テレキャス&ストラトの部屋

RolandのGT-001とzoomMS-50GでDAW制作を楽しんでいるよ

自分はギターに向いているのか?

2024年07月14日 | 楽器
自分はギターに向いているのか?

ギター弾きならば誰でも一度は考えたことがあると思う

練習の過程で挫折した時に思うことも多いと思う

ちなみに私は数え切れないほど悩んだ経験がある

それでもギターが好きだという自分に気づいたのだ

ギターとの相性は目的によって変わってくると思う

上達を目的や目標にしている場合、一定期間の練習で上達が見込めないならば潔くギターを諦めた方が良い気がする

残念ながら、楽器や音楽が性格や体質に合っていない人がいる

センスの類いは努力ではどうにもならない

機械のようなスケール練習を繰り返したところでそれは音楽にはならない

速弾きに憧れてギターを始めた人が最初に感じる挫折なのだ

それなりに速く弾けるようになったのに何故だかモヤモヤする

私にもそんな経験があるのだ

とにかく速さを最優先に考えていた時期がある

ギターへ技術の上達を求めない人も多い

「俺は上手くならなくてもいいんだよね」

意外に思えるがそんな人は多いように感じる

私の知り合いにもそんなタイプが多い

ギター(周辺機材含む)を持っているだけで満足だという

転売を目的としたコレクターでもない

純粋にギターが好きなのだ

もっと言うならば・・

ギターを眺めていることが好きだという

乗らない車を磨いて楽しむ人にも似ている

私は他人の趣味や趣向を非難するつもりはない

私とは異なる人種であるという事実は否めない

私はとにかくギターが弾きたい人なのだ

自分でも呆れるくらいに空き時間はギターと戯れている

そこに義務感は存在しない

「練習しなくちゃ!」

というような気持ちは微塵もない

とにかく弾きたいのだ

ギターを覚えたての中学生のようなピュアな気持ちで接しているのだ

不思議なことにギターに触れる度に毎度新鮮な気持ちになるのだ

ギターの状態を指先と耳で感じる瞬間は至福の時間なのだ

僅かな変化に気づいてしまう

「ん?何か変だな?」

多くの人が見過ごしてしまう微細なレベルの変化にも気づいてしまう

ネックが反れば弦高も変わる

初心者は別としてそこそこベテランの領域に達したにも関わらずそんな変化に気づかない

そんな人にはギターは向いていない

コンディションの違和感に気づかない人は練習以前の問題だと思う

未だにメジャーなどで弦高などをチェックしている人も微妙

数値はひとつの目安になるが都度弾き心地は変化するもの

ブルースを嗜む私は順反り気味のネックを好むようになった

アコギを多用するようになってさらに高い弦高を好むようになった

個体によって最も鳴るポイントが見えてきた

弾き心地と鳴りのバランスは数値化できない





弦の使用限度に気づけない人もギターに向いていない

弦交換のサイクルは都度変わるもの


極端な話になるがアコギ系のブルースなどではむしろ劣化した弦が都合良い

新品弦が劣化するのを待つことも多い


自分の下手さを弦に八つ当たりする人もギターに向いていない

値段が高い弦=良い弦と勘違いしている人も微妙

私の知り合いに多い

レギュラーバランスの弦が弾きこなせないのにアンバランス弦に手を出す人がいる

プレーン弦は細く、巻き弦が太いという感じ

そんなバランスのゲージを使っているプロの影響だろうか?

ギターは基準が大事なのだ

行き詰まった時にはとにかく標準値にリセットしてみる

弦も普通に手に入るような弦を張ってみることをお勧めする

こんな言い方はアレだが・・

自分がダメだという事に気づく為なのだ

ダメな自分に気づくことが上達への近道

人間は自分がダメだと思うことを嫌う

特にキャリアを重ねるほどにプライドだけが増大する

私の知り合いに多いタイプなのだ

良いギターを押し入れの中で熟成させている

「家族サービスが忙しいからさ」

「ギターなんか弾いてる時間ないよ」

ギターなんか・・

という言葉が私の心に刺さる

そんな人にギターの神様が微笑んでくださるだろうか?

万に一つの奇跡が起こるだろうか?

ギター史に遺るレジェンド達はギターに命を捧げた

ブルースの神であるロバートジョンソンやロックの祖であるジミヘン

どちらも30歳に満たない年齢で亡くなっている

個人的にはそんな部分が心に突き刺さる

どんな思いでギターと接していたのだろうか?

