テレキャス&ストラトの部屋

RolandのGT-001とzoomMS-50GでDAW制作を楽しんでいるよ

クラシックギターで沖仁風に弾いてみた

2019年01月31日 | 日記

早いもので1月も終わりなのだ

最終日に音源をお届けできることを嬉しく思う

 

すっかりクラシックギターの魅力にハマっているのだ

弾き込むことで音が変化している

ここ最近の乾燥も影響しているような気がする

 

良い意味で音が乾いているのだ

音に『色気』が加わっているような気がしている

弾いていてとても気持ちが良い

エモーショナルな感情が湧き上がってくるような気がするのだ

 

大人しいクラシックはとりあえず、一段落なのだ

クラシックのジャンルに『フラメンコ』があるのだ

私も良く分からないが・・

日本を代表する若きフラメンコ奏者の沖仁氏をご存じだろうか?

 

厳密二はクラシックギターとフラメンコギターは異なるという

重厚な音のクラシックに対し、フラメンコは乾いた明るい音という棲み分けがあるようだ

調べてみると使用する材も異なるようだ

 

まぁ、私の場合は

”なんちゃってフラメンコ・・”

雰囲気だけなのだ

クラシックにもスケールのようなものがあることを発見?したのだ

何となく指板上を行ったり来たりしているうちにある種の『法則』に気づいたのだ

 

 


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クリップチューナーの進化

2019年01月29日 | 日記

地味なギター業界だが・・

それでも確実に『進化』しているように感じる

 

読者の皆さんはクリップチューナーをお持ちだろうか?

アコギ系御用達・・

というイメージがあるがエレキにもベースにも使える

弦の振動をキャッチするので音量は関係ないのだ

エレキの小さな生鳴りでもチューニングできる

 

自宅練習などでは常にヘッドに取り付けておくのも良いと思う

「あれ?少し音程が狂ってるかな?」

という時に便利なのだ

 

5弦の開放を軸に自身でチューニングを合わせてみるとよい

「これでいいかな?」

という状態でチューナーを起動させてみる

 

多くの場合、相当に狂っているはずなのだ

人間の耳や感覚など曖昧なものなのだ

 

こんな地味な訓練がやがて実を結ぶ

 

私がギターを始めた時代はチューナーなど無かった

音叉という金属がていが定番だった

 

今でもピアノなどの調律士はこれで仕事をしているのだ

耳と指先勝負のシビアな職業だという

ピアノの広義な意味では弦楽器なのだ

弦が伸びるのだ

 

チューナーが一般向けに発売された頃は高額だった

学生が手を出せる金額ではなかった気がする

しかも、精度も悪かったようだ

 

最近は1,000円前後のチューナーでも十分に使えるレベルになった

一個は持っておいても損はない気がする

先に述べたように『耳の訓練』に使ってもよいと思う

 

先日、二回目の電池交換を行ったのだ

コンビニでもボタン電池が買えるので便利なのだ

車の鍵や電卓などもボタン電池を使用することが多くなった

「こんなに種類があるの?」

大小見慣れない形の電池に少し驚いた

近所のコンビニでも10種類くらい並んでいた

 

過去に色々なチューナーを試してみた

画面を動かすと起動するタイプもあった

 

結局のところ、シンプルな形に辿り着いた

一つだけいる事がある

本体と画面の接続部分は丈夫なタイプを選んだ方がよい

 

『細い首』のタイプは移動中に壊れることも多い

すべてを試したわけではないが・・

私の中では壊れやすいイメージなのだ

 

電源もシンプルにボタンを長押しするタイプが良いと思う

自動電源Offなども機能も私には不要なのだ

 

自宅でも良く使う

外出時も必ず持参するのだ

 

余談だが・・

クラシック弦に興味が出てきたのだ

正直、知識は皆無なのだ

鉄弦アコギやエレキなどの弦選びとは少し異なるようだ

現在は少しローテンションの弦を張っているのだ

テンションが緩い方が低音の響きが良いという情報を得たのだ

 

高音のキラキラ感と低音の重厚感を両立させることは難しいようだ

指弾き、トレモロ奏法、フラメンコスタイルetc・・

さらにスケールなどに応じて弦を使い分ける人も多いようだ

 

