなど。
チエちゃんはせっせとリクエストカードを送りました。
続けてみるもんですね。ある夜のこと、とうとう、そのリクエストをこうせつさんに読んでもらえたのです。
うれしくて、真夜中の茶の間には誰もいないのに、ものすごく照れちゃって、ひとり真っ赤になって聴きました。「バス停まで自転車通学をしています」みたいなことを書いてあったと思います。
こうせつさんが、「女学生の髪が風になびいて、いいなあ」って、コメントしてくれたことを30年以上たった今でも覚えています。
翌朝、学校のお友達から「聞いたよう、あれチエちゃんでしょ」と言われて、盛り上がったなあ。
この「こうせつパック」から、あの名曲「神田川」がヒットしたのです。
この間に、こうせつさんは結婚し、その馴れ初めも聞いたものです。
結婚式で奥さんが「いくよです」と挨拶した可愛らしい声は今も耳に残っています。
つづく
注;この記事は、2006年12月27日昭和ダイアリーに掲載されたものを一部加筆訂正しました。
年下じゃないの?
私は年齢を隠してはいませんよ~
ベイシティローラーズ、ものすごい人気でしたね。
あれを真似したのがチェッカーズ!?
コメントありがとうございました。
ハハハ、同じ~、特に午後の授業が眠かったなあ。
コメントありがとうございました。
そしてベイシティーローラーズの曲に感動してました。
私の青春時代のパーソナリティーは、中島みゆき、ビートたけし、笑福亭鶴光、でした。
3時から始まる、「歌うヘッドライト」や「走れ歌謡曲」なんかも聞いてましたね?!
あの頃、学校では爆睡してました。
もうちょっと、勉強すればよかったなぁ・・・
エーさんも、深夜放送を聴いていたのですね。
若い頃は「ながら」ができたのですが、最近はさっぱりです。
もう、見る時は「見る」、聴く時は「聴く」ことしかできません。
なんだかな~。
あの頃、歌番組全盛でした。ベストテンをよく見ていました。
お祝いコメントありがとうございました。
今後もよろしくお願いします。
一応、勉強しながら???(笑)
友だちがリクエストの葉書を出して、ちょうど読まれたときなど、自分のことのようにうれしかったです♪
就職してからはTVの歌番組が全盛期で良く聞いてました。
今でも70年代の歌を聞くと『あ~ いい歌だな~』と思いますね。
チナミに最近の歌は全く判りません。
遅くなりましたが1周年オメデトウ御座います。
皆さんも書いてますが、一つの分野に拘らず書きたい時に書きたい事を書くのが長続きのコツだと思います。
私も、福島テレビのその番組大好きでしたよ。
朝早い時間帯で、高橋雄一アナウンサーがやってたリクエスト音楽番組ではありませんか?
TVでは珍しく、フォークソングをかけてくれたので、よく見ていました。
自分のリクエストはがきを読んでもらえた時は、うれしいけれど、とても照れくさかったです。
コメントありがとうございました。
あの頃は、深夜放送ブームでしたね。
私はフォークから入ったので、いわゆるアナウンサーDJは聞いたことがありませんでした。
ミュージシャンのみ。
マイナーな所で、「踊り子」の下田逸郎さんが好きでした。
吉田拓郎さんは、あの頃カリスマでしたよね。
私は、こんなに多くの方々に応援していただき、幸せ者です。
何を泣き言を言っていたのでしょう!
書きたいこと、浮かんできましたよ。
ところで、私も知ってますよ。
「全日本歌謡選手権」に出場していたかぐや姫を見ていました。そこで、「酔いどれかぐや姫」をシャ~ララとやってしまったんですから、見事落ちてしまいましたね。
でも、私の印象にはバッチリ残りました。
新生かぐや姫になってからですが、アニメ「海のトリトン」のエンディング歌ってたこと知ってましたか?
私も聴きましたよ。マークのファンでした。
オールナイト・・は、吉田拓郎さん、泉谷しげるさん、武田鉄矢さん、
セイヤングは、谷村新司さんを聴いてました。
コメントありがとうございました。
過去ログに書いたのですが、妙子ちゃん。
彼女は大人びていて、本もよく読んでいたし、楽器も得意でした。吉田拓郎のファンだったみたい。
私もね、ギターが欲しくて、アルバイトのお金で買ったのですが、手が届かず、あきらめました。
そのギターは、弟が弾いていました。
なつかしいですね。
コメントありがとうです。
たこさんの「加茂の流れに」は、以前にも聞かせていただきました。
ブランクを感じさせない腕前ですね。
ベンチャーズがお好きなんですね。私も好きですよ。
私は楽器はモノになりませんでしたが、歌はまあまあ得意です。中学の時、合唱部に籍を置いていたこともあります。
「60' Music Club」も、ぜひ更新してくださいませ。
私、たこさんと性格似ているかもしれません。
「他人に物事を聞く、教わる、質問する、お願いする・・・」こと、苦手です。
チエちゃん、この場をお借りしますね。
ガロの「たんぽぽ」が大好きでした。友達が明星とか平凡を読んでいるとき、私はラジオを聞いていました。短波放送でベリカード集めるのとか流行りましたね。気象庁の流している気象情報の大好きでした。「南西の風、1メートル」とか、わくわくしながら聞いてました。変だな、やっぱり。
昔、福島テレビでリクエストをして(何の番組か忘れた!)
この曲を自分の誕生日にかけてもらいました。
後日、シャープペンが送られてきて、感激しました。
まだ、みのもんたや落合恵子が文化放送のアナウンサーしてましたよね
私は「遠い世界に」の2番の歌詞が好きでした
吉田拓郎は「マークⅡ」が好きだったな~
カセットテープの両面に「マークⅡ」だけを何回も何回も入れたのを作ったことを思い出しました
ラベルには「マークⅡのみ」と書いて・・・(笑)
今でも時々カラオケで昔懐かしいフォークソングを歌っていますよ
チエちゃんのブログが続くこととなり、とにかくうれしくて書いてしまいましたよ。
やはり、ギターを買ってもらい、ギター部に入ったけど・・・。今は、殆ど弾けません。(-_-;)キラキラ星ぐらいかしら・・・。(^_^;)
チエちゃんは、うちの旦那と同い年かもね・・・。
昔は、音楽の先取りはラジオでしたね。それも深夜放送ね。
「オールナイトにっぽん」や、「セイヤング」はよく聞いていたわ~。
山谷ブルースや惜別の歌などみんなラジオで知りました。お年玉を貯めてフォークギターを買いました。いまは「C」「Dm」「Am」「Em」「G」「G7」くらいしかコードを覚えていません。
本当はエレキをやりたかったのに、メンバーの皆エレキギターやアンプ、ドラムセットなどを買うお金がなかったからです。
チエちゃんが書いている曲は私たちより少しだけ若い世代になりますが、それでも「遠い世界に」や岡林信康さんの曲はレパートリーに入っていたのです。
週一でライヴをしたり、のど自慢に出たり、今でも言い想い出です。
その辺のことは、私のもう一つのWEBページの60's Music Clubの中「超私的60'年代音楽雑感」に書いています。(今はHPの更新をほとんど怠っていますが)
http://park11.wakwak.com/~ventures/index.html
チエちゃんのブログに惹かれるのも、そのあたりが同じ匂いがするからかもしれません。
今はMIDIをバックにエレキカラオケで昔のフォークを弾いたりしていますが、チエちゃんの紹介した曲は大体レパートリーになっています。