統合失調症の姉とその両親を映画監督である弟が記録したドキュメンタリー。両親は共に医学部を卒業した研究者で、父は細胞膜の研究では名の知れた人だった。姉は4年かけて医学部へ進学するも思うように進級できず、25歳頃に統合失調症と疑われる病に罹る。両親は最初に診察した医師が入院・治療の必要はないと言ったことを理由に、娘を入院させず自宅で療養させた。
弟は早くに家を出ていたため、両親と姉の三人暮らしが続く。姉は精神状態が不安定になると支離滅裂なことを言ったり、大声を上げたりして家族を困惑させた。ひとりで外へ飛び出して事故や事件に巻き込まれないように玄関に南京錠が掛けられたこともあった。そんな暮らしが25年も続くが、母親が認知症になったのをきっかけに初めて姉は入院して治療を受けた。三カ月で寛解して家に帰ってきた時には笑顔が戻っていた。しばらくして母親が亡くなり、父親と姉の二人暮らしになる。父と旅行に行ったり花火を楽しんだり、穏やかな日々が続くが、やがて姉が癌に侵されていることがわかる・・・
映画監督である弟の視点から撮られたドキュメンタリーで、おそらく観客の多くはどうして両親は25年間も姉を医療機関につながなかったのかと不審に思うであろう。入院して薬を吞み始めてからの様子を見ると、明らかに以前より表情が穏やかになっている。おそらく受診前は幻聴に苦しんでいたのであろう。両親は最初に診た医師が治療の必要がなかったと主張するのだが、そこには伝統的な精神医学に抗議した1970年代の反精神医学(精神医学の治療の有害性を指摘)運動の影響があったのではないか。また姉が発症した1983年頃には精神科病院内で虐待によって患者が亡くなる事件が起きており、患者の人権を無視した精神科医療が社会問題になっていた頃だ。両親が懸念していたのは単なる世間体だけではないように思える。この当時使われていた精神分裂症という呼称(2002年まで使用)も偏見に拍車をかけたのではないか。そうはいっても、もっと早く服薬していれば姉はあれほど苦しまなかったかもしれないと思うと、答えは簡単ではない。
インタビュー等での監督の発言によると、両親は子供の進路についてあれこれ指図したりすることはなく、子供の自由意志を尊重したらしい。両親は姉に愛情深く接しているように見えるし、虐待をするような親には見えない。姉が統合失調症を発症したのは親の過干渉や圧力が原因とは思えない。監督によると姉は父親が大好きでとても尊敬していたらしい。おそらく両親の期待を忖度し、また自身も両親のような研究者になりたいという願望があって、同じ研究者の道を歩みたいと希望したのだと思う。
玄関に掛けた南京錠のシーンが何度も出てくるが、玄関から出ていくことはできなくても窓から出ていくことはできるので、完全な監禁とは言えない。座敷牢とは違う。南京錠は外に飛び出して事件や事故に巻き込まれるのを防ぐためのもので、実際に姉は家を脱け出して海外にまで行ったことがあるようだ。ただ長期間外出させなかったことは、自由を制限したと批判されても仕方がないと思う。
姉の葬儀のシーンはインパクトがあった。死顔がモザイクなしで映し出されているのに驚いた。縁者たちが棺の中に思い出の品物を次々に入れていく時、父は姉と執筆した共同論文を棺の中に入れた。このシーンを「父のエゴイズム」「姉は喜んでいない」という見方もあるかもしれないが、案外姉は満足していたのではないか。姉にとって父は目標であり、父と連名で書かれた論文はまさに姉の夢そのものだと思う。父と姉には他者が入いることができない強固な絆があったのではないかと感じる。
監督は父が葬儀の挨拶で「有意義な人生を送ったのではないか」と言ったのを聞いて、「姉が亡くなった瞬間に姉の人生を書き換え始めている」と感じたとコメントを残している。確かに有意義な人生どころか、統合失調症に苦しみ続けた人生であったと思うが、家族の愛情には恵まれていた。薬物治療を始めた50歳頃から62歳で亡くなるまでの12年間は、幻聴や妄想がやわらいだのか、表情が穏やかに見える。受診後も服薬を拒否したり、コンビニで警察沙汰になったりするような事件を起こしてはいるが、以前に比べると状態は落ち着いている。病気は完治していないとしても、大好きな父親の側で暮らせて、意外と幸せを噛みしめていたのではないかと思う。(KOICHI)