鉄弦アコギとエレキで少しばかりギターを知った気になっていたが・・

ノックアウトされたのだ

録り音もなかなか納得できない

「クラシックって強弱の音楽なんだよね」

「大袈裟なくらいに抑揚をつけた方がいいよ」

とクラシックのベテラン奏者に教えてもらったのだ

 

この年齢なっても学ぶべきことがある事を幸せに思う

「俺はベテランだぜ~ 上手いだろ!?」

という自画自賛なおじさんを大勢知っている

 

人間は一生勉強なのだ

ギターも一緒だと思う

 

 

 

 

 

 


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真冬のギターは辛いよね

2019年01月28日 | 日記

昨日は今年4回目の訪問者数2,000人超えだった

読者の皆さんに感謝したい!

一見すると数字ばかりを気にしているように映るが・・

私は読者に『質』を求めていることを付け加えてお伝えしておきたい

ギターを理解できない人にいくら力説したところで意味がない

暖簾に腕押し・・

では苦労の価値もない

 

あっちこっちに気持ちが散漫な読者は結局のところ何も得られない

情報化の時代ではあるが・・

時に『狙い撃ち』することも大事

買い物のしても底値をチェックするよりも決まったショップで買い求める方が良いことも多い

「僕が欲しいの無いんだよね・・」

という場合にのみ他社のサイトをチェックする方法も良い

 

”リアル楽器店で実物をチェックしてネットで買う・・”

 

人としてのモラルが問われる

 

話は変わるが・・

今回は一枚目に『貼るホカロン』をアップしてみた

 

これは本当にお勧めなのだ

貼らないホカロンは内剤が偏ってしまうのだ

手で握りしめる・・という使い方には良いと思う

一方の貼るタイプは薄型なのだ

お勧めの使い方は『背骨』の上なのだ

腰でも首後ろ(背中の近く)

とにかく脊髄を意識して貼ってみるのだ

全身の血液が行ったり来たりしている場所なのだ

想像以上に効果的なのだ

 

靴下に貼るタイプも自転車乗りにはお勧めしたい

通勤や通学で乗る時間が長い場合には良いと思う

金銭的な意味からも『要所』をおさえる事が大事だと思う

ギターの練習と同じなのだ

ベタベタと貼ってもお金ばかりかかってしまう

 

極寒の早朝散歩も快適なのだ

 

さらにもう一つ・・

今年は本当に雨が少ない

心配になってしまう

楽器にとって湿度管理は重要なのだ

クラシック専門店などでは高価なギターはガラスの湿度管理ケースで保管している

まぁ、個人には参考にならない

お勧めは優良な湿度シートなのだ

 

これも類似品が多い

信頼できる楽器店での購入をお勧めしたい

元々はやはり湿度を嫌う管楽器向けに作られた製品らしい

ウクレレにはこのサイズなのだ

 

以前にもご紹介したが・・

エレキ用にも他社のシートを愛用している

効果のほどは実感できないが・・

 

”不具合がない・・”

ということが効果だと受け止める

 

この時期はアコギ系は表板が割れる(こともある)

検索してみていただきたい

楽器店でも出入り口の付近に置かれたギターは過酷なのだ

高価なギターが奥に置かれている理由なのだ

昨日、紹介したリッターバッグの製品名を書き忘れたのだ
RGP2-C BRDなのだ
実はサイズ違いや仕様違いがいくつかあるようだ
ミニサイズ用の方が値段が高いのだ
子供用のシューズの値段が意外に高い理由と似ているのだ
「生地が少ないから安いんじゃねぇ!?」
ではないようだ

すでに生産が完了しているエレキ用
 
 
類似の後継はいくらでも手に入る
これと同型は貴重なのだ
まぁ、欲しい人にとって・・という限定付き

ベース用のギグバッグなのだ
 
可も無く不可も無くといった感じなのだ
ベース用は本当にヘッド部分の衝突に注意なのだ
長身の私が背負うとアホのようにヘッド部分が天高くなる

ショルダー部分に金具を使うメーカーも多い
取り外しが出来ることを謳っているのだが・・
精度が悪いストラップは背中が痛い

金具剥き出しの製品は避けた方が良いと思う
過去に何度も失敗しているのだ
そもそもストラップを外す意味がない

バッグ系は背負いが基本
それを目的に購入しているのだ

格好をつけたい
眺めていたい
という場合には迷わずハードケースを選択した方がよい
 

移動も無く
自宅弾きがメインならハードケースがお勧めなのだ
修理が発生した時に次を考えれば良い気がする
 

業者などに依頼する場合にも安心なのだ
修理として預かるギターは読者の一本だけではない
「それじゃ 今回は6本ですね」
という感じで業者は慣れた感じで車に積み込むのだ

