1990年代初頭からこれまでの約四半世紀、それぞれの階級で印象に残った選手を各階級3人ずつ挙げていっています。記載上のルールは各選手、登場するのは1階級のみ。また、選んだ選手がその階級の実力№1とは限りません。個人的に思い入れのある選手、または印象に残った選手が中心となります。
問題児ジェームス トニー(米)から始まったスーパーミドル級。今回登場するのは同級史上最強の戦士の一人として挙げられるジョー カルザゲ(ウェールズ)になります。
(今回の主人公、英国・ウェールズの誇り ジョー カルザゲ)
スーパーミドル級の歴史は比較的短く、1984年3月に行われたIBF戦が同級初の世界戦となっています。その後WBA初のスーパーミドル級戦が1987年師走に行われ、翌年11月にWBCとWBOが揃って初の同級世界戦を開催。この2つの団体の初代タイトル戦に出場したのはトーマス ハーンズ(米)とシュガー レイ レナード(米)という1980年代を代表する選手たち。しかし実際は、両選手が出場した試合は世界戦として疑問視されるものでした。ハーンズのそれはマイナー団体WBOとWBCの地域団体であるNABF王座統一戦!? レナードのそれは何とWBCライトヘビー級王座とWBC同級王座が同時に争われる反則極まりない建前の世界戦として開催されました。
これまで行われた同級でのタイトル戦は、どの団体より先だってスーパーミドル級の世界王座を認可したIBFの世界戦が89度と最多。WBAが71度、WBOが70度、そしてWBCが67度と続きます。そんな短い歴史を持つスーパーミドル級。今回の主人公カルザゲはそのすべての団体の王座を獲得しており、実力、実績共に同級の代名詞的存在と言って過言ではないでしょう。
カルザゲの通算戦績は46戦全勝32KO(KO率70パーセント)。1997年10月に初の世界王座を獲得したカルザゲですが、それ以前に何度かスーパーミドル級強の体重で試合を行っています。そしてカルザゲの現役生活の最後の年となった2008年。この年に念願のアメリカでの試合を2度行っていますが、その2試合もスーパーミドル級のリミットを上回る体重でリングに登場。しかしそれらの試合以外はすべてスーパーミドル級で試合を行っており、名実ともに同級の第一人者と言っていいでしょうね。
(46戦全勝32KOという輝かしい記録を残したカルザゲ)
1993年11月にプロデビューを果たしているカルザゲ。2008年11月に最終戦を行いました。という事は、カルザゲが現役を退いてから10年経ったという事ですよね。「最近まで現役だったのでは?」と感じることがよくあります。昨年夏にスーパーミドル級のトーナメントが終了していますが、それは同級トーナメント第二弾。カルザゲの後輩になる(あくまで同国出身という事)カラム スミスがこちらもまらカルザゲの同胞であるジョージ グローブスを破り優勝していますね。同級には現在、クリス ユーバンク2世という別の英国出身の強豪選手が君臨中。ちなみにカルザゲが出場した初の世界戦は、ユーバンクの実父シニアと対戦し大差判定勝利を収めています。
そういえば第一回目のスーパーミドル級トーナメントは10年前に始まり、その時はまだまだ新鋭だったアンドレ ワード(米)が優勝。すでにワードも現役から退いていますが、そう考えてみるとカルザゲは随分過去の選手となります。ワードが出場したトーナメントにも強い英国選手が出場していました。カール フロッチ、彼もまた独特のスタイルを持った好選手でしたね。
2度の同級トーナメントはそれぞれ、欧州の選手の活躍が目立ちました。そうなると当然、トーナメントに出場した選手たちとカルザゲを比べて見たくなります。決して贔屓目に見るわけではありませんが、2つのトーナメントに出場したすべての選手とカルザゲを比較してみると、カルザゲが敗れる姿が見えてきません。
1997年11月に、すでに古豪に位置づけられていたユーバンクに勝利しWBO王座を獲得したカルザゲ。世界的な認知度はまだまだでしたが、ひとまず英国内での安定した地位は獲得しました。「さあこれから世界に進出していくぞ」と順風満帆に見えたカルザゲ。同国人で、元WBC王者のロビン リード、リーチホール、米国出身の元IBF王者チャールズ ブリューワーやWBAベルトを腰に巻いていたバイロン ミッチェル等同級の強豪たちに、時には苦戦を強いられながら勝利を重ねていきました。しかし度重なる自身の負傷、それに伴い米国でのデビューの順延が重なり中々正当な評価を勝ち得ることが出来ませんでした。
