ここ最近は色々と考えることが多くなった
年齢を重ねることで環境が変化する
環境が変化することで連動して変わることも多い事を知った
頭では分かっているようでも実際にそれを体験しないと分からないことも多い
抽象的な表現だがそれがここ最近の私の気持ちなのだ
長い人生には色々とあった
それでもダラダラとギターだけは続けてきた
ギターを弾かない時期もあったが止める理由は見つからない
適度な本数のギターは邪魔にはならない
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弾かないギターの弦が劣化したところで特に問題はない
放置したギターのコンディションが狂ったならば、気が向いた時に調整すれば良い
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買ってしまえば敷居が低い
それがギターなのだ
税金がかかるわけでもなく、特に目立ったランニングコストは生じない
私の知り合いにも押し入れの中で20年近くギターを寝かしている人がいる
結婚して子供が出来て、仕事が忙しくなりギターと疎遠になるケースもある
ギターを弾く時間がないということはある意味で幸せなことだと思う
遣るべき事や追われる生活があるという証でもある
最近の私は非常に多忙なのだ
お金稼ぎというわけでない
雑務に追われる日々なのだ
毎日、優雅にギターを爪弾いていた日々を懐かしく思い出す
暇を持て余してギターを弾き倒す日々が良いのか?
ギターを弾く時間がないほど多忙な生活が良いのか?
正直なところ、良く分からないというのが答えなのだ
当ブログも巣籠もり需要がピークの時期には訪問者数が1日に3,000人超えということも多々あった
まぁ、ほとんどの人が外出を自粛していたのだ
ギターを弾く人も暇を持て余してネット三昧だったのだと思う
当時の私はそれを維持する為に必至に毎日ブログを更新していた
振り返ればアホ臭い・・
それから安定期には入り訪問者数は2,000人超えで安定していたのだ
ここ最近は諸事情から更新が滞ることも多くなった
訪問者数が減少するのは想定内だった
「まぁ、訪問者数が100人くらいになってもいいかなぁ・・」
何となく気が抜けた状態だった
肩の荷が下りたという感じなのだ
がむしゃらに走り続けてきた現役からの引退という気分にも似ていた
読者の皆さんのお陰で良い夢をみさせてもらった気がする
何週間もブログを放置して久しぶりにチェックしてみて驚いた
放置しているにも関わらず、連日訪問者数が1,000人を超えているのだ
過去と比較すれば大幅なダウンだが相対的にみれば優秀だと思う
ブログを始めた頃のことを思い出す
もう10年以上前のことなのだ
「ブログ始めたんですか?」
「1日の訪問者数はどのくらいですか?」
行きつけの楽器店の店員さんとのやり取りを思い出す
「1日に200人くらい来てくれるよ」
店員さんの目が点になっていたのだ
「えっ? 数ヶ月で200人ですか?」
それがブログとしてそこそこ良い数字であることを後に知ったのだ
気合いを入れてギターブログを始めるも訪問者数が伸び悩みブログを止めてしまう人も少なくないという
そもそも、毎日更新は思うほど簡単ではない
特にギターというネタに絞った話になれば尚更なのだ
読者の皆さんは如何だろうか?
毎日にギターに触れていて変わった出来事があるだろうか?
友達や家族などに話したくなるようなトピックがあるだろうか?