安バッグのギターを丁寧に扱う(運搬時)保証はない
まぁ、その辺りはプロなのでお任せしても良い気がするが・・

実は以前にレスポールのヘッド修理(塗装剥離)を依頼した時に
無関係な場所(ボディ下部)に見慣れない打痕がついていた
一カ所ではないのだ
「あれ? こんな傷ってあったかな?」
エイジドやレリックなどの加工が流行始めていた時期なのだ
苦情を言ったところで水掛け論になることは必至なのだ

楽器店に行き難くなる
形ある物を購入した者の宿命なのだ
究極は自動車もギターも自分で修理できればよい
まぁ、あまり現実的な話ではないが・・

良い意味で諦めも肝心なのだ
あまりに細かい事を追い込む人は自身が疲れる

またまた話は変わるが・・
ここ最近はフルスケールのクラギをメインに弾いている
フレット幅は55㎜、スケールは650㎜かなり手強い相手なのだ
さらに弦高は4㎜なのだ
救いは弦のテンションだが・・
生楽器をビビリなく鳴らすのはかなりのテクが必要
エレキの
”バズも音のうち・・”
という発想は通用しない

アコギを習得する意味は左手の鍛錬なのだ
曖昧でいい加減な自分に気づく
柔らかい指、握力がない軟弱な左手に気づく
もちろんアルペジオなどを弾く際の右側の指も鍛えられる
指の力ではない
指の皮膚が強く(厚く)なるのだ

これは非常に重要なのだ
ギター本体で喩えるならば・・
倍くらいの値段のギターに買い換えた印象を受ける

弦も同様
言葉は悪いが・・
下手な人が高級な弦を買ってもあまり意味がない
弦が錆びるという人もギターに向かない
手汗は体質ではない緊張の現れなのだ

適度に脂を持つ指先は弦に自然のコーティングをするのだ
伝わっているだろうか?
錆びるということがない

耳と指で感じる劣化は弦の張力によるものだと受け止めるべき
常に80㎏近い負荷がかかているのだ
鉄弦アコギならばさらに負荷が増す

酸化という人も多いが・・
無いとはいえないがあまり関係ない
そもそも、いまだに紙製のパッケージで販売されている弦もある

とにかく、自身の指を鍛えるメリットは計り知れない
チョーキングの音に色気が増す
1万回くらいスライドをしても指が悲鳴をあげない
結果、ギターが楽しくなる
「アレ? ギターの音が良くなったんじゃねぇ!?」
人間は褒めてもらえば伸びる
さらにそれが異性ならば色々と伸びるのだ
背中を丸めてギターを弾いていてはダメなのだ
もっと目を外に向けるのだ
アグレッシブに攻めるのだ

その為のツールとしてギグバッグが必要になるのだ
特にバンドなど無理に組む必要はない

しかしながら、人前で弾くということは意識した方がよい
迷惑ではない公園などで弾いてみるとよい

いつものプレイの半分弾ければ上出来なのだ
立ち止まる人がチラホラと現れればそれが『成果』なのだ
 

今回購入のバッグには鉄弦アコギも入るのだ

 

絶妙の厚みなのだ

 

こんな感じ・・

 

チャックが全開になるのが良い

 

ヤイリのバッグはもう少しなのだ

「もっと開けば便利なのにね~」

 

まぁ、オマケのバッグに多くを求めてはダメなのだ

 

最近はクラシックばかりで鉄弦を弾いていない

弦交換を怠っているのだ

 

人間は不思議な生き物・・

ミニギターが苦手になってきた

 

 

幅広のネックに手が馴染んでいるのだ

 

 

クラシックに慣れた手にはミニは窮屈に感じる

 

 

まぁ、ど~でもいい話だが・・・

 

ギターの事を考えつつ、ギターに触れている時間が好きなのだ

まさに『至福の時間』なのだ

 

