ガレッジセールのゴリが本名の照屋年之の名で脚本・監督を担当し、沖縄の離島・粟国島に残る「洗骨」という風習をモチーフに、家族の絆や命のつながりを描いた作品。「洗骨」とは東南アジアや日本の沖縄、奄美群島に残る風習で、一度土葬や風葬を行った後に、死者の骨を棺桶から取り出し、酒や海水で洗って再度埋葬する葬制のこと。
妻の恵美子が亡くなって四年経つが、信綱は今なお妻の死を認めることができず、酒に溺れる毎日を過ごしている。母の「洗骨」のために子供たち(剛と優子)が島に戻ってきたが、剛は離婚したことを誰にも言えず、優子は未婚のまま妊娠してしまった。信綱は経営する工場を潰してしまい、家族に散々迷惑をかけてきた。しっかり者の剛は優子や信綱が腹立たしく、事あるごとに激しく非難する。ぎくしゃくした信綱の家族を信綱の姉の信子がかろうじて支えている。そんな崩壊寸前の関係が「洗骨」が近づくにつれて徐々に回復していき、家族がひとつになっていく。亡くなった母への想いと「洗骨」という儀式の厳粛さが個人のエゴイズムを乗り越えてしまう。
作中に母・恵美子の遺影が何度も出てくる。美しくてやさしい母の笑顔に家族も観客も癒されるが、棺桶を開けた時に変わり果てた姿を見て衝撃を受ける。何度も遺影が出てきて、やさしい笑顔がインプットされているために、死という現実の過酷さを強く認識することになる。死者の骨を洗うという行為には宗教的な意味合いがあるのだろうが、実際にそれを行う者にはいやがおうでも命のはかなさを思い知る場になったのではないか。メメント・モリ(死を想え)という警句をまさに体現する行為である。
照屋監督はコメディアン出身のためか、生と死という主題が重すぎるためか、シリアスな場面の随所に笑いを入れようとする。ユーモアのセンスはある人だと思うが、シリアスな場面とコミカルな場面のバランスは良いとは言えない。照れがあるのかコメディへのこだわりが強いのか、厳粛な「洗骨」のシーンが終わりかけた時に、突然優子が産気づき出産のドタバタが始まる。予想された展開とはいえ、唐突の感は免れない。出産の大騒動の中で「命をつないでいく」というメッセージを伝えたかったのであろうが、信綱の姉のキャラが立ちすぎていて教訓めいた話の流れになっている。登場人物の台詞や産まれたての赤ちゃんと骸骨が向き合うカットで主題を語っているが、表現が直截的過ぎて、いささかうるさい気がする。あのまま静かに「洗骨」の儀式を終わらせても、歴史と風習の重み、人生のはかなさと素晴らしさを伝えることはできたし、「命をつないでいく」というテーマも展開できただろう。
照屋監督は真面目な人で、映画で人生を語ろうとする。いっそのことコメディアンらしく、何のメッセージ性もない、あっけないドタバタで終わったら、むしろより深い余韻を残すことができたかもしれない。(KOICHI)
原題:洗骨
監督:照屋年之
脚本:照屋年之
撮影:今井孝博
出演:奥田瑛二 筒井道隆 水崎綾女 大島蓉子 筒井真理子