小さな森は2005年5月28日岐阜県にある花フェスタ記念公園で行われた「世界バラ育種家ふれあいフォーラム」開催に合わせてお客様9名と同園を尋ねました。
岐阜市内のホテルを開場と同時に入場しようと早朝出発しました。会場に近づくにつれて山中の道は混み始め、歩いて会場を目指すリュックに帽子というスタイルの公園を熟知したバラファンが私たちの乗るバスの後方から続々と増えゲートに向かって行列になっていました。車中の私たちは十字路から青信号で進み、一向に動かないバスの中でそわそわし始めました。30分経っても50mも進みません。車内でも「歩くことにします?」「園まで遠いのかしら」と声が上がり始めました。全員早く会場に入りたいと願い、嬉しさを抑えながら前方を見つめ続けました。バスはゆっくりと進んでは止まりを繰り返しながら、入り口へ向かっていました。駐車場が見え始めるとカメラのシャッター音がしました。駐車場の脇にもロープに這わせたバラが咲いています。その後はざわざわと降りる仕度が始まりました。
花を見に行く旅行も日帰りから1泊、海外へと花好きなお客様とオリジナルの企画で開催してきました。2001年にやはり小さな森で企画したイギリス花の旅の時もロンドン上空から見た家々と景色に感動したことを思い返していました。2002年に新潟日報紙連載中に病気で入院、その後左半身に麻痺が残り活動は月に数回の講習会のみという3年間を過ごしてきました。もう自力歩行は無理と医師から告げられたとき姉が「とても意志の強い人だからきっと社会復帰します」と言ってきたと病室で聞きました。私は当時心身ともに疲れきった状態で「やっと休める」「自分の為に生きたい」と本気で思ったものでした。しかし今は外見からは少し不自由なのかな位に回復し、周りは手を貸してくれなくなっています。
新潟空港からの飛行機も50人乗り位の小型機でした。タラップも階段のみで手すりすらないという状態でしたが杖を頼りに何とか乗り降りできました。心の中で「やったよ!」更に「良し!」でした。もともと身長が高く歩幅も人より広い為元気な頃は私と一緒のペースで歩くと早歩きで疲れると周りが言っていたくらいなので同行の皆さんに少しゆっくり歩いてもらったおかげで、たいした遅れも出ず公園も回ることが出来ました。当日は3万人ほどの入場者だったようで人、人、人。バラも一番の見ごろでした。
同行した長女と写真を撮り、花の谷の香りにうっとりしながら歩きました。イギリで見たデビッドオースチン社の農園で咲いていた花と同じ品種にまた会うことが出来ました。農園で案内をしてもらったデビットJCオースチン氏の話もフォーラムの中で聴くことが出来ました。ご自身が好きだといっておられた品種が偶然にも私がサンプルガーデンで植え込んだ品種と同じで、スタッフと農場のガーデンで話を聞きながら、「好きな品種が一緒だね」とささやきあったものでした。当時今後日本でも販売される品種を一足早く見ることも出来少ない滞在日数の中で1日使ってしまいましたが大満足でした。
小学校の頃に買ったバラから始まって、ずっと好きな花はバラでした。仕事になって花苗が大量に売られる時代になって園芸店を取り巻く様子も変化し続けています。仕事を始めた日と同じように「うれしい。これがほしかったの」というお客様に励されて毎日があります。一鉢のバラは想像の世界では見渡す限り谷を埋め尽くすバラ園となり、私たちに日々の幸福を与えてくれると信じています。お買い求めくださった方が、一輪のバラに出会えて幸せを感じて暮らしていけるように祈りながらスタッフと植え付けから始まり、自然で手を掛け過ぎない管理を行っております。花好きの皆様に少しでも喜んでもらえますよう今後とも努力致します。
2005,9,27 店長
岐阜市内のホテルを開場と同時に入場しようと早朝出発しました。会場に近づくにつれて山中の道は混み始め、歩いて会場を目指すリュックに帽子というスタイルの公園を熟知したバラファンが私たちの乗るバスの後方から続々と増えゲートに向かって行列になっていました。車中の私たちは十字路から青信号で進み、一向に動かないバスの中でそわそわし始めました。30分経っても50mも進みません。車内でも「歩くことにします?」「園まで遠いのかしら」と声が上がり始めました。全員早く会場に入りたいと願い、嬉しさを抑えながら前方を見つめ続けました。バスはゆっくりと進んでは止まりを繰り返しながら、入り口へ向かっていました。駐車場が見え始めるとカメラのシャッター音がしました。駐車場の脇にもロープに這わせたバラが咲いています。その後はざわざわと降りる仕度が始まりました。
花を見に行く旅行も日帰りから1泊、海外へと花好きなお客様とオリジナルの企画で開催してきました。2001年にやはり小さな森で企画したイギリス花の旅の時もロンドン上空から見た家々と景色に感動したことを思い返していました。2002年に新潟日報紙連載中に病気で入院、その後左半身に麻痺が残り活動は月に数回の講習会のみという3年間を過ごしてきました。もう自力歩行は無理と医師から告げられたとき姉が「とても意志の強い人だからきっと社会復帰します」と言ってきたと病室で聞きました。私は当時心身ともに疲れきった状態で「やっと休める」「自分の為に生きたい」と本気で思ったものでした。しかし今は外見からは少し不自由なのかな位に回復し、周りは手を貸してくれなくなっています。
新潟空港からの飛行機も50人乗り位の小型機でした。タラップも階段のみで手すりすらないという状態でしたが杖を頼りに何とか乗り降りできました。心の中で「やったよ!」更に「良し!」でした。もともと身長が高く歩幅も人より広い為元気な頃は私と一緒のペースで歩くと早歩きで疲れると周りが言っていたくらいなので同行の皆さんに少しゆっくり歩いてもらったおかげで、たいした遅れも出ず公園も回ることが出来ました。当日は3万人ほどの入場者だったようで人、人、人。バラも一番の見ごろでした。
同行した長女と写真を撮り、花の谷の香りにうっとりしながら歩きました。イギリで見たデビッドオースチン社の農園で咲いていた花と同じ品種にまた会うことが出来ました。農園で案内をしてもらったデビットJCオースチン氏の話もフォーラムの中で聴くことが出来ました。ご自身が好きだといっておられた品種が偶然にも私がサンプルガーデンで植え込んだ品種と同じで、スタッフと農場のガーデンで話を聞きながら、「好きな品種が一緒だね」とささやきあったものでした。当時今後日本でも販売される品種を一足早く見ることも出来少ない滞在日数の中で1日使ってしまいましたが大満足でした。
小学校の頃に買ったバラから始まって、ずっと好きな花はバラでした。仕事になって花苗が大量に売られる時代になって園芸店を取り巻く様子も変化し続けています。仕事を始めた日と同じように「うれしい。これがほしかったの」というお客様に励されて毎日があります。一鉢のバラは想像の世界では見渡す限り谷を埋め尽くすバラ園となり、私たちに日々の幸福を与えてくれると信じています。お買い求めくださった方が、一輪のバラに出会えて幸せを感じて暮らしていけるように祈りながらスタッフと植え付けから始まり、自然で手を掛け過ぎない管理を行っております。花好きの皆様に少しでも喜んでもらえますよう今後とも努力致します。
2005,9,27 店長