いまさらだが・・

ギターを趣味にして良かったと思う

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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リッターバッグが3枚になった

2019年01月27日 | 日記

実は先日、クラシックギター用のギグバッグを買ったのだ

リッターのバッグなのだ

立派なセミハードケースがあるのだが・・

状況によってはケースが邪魔になることも多々あるのだ

これはエレキのハードケースにもいえる

 

ギターを保護するという点においては100点なのだ

 

間違いがない

 

色々な面からお勧めできるのは軽量なセミハードタイプなのだ

肩にかけることもリックのように背負うことも可能

 

最近は世界中でコピー品が流通している

ギターケースにも類似品が多い

値段で買って後悔する人も多いという

「チャックの滑りが悪いんだよ~失敗した」

店頭にて実物をチェックできるならばまだマシだが・・

一発勝負のネット購入ではそんなことも言っていられない

不具合のクレームは微妙なのだ

意外に少なくない『温度差』

読者もご注意願いたい

やはり本家は『精度』が違う

 

ケースやバッグは精度が大事

格好などは二の次だと思う

 

話をリッターバッグに戻そう

以前にベース用も購入したのだ

 

まぁ、ペラペラ系なのだが・・

安ベースの移動には十分だと感じる

意外に良い作りなのだ

チャックなどの滑りも良い感じなのだ

 

私の中では良い印象なのだ

そんなこんなで今回のクラシック用もそこそこ期待していたのだ

 

結果オーライなのだ

ピッタリなのだ

 

実は思わぬ誤算があった

鉄弦のドレッドも入ってしまうのだ

ネットのレビューでは小型の鉄弦用に購入した人がいたが・・

大型のアコギも入ってしまうことをお伝えしたかった

 

実際のところ、鉄弦用として販売されている同社のバッグの大きさはどんな感じだろう?

おそらくクラシック用の方が小さく作られているはずなのだ

まぁ、買ったわけではないので確かな事は言えないが・・

 

繰り返しになるが・・

クラシック用でも無理なく鉄弦アコギが入ることをお伝えしたかった

このバッグ一枚で二本のアコギを運搬できるのだ

 

すでに生産が完了しているエレキ用のバッグも良い感じなのだ

ネットでは結構レアな商品として人気らしい

 

背負った時にヘッド部分がかなり高い位置にくるのは同社の特徴

背が高い人は気をつけた方が良い

逆に歩いている時には尻に当たることなく快適なのだ

他社の製品にはヘッドの位置を下げる為にかなり低い位置にセットされているバッグもある

これは好みと用途だといえる

外を歩いている時には気にしなくて良い気がする

自宅玄関などはかなり危険なのだ

 

ど~でもいい話だが・・

お伝えしておきたかったのだ

 

買って損はないバッグという事だけは断言できる

 

 

 


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おじさんのレスカスは売れたの?

2019年01月27日 | 日記

私が良く知るおじさんが亡くなって数週間が経過した・・

 

人の一生など思いの外に短いと感じる

明日は我が身・・と身を引き締めて生活しているのだ

 

あえて説明は不要だと思うが・・

おじさんとは行きつけの楽器店の常連客なのだ

 

おじさん愛用の白と黒のレスカスがネットに出品されたのだ

楽器店が奥さんから委託されたのだ

 

楽器の価値が分からない遺族は粗大ゴミとして処分することも多いようだ

知り合いに無料で提供するという流れも多い

実際、価値が分からないヴィンテージがぞんざいな扱いを受ける事も多々あるという

そんな価値あるギターが流通することは希だが・・

そんなギターを格安で手に入れることが出来た人はラッキーだといえる

本当にレアなケースなのだ

 

中古ギターに限っては『美味しい話』に出会う事が希なのだ

見極める目があれば大きく失敗することもない

得することも少ない気がする

 

おじさんのレスカスは所謂レギュラーラインのモデルなのだ

特に特筆すべき点もないギター

こういうギターはマイナス査定で価値が決まるのだ

購入者の多くは『使用感』が気になるようだ

つまりは傷なのだ

そういう部分が気になる人は中古を買うべきではない

中古ギターの多くは妙な癖を持つ

前のオーナーのプレイスタイルが如実に反映される

以前にもお話したが・・

良い具合に調教されたギターが流通することは少ない

少なからず『訳あり』なギターが多い

これは私の個人的な感想なのだ

他の人がどのように感じるかは分からない

 

