シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「HAPPYEND」(2024年 日本・アメリカ)

2024年10月16日 | 映画の感想・批評
 今年のヴェネツィア国際映画祭に正式出品された問題作です。海外では黒沢清の「Cloud クラウド」などよりも高い評価を得ているこの映画が日本ではいまひとつ不評なのは残念です(ことわっておきますが、ぼくは「Cloud クラウド」も大好きです)。
 物語は近未来ものです。主人公は都立高校に通う3年生の仲良し5人組。ユウタと在日のコウは幼稚園からの幼なじみで離れられないバディともだち、そこにアタちゃん、黒人のトムと紅一点のミン(父親は中国人らしい)が加わる。かれらはそれぞれ個性豊かでときにはハメを外して校則や社会のルールを破ることもあります。しかし、決して不良なんかではありません。
 ある日、いかにも強権的な校長先生の新車フェアレディZが学校の中庭に「2001年宇宙の旅」のモノリスみたいに地面に垂直に突き刺さったまま放置されているのが見つかります。激怒した校長は全校生徒に聴き取りをはじめ、犯人捜しに躍起となります。当然、日ごろから素行の悪い5人組が標的となる。そもそも自動車を地面に突き刺すという仕業は高校生にできるわけがないのですが、そこにケチをつけるのは野暮というものです。あくまで近未来映画らしいシュールな趣向だと楽しむことです。
 いっぽうで、テレビに映し出された総理大臣(横死したA元首相がモデル?)が「憲法改正によって緊急事態条項が成立しました」と国会でぶち上げています。路上ではこれに反対する人びとがデモを行い、機動隊が容赦なく排除している。どうやら独裁政権が強権を振るって反政府デモを鎮圧しているのです。緊急事態条項とは戦前の戒厳令のことですから実は怖いのです。
 学校では例の校長が校内の至るところに顔認証の防犯カメラを設置し、生徒の行動を完全に監視するシステムを導入します。あるいはまた、コウは警官に外国人登録証の提示を嫌がらせで求められます。警官がスマホをかざして顔を撮ると自動的に個人情報(在日)がわかるようです。マイナンバーカードと紐づけているのでしょうか。それどころか、自衛隊が学校にやって来て勧誘のため授業のひとコマをもらう。どうも世の中がおかしな方向に動き始めているのです。コウは担任の先生や同級生のフミに誘われて反政府デモに参加するようになる。いまを少しでも変えるために日常をただ享楽的に過ごしていてよいのか、声を上げるべきではないのか、少年たちは徐々に目覚めてゆくのです。こういう若者たちがいる限り、日本国もまだだいじょうぶなのかもしれません。
 「反政府デモはテロだ」「憲法改正で自衛隊が国軍と認められれば徴兵制の復活もあり得る」・・・これはいずれも石破茂氏の過去の発言です。いま阻止すべき問題は足下にあるのです。
 半世紀以上むかしに名画座でみた大島渚の反体制映画「日本春歌考」を思い出しました。伊丹十三扮する教師に引率されて大学受験のために上京した男女の高校生4人組に当時高校生だったぼくは大いに共感したのでした。
 監督の空音央(そら・ねお)は米国生まれの映像作家でこれが長編デビュー作だそうです。映像も音楽のセンスもすこぶる優れているように見受けました。今後が大いに期待されます。(健)

監督:空音央
脚本:空音央
撮影:ビル・キルスタイン
出演:栗原颯人、日高由起刀、佐野史郎、中島歩、林裕太、シナ·ペン、ARAZI、祷キララ

「理由なき反抗」 (1955年 アメリカ映画)

2024年10月09日 | 映画の感想・批評
 17歳の少年ジム(ジェームス・ディーン)は泥酔して路上で倒れているところを警察に連行された。警察署には家出した少女ジュデイ(ナタリー・ウッド)や子犬を拳銃で撃った少年プレイトウ(サル・ミネオ)がいた。三人は中流階級の家庭に属しているが、それぞれ家庭内に不和を抱えており、親子関係のコミュニケーションが機能していなかった。ジムは両親、ジュデイは母親が迎えに来て帰宅を許されたが、プレイトウだけは同居するメイドが迎えに来た。
 翌朝、転校した高校に初登校したジムはジュデイやプレイトウと再会する。登校するや否や不良グループを率いるバズに目を付けられ、プラネタリウムの駐車場でナイフによる決闘を申し込まれる。流血の惨事となる前に守衛に阻止されたが、その夜、決着をつけるために崖の上で<チキンレース>(度胸試しのゲーム)を行うことになった。ジムは間一髪で車から脱出するが、バズは脱出できずに車ごと崖から転落して死ぬ。やがてバズの仲間に追われることになったジム、ジュデイ、プレイトウは隠れ家に逃げるが、プレイトウは眠っている間に二人がいなくなってパニック状態に陥る。拳銃を発砲し、取り囲んだ警官に射殺される。

