400万年前(小説では300年前)の地球ではホモサピエンスの祖先であるヒトザルの群れが飢えと渇きに苦しんでいた。ある時どこからともなく黒い直方体の板(=「モノリス」)が現れ、ヒトザルの群れのリーダーに動物の骨を武器として使う方法を教えた。ヒトザルはイボイノシシを倒して肉を食べるようになり、水場を巡って対立していた別のヒトザルの群れを蹴散らして飢えと渇きを克服した。ヒトザルは武器を手にすることにより生存競争に打ち勝ち、やがて地球の覇者である人類へと成長していく。
本作が難解と言われているのは監督のキューブリックが意図的に説明を省いたからだ。アーサー・C・クラークの小説版を読むと作品の骨格とテーマが見えてくる。以下、小説版を参考にしながら全体像を考えてみたい(コンピューターHALの反乱は興味深いエピソードであるが、ここでは異星人とのコンタクトを中心に話を進めていくことにする)。
時代は太古から一挙に人工衛星が飛び交う21世紀へと変わる。人類が月の軌道上に宇宙ステーションを浮かべ、月面にある前進基地では探索・調査が続けられていた。400万年前の月の地層から磁場に変化をもたらす黒い厚板「TMA・1」(=「モノリス」)が発見された。「モノリス」は縦・横・高さが1:4:9の比率で作られており、人類が誕生する以前に月に人工物が埋められたという事実は、地球外知的生命体の存在を証明している。「モノリス」から発信された電波を追って、宇宙船ディスカバリー号のボーマン船長は木星(小説では土星)を目指した。ボーマンは木星の軌道上にある「巨大モノリス」に導かれ、スターゲイトを抜けて、ヒトザルを人類へと進化させた異星人(姿は見せない)と遭遇する。肉体をもたないエネルギーだけの生命体である異星人は、時空間を超え、永遠の生命を有している。異星人はヨーロッパ調の白い部屋でボーマンを歓待するが、やがてボーマンは急速に年老いていき、「モノリス」によって人類を超越した存在であるスターチャイルドに生まれ替わる。
異星人は肉体をもたないエネルギーだけの生命体であり、ボーマンが生まれ替わったスターチャイルドも同じように精神だけの存在である。これは古代エジプトやギリシア哲学の影響を受けた、肉体と精神は独立して存在するという心身二元論に基づく発想であると思われるが、心身一元論の立場からは受け入れ難い未来予測になるであろう。最後の審判の時に復活し神の国で永遠に生きるのは肉体をもった人間で、魂だけが永遠に生き続けるわけではない。SF小説によく出てくる精神だけの存在というものが、未来において本当に実現するかどうかは議論の分かれるところである。
異星人はヒトザルを人間に進化させたのだから言わば創造主であり、人間は異星人による被造物と言えなくはない。つまり異星人とは一種の神であり、キューブリックは「人類が神と呼んできたものは、実は高度に進化した異星人だった」と述べている。小説をよく読んでみると、異星人がボーマンを歓待した豪華な部屋は精巧にできた作りもので、テレビ番組をモニターして地球の生活を不完全に再現したものであることがわかる。電話帳を開けばどのページも真っ白だったり、缶ビールを開ければビールではなく青い物質が出てきたり・・・ちぐはぐな取り合わせがおかしい。聖書の神ヤハウェとは違い、キューブリックの神は全知全能ではないようだ。
異星人は何のためにヒトザルを人類へ、人類を更なる上位の存在へと進化させたのか、その理由は小説でも映画でも明らかにされていない。ただ小説ではスターチャイルドが地球を核戦争から守ろうとしているのがわかる。地球の軌道上に並ぶ、核兵器を搭載した軍事衛星を破壊しているのだ。武器を与えられて地球の覇者となった人類は、長い生存競争の末に悪魔の兵器を作ってしまった。人間の闘争本能に限界がないことを異星人は予期できなかったようだ。
興味深いのは異星人が武器の使用を教えるときに、ヒトザルをマインドコントロールしたことだ。映画ではヒトザルを教育するプロセスは描かれていないが、小説では単に武器を与えるだけではなく、催眠術を使って結び目を作る練習をさせたり、モノリスの上に幾つもの同心円の模様を描き、それを的にして石を投げさせたりと丁寧に根気強く指導している。仲睦まじい別のヒトザル一家の映像を夜ごと脳内に送り込んで、羨望やいらだちの感情を起こさせ、飢餓感を高めて、荒野の生存競争に勝ち抜く知恵と力と闘争本能を植えつけた。
異星人がもし地球の平和を真に願うなら人類を逆の手法でマインドコントロールして、戦争を志向する感情を消滅させればいいのではないか。世界の為政者の脳に悲惨で残酷な戦争の映像を流し続ければ、厭戦気分が生まれて愚かな戦争は防げるだろう。平和を最優先するように心を誘導すれば、人類は自ら大量破壊兵器を捨てるだろう。異星人はヒトザルがこんな好戦的な生き物に進化するとは予想しなかったのだろうか。「こんなはずではなかった」と400万年前の行為を振り返っているかもしれない。(KOICHI)