中古ギターを求める多くの層は『値段』で決める

苦肉の策として出品しているギターの価格を横並びにする業者も少なくない

新品ギターも同じうような流れがチラホラ見られる

 

”値段が高い商品には意味(価値)がある・・”

 

という価値観が皆無なのだ

 

”安物買いの銭失い・・”

新品ギターの販売が低迷する中で右肩上がりのセクションがある

『修理業者』なのだ

現物を見ないでネット購入した人々の駆け込み寺になっている

意外に安くない

購入店での修理はある意味でサービスなのだ

総じて、メーカーが責任を請け負う形が多い

「今回は泣くか・・次回も買って欲しいしね」

 

一方の修理業者はお客さんに対して強きなのだ

多くは『技術料』なのだ

 

フレットなど数千円なのだ

量り売りならばさらに安い

しかしながら、フレットを道具と経験無しで打ち込むことは不可能

 

数万円ほど請求される
作業が面倒なギター(レスポールなど)では5万円を下らない
「もっと安い業者を知ってるぉ~」
という人もいると思うが・・

修理系は『相場』を守った方が間違いない
食べ物、家賃、旅行etc・・
安いものには訳がある

企業努力によるものならば問題はない
爆安のハワイ旅行に行った者がいる
ビーチまで車で数十分というボロアパートに滞在したのだ
トイレもベッドも不衛生なのだ
それでも半額にはならない
世の中は甘くない

私はギターに関しては良くも悪くも知り尽くしているのだ
楽器販売のプロにも友達が多い
プロの声は貴重なのだ

素人のおじさんが上辺の知識だけは物を言うのとは区別したい
「あのね~ 今回は俺の推奨弦のレビューするぉ~」
「えっとね・・ 今回もイイ感じだな イイ音だよ」
「滑りもイイ感じ 弦も特に劣化とか感じないよな」

素人おじさんの根拠無きレビューに価値無しなのだ
行きつけの楽器店にもこういうタイプのおじさんが多々いるのだ

楽器店にとっては『大事なお客さん』なのだ
メーカーなど業界サイドもそんな声を意識しないわけにはいかない
そんな切実な現状があるのだ

何でもかんでもネット発信(書き込む)時代なのだ
それを真に受ける層がいることも事実
ネットの声や動向を無視するわけにはいかない

ど~でもいいような話を放り込み、それに耳を傾ける層がいることも事実
ネットの闇を感じる

少々脱線したが・・
おじさんの白と黒のレスポールは買い手がつかないようだ
実際にネット経由で実物を見に来た人もいたそうだ

おじさんのギターは酷い順反りなのだ
弦高は12フレットで3㎜超えなのだ
ナットの溝切りも酷い
弦落ち必至の難儀なギターなのだ
ピックアップも素人交換の酷い配線なのだ
打痕や小傷はお約束・・
付属のケースも汚れが目立つ
得体が知れない酸っぱい臭いが鼻を突く
所謂、『ギブソン匂』とはほど遠い
おじさんの生活臭が染み込んだギターなのだ

当初、奥さんは粗大ゴミとして搬出する予定だったようだ
亡きおじさんの兄弟のアドバイスで売りに出す流れに至ったようだ

”腐ってもギブソン・・”なのだ

こんな状態のギターでも数万円で取引されるのだ
行きつけの楽器店にはウソがない
フレットの残りもロッドが効かないことも詳細に載せている
出品ギターは微妙だが・・
良店なのだ

中古購入に拘る人は『店探し』から始めた方がよい
中古にアフターを求めてはダメなのだ
弦高やネック、オクターブ調整など
絶対の自信ある人向け
ギターが弾けない人も避けた方がよい

そもそも、ギターが鳴らし切れない人に現状の把握は無理なのだ
 
中古で買ったギターの調整依頼が後を絶たない
10万円で買ったレスポールに15万円(フレット交換など)かけた人を知っている
本人は満足しているようだが・・
私としては微妙なのだ
そもそも、10万円で売りに出されているレスポールの価値が微妙なのだ

中古選びは一筋縄ではいかない
知恵と経験が不可欠なのだ
「遊び用のギター欲しいんだけど・・」
「旅行に持っていくギターってない?」
「改造ベース用のギター探してるんだ」
という場合には最適なのだ

この10年でギターを取り巻く環境が激変した
10年くらい前まではかなりギターに精通した人がネットに参入していた
かなり有用で優良なギターブログも多かった
最近は酷い・・
優良な人達は何処に消えてしまったのか?