そんな事をイメージしながらギターを抱えることがある

私はギターの為に他の趣味を断捨離した

時間的にも経済的にもすべてを満たすことは無理だと決断した

こんな表現が適切か?は分からないが・・・

ギターに命をかけているのだ

「俺にはギターしかないからな・・」

誰にも言ったことはないがそんな気持ちでギターと接しているのだ

ギターに命をかけるということは貯金を使い果たすほどの高額なギターを買うことではない

自分にとってそれが必要ならば迷わずに買うべき

車一台分だとしても手にいれるべきだと思う

それも一つの決意表明だと思う

とにかく、ギターという趣味や存在に本気の自分を見せるべき

周囲の人間は私をギタークレイジーだと笑う

ギターにクレイジーになれる私を羨ましく思っているように感じる

「そんなにギターを弾いて飽きない?」

なんともひねりがない言葉

ギターに飽きるはずがない

そもそも極めていない人間にとってゴールはまだまだ先

まったくもってゴールは見えない

まぁ、年齢的に自分が最終的にどの辺りに着地するかは見えてきた

しかしながら、まだまだ諦めていない

ギターという楽器の可能性に惹かれているのだ

先にアップした記事でも書いたが・・・

工夫をすればアコギ一本でもジェフベックの楽曲のような雰囲気が演出できる

機会があったら音源をアップするつもりなのだ



もう少し、フレーズや構成を練ってみたい

弾く度に最良の響きを探してしまう

もはや、コード名など関係ない

とにかく心地よい響き(時には不協和音)を探している

我ながら探究心の塊だと思う

ギターは応えてくれる

これは間違いない事実なのだ

ギターは値段ではない

という事実に気づいた人はギターが向いている

読者の皆さんは如何だろうか?



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アコギでジェフベック風の曲をつくる

2024年07月14日 | 楽器
読者の皆さん、お久しぶりなのだ

早いもので、もう7月も半ば

歳を重ねるほどに時間経過の早さを感じる

この感じは若者には理解できるないと思う

「時間があるうちに勉強しておいた方が良いよ」

という大昔のアドバイスを懐かしく思い出す

ギターは私にとっては人生の良き相棒


他人に背中を押されることなく唯一続けてきたもの

そういうものが一つでもある私は幸せ者だと思う

胸を張って誇れるものがあるということは自信に繋がるのだ

多忙な合間を縫ってアコギを爪弾くことがある

気がつけばアコギを抱えている自分がいるのだ

おそらく『完結』できるという点が気に入っているのだと思う

エレキはその性質上、他の楽器と絡みたくなってくる

その点においてアコギは独立している感がある

ブルースの世界に踏み込んだ辺りからそんな感覚が強くなってきた

アコギの奏法に『モノトニック奏法』がある

読者の皆さんも一度は耳にしたことがあると思う

親指でベースを刻みながら他の指でメロディ&和音を鳴らす

ギター一本でギターとベースを合奏出来る

古の黒人ブルースマンが編み出した技なのだ

ブルース演奏においては避けては通れない道

各指をバラバラに動かすという動きに慣れるには時間がかかる

しかしながら、その独特の動きに慣れてしまえば世界が広がる

所謂、『ソロギター』というジャンルの奏法はすべてこの弾き方の応用なのだ

親指でベースを鳴らすという部分がキモになる

ピック弾きがメインのエレキ弾きが最も苦手な奏法


ギターを長く続けていくと指で弾きたくなるケースが多々ある

アコギからエレキに転向した人にとっては簡単なのだ

読者のみなさんは如何だろうか?

苦手意識は早い段階でクリアしておくと後が楽になる

そして楽しくなってくる

食わず嫌いや苦手意識は自分を苦しめることになる

ギターに飽きてしまう原因になることも多い

ブログのタイトルにもあるが私はジェフベックが大好きなのだ

どんな経緯で聴き始めたのか?

『三大ギタリスト』の一人であるという部分が大きいと思う

当時はジェフベックを聴いているだけで一目置かれた

少し大人になった気がしたのを覚えている

「ジェフベックってどんな感じ?」

読者の皆さんはどんな曲をイメージするだろうか?

良い意味でロック系からジャズ系まで統一感が薄い気がする

理由は簡単なのだ

氏の曲は他人から提供された曲が多いということ

ジミーペイジやエリッククラプトンと大きく異なる点なのだ

特にペイジ師匠は楽曲の大半を氏が作曲している

年代や所属のレーベルで楽曲の雰囲気が変わるがある種の統一感を感じる

クラプトンも同じくヒット曲の大半を氏が作曲している

ブルースに傾倒している氏はブルースのコピー曲も多いが楽曲のアレンジは氏が自ら行うことが多い

良い意味でフレーズの手癖にある種の傾向が見られる

『クラプトン風』は意外に表現がし易い

興味ある方はYouTubeなどで検索してみていただきたい

多くの研究家がらしい動画をアップしているのだ

一方、ジェフベックには『ジェフベック風』という概念がない

先に述べたように時にハードなロックを演奏したかと思えばエスニックな和音を奏でることもある

何がジェフベックなのか?