 24歳で華々しく散ったジェームス・ディーンの、あまりにも有名な青春映画であり、すでに多くの人が見ていると思う。筆者も3度ぐらいは見ている。前半のナイフでの決闘シーンやチキンレースはスリリングで迫力があるが、後半は緊張感が薄れ、ラストでジムが両親と和解するところなどはご都合主義的な印象が拭えなかった。ジムは父親の不甲斐なさに失望しており、「パパのようになりたくない」と言うが、父親の愛は感じているように思える。ジムの父親は妻の言うことに服従するだけの不甲斐ない父親だが、息子を愛する気持ちに偽りはない。それに比べると事実上両親に捨てられたプレイトウはジムやジュデイ以上に深刻な心の問題を抱えている。もしジェームス・ディーンがプレイトウの役を演じたら、希望のない悲劇的な青春映画になったのではないかと思う。
 クライマックスの場面ではジムは常軌を逸したプレイトウを保護、救出する役割を演じており、主役であるジム自身に危機感があまり感じられない。ジムはキスしたばかりのジュデイそっちのけでプレイトウを心配していて、いつのまにか孤独な少年の物語から少年同士の友情を描く映画なっている。ジュデイとの恋愛も今ひとつ描けていない。物足らなく思いながら何げなくウィキペディアの解説を読むと、最初の脚本の段階ではプレイトウは同性愛者の設定で、ジムにキスを迫るシーンがあったとの記述がある。ヘイズコード(アメリカ映画の自主規制条項)が厳しかった時代なのでそのシーンはカットされたのだと思うが、完成した映画でもプレイトウがジムに同性愛的感情を抱いているのは感じられる。隠れ家にひとり取り残されたプレイトウが逆上したのは、ジムとジュデイが恋愛関係になったからだ。ジュデイにジムを盗られたと思って嫉妬したのだろう。ニコラス・レイ監督は本当は同性愛を含む男二人、女一人の三角関係を描きたかったのではないか。
 そう考えるとジムの不可解な行動の理由も見えてくる。プレイトウが左右ちぐはぐな靴下を履いているのをジムが愛情を込めて笑うシーンや、プレイトウの死後そのちぐはぐな靴下を見て激しく泣くシーンを見て、正直言って何故ジムがそれほどプレイトウにウェットな感情を抱いているのかピンとこなかった。これが同性愛的感情に基づくものだと考えると納得がいく。プレイトウを必死で守ろうとしたのも腑に落ちる。「ディア・ハンター」(78)で主人公のマイケルが親友のニックを命懸けで救出しようとする場面を同性愛的感情があるからだと評する意見があるが、「理由なき反抗」もそうかもしれない。テネシー・ウィリアムズ原作の「熱いトタン屋根の猫」(58)や「去年の夏、突然に」(59)のように、本作品も不道徳的だと言われてテーマが曖昧にされ、全貌を知ることが困難になってしまったのではないか。それとも永遠の二枚目、ジェームス・ディ―ンのイメージを壊したくなかったのだろうか。(KOICHI)

原題:Rebel Without a Cause
監督:ニコラス・レイ
脚本:スチュアート・スターン  アーヴィング・シュルマン
撮影:アーネスト・ホーラー
出演:ジェームス・ディ―ン  ナタリー・ウッド  サル‣ミネオ


「ヒット・マン」(2023年 アメリカ映画)

