コーチkazuの「夢が実現!」 http://www.katch.ne.jp/~k-kami/

コーチ日本1のkazuさんが満を持してブログに登場!教育コーチを日本に広めた第一人者として、東奔西走しています。

欠点を直すよりも長所を伸ばす

2014-10-16 06:22:14 | Weblog
船井幸雄氏はよくこんなことを言っていました。
「欠点を直すことよりも
長所を伸ばした方が結果が早い。
だから船井総研のコンサルタント業務でも、
『欠点などには目をつぶれ。
欠点指摘や欠点是正はできるだけしないように』
と社員にいっています。
やる気になって、
いいところだけを伸ばすと、
不思議なもので企業も人間も、
自然にツキがまわってきます。
つきがまわってくれば自信をもつ。すべてがよい方向へと動き始めます」
(『生き方の発見』サンマーク出版)

またマーフィーは
「積極的な心的態度をもつ人の最大の特長は、
どんなことに対してでもよい面を発見する能力にたけていることです」
と言っています。

これは何も欠点を無視しろとか
直さなくていいというのではないはずです。

明らかな欠点は直さねばならないが、
欠点と長所が背中合わせの関係にあって、
欠点を直すと
長所が消えてしまうということがあるということです。

まずは長所を伸ばす努力をしてみることです。

そうすれば欠点の方はいつの間にか消え失せている。

人はともすれば欠点を自覚しへ直そうと努力している。
だがこの試みはなかなかうまくいかない。
欠点を直す努力は楽しくないからです。
楽しくないことには、
どうしても及び腰になります。
そのうえ直したところで、
しょせんはゼロになるだけです。

人間がする努力で一番つまらない努力です。

たとえば
怒りっぽいとか
モノ忘れしやすいなどといった欠点を直そうと、
一生懸命努力する人がいます。
こんな努力は、
むなしい努力に終わることが少なくありません。
こういう欠点の是正に努力するより、
怒りっぽいが人とつきあうのが好きなら、
そちらをどんどん伸ばした方がいいです。
忘れっぽい人なら、
何でもすぐにメモをとる習慣をつければ、
そんな欠点は何でもなくなる。
また身体的な面で劣等感をもつのもつまらない。
自分が思っているほど他人は気にしていないことを知るべきです。

だから欠点の是正などといわずに
「これこそが自分の長所だ」
と胸をはれることに、
より磨きをかける方がはるかに有益なのです。
何かに絶対的な自信をもっていると、
不思議なもので欠点が欠点として感じられなくなります。

むしろ欠点のあった方が、
その人間の魅力は増してくるようです。


『いのちの理由』(さだまさし)に感動しています

2014-10-15 06:38:50 | Weblog
私が生まれてきた訳は
父と母とに出会うため
私が生まれてきた訳は
きょうだいたちに出会うため
私が生まれてきた訳は
友達みんなに出会うため
私が生まれてきた訳は
愛しいあなたに出会うため
春来れば 花自ずから咲くように
秋来れば 葉は自ずから散るように
しあわせになるために 誰もが生まれてきたんだよ
悲しみの花の後からは 喜びの実が実るように

私が生まれてきた訳は
何処かの誰かを傷つけて
私が生まれてきた訳は
何処かの誰かに傷ついて
私が生まれてきた訳は
何処かの誰かに救われて
私が生まれてきた訳は
何処かの誰かを救うため
夜が来て 闇自ずから染みるよう
朝が来て 光自ずから照らすよう
しあわせになるために 誰もが生きているんだよ
悲しみの海の向こうから 喜びが満ちてくるように

私が生まれてきた訳は
愛しいあなたに出会うため
私が生まれてきた訳は
愛しいあなたを護るため 愛しいあなたを護るため

苦しさの中の楽しさ

2014-10-15 06:35:47 | Weblog
初代若乃花は
「土俵の中に銭が埋まっている」と名セリフを残しました。

もちろんこれを聞いて土俵を掘り返しに行く
そそっかしい人はいないでしょう。

しかし
「苦しみの中に楽しさが潜んでいる」と言ったら
「本当かね」と疑問に思う人もいるでしょう。

楽しさとは何だろうか?

はっきりいって、
味わっているときは何とも思わないかもしれません。
それどころか、
苦しくて仕方がない。
少なくても私の経験ではそういうものである。

たとえば「宝くじに当たったらいいよなぁ」と思う。
一億円当たったら「あれも買おう」「これもしよう」と
想像しているときは楽しい。
だが実際に当たったら、
泥棒が怖かったり、
使い道で揉めたり、
その他いろいろあって、
かえって新たな苦労をしょいこむようです。

私は当たったことがないけれど、
そんな気持ちになるのではないかと思います。

ここからもわかるのは、
人間は想像の世界で愉しんだほど
現実の世界では愉しめないということです。

もう一つの楽しみは、
それは過ぎてしまったことを思い起こして
「あのときは良かったよね」と実感する場合です。

お金持ちになった夫婦が昔の苦労時代を回想して
「ねえ、あなた。いまよりあの頃の方が人生楽しかったんじゃない」
「そうかもしれないな」なんてこともあるようです。

苦しみの中に楽しさが潜んでいるというのは、
本当は楽しいことなのに、
それが苦しみのように感じられることがあるからなのです。

人は一片の楽しさも味わえないことに努力はしないものです。

苦しいかもしれないがどこかで楽しい部分がある。
プロといわれる人間が必死の努力をするのは、
苦しさの中に愉しさをみつけているからです。

飛び抜けた才能ある人とつきあう

2014-10-14 06:06:26 | Weblog
ルパン三世などが好きな人も多いでしょう。

ルパン三世が面白いのは、
ハラハラドキドキもあるが、
もう一つ泥棒の名人、
逃走の名人といった飛び抜けた才能があるからです。

すぐれた才能を持ち寄って何か一つ大それたことをする。
その痛快さがこの種のアニメの醍醐味です。

これはアニメばかりではありません。

人生も飛び抜けた才能を持ち寄って、
何かをやればきっと成功するし、
人生の醍醐味を味わえます。

そんなことをいうと
「自分にはそんな才能がない」と思うかもしれません。
それは私だってそうだ。
大多数の人間は飛び抜けた才能を開花させていないからです。
才能を眠らせている人が多いのです。
それだからこそ
何か飛び抜けた才能の持ち主に出会ったら、
積極的につきあってみると面白い。