非常に表現が難しい

もちろん、氏が好むスケールというものは存在するがそれだけで完結しない

ギタリストとしての立ち位置も関係していると思う

他の二人は歌の伴奏という立ち位置なのだ

クリーム期のクラプトンにしてもツェッペリンのペイジ師匠にしても歌ありき

一方でジェフベックはほとんどバッキングを弾かない

常にギターでメロディを奏でるリードスタイルなのだ

それ故にジェフベックの曲の伴奏がイメージできない

クラプトンやペイジ師匠には耳に残るバッキングのフレーズが多々ある

仮にジェフベックの楽曲の伴奏部分を聴かせても何を弾いているのか分からない

相当のジェフベックのファンでもない限り耳に残らない

良い意味でそれが味になっている

とてもギターで弾いているとは思えない浮遊感が氏の魅力でもある

若い頃にピックを使っていた氏はある年代から指で弾くようになった

表現力を増すという理由があると耳にしたことがある

強弱という点でもピックよりも有利になる

時にアコギのように複音を鳴らすことも出来る

先に述べたようにジェフベック風は一通りではないのだ

ちなみに私は運転中はインスト系を聴くことが多い

運転に集中できるように感じる

歌物は歌詞が邪魔する

他の人は知らないが私はそんな感じなのだ

ジェフベックやスティーブヴァイ、ラリーカールトンなどを聴くことが多い

特にジェフベックの楽曲が飽きることなく聴き続けられる

運転中の私のツボにハマる

とにかく順不同でジェフベックを聴き倒すのだ

人間とは不思議なもので観たものや聴いたものが自然に体に染みてくる

「ん? なんかジェフベックみたいな感じだな」

素人の勘違いなどそんなものなのだ

趣味のギターなど自己満足の極みなのだ

自分が楽しければ良いのだと思う

アコギを抱え、それっぽいベースラインを弾いてみる

ベースラインを鳴らしながらそれっぽい和音を創造してみる

自分の耳と感覚だけが頼りなのだ

アホな私はそんな弾き方を延々と繰り返す

時間が許す限り弾き倒す

あら不思議、ダラダラ弾きの中から起承転結が生まれてくる

「これってイントロに使えるかな?」

特に意識はしていないが曲が生まれるのだ

以前のように積極的に録音してネットにアップする気力はないがコツコツと曲を創っているのだ

曲が生まれているのだ

誰の為ではなない自分が楽しむ為なのだ

ピックアップを取り付けたことでギターが生まれ変わった



エレキ弾きには日常のピックアップもアコギにはイレギュラー

生鳴り重視の人は未だにピックアップを嫌う

これも考え方だと思う

良い音や好みの音でギターを鳴らしたいというのは山々だが

むしろ私はその先にある遊びや楽しみ方に重きを置いている

面白くない趣味など続ける意味もない

ピックアップを取り付けたことでエフェクターが使える


遊んでいたエフェクターの有効活用ができる

使用頻度が高くなれば、愛着が湧いてくる

より一層使いやすいギターに改造したくなってくる


ペグを交換したことも無駄遣いになっていない

チューニングが安定すれば、余計な気遣いが減るのだ

ギターとの良い関係が生まれる

合板のアコギも弾き込むことで変化が起きる

「自分のことを合板アコギだと思っていないかも?」


と思えることが多々ある

弾き込むからこそ弦交換の意味を感じられる


呆れるほどに弾き倒すことで劣化した弦と新品弦の違いを感じる


結局のところ、ギターは弾いてナンボ

弾かなければ何も生まれない、何も変わらない

弾けば何かが生まれるのだ


先日、こんなエピソードがあった

知合いの前でジェフベック風の曲を弾いてみた

ジェフベックのコピーではない

あくまでも私の解釈のジェフベック風

「それってジェフベックの曲なの?」

私は非常に嬉しかったのだ

「そんな風に聞こえる?」

「ジェフベック風だよ」

オリジナルで作った曲が他人の耳にも響いた

ギターを弾いている醍醐味でもある

自己満足と他人からの評価の絶妙な塩梅で成り立っているのだ😊 






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