2024年10月02日 | 映画の感想・批評
 1990年代に偽の殺し屋として警察のおとり捜査に協力していた大学教授の実話をベースにした作品。偽の殺し屋と大学教授のアンバランスさに興味をもった。
 おとり捜査のスタートは、急遽の代役だったが、本来の担当者より逮捕に繋がるケースが増え、自分も楽しくなってきて、のめり込んでいくゲイリー(グレン・パウエル)だが、ある時、美しき人妻マディソン(アドリア・アルホナ)と、夫を殺してほしいとの依頼で出会うことになる。一目惚れしてしまったゲイリーは、職務に違反して、逮捕に結びつかないようにして、逃がしてしまう。それを薄々見抜いていた本来の担当者が、少しずつ追い詰めていく。そこから、秘密裡に恋愛関係を深めながらも、職務に忠実な自分を保つ為、取り繕いに取り繕いを重ねることで、歯車が狂い出していく。
 監督は「6才のボクが、大人になるまで。」のリチャード・リンクレーター。とても良かった作品なので、期待して観た。とても面白かった。前作と同様に、自らの「変化」を自ら実感し、それを楽しむ(受け入れる)実感が伝わる。ゲイリーは、二足の草鞋を履くことで、本来の自分を律していたのだろうか。自らの原点はどこにあるのか。自分は何者なのか。どこに向かおうとしているのか。日々、悩んでいたのではないか。そんな自分を取り戻すきっかけは、マディソンだったのではないだろうか。劇中は、ハラハラドキドキの連続。追い込まれて、もう終わりか・・・と思ったら、奇跡的に復活。ジェットコースター並みで飽きることはなかった。ただ、ラストのオチは唐突に思えた。私は、ラストは、二人は逮捕され、服役後一緒に過ごすシーンがあるのではと思ったが、違った。ただ、映像にはなっていないが、本当は、実はまだ先があった、もしくは、その先は、観客に考えてほしいとのメッセージだったのではないかと思う。そんなエンドシーンであった。
 グレン・パウエルの変装も見物。こんな人いる!見たことある!依頼人に合わせて七変化。あの形相で現れると依頼人は間違いないと信じてしまうだろう。劇場でも、余りにもしっくりとした変装で、「分かる!」と感嘆な声が起こっていた。グレン・パウエルは初見だったが、脚本も担当しており、演技も含め本作に掛ける意気込みを感じた。相手役のアドリア・アルホナも初見だが今後の作品も観てみたい。
(kenya)

原題:Hit Man
監督:リチャード・リンクレーター
脚本:リチャード・リンクレーター・グレン・パウエル
撮影:シェーン・F・ケリー
出演:グレン・パウエル、アドリア・アルホナ、オースティン・アメリオ、レタ、サンジャイ・ラオ、モリー・バーナード、エバン・ホルツマン、グラレン・ブライアント・バンクス

「ぼくのお日さま」(2024年 日本映画)

2024年09月25日 | 映画の感想・批評
 奥山大史監督は28歳、若い監督である。大学在学中に制作した「僕はイエス様が嫌い」(2019年)が海外で高く評価され、第11回TAMA映画祭最優秀監督賞を受賞するなど国内でも話題を呼ぶ。本作は長編映画としては2作目、商業映画ではデビュー作となる。第77回カンヌ国際映画祭オフィシャルセレクション「ある視点」部門に正式出品され、上映後のスタンディングオベーションは8分間に及んだという。
 雪深い地方の町が舞台。この町の少年達は季節毎に野球とアイスホッケーの練習に忙しい。小学6年生のタクヤはその両方ともが苦手。ある日スケートリンクで華麗に踊る中学1年生のさくらの姿に心を奪われる。さくらは東京から転居したばかりで荒川の指導を受けていた。フィギュアの選手として活躍していた荒川は、引退後この町に移り住み、コーチの仕事やリンクの管理をしている。ホッケー用の靴のままフィギュアのステップを真似ては何度も転ぶタクヤに目をとめた荒川は、自分の靴を提供し、閉館後にレッスンをつけるようになる。タクヤのひたむきさにスケートへの情熱が蘇ってきた荒川は、タクヤとさくらにアイスダンスのペアを組むことを提案する。こうして荒川、タクヤ、さくら三人の関係が成立し深まっていくのだが……。
 タクヤには吃音がある。本作のタイトルで主題歌にもなっている「ぼくのお日さま」は、男女デュオハンバートハンバートの楽曲。吃音でうまく話せない男の子の心象風景を歌ったものである。「吃音の原因は愛情不足」と長らく言われ続け、主に母親を苦しめてきたが、近年では吃音は家族間で遺伝する傾向があるとの考えが主流になってきている。タクヤの父親にも吃音があると描かれている場面があるのがいい。
 タクヤ役の越山敬達は演技もスケートも経験者で本作が映画初主演である。自信なさげだがふわっとした柔らかい表情が魅力的な男の子。さくら役の中西希亜良は実年齢は越山敬達より年下だがタクヤのミューズとしての風格がある。幼少時よりスケートを始め大会への出場経験がある上級者。「ラストサムライ」(エドワード・ズウィック監督、2003年)でスクリーンデビューした荒川役の池松壮亮は、自らの子役時代の経験から、二人が安心して現場に居られるように配慮したと想像する。荒川と暮らす五十嵐役の若葉竜也は作品のキーパーソンと言える。荒川との何気ない会話で二人の関係性が、二人が共に過ごしてきた時間が伝わってくる。若葉竜也がいつもながら魅力的である。二人の無邪気な行動が荒川、タクヤ、さくら三人の関係に影を落としてしまうのだが。
 氷の張った湖でアイスダンスを練習するタクヤとさくらに荒川が加わり、三人が一体となり氷上の世界で戯れる姿が美しい。しかし三人が過ごしたお日さまのような日々は突然終わりを告げる。湖の氷の下には別の世界も拡がっているのだ。二人にとって思春期の通過儀礼と言えるが、通過儀礼には痛みが伴う。その痛みを理解する日はいつか来るだろう。ラストシーンのタクヤとさくらの再会にそんな願いを込めて。(春雷)