原題:2001: A Space Odyssey
監督:スタンリー・キューブリック
脚本:スタンリー・キューブリック
アーサー・C・クラーク
撮影:ジェフリー・アンスワース
ジョン・オルコット
出演:キア・デュリア
ゲイリー・ロックウッド
本作が難解と言われているのは監督のキューブリックが意図的に説明を省いたからだ。アーサー・C・クラークの小説版を読むと作品の骨格とテーマが見えてくる。以下、小説版を参考にしながら全体像を考えてみたい(コンピューターHALの反乱は興味深いエピソードであるが、ここでは異星人とのコンタクトを中心に話を進めていくことにする)。
時代は太古から一挙に人工衛星が飛び交う21世紀へと変わる。人類が月の軌道上に宇宙ステーションを浮かべ、月面にある前進基地では探索・調査が続けられていた。400万年前の月の地層から磁場に変化をもたらす黒い厚板「TMA・1」(=「モノリス」)が発見された。「モノリス」は縦・横・高さが1:4:9の比率で作られており、人類が誕生する以前に月に人工物が埋められたという事実は、地球外知的生命体の存在を証明している。「モノリス」から発信された電波を追って、宇宙船ディスカバリー号のボーマン船長は木星(小説では土星)を目指した。ボーマンは木星の軌道上にある「巨大モノリス」に導かれ、スターゲイトを抜けて、ヒトザルを人類へと進化させた異星人(姿は見せない)と遭遇する。肉体をもたないエネルギーだけの生命体である異星人は、時空間を超え、永遠の生命を有している。異星人はヨーロッパ調の白い部屋でボーマンを歓待するが、やがてボーマンは急速に年老いていき、「モノリス」によって人類を超越した存在であるスターチャイルドに生まれ替わる。
異星人は肉体をもたないエネルギーだけの生命体であり、ボーマンが生まれ替わったスターチャイルドも同じように精神だけの存在である。これは古代エジプトやギリシア哲学の影響を受けた、肉体と精神は独立して存在するという心身二元論に基づく発想であると思われるが、心身一元論の立場からは受け入れ難い未来予測になるであろう。最後の審判の時に復活し神の国で永遠に生きるのは肉体をもった人間で、魂だけが永遠に生き続けるわけではない。SF小説によく出てくる精神だけの存在というものが、未来において本当に実現するかどうかは議論の分かれるところである。
異星人はヒトザルを人間に進化させたのだから言わば創造主であり、人間は異星人による被造物と言えなくはない。つまり異星人とは一種の神であり、キューブリックは「人類が神と呼んできたものは、実は高度に進化した異星人だった」と述べている。小説をよく読んでみると、異星人がボーマンを歓待した豪華な部屋は精巧にできた作りもので、テレビ番組をモニターして地球の生活を不完全に再現したものであることがわかる。電話帳を開けばどのページも真っ白だったり、缶ビールを開ければビールではなく青い物質が出てきたり・・・ちぐはぐな取り合わせがおかしい。聖書の神ヤハウェとは違い、キューブリックの神は全知全能ではないようだ。
異星人は何のためにヒトザルを人類へ、人類を更なる上位の存在へと進化させたのか、その理由は小説でも映画でも明らかにされていない。ただ小説ではスターチャイルドが地球を核戦争から守ろうとしているのがわかる。地球の軌道上に並ぶ、核兵器を搭載した軍事衛星を破壊しているのだ。武器を与えられて地球の覇者となった人類は、長い生存競争の末に悪魔の兵器を作ってしまった。人間の闘争本能に限界がないことを異星人は予期できなかったようだ。
興味深いのは異星人が武器の使用を教えるときに、ヒトザルをマインドコントロールしたことだ。映画ではヒトザルを教育するプロセスは描かれていないが、小説では単に武器を与えるだけではなく、催眠術を使って結び目を作る練習をさせたり、モノリスの上に幾つもの同心円の模様を描き、それを的にして石を投げさせたりと丁寧に根気強く指導している。仲睦まじい別のヒトザル一家の映像を夜ごと脳内に送り込んで、羨望やいらだちの感情を起こさせ、飢餓感を高めて、荒野の生存競争に勝ち抜く知恵と力と闘争本能を植えつけた。
異星人がもし地球の平和を真に願うなら人類を逆の手法でマインドコントロールして、戦争を志向する感情を消滅させればいいのではないか。世界の為政者の脳に悲惨で残酷な戦争の映像を流し続ければ、厭戦気分が生まれて愚かな戦争は防げるだろう。平和を最優先するように心を誘導すれば、人類は自ら大量破壊兵器を捨てるだろう。異星人はヒトザルがこんな好戦的な生き物に進化するとは予想しなかったのだろうか。「こんなはずではなかった」と400万年前の行為を振り返っているかもしれない。(KOICHI)
原題:2001: A Space Odyssey
監督:スタンリー・キューブリック
脚本:スタンリー・キューブリック
アーサー・C・クラーク
撮影:ジェフリー・アンスワース
ジョン・オルコット
出演:キア・デュリア
ゲイリー・ロックウッド