この映画をうまいと思ったのはラストの切れ味にあります。一部に消化不良との感想もあるようですが、近ごろの映画には蛇の絵に足を描き加えて満足するような風潮が垣間見え、これをこころよく思わない私には実に潔い幕切れと映りました。大いに見習うべしです。
前半を例えるなら、静謐な水を湛えた風ひとつない湖面に羽毛が漂うような描写が淡々と続きます。少年院と思しき施設で中学生ぐらいの男の子と面会する母親が「もうすぐ出所だから、そのあとは母さんと一緒に暮らそう」と呼びかけます。会話の内容から入所するまではおじさんと暮らしていたらしい。どういう背景があるのか映画はいっさい説明しません。こういうところも潔くていい。
彼女はそこそこ資産家のおうちで認知症の老女を介護する仕事に就いていて、たくさんの書物が並ぶ書斎では盲目の老人(老女の夫)が小説の朗読テープを聴いています。老女に罵詈雑言を浴びせられても何食わぬ顔をして入浴を介助し、それを申し訳なく思う老人からはねぎらいの言葉をかけてもらって家路につく。野っ原の真ん中みたいなところにビニールハウスがぽつんと建っていて、そこが彼女の住まいなのですが、息子の帰還を心待ちにしていて、そのために小ぎれいなアパートを借りる資金を貯めている。多少の苦労も堪えられるわけです。
ときどき彼女がパニックに陥ったり、何らかの困難にぶち当たったりしたとき、自分の頭を殴る場面が出てきます。これも最初何をしているのかよくわからないのですが、そのうち体育館のような広いところに集まった10人ほどの老若男女が輪になってパイプ椅子に座り、順番に自傷体験を話すミーティングの場面が登場します。そこに彼女も参加していて、ようやく事情が飲み込めます。
老人は、同級生の医者に相談して大きな病院での認知症検査を薦められ、遅かれ早かれ妻のような状態になるという結果を告知されます。このことが、そのあとに起きる老妻がからんだ突発事故の後始末において重要な伏線を成すのですが、それ以上はいえません。
物語は徐々にスリラー・サスペンスの様相を呈してきます。そのへんのサジ加減が絶妙で、はじめ静謐だった湖面の水がいつとはなしに波風が立ったことによって、じわじわと不気味さを増してくるあたりの穏やかな変化がラストの破局(破調といってもいい)を際立たせるのです。はずみで生じた過失や錯誤、すれ違いが最後に収斂されてゆき、まさしく暴発するようなラストシーンには唖然とせざるを得ませんが、果たして主人公の女性が目論んだ結果がどういう展開を見せるのか。むしろ、映画が終わったあとの語られなかった物語を想像してみることにこそ、この映画の面白さが隠されているのかも知れません。
主役のキム・ソヒョンはホラー風の連続テレビドラマの秀作「誰も知らない」(20年)でサイコキラーに立ち向かう女刑事を颯爽と演じた人ですが、もともと抑制の利いた暗いイメージのキャラが得意と見えて薄幸な中年女を好演しています。(健)
原題:비닐하우스
監督・脚本:イ・ソルヒ
撮影:ヒョン・バウ
出演:キム・ソヒョン、ヤン・ジェソン、シン・ヨンスク、ウォン・ミウォン