監督・脚本・撮影:奥山大史
出演:越山敬達、中西希亜良、若葉竜也、山田真歩、潤浩、池松壮亮

「インサイド・ヘッド2」(2024年 アメリカ映画)

2024年09月18日 | 映画の感想・批評


 私事で恐縮だが、この9月19日は初孫の1歳の誕生日。毎日一緒に生活しているわけではないので、久しぶりに会ったときにはその成長の早さに驚くばかり。何しろ産まれたときは3㎏ほどの、手の中に収まる体だったのに、1年たつと体重はおよそ3倍、もう立ち上がって、今にも歩きそうなのだから・・・。身体の成長もさることながら、頭の中の脳が生み出す“感情”とやらも、徐々に出現してきた。まずは嫌なこと、思い通りにならないこと、あるいはこうしてほしいという欲求を「泣く」という行為で伝えること。これは、赤ん坊が人に伝える最初の感情表現なのかも知れない。そして最初の誕生日が近づくにつれてよく見られるようになったのが「笑う」という行為。自分の心の中が快適なときに思わず出てくる笑顔は本当に可愛いものだ。ヨロコビという感情が確立するのは、ちょうどこの頃かも。
 11歳の元気で明るい女の子・ライリーの頭の中にいる5つの感情(ヨロコビ、カナシミ、ムカムカ、ビビリ、イカリ)が、彼女を幸せにするために奮闘する姿を描き、世界中に大きな感動を与えた「インサイド・ヘッド」(’15)。その続編がこの夏公開され、前作をしのぐヒットを記録して、好評続映中だ。
 現在ライリーは13歳の中学生。秋からは高校生になろうとしている。彼女の頭の中では、5人の感情たちが、司令部で相変わらず元気に活躍中。彼らの連携プレイによってライリーは喜怒哀楽がバランスよく働いていて、人にも動物にも優しい、自他共に認める「いい人」。しかし成長と共に新たな問題も発生。今やライリーの感情の中にある『家族の島』は『友情の島』に押され気味で、司令部内の出来事も友情に関することが増えてきた。そう、ライリーは思春期に入ったのだ。所属するホッケーチームのメンバーとの友情も大切だし、進学先の高校のことや、憧れの先輩のことも気になる。ライリーの人生が複雑になってきたからか、シンパイ、イイナー、ハズカシ、ダリィという新しい感情達も出現する。果たしてライリーは「ジブンラシサの花」をどのように咲かせていくか、感情たちの連携が今こそ大切なときなのだが・・・。
 監督は「トイ・ストーリー3」や「モンスターズ・ユニバーシティ」などに携わったケルシー・マン。さすがに全世界に心温まる感動作を贈り続けてきたディズニー&ピクサー作品だけあって、今作も安心して観ていられる。特に主人公のライリーをはじめ、登場人物達がすべて自分たちの周りにいそうな、ごく普通の人たちだということに親近感を覚え、自然に頭の中に入り込んで自分自身を投影できるところがよい。そして数が増えた感情たちも、それぞれが自分の役割をしっかり担って、一人の人間をコントロールしているというのも納得できる。またそのキャラクター達が、愛嬌たっぷりの面々だから思わず愛おしくなってしまうのだ。
 人生確かにヨロコビでいっぱいに越したことはない。しかし、それだけでは平坦で、かえってつまらなく感じてしまうかも。あの「思い出ボール」が表すように、今までに経験した膨大な数の出来事は、いろいろな感情が入っていて、いろんな色がついているからこそ、特別な思い出として残っていくのだ。たくさんの感情たちに見守られながらの人生、これからも安心して生きていけそうだ。
(HIRO)

原題:INSIDE OUT 2
監督:ケルシー・マン
脚本:メル・レフォーヴ、デイヴ・ホルスタイン
声の出演:エイミー・ポーラー、マヤ・ホ-ク、ケンジントン・トールマン、ライザ・ラピラ、トニー・ヘイル、ルイス・ブラック、ダイアン・レイン、カイル・マクラクラン
日本版声の出演:大竹しのぶ、多部未華子、横溝菜帆、マヂカルラブリー村上、小清水亜美、小松由佳、落合弘治、浦山迅,花澤香菜、坂本真綾

 

「ラストマイル」(2024年、日本映画)