監督:藤野知明
制作:淺野由美子
撮影:藤野知明 淺野由美子
編集:藤野知明 淺野由美子
弟は早くに家を出ていたため、両親と姉の三人暮らしが続く。姉は精神状態が不安定になると支離滅裂なことを言ったり、大声を上げたりして家族を困惑させた。ひとりで外へ飛び出して事故や事件に巻き込まれないように玄関に南京錠が掛けられたこともあった。そんな暮らしが25年も続くが、母親が認知症になったのをきっかけに初めて姉は入院して治療を受けた。三カ月で寛解して家に帰ってきた時には笑顔が戻っていた。しばらくして母親が亡くなり、父親と姉の二人暮らしになる。父と旅行に行ったり花火を楽しんだり、穏やかな日々が続くが、やがて姉が癌に侵されていることがわかる・・・
映画監督である弟の視点から撮られたドキュメンタリーで、おそらく観客の多くはどうして両親は25年間も姉を医療機関につながなかったのかと不審に思うであろう。入院して薬を吞み始めてからの様子を見ると、明らかに以前より表情が穏やかになっている。おそらく受診前は幻聴に苦しんでいたのであろう。両親は最初に診た医師が治療の必要がなかったと主張するのだが、そこには伝統的な精神医学に抗議した1970年代の反精神医学(精神医学の治療の有害性を指摘)運動の影響があったのではないか。また姉が発症した1983年頃には精神科病院内で虐待によって患者が亡くなる事件が起きており、患者の人権を無視した精神科医療が社会問題になっていた頃だ。両親が懸念していたのは単なる世間体だけではないように思える。この当時使われていた精神分裂症という呼称(2002年まで使用)も偏見に拍車をかけたのではないか。そうはいっても、もっと早く服薬していれば姉はあれほど苦しまなかったかもしれないと思うと、答えは簡単ではない。
インタビュー等での監督の発言によると、両親は子供の進路についてあれこれ指図したりすることはなく、子供の自由意志を尊重したらしい。両親は姉に愛情深く接しているように見えるし、虐待をするような親には見えない。姉が統合失調症を発症したのは親の過干渉や圧力が原因とは思えない。監督によると姉は父親が大好きでとても尊敬していたらしい。おそらく両親の期待を忖度し、また自身も両親のような研究者になりたいという願望があって、同じ研究者の道を歩みたいと希望したのだと思う。
玄関に掛けた南京錠のシーンが何度も出てくるが、玄関から出ていくことはできなくても窓から出ていくことはできるので、完全な監禁とは言えない。座敷牢とは違う。南京錠は外に飛び出して事件や事故に巻き込まれるのを防ぐためのもので、実際に姉は家を脱け出して海外にまで行ったことがあるようだ。ただ長期間外出させなかったことは、自由を制限したと批判されても仕方がないと思う。
姉の葬儀のシーンはインパクトがあった。死顔がモザイクなしで映し出されているのに驚いた。縁者たちが棺の中に思い出の品物を次々に入れていく時、父は姉と執筆した共同論文を棺の中に入れた。このシーンを「父のエゴイズム」「姉は喜んでいない」という見方もあるかもしれないが、案外姉は満足していたのではないか。姉にとって父は目標であり、父と連名で書かれた論文はまさに姉の夢そのものだと思う。父と姉には他者が入いることができない強固な絆があったのではないかと感じる。
監督は父が葬儀の挨拶で「有意義な人生を送ったのではないか」と言ったのを聞いて、「姉が亡くなった瞬間に姉の人生を書き換え始めている」と感じたとコメントを残している。確かに有意義な人生どころか、統合失調症に苦しみ続けた人生であったと思うが、家族の愛情には恵まれていた。薬物治療を始めた50歳頃から62歳で亡くなるまでの12年間は、幻聴や妄想がやわらいだのか、表情が穏やかに見える。受診後も服薬を拒否したり、コンビニで警察沙汰になったりするような事件を起こしてはいるが、以前に比べると状態は落ち着いている。病気は完治していないとしても、大好きな父親の側で暮らせて、意外と幸せを噛みしめていたのではないかと思う。(KOICHI)
監督:藤野知明
制作:淺野由美子
撮影:藤野知明 淺野由美子
編集:藤野知明 淺野由美子