日本語版は英訳本からの重訳であることを知りました。仏語の
翻訳者が日本に居ないのならともかく、こういった状況は
やはり残念です。「21世紀」は学術書ですが、フランス文学なら
関連でどうしても読みたかった本です。これも邦訳がないので、
とはいえ、コロ子の知っている関西の女子大二校は、仏文科の
学生募集を停止してしました。仏文科の大学院を出ても、教員
のポストは確実に減っていると思われ、これまた寂寞感が漂います。
夢中で読んだ覚えがあります。大人になってから読んだ本では、
コクトーの「恐るべき子供たち」が印象に残っています。昨年
山口二郎氏がこの本を下敷きに(したと思われる)コラムを
東京新聞に書いていました。山口氏の文を読んで興味を持たれた
方は、「恐るべき子供たち」ご一読をおすすめします。
昨日は雨の中外出しました。
戸外を歩いている間は雨が小降りになることが多く、
ラッキーでした。
今日も曇天で湿度が高かったのですが、日中は薄日も出ました。
もう11月ですね。お年玉付き年賀状が発売されたとか。
1年経つのが早すぎっ。そう感じるのは年取ったせいかしら。
今年を振り返るのはまだ早すぎるけど、とにかくF.スコット.
フィッツジェラルドの本をたくさん読みました。
最後の長編The Love of the Last Tycoonを読み終え、感想を日記
にメモしておきたいと思いつつ、未完の作品に感想を書くのも
どうかと思い、しないことにしました。
Youtubeにフィッツジェラルドの詩の朗読がupされていました。
フィッツジェラルドの声、コロ子が想像したとおりです。
F. Scott Fitzgerald Reading John Keats (Ode to a Nightingale)
The Beautiful and Damned
7月半ばから読み始めて、読了するのに3週間かかりました。
途中で挫折すること無く最後まで読めたのはstorytelliingが巧かった
からですが、文学作品として考えた場合、私は前作(This Side of
Paradise)の方が上と思います。
2人の結婚生活を軸に、遺産相続問題やアンソニーの出征などを
今回The Beautiful and Damnedを読み終えたので、フィッツジェラルド
の長編の未読は「ラストタイクーン」だけになりました。先日ebookを
買った後、邦訳が出ていることに気づき、翻訳で読むべきか、時間が
かかっても英語で読むべきか迷っています。
こっと書きます。
をすすぐと我慢できないほどひりひりする、というシーンがあります。
されていたことが解りました。リステリンって、100年のロングセラー
なんですね。もちろん当時はペットボトルには入ってなかったと思い
ます。
F. スコットフィッツジェラルドの俄ファンになり、村上春樹訳の短編集を
1冊、そしてデビュー作のThis Side of Paradiseを原書で読みました。
感想をちょこっと書いておきます。
冬の夢(短編集) 訳者村上春樹(中央公論社)
この話、意外にリアルに感じられました。ブラドック・ワシントンみたいな人、
アメリカにはいますよ。
かきたてられる作品です。
作品には詩が随所にちりばめられていたり、drama(戯曲)風なチャプターが
あったりと、読者を飽きさせません。ただ、最終章で主人公Amoryがsocialist
idealsを語るのを読んだ時、フィッツジェラルドの別の面を見たような.....そして、
なぜこの本の邦訳が絶版となったのか解ったような気がしました。
「バビロンに帰る」を読みました。
を読んだ時に気づかなかった、灰の谷やギャツビー邸のプールが意味
するものに、思いをめぐらせました。
ただし、マリオン・ピーターズの考えも理解できます。バブル経済に
無縁だった人は、バブル時代にどんちゃん騒ぎしていた人に厳しい。
バブル崩壊後の日本でも見られた光景です。
村上訳は苦痛なく読めます。
それに加えて面白いのは、訳者あとがきでしょう。
「グレート・ギャツビー」 翻訳者として小説家としてー訳者あとがき
から引用(中央公論新社 p349~350)
絶版になり、ある年の彼の印税収入総額はたったの三十三ドルに
過ぎなかったのだ! その一方でヘミングウェイは文化的英雄と
なり、若者たちに崇拝され、世界的に圧倒的な名声を博していた。
低下する(あるいはその過大評価が是正される)一方で、何人
かの文芸評論家を中心とする、フィッツジェラルド文学のドラマ
チックな再評価運動が起こり、その結果今ではその文学的名声は
ほとんど揺るぎないものになっている。たしかに今読み返して
みると、ヘミングウェイの長編小説の経年劣化の速さには、いさ
さか驚かされるところがあるし、それに比べれば『グレート・
ギャツビー』の踏みとどまり方はまことに見事というしかない。
その芸術性はいささかのほころびもなく直立している。ヘミング
ウェイの長編小説の最高作は、僕に言わせれば『日はまた昇る』
だが、それも今となっては『グレート・ギャツビー』に比べると
明らかに一段落ちる。よく「人の評価は棺桶の蓋を閉めてみない
ことにはわからない」と言われるが、棺桶の蓋を閉めてから
ずいぶん時間が経過したあとでも、まだ評価が定まらないことも
あるのだ。
学生時代テキストとしてBabylon Revisted(バビロン再訪)と
The Great Gatsbyを与えられ、読んだのですが、消化不良の
まま終わり、以後フィッツジェラルドの本は意識して避けて来ました。
近頃、飼い主に促されて、夜はやさし(Tender Is the Night)を
読むことに。期待はしていなかったのに、すっかりはまってしまい
ました。不思議ですね~。作品を読みながら、フォークナーの
「響きと怒り」を思い出したり、E.M.フォースターの「モーリス」
が蘇って来ました。「夜はやさし」は、これらの作品に肩を並べる名作
だと思います。
忘れていました。
久しぶりに今朝朝刊を見ると、マスコミの関心は割烹着から
酉の市の熊手に移っていたのでした。あの大騒ぎは何だったんですかねぇ。
芥川賞は純文学と聞いていたので、中々手を出す気になれ
なかったのですが、ひょんなことから鹿島田真希さんの芥川賞
受賞作「冥土めぐり」を読んでみることに。
一気に読了。無我夢中で読みました。
現代日本社会って、奈津子の母や弟みたいな人たち、思いのほか
多いですね。
コロ子の親族にも主人公・奈津子の弟に酷似した人物がいます。
奈津子の言う「あんな生活」は確かに拷問。幽霊はこちらから
振り払おうとしても、やってくるので厄介です。
幽霊の言葉を真剣に受け止めて思い悩むのではなく、絵画を見る
ような気持ちで眺める。
これって良いかも。
最近映画化された中島京子著「小さいおうち」。
家事そっちのけで一日でイッキ読み。太平洋戦争に関して書かれた
ものはこれまで何冊か読みましたが、銃後の生活がメインに描かれた
作品を読んだのは初めてで、とても新鮮でした。
本格的に本土に空襲が始まるまでは普通の暮らしがあったのだと、
意外な思いでした。
当時のイノセンスと今のイノセンス、あまり違わないような...
そんな悪い予感が心をよぎりました。
のが、高村薫著「李歐」です。
コロ子の住んでいる多摩地区では、今あちらこちらに
野菊が咲いています。
いられません。中学生の頃、涙を流しながら読んだ本です。
時が流れ、 コロ子も変わりました。
今読むと、単純なプロットに、つい吹き出してしまいそうな気が
します。
ひじき・火垂の墓」は、何となく読み返す気になり、本棚から
引っ張りだしてみました。
の方が断然出来が良いと思うし、野坂らしい作品と思います。