2024年09月11日 | 映画の感想・批評


大手外資系のショッピングサイトの大型バーゲン「ブラックフライデー」を控え、ますます忙しくなろうというとき、各地で配達された荷物を開けたとたんに爆発。その後、テロかと思わせるような警告メールも入り、配送工場は出荷を止めるべきかを迫られる。
また事故を本社にいかに伝えるか。株価が暴落するから、今はダメ?世界時計との闘い。
何が一番大切なの?すべてはお客のためなのでは?
ただ、医療のためだけは止められない。薬がなければ治療も不可能。メディカル系の荷物だけは優先的に配送しようと、必死で探す主人公。
爆発物の特定や爆発の原理などがよくわからず、ほわあんと観てしまったが、ヒロインが荷物を開けようとする瞬間は本当に手に汗を握る思いだった。

火野正平、宇野祥平が演じる親子の末端の配送請負業者。1個を配り終えて得られるのがたった150円。再配達しても同じ。爆弾騒動で受け取りを拒否されたら、その負担は末端の業者なのだろう。事件の解決後、20円ほどは単価が上がったらしいけど。
簡単にクリックして、荷物が玄関先まで届けられる便利さ。慎重になろうよ。必要なものは出向いて買いに行こうよ。足があるのなら。と、かねてから思ってきた。
じぶん自身が小売業をしているので、お店できちんと説明をして、納得して選んでもらいたい。それだけの自負を持って営業しているつもりなのだけど。通販サイトのほうが店頭売りより安くなっているのを見て恨めしくなっている。送料はここに来る交通費と思ってほしい。発送のためには梱包だっているのよ。
もちろん、私も荷物を受け取る側でもある。商品の梱包ぶりにはいつも感心してる。再配達してもらうことのないように、気を付けよう。笑顔で荷物を受け取ろう。配送業の方にもっと敬意をもとう。きちんと仕事に見合うものが払われてほしい。

「ラストマイル」という言葉は、お客の手元にまで届けられる、最後の距離という。つまりはショッピングサイトでも、中間の「羊運送」でもなく、親子の請負業者が担っている部分。父親は「受け取ったお客の笑顔を見たくて」それが彼の仕事への喜びであり、誇り。今や昼食時間が10分しかなくても。そんな心意気に凭れ掛かっている配送業の現実。おそらく事故の補償などありようがない。
送り出すショッピングサイトは末端の事情などお構いない。
「すべてはお客のため」いくつかある会社のスローガン、すべてはこの言葉にすり替えられていく。マネージャーの岡田の言葉をことごとく、「お客の為に」にすり替えていくセンター長の満島。そのやり取りが不気味だった。
冒頭にも描かれたロッカーの扉に書かれた数式。身をもってベルトコンベアを止めようとしたのか。しかし、止まることなく。いや一度は停止したはずが。
高校時代(ほぼ50年前!)の国語の教科書に載っていた「セメント樽の中の手紙」を思い出した。何も変わってない。

大好きなテレビドラマ「アンナチュラル」と「MIU404」の世界観を踏襲する、「ユニバーサルシェアード」というらしい。プロデューサーの新井順子、監督の塚原あゆ子、脚本の野木亜紀子のトリオによる完全オリジナル作品。
ドラマの出演者が「その後」も生きている、同じ職場で仕事を続けている、あるいはドラマの中で救われた少年たちが成人して、物語の後日談に加わっている。それもこの映画の楽しみであった。「ああ、無事だったのね。成長してる!」と。ドラマの世界を一緒に生きているような錯覚をもたらせてくれるのも見どころの一つ。

パンフレット、ちょうど入荷しました!というので買ってきた。一部、袋とじになっている。まだ開いてない。うん、ドカンとならないことは信じてるし。
コロナ禍の配送業者を取り上げたNHKドラマ「あなたのブツがここに!」も良かったのよね。あ、ネタバレになっちゃう?
誰かと語り合いたくなる映画です。なのに、「まだ言わんといて!」とあちこちからブレーキをかけられ、ちと辛い。もう一度観に行って、問題点を整理したい。ああ、制作会社の思うつぼだわ。見事にはめられています。(アロママ)

監督;塚原あゆ子
脚本:野木亜紀子
撮影:関毅
出演:満島ひかり、岡田将生、ディーン・フジオカ、火野正平、阿部サダヲ


「ソウルの春」(2023年 韓国映画)