最新に発信されるネタはどれも微妙なのだ
一生懸命さは大いに伝わるが・・・

おじさんはレスポール以外にも数本のギターを持っていた
「その他のギターには値段が付きませんね」
「形見にお持ちになっていては如何ですか?」
と楽器店がアドバイスしたのだ

ギターに興味がない奥さんは困惑していたそうだ
「形見ですか? いらないですよ 処分してくださいな」
という事でヤマハ製の古いギターと名も無きブランドのストラトを引き取ったようだ
行きつけの楽器店は正義なのだ

無料で引き取ったギターを再販などしない
「ギター教室の生徒さん用に活用してますよ」
「ギターの先生も懐かしがっていましたよ」
「『これ使ってたよ~懐かしいなぁ』って」

奥さんはレスカスの売却代金にお金を足して自転車を買い換えるそうだ

良い選択だと思う

「骨董品が売れたら海外旅行に行きま~す!」
「リフォームの費用にしようって思ってます」
良くある話なのだ

おじさんのレスカスはいくらで売れるのだろうか?

余談だが・・

生前におじさんが遊びでアップロードしたyoutubeの動画が彷徨っているのだ
私はおじさんを懐かしむようにたま~に訪れてはおじさんの歌声を楽しんでいる

おじさんは私に負けないくらいにギターが好きだった
生前はオリジナルの作曲にも尽力していたようだ

私もおじさんの楽曲を何曲か購入しているのだ

すでに楽器店ではおじさんは『過去の人』なのだ

寂しいが・・
それが現実なのだ

おじさんが私の記憶から消えることはない
余談だが・・
更新が滞ったブログや動画は自然に消滅(削除)されるのだろうか?
もしや、音楽好きな皆さんはおじさんの過去の作品に何処かで出会っているだろうか?
 
私はクラシックギターを爪弾いているとおじさんを思い出す
ナイロン弦の優しくも寂しい響きが記憶を呼び起こす

ギターは単なる道具ではない気がしているのだ

自分が弾いた音色が心に沁みる・・
これはギター弾きとしての究極だといえる

そこを目指しているのだ
私は楽しいからギターを弾いているのだ
体が欲するからギターに触れているのだ

亡くなったおじさんは何かに追われるようにスケール練習に励んでいた
今となっては懐かしい思い出なのだ
「だってさ 練習しね~と下手になるだろ!?」
「指が動かなくなるんじゃねぇ!?神経が死ぬの」
おじさんは日々、加齢と戦っていたようだ

ギターはもっと気楽でよい
速弾きが出来ないなら無理する必要はない

自分が弾けるフレーズを弾けばよい
 
むしろ、大事なことは弾くというモチベーションの維持
生活の中で自然にギターに手が伸びることが理想

現状の私はそんな感じなのだ

その為の工夫がある
ギターは見えるところに置いておく
良いスタンドを購入するのも一考
スタンドにも善し悪しがある

思い切って良い製品を買ってみては如何だろう?

読者の皆さんにお届けする機会は減ったが・・
レスポールもストラトも弾いているのだ
クラギや鉄弦アコギよりは使用頻度は低いが使っているのだ

正直、音源としてお届けする価値がないようなフレーズ集
延々と弾き続けるアルペジオを聴きたいだろうか?
どうもエレキに関しては気持ちが盛り上がってこない

亡きおじさんが悩んでいたように加齢(枯れ)だろうか?
まぁ、ど~でもいい話なのだ

天下のクラプトンやペイジ師匠ですら、エレキが嫌いなった時期がある
ギターを鳴らすのは弾き手なのだ
良いギター&アンプが揃っていてもダメなのだ

若い頃にバンドサウンドに傾倒していた時期がある
鼓膜が破れるような勢いでアンプを鳴らしていた
歪み系の箱も狂ったように買い漁っていた
エネルギーに満ちあふれていた
振り返れば、生活も充実していたような気がする

