自分はギターに向いているのか?
ギター弾きならば誰でも一度は考えたことがあると思う
練習の過程で挫折した時に思うことも多いと思う
ちなみに私は数え切れないほど悩んだ経験がある
それでもギターが好きだという自分に気づいたのだ
ギターとの相性は目的によって変わってくると思う
上達を目的や目標にしている場合、一定期間の練習で上達が見込めないならば潔くギターを諦めた方が良い気がする
残念ながら、楽器や音楽が性格や体質に合っていない人がいる
センスの類いは努力ではどうにもならない
機械のようなスケール練習を繰り返したところでそれは音楽にはならない
速弾きに憧れてギターを始めた人が最初に感じる挫折なのだ
それなりに速く弾けるようになったのに何故だかモヤモヤする
私にもそんな経験があるのだ
とにかく速さを最優先に考えていた時期がある
ギターへ技術の上達を求めない人も多い
「俺は上手くならなくてもいいんだよね」
意外に思えるがそんな人は多いように感じる
私の知り合いにもそんなタイプが多い
ギター(周辺機材含む)を持っているだけで満足だという
転売を目的としたコレクターでもない
純粋にギターが好きなのだ
もっと言うならば・・
ギターを眺めていることが好きだという
乗らない車を磨いて楽しむ人にも似ている
私は他人の趣味や趣向を非難するつもりはない
私とは異なる人種であるという事実は否めない
私はとにかくギターが弾きたい人なのだ
自分でも呆れるくらいに空き時間はギターと戯れている
そこに義務感は存在しない
「練習しなくちゃ!」
というような気持ちは微塵もない
とにかく弾きたいのだ
ギターを覚えたての中学生のようなピュアな気持ちで接しているのだ
不思議なことにギターに触れる度に毎度新鮮な気持ちになるのだ
ギターの状態を指先と耳で感じる瞬間は至福の時間なのだ
僅かな変化に気づいてしまう
「ん?何か変だな?」
多くの人が見過ごしてしまう微細なレベルの変化にも気づいてしまう
ネックが反れば弦高も変わる
初心者は別としてそこそこベテランの領域に達したにも関わらずそんな変化に気づかない
そんな人にはギターは向いていない
コンディションの違和感に気づかない人は練習以前の問題だと思う
未だにメジャーなどで弦高などをチェックしている人も微妙
数値はひとつの目安になるが都度弾き心地は変化するもの
ブルースを嗜む私は順反り気味のネックを好むようになった
アコギを多用するようになってさらに高い弦高を好むようになった
個体によって最も鳴るポイントが見えてきた
弾き心地と鳴りのバランスは数値化できない
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弦の使用限度に気づけない人もギターに向いていない
弦交換のサイクルは都度変わるもの
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極端な話になるがアコギ系のブルースなどではむしろ劣化した弦が都合良い
新品弦が劣化するのを待つことも多い
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自分の下手さを弦に八つ当たりする人もギターに向いていない
値段が高い弦=良い弦と勘違いしている人も微妙
私の知り合いに多い
レギュラーバランスの弦が弾きこなせないのにアンバランス弦に手を出す人がいる
プレーン弦は細く、巻き弦が太いという感じ
そんなバランスのゲージを使っているプロの影響だろうか?
ギターは基準が大事なのだ
行き詰まった時にはとにかく標準値にリセットしてみる
弦も普通に手に入るような弦を張ってみることをお勧めする
こんな言い方はアレだが・・
自分がダメだという事に気づく為なのだ
ダメな自分に気づくことが上達への近道
人間は自分がダメだと思うことを嫌う
特にキャリアを重ねるほどにプライドだけが増大する
私の知り合いに多いタイプなのだ
良いギターを押し入れの中で熟成させている
「家族サービスが忙しいからさ」
「ギターなんか弾いてる時間ないよ」
ギターなんか・・
という言葉が私の心に刺さる
そんな人にギターの神様が微笑んでくださるだろうか?
万に一つの奇跡が起こるだろうか?
ギター史に遺るレジェンド達はギターに命を捧げた
ブルースの神であるロバートジョンソンやロックの祖であるジミヘン
どちらも30歳に満たない年齢で亡くなっている
個人的にはそんな部分が心に突き刺さる
どんな思いでギターと接していたのだろうか?
そんな事をイメージしながらギターを抱えることがある
私はギターの為に他の趣味を断捨離した
時間的にも経済的にもすべてを満たすことは無理だと決断した
こんな表現が適切か?は分からないが・・・
ギターに命をかけているのだ
「俺にはギターしかないからな・・」
誰にも言ったことはないがそんな気持ちでギターと接しているのだ
ギターに命をかけるということは貯金を使い果たすほどの高額なギターを買うことではない
自分にとってそれが必要ならば迷わずに買うべき
車一台分だとしても手にいれるべきだと思う
それも一つの決意表明だと思う
とにかく、ギターという趣味や存在に本気の自分を見せるべき
周囲の人間は私をギタークレイジーだと笑う
ギターにクレイジーになれる私を羨ましく思っているように感じる
「そんなにギターを弾いて飽きない?」
なんともひねりがない言葉
ギターに飽きるはずがない
そもそも極めていない人間にとってゴールはまだまだ先
まったくもってゴールは見えない
まぁ、年齢的に自分が最終的にどの辺りに着地するかは見えてきた
しかしながら、まだまだ諦めていない
ギターという楽器の可能性に惹かれているのだ
先にアップした記事でも書いたが・・・
工夫をすればアコギ一本でもジェフベックの楽曲のような雰囲気が演出できる
機会があったら音源をアップするつもりなのだ
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もう少し、フレーズや構成を練ってみたい
弾く度に最良の響きを探してしまう
もはや、コード名など関係ない
とにかく心地よい響き(時には不協和音)を探している
我ながら探究心の塊だと思う
ギターは応えてくれる
これは間違いない事実なのだ
ギターは値段ではない
という事実に気づいた人はギターが向いている
読者の皆さんは如何だろうか?