2024年09月04日 | 映画の感想・批評
 歴史的事件を題材にした力作がこのところ続いて公開されました。
 イタリア政界の大立者の誘拐事件を扱った「夜の外側 イタリアを震撼させた55日間」も秀作ですが、韓国の粛軍クーデターの一部始終をドキュメンタリ・タッチでなぞったこの映画もまた手に汗を握る展開です。
 1979年10月26日、強権独裁政権を敷く朴正煕大統領がKCIA(韓国中央情報部)の用意した晩餐会場において側近ともいえる金載圭KCIA部長の手により射殺されるという衝撃的な事件が起きました。
 ただし、この場面は映画では描かれません。暗殺の直後、まだ事実が公表されていない時点で国軍保安司令部(軍の諜報・犯罪捜査機関)が招集されるところから始まります。なにしろ、朝鮮戦争は休戦状態とはいっても、韓国の政情不安が明るみに出れば北につけ入る隙を与え、平壌からそう遠くはないソウルが再び侵略される恐れがあったからです。
 時の鄭昇和陸軍参謀総長は即座に合同捜査本部を立ち上げ事態の収拾に動きます。国軍保安司令部の司令官である全斗煥少将が職務上、本部長に就きますが、かれはハナ会という一種の派閥をつくり政治的野心をもっています。軍と政治を峻別する鄭参謀総長から見れば好ましくない軍人に見えたようです。
 補足しますと、わが悪名高き大日本帝国軍の誇りは政治に直接かかわらないことでした。それで、クーデターが起きると率先してこれを阻止したのです。おそらく軍事は純潔な使命だが政治は汚辱に塗れているという明治の軍人精神がまだ生きていたからでしょう。ですから、まともな軍人は政治に手を出すべからずという暗黙の了解があった(もっとも、横槍を入れて政権に嫌がらせするのは得意でしたが)。ところが、韓国の朴政権はクーデターによって成立しており、全斗煥もそれに参加した経験があるのです。東南アジア諸国を見てもクーデターで政権を掌握した例が多い点に注目してください。もし、自衛隊が国軍になればもはや明治の軍人精神などとっくに消滅しているでしょうから非常に危険だと、ぼくはそう見ています。
 閑話休題。話を映画に戻すと、全斗煥は戒厳令の敷かれた首都ソウルの警備司令官人事に口をはさもうとします。要するに自分に近い人物を希望するのですが、任命権者の戒厳司令官である鄭昇和参謀総長は不快感も露わに拒否します。むしろ、かれは自分と同じく軍人精神に徹した謹厳実直な張泰玩少将を任命するのです。全斗煥はこの人事が不服で参謀総長に私怨を募らせる。これがのちのち12月12日の「粛軍クーデター」の伏線となるのです。
 全斗煥は暗殺事件の捜査を口実に民主勢力や敵対する陣営を次々に拘束して拷問を繰り返す。独裁政権の終焉によって晴れ間が見えた「ソウルの春」にまたしても暗雲が立ちこめるのです。情勢を危惧した参謀総長は全斗煥の異動を決めますが、野心満々の全斗煥がやすやすと従う訳がありません。そこから、かれともうひとりの主人公張泰玩司令官とのガチンコ対決が始まるのです。この映画の肝はここにあります。
 それに、肝腎な時に駐韓米国大使館に逃げ込んで洞ヶ峠を決め込む国防部長官のだらしなさや、臨時大統領に就いた崔圭夏の良識ある温厚な性格がわざわいして逆に全斗煥に見くびられるなど、人物描写もよく書きこまれています。
 全斗煥を演じるファン・ジョンミンは美形スターの多い韓国にあって、むしろ性格俳優の地位を不動のものとするような活躍ぶりで、アクの強い全斗煥を熱演しています。クーデター阻止に動くヒーロー役(張司令官)に扮した二枚目のチョン・ウソンが損をしている印象です。まあ、いってみればファン・ジョンミンの役どころはプロレスでいう「ヒール」(悪役)の様相を帯びて、むかし子どものころブラウン管に映る“鉄の爪”フリッツ・フォン・エリックや“4の字固め”ザ・デストロイヤーに心躍らせた気分を思い出しました。(健)

原題:서울의 봄
監督:キム・ソンス
脚本:ホン・インピョ、ホン・ウォンチャン、イ・ヨンジョンほか
撮影:イ・モゲ
出演:ファン・ジョンミン、チョン・ウソン、イ・ソンミン、パク・ヘジュン

「台北アフタースクール」(2023年 台湾映画)