それこそがギターブログの難しい部分なのだ
それでも訪問者数が伸びているならば頑張れる
「こんなに頑張って投稿しているのに・・・」
「昨日なんか10人しか来てくれなかったよ」
心が折れてしまうのだ
普通の神経の人では心が折れてしまうのだ
意気消沈してしまうのだ
ギターブログを続けていくことが精神衛生上にとって負荷になる
楽しむ為のブログが自分を苦しめる結果になる
ブログの為に好きだったギターが段々嫌いになっていく
余計なことに首を突っ込んだことによる末路なのだ
これも良くある話なのだ
行きつけの楽器屋さんの店員さんがブログを止めたのもそんな理由らしい
「バンド活動の告知とかしてたんですよ」
「コメントも少ないし無反応だし最悪です」
「なんかやる気が失せてしまったんですよ」
私がブログを始めた頃の話なのだ
面白い偶然なのだ
ブログの苦汁を舐めた人とブログの楽しさを知り始めた人間が同じ空間を共有しているのだ
当ブログも訪問者数が減ったとしても止める気はないのだ
先ににも述べたようにピークは過ぎた気がする
私の中では現役バリバリではないのだ
逆に肩の力が抜けたことでより本音で語れるようになった
特にメンテの予定もないのに無理やりにメンテ記事を投稿したこともあった
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”ブログを書く為のメンテ・・”
本末転倒なのだ
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ここ最近の私は弦交換をサボっているのだ
上手く言えないが・・
新品弦に対する欲求が薄れているのだ
「古い弦でも問題ないかもね・・」
ケチっているわけでもないのだ
自分の気持ちに正直に生きているだけなのだ
最近の弦はそう悪くない
相当に放置してもそこそこ使えるのだ
特にベースの弦など酷いものなのだ
年単位で交換をサボっているのだ
前回交換した時期が記憶にない
最低でも1年は交換していない気がする
それでも弾いていて楽しさを感じる
先に投稿したサンプル音源も普通に弾けているのだ
気張りから解放されると気持ちが楽になる
私にとってギターは自転車のような感覚なのだ
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特に放置したとて弾けなくなることはない
練習したところで劇的に上手くならない
練習をサボったところで弾けなくもならない
まぁ、ウクレレなどのブラインド(暗譜で弾く)は練習が必要だが・・
なんちゃってなダラダラ弾きならば、ウクレレもアコギでも何でも弾ける
弾かないと忘れちゃうかも?
弾かないと弾けなくなるかも?
面白いことにそれはないのだ
人間は経験を記憶する
一度頑張って弾けた曲は少し練習すれば、また弾けるようになる
私にとってはジミヘンの『リトルウイング』のイントロや
ランディローズの『DEE』なのがそれにあたる
それ以外にもこの十年でかなりの曲をコピーした
音源をとして保存済みなのだ
それで良い気がしてきた
私の最大の自慢はラリーカールトンの『Room 335』の完コピなのだ
完コピに約1ヶ月を要した難曲だった
今はまったく弾けない
「あの頃は頑張っていたよなぁ・・」
頑張っていた時期を懐かしく振り返るのも楽し
達成感は自信に繋がるのだ
”遣った気になって何もしていない・・”
ギター以外の場面でも良くあると思う
有言実行は言うほど簡単ではない
人間は何かと言い訳をして難題を避ける動物なのだ
仕事ならば頑張れる人も趣味のギターを軽んじる
まぁ、気持ちは分かるのだ
「あいつ何で上手くなったんだろ?」
ギターも勉強と同じなのだ
上手くなった人は影で努力をしているのだ
一晩寝て起きたらギターが上手くなっている薬などない
指先を傷めることなく、ギターが上手くなることはない
「あいつって何でギターの音がイイんだろ?」
ギターでもエフェクターでもアンプでもない
ギターの音の大半を決めるのは指先なのだ
フレットを押さえる側の指と弦を弾く側の指のコンビネーション
これに尽きる
そこに理屈や理由はない
趣味のギターなれど、頑張った成果は如実に表れる
何かの縁でギターという趣味と出会ったのだ
ただ、ギターを買っただけで満足してしまうのは少々寂しい
弾いている自分が萌えるくらいのトーンを出したい
私はそんな事をイメージしてギターと向き合っているのだ
「今の響きって最高だったなぁ・・」
100回一回くらいツボにハマることがある
練習を重ねることで偶然が必然に近づいていくのだ
リズムが不安定なカッティングも練習を重ねることで日常になる
無理だと思っていた速弾きも練習することで日常になる
その為にはギターをもっと好きにならなくてはダメなのだ
「高いギター買わないと気持ちが入らないかな?」
これは間違いなのだ
廉価のギターで気持ちが入らない人はギターを買い換えても同じ
気持ちが入らない原因は他にあることも知るべき
それを教えてくれるの自分自身なのだ
大人になると自分を注意してくれる人が減る
自分で何でも決められる自由と同時に責任を負うことになる
”たかがギター・・されどギター・・・”
そんな気がしているのだ
ギターは私の人生の邪魔はしない
むしろ、色々な場面で助けてくれた気がする
ギター個体というよりもギターという存在そのものだった気がする
選択肢が多い時代だが・・
ギターという選択は間違っていないと思う
それを確信と自信に変えるのは自分自身なのだ
ちょっとカッコつけてしまったが・・
本音なのだ😋