その効用はいくつかあります。
まず第一に、つきあっていて愉しい。
「えぇっ!」と驚くようなエピソードがたくさんあります。

第二にきっと役に立つことがあります。
先日も百歳の長寿の老人がテレビで
健康についてコメントしていた。
実に面白かった。
さすがに味わい深い言葉には、
大学教授の難しい講演より、
はるかに感心させられました。

こういうことが、
飛び抜けた才能の持ち主にはしばしばあります。

自分に興味のない分野であっても
いっこうにかまいません。
一芸に秀でた人間は、
必ず奥深い何かをつかんでいるからです。

第三に自分の可能性が広がります。
不思議なもので、
人間は元気のいい人間のそばにいると自分も元気になります。
頭のよい人のそばにいると頭がよくなりますし、
運のよい人のそばにいると自分も運がよくなります。

これは一種の波動の影響ではないかと思いますが、
とにかく強い何かの持ち主とつきあうと、
その影響を受けるのです。

すぐれた能力の持ち主というのは、
どんな人からでも学べる特技をもっています。

そういう人とつきあえたということは、
向こうも必ずあなたから何かを学びとることは
まちがいはありません。
だから遠慮せずに積極的につきあってみるといいでしょう。


五感を意識すれば感動は深くなる

2014-10-10 06:32:24 | Weblog
人には五感があります。
視覚、聴覚、唄覚、味覚、触覚です。

これは生きるためには必要なものですが、
眼鏡、補聴器、クーラー、テレビなど
文明を創造できる人間は、
五感の代用品を次々と発明して活用する一方で、
自然に備わっている五感をどんどん摩滅させてきたようだ。

それがいま、
来るところまで来た気がします。

たとえば人の話を聞いて「何となく臭い」と感じるとか、
人の容貌や仕草から出てくる味といったものへの感覚が
鈍くなっているのです。

味覚は料理の味ばかりではありません。
味覚をもつから「味わい」が理解でき、
喚覚をもつから「匂い」を察知することができます。

触覚があるから、
柔肌にもゾクゾクするのです。

そういう形で五感をフル活用すると、
人生が生き生きしてくるはずです。

ヘレン・ケラーの伝記を読まれた方が多いと思います。
聴覚と視覚を失った彼女は触覚によって物質を覚えていきました。
水に触れることで水という物質を知り、
それがW AT ERであることをてのひらの触覚で記憶していったのす。

喚覚と触覚によっても
世界を立派に認知できるのです。

大部分の人たちは五感を十分に活用しているとは
いえないのではないでしょうか。

もっと五感を働かせるようにすれば、
いま見えないものが見え、
感じられないものが感じられ、
味わえないものが味わえ、
匂わないものが匂うようになるはずです。

五感を意識すれば
今までみえなかった感動は深くなります。


人は好きなことをやるために生まれてきた

2014-10-09 06:27:38 | Weblog
毎日が実に忙しい。
毎日押し寄せてくることをこなしているうちに、
いつの間にか年をとっていきます。
ときどきそんな自分を振り返り
「いったい何をやっているのか」と
疑問を感じることもあります。

「人間一生まことにわずかのことなり。好いたことをして暮すべきなり」
「武士道とは死ぬことと見つけたり」
という言葉もあります。
私はこの言葉にこそ人間が生まれてきた真の目的を感じます。

好きなことをして暮す。
こんな愉しいことはありません。
だが「望んでもなかなかできないのが現実だ」と感じる人が多いようです。

しかしよく考えてみると、
ほとんどの人は、
自分の好きなことにひたむきに向かっていないのではないでしょうか。
さらに自分が何が好きなのかさえ分かっていないような気がします。

社会に出て仕事仕事で追われていると、
いつしか社会を動かす部品のような存在になって、
自分というものがどこかへ行ってしまいます。
自分を見失っては生きている甲斐がありません。

こんな話もあります。
ある成功した社長が医師のところへ行くようになりました。
別段悪いところもなさそうです。
「何が心配ですか?」と尋ねると
「先生、私くらい不幸な人間はいない」
「私はあなたがうらやましい」と愚痴をこぼしました。

体も悪いところもなく、
会社も事業も順調で見通しもいっぱいあります。
お金もざくざく入ってきます。
もう働かなくても使い切れないほどの財産があります。

世間のほとんどの人が
「そんな身分になってみたいものだ」とうらやむほどです。

しかし、
この人は自分の事業が好きでないのです。
実はこの人は下水処理の仕事をしていました。
好きなことだったらうんざりなどしないだろうが、
好きではないので、
うまくいけばいくほど自己矛盾を感じるようになってきました。

なまじ成功してしまっただけに
心の亀裂は一層深くなりました。

ではどうしたらいいのか。
「いまの仕事を見直して自分の好きなことをすればいい。」
とその医者は助言しました。
サラリーマンは定年という自動機がありますが、
定年以後は絶対に
「好きなこと」をして暮したいと思いませんか?