2024年08月21日 | 映画の感想・批評
 1994年台北が舞台。予備校「成功補習班」に通う男子3人組は、「成功三剣士」と呼ばれる問題児だった。遅刻、カンニング、ボヤ騒ぎまで起こしていた。卒業後、それぞれの人生を進んでいた3人だったが、当時の恩師が入院したことで、久し振りの再会を果たし、廃校となった母校に潜り込み、懐かしい日々が蘇ってくるのであった。
 受験まで残りわずかとなった時期に、成功補習班に代理講師(シャオジー先生)が着任してくる。それが彼らの人生を大きく変えることとなる。形に拘らず、生徒達と真正面から向き合い、心を掴んでいく。ある時、学校側とのボタンの掛け違いで、学校を追い出される形になってしまうが、その後も、3人とは繋がっていた。
 ちらしから受けたイメージとは全然違っていた。“青春映画”だと想像していたが、取り上げているのはLGBT。男女の恋愛からスタートするが、上記3名に1名加え、四角関係の入り組んだ構図に展開していく。所謂“青春映画”の懐かしさと寂しさを感じられると思っていたので、裏切られた感を抱きつつ、今の時代に合わせた題材かと理解した。「本当の自分」をどうさらけ出すのか、自分でもどう表現してよいか分からないモヤモヤ感、その悩む姿がとても丁寧に描かれていたと思う。その過程では、誤解が付きまとう。それを解決しようとすると、更に、誤解が深まる。それを解消していくには、時間を掛けて正直な気持ちで少しずつ前に進むしかない。でも、それが中々出来ない。そのどうにもならない気持ちは青春時代と通じるかもしれない。
 性別に関係なく、その人その人の内面と向き合う。自分はそれが出来ているのだろうか。男女の違いはどうしてもある。体力的な違いはもちろん、その違いを理解した上で、その人となりを理解する。でも、そんな簡単なことではない。劇中の予備校経営者(父親)のエピソードはそれを表していた。彼から見る息子の変化にはかなりの葛藤があっただろう。ハッピーエンドにはなっているが、そうならないケースもあるだろう。パリオリンピックでもその違いが話題に挙がったのも記憶に新しいところであり、様々な意見や考えが混じり、そう短期的には解決しない、もしくは、解決という選択肢はなく、試行錯誤しながら、進んでいく課題ではないだろうか。
 京都では京都シネマで2週間の上映だけだった。今後、所々で上映が行われるだろうか。そういったタイプの映画のように思う。小規模作品だが、地に足を付けた作品だった。
(kenya)

原題:成功補習班
監督:ラン・ジェンロン
脚本:ラン・ジェンロン、ダニエル・ワン
撮影:アホイ・チャオ
出演:ジャン・ファイユン、チウ・イータイ、ウー・ジェンハー、シャーリーズ・ラム、ホウ・イェンシー

「大いなる不在」(2023年 日本映画)

2024年08月14日 | 映画の感想・批評
 近浦啓監督の長編2作目作品である。第48回トロント国際映画祭プラットホーム・コンペティション部門にてワールドプレミアムを飾り、第71回サン・セバスティアン国際映画祭のコンペティション部門オフィシャルセレクションに選出。同時に藤竜也が日本人初となる最優秀俳優賞を受賞している。更に第67回サンフランシスコ国際映画祭では最高賞にあたるグローバル・ビジョンアワードを受賞。世界の映画祭での受賞が続いている。
 主要な舞台は九州。冒頭の物々しい逮捕シーンから、父・陽二(藤竜也)と息子・卓(たかし・森山未來)の約30年ぶりの再会の物語が始まる。大学教授だった陽二は認知症のために別人のようで、陽二の再婚相手の直美(原日出子)は行方不明になっていた。二人の間に何があったのか、卓は二人の生活を調べ始める。
 陽二の自宅には夥しい数の小さなメモが張り付けてある。それらは陽二の生活を支えてくれる物であると同時に、不安の象徴でもある。人間の脳が、普段いかに情報処理をしてくれているかが分かる。脳が誤作動を起こすと、生活そのものが立ちいかなくなるという現実は厳しい。
 俳優を生業とする卓は淡々としたキャラクターの持ち主で、妻の夕希(真木よう子)と共に父の謎を探っていく。しかし、直美の妹(神野三鈴)や息子(三浦誠己)は卓に対して不穏な言動を見せ、謎は更に謎を呼ぶ。時系列など脚本の構造も複雑で、サスペンスの要素が深まっていく。
 1941年生まれの藤竜也は今年83歳を迎える。俳優デビューは1962年で、既に62年の芸歴を持つ。出演作は100本を超え「愛のコリーダ」(1976年、大島渚監督)では国際的な知名度も得た。近年は頑固一徹な写真屋や娘の行末を案じる豆腐屋など、職人気質の役柄が印象に残っているが、本作では高圧的な態度で人に接し、自分の息子にも他人行儀な言葉で接する姿がリアルで圧倒される。藤竜也本人が監督に提案したと聞く縁なし眼鏡が眼光の鋭さを柔らげていると同時に、その高圧的な印象を一層強めている。
 陽二が大切にしている分厚い日記帳には、陽二と直美の思い出が刻まれている。おそらく何度も読み返されたであろう日記帳のくたびれ加減に、美術制作の丁寧な仕事ぶりが伺える。撮影には実際の近浦啓監督の父親が暮らした家が使われていると聞くが演じる俳優にとっては大きな力になり得たと想像できる。
 平日の映画館はそこそこ席が埋まっていた。既にパンフレットは完売。ラストシーンの卓の後姿に、ちょっと置いてきぼりをくらった感は否めない。 (春雷)