順風満帆な時代だった
自分が老化することなど考えたこともなかった
公私ともに充実していたのだ
今がダメだというわけではない

繰り返しになるが・・
色々なものが自分の中で満ち溢れていた
良い意味で濃かったのだ

日替わりで彼女を入れ替えてスポーツカーで疾走していた
素人ながらもロックスター気取りだった
我ながら恥ずかしいくらいにアホだった・・

良い時代だった気がする

心身ともに『エレキ』だった

現在の私は人生の秋を迎えている

夏ではないことは間違いない
しかしながら冬というほど冷えてもいない

そんな心持ちがクラシックギターと合致している
キラキラと輝くような時期にクラシックを始める人はどんな心情なのだろう?
単純に音符の配置が心に響くのだろうか?

私は『絃の音』が響いているのだ

高額なクラギに興味はない
現状のギターに満足しているのだ

私に似合っている
10万円のクラギで十分なのだ

クラシックの弦の交換時期が気になる
すでに巻き弦は黒ずんでいる
「ナイロン弦も響かなくなってくるんですよ」
「ピッチも甘くなってきますよ 交換時期です」
という通り一遍な意見を耳にする

弦交換で劇的に伸長するのだろうか?
それも楽しみなところなのだ
チビたタイヤを新品に交換した直後は感動する

意味なく遠出したくなるのだ
自転車のタイヤでも似たような感覚がある

限界まで使ったギター弦はどうだろう?

最近の私は弦交換に興味がない
エレキの弦も張りっぱなしなのだ

成長過程の読者の皆さんにはお勧めできない
皆さんの手本にはならない
先にも述べたように私は秋を迎えたオッサンなのだ

ギターが上手い下手という領域を超えている
喩えは微妙だが・・
ギターと同化しているような気がしている
一心同体なのだ
「安物のギターで偉そうな事言うな!」
という悪口も聞こえてきそうだが・・・

それも良いと思う

良くも悪くも達観しているのだ

亡きおじさんも天国で私を見守ってくれていると思う

目を閉じると亡きおじさんとギターのメロディが湧いてくる
晩年のベートーヴェンは楽器に触れることなく作曲したそうだ
目と耳が相当に悪くなっていたそうだ

私はまだ目と耳は生きている
最近の私はギターを抱えることなく作曲できるようになってきた
頭の中にメロディーと和音が浮かぶのだ

特にクラシック系の曲はそんな感じで生まれる事が多い
クラシックにも指癖やリックがあることを知った
同じ作曲家は同じような曲しか書けない
これはロック出身の私にとっては成果なのだ

重要な『気付き』なのだ

亡きおじさんは色々な事に気づけないままに逝ってしまったのだ
最期までスケール練習に終始していたのだ
レスポールの真のサウンドに気づけぬままに逝ってしまった
まぁ、そんな人はおじさんだけではないが・・・

友人としてとても残念に思う
晩年におじさんが印象的な言葉を残している
「結局、最期はアコギに辿り着くんじゃねぇ!?」
「アコギが上手い奴って何でも弾けるんじゃねぇ!?」
「俺も憧れるのよ でも、弾き方知らね~し今更だわ」
おじさんには亡きお兄さんの遺品であるアコギを捨ててしまった過去がある
「全然弾けね~のよ 頭にきて捨てたわ」
「捨てたっていうより友達に譲ったのな」
「ワウペダルも使いこなせなくて捨てたわ」
辛抱が足らないおじさんなのだ

奥さんも言っていた
「うちの旦那って我慢が出来ない人なんですよ」
「ヘッドフォンも次から次へとムダに買っちゃうし」
「注意すると逆ギレしちゃう困った人・・だったの」

遺品のヘッドフォンも無事に断捨離できたそうだ
レスカスに追金で新しい自転車を購入できれば奥さんも満足なのだ

天国のおじさんも喜んでいると思う

生前からおじさんが口癖のように言っていた
「俺の事なんか誰も気にしてね~からさ」
「ブログ書いても訪問者皆無だしよマジ」
「ネットで曲を売っても閑古鳥鳴いてる」
「結局、俺って何なの? 知らね~けどさ」

おじさん自身が分からないことを他人が知るよしもない

少なくとも私はおじさんを忘れない
おじさんの遺志を尊重したい

おじさんが達成できなかった『ギター道』
を全うしたいと思っているのだ
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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