監督:近浦啓
脚本:近浦啓、熊野桂太
撮影:山崎裕
出演:森山未來、藤竜也、真木よう子、原日出子、三浦誠己、神野三鈴、利重剛、塚原大助、市原佐都子


「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」(2024年 アメリカ映画)

2024年08月07日 | 映画の感想・批評


 今日(8月7日)は立秋。猛暑はまだまだ続きそうだが、暦の上ではもう秋だ。秋といえば、月がひときわ美しく輝くとき。かの紫式部も石山寺で美しい月を見ながら、源氏物語の構想を練ったというから、その神秘的で幻想的な魅力は、数千年も前から人類の心の中に息づいている。そして科学の進歩と共に「月へ行ってみたい」という願望が表れてくるのも、当然のことだろう。
 今年は人類が初めて月面に降り立ってから55周年に当たるという。55年前といえば、自分が中学3年生だったとき。高度経済成長が続いた60年代を経て、21世紀にもなれば月旅行も夢ではないと思っていたあの時に、この作品に描かれているような極秘プロジェクトが行われていたとは・・・?!
 「1960年代の終わりまでに有人月面着陸を成功させる。」と宣言したのはケネディ大統領。1957年にソ連(現ロシア)が世界初の人工衛星スプートニクを打ち上げて以来、米ソ両国の宇宙開発競争が激化。科学技術のあらゆる分野で世界一を自負していたアメリカにとって、“先を越された“ことはよほどショックだったようで、翌1958年にはNASA(アメリカ航空宇宙局)を設立。有人宇宙飛行計画(アポロ計画)をスタートさせたのだが、有人宇宙飛行を実現させたのはまたもやソ連が先だった。1961年4月にボストーク1号で地球周回軌道を一周し、「地球は青かった」という名言を発したのはソ連のガガーリン少佐。かくしてこのまま宇宙開発の覇権争いで後れをとっていては国民も納得しないだろうと、あの大宣言となったのだ。
 資料を基にした前置きが長くなったが、その1960年代の最後の年がこの映画の舞台。人類の大きな夢は未だ成功ならず。国民の月への関心を呼び戻すために、ニクソン大統領に仕える政府関係者が動き出す。とにかく60年代にNASAが月面着陸を実現したことを国民に知らせる必要があるのだ。さあ、どうする?!PRマーケティングのプロを使ってのこの作戦、果たしてどんな結果が待っているのか??
 巧みな話術と行動力、そしてマーケティングの上手さで人々を惹き付けるPRのプロ、ケリーを演じるのはスカーレット・ヨハンソン。マーベルの「アベンジャーズ」シリーズでブラック・ウィドウを演じ、アクション女優としてのイメージが強いが、本作ではプロデューサーとしても名を連ね、堂々たる主演ぶり。ケリーとぶつかり合う実直なNASAの発射責任者コール役にはチャニング・テイタム。「G.I.ジョー」や「フォックスキャッチャー」等、立派な体格を売り物にした作品が思い出されるが、肉体派ともいえるこの2人、「反目しながら恋に落ちる」という60年代のロマ・コメ作品にはピッタリの相性なのだ。この作品は、衣装にしろ、音楽にしろ、60年代のティストがいっぱい詰め込まれていて、作品の編集方法もまるであの頃の映画を観ているかのよう。極めつけはNASAの協力によって実現したアポロ計画時代の未公開映像をいろいろ観ることができること。あれは一体フェイクなのか、本物なのか?!
 アポロ11号が月面に一番乗りを果たした後、アメリカ国民の月への関心は薄れ、アポロ計画は3年後の17号で終了。それ以降人類は月を訪れていない。しかし今、NASAが主導し、日本も参加している国際宇宙探査プロジェクト「アルテミス計画」では、2026年以降に米国人女性が月面を歩く予定だそうで、日本人宇宙飛行士2人ももうすぐ月に着陸するとのこと。そして何と月にも水がたくさんあるそうで、2040年頃にはその水を生かして、月での生活も可能になるとか。えっ、16年後ならまだ生存しているかも!!リニア開通とどちらが先になるのかな?!
(HIRO)
 
原題:FLY ME TO THE MOON
監督:グレッグ・バーランティ
脚本:ローズ・ギルロイ
撮影:ダリウス・ウォルスキー
出演:スカーレット・ヨハンソン、チャニング・テイタム、ウディ・ハレルソン、ジム・ラッシュ、