そんな不運なスーパースター・カルザゲに転換期が訪れたのは2006年3月。プロデビューから12年半、世界タイトルを獲得してから8年半後の事です。その日カルザゲは21勝(17KO)無敗の強打者で、IBF王座を保持していたジェフ レイシー(米)と王座統一戦を行います。拮抗した試合が予想されたその一戦。中には「カルザゲ危うし」の声も聞かれました。
(世界が注目した強打者レイシーとの王座統一戦)
英国のみならず世界が注目した2団体統一スーパーミドル級戦。カルザゲはそれまでのうっ憤を晴らす素晴らしいパフォーマンスを演じます。キャリアの違いと言ってしまえばそれまでなのですが、カルザゲの前に強打のレイシーは何も出来ず。回を重ねるごとにポイント差は老獪なカルザゲに傾いていくばかりで、最終回には留めのダウンを奪ったカルザゲ。カルザゲが失ったポイント(ラウンドではなく)は、レフィリーのブレイク中にカルザゲがライバルを小突いたために科された減点のみ。まさに完封勝利で2つ目のベルトを獲得したカルザゲは、同時にその実力を世界中に知らしめる事にも成功しました。
(レイシーに何もさせなかったカルザゲ)
カルザゲが獲得した王座(獲得した順):
英国スーパーミドル級:1995年10月28日獲得(防衛回数1)
WBOスーパーミドル級:1997年10月11日(21)
IBFスーパーミドル級:2006年3月4日(1)
WBA/WBCスーパーミドル級:2007年11月3日(0)
(スーパーミドル級で4団体のベルトを獲得したカルザゲ)
カルザゲが獲得した王座を載せてみましたが、いかに彼がスーパーミドル級に貢献していたかが分かりますね。カルザゲのタイトル歴で残念な事は、4団体同時統一王座の座に就かなかった事です。WBA/WBC王者だったミッケル ケスラー(デンマーク)と対戦した際、カルザゲはすでにIBF王座を返上。この戦いで争われたのは3つの世界王座のみでした。
(カルザゲのベルト・ファイト、対ケスラーとの王座統一戦)
レイシー戦後、2つの防衛に成功したカルザゲ。同級で残した仕事と言えばレイシー以上の実力者と言われたケスラーとの一騎打ちでした。結果から言えばこの試合も試合巧者ぶりを十二分に発揮したカルザゲが勝利を収め、WBO王座の21度目の防衛に成功。そしてケスラーが保持していたWBAとWBC王座の吸収にも成功しています。しかしこの試合で、ケスラーもキャリア初の黒星を喫したとはいえ評価が落ちることはありませんでした。それだけ両者の実力、試合内容は拮抗し、そして素晴らしい試合を演じてくれました。
持ちうる技術を出し尽くした両者。そんな中で打ち気に逸るケスラーと打ち合い、時にはリラックスして試合ペースを徐々に、徐々にと握っていったカルザゲ。このケスラー戦がカルザゲのペスト・パフォーマンスと言っていいのではないでしょうか。
カルザゲのキャリアで特徴的なのが、そのボクシング・スタイルの変化。世界王座を獲得するまでは即効型のKOパンチャーでした。しかし自身の拳を守るスタイルに変貌していったカルザゲ。彼はオールラウンダーとして名を留めるようになりました。それを怪我の功名とでもいうべきでしょうか、その変化がレイシーやケスラーといった次世代の強豪に勝利を収めることが出来たと言っても言い過ぎではないと思います。
(超強豪ケスラーをも下したカルザゲ)
またカルザゲが世界タイトルを初めて獲得した時、WBOはまだマイナー団体の域を出ていませんでした。1990年代後半から2000年前半にかけて「英国内に閉じこもったマイナー団体の世界王者」としか見られていなかったカルザゲ。彼の名がマスコミに出るようになったのは、ライトヘビー級で王朝を築いていたロイ ジョーンズ(米)にスーパーミドル級再降格の話が出た頃から。確かその時ジョーンズは、「カルザゲもWBOも、もっと評価されるべきだ」のようなコメントを残しています。結局カルザゲとジョーンズが拳を交えたのは2008年11月。その戦いはライトヘビー級の無冠戦として行われています。そういえばジョーンズ、WBOのベルトを腰に巻くことはありませんでしたね。
2008年にその全勝キャリアを終えることとなったカルザゲ。その年にようやく米国のリングで試合を行うことが出来ました。4月にラスベガスでバーナード ホプキンス(米)と、そして11月にニューヨークでジョーンズ(米)と拳を交えたカルザゲ。歴史に残る両偉人からそれぞれ初回にダウンを喫してしまったカルザゲですが、そこから精神的強さと手数で逆転勝利を収めることに成功しています。時には反則スレスレのいやらしいボクシングを展開するホプキンスも、まだまだ超人性を失っていなかったジョーンズも、カルザゲの回転力の落ちないボクシングにはお手上げでした。
(ホプキンス、ジョーンズを破りそのキャリアを締めたカルザゲ)
カルザゲは同級で4つのベルトを獲得し、WBO王座の21連続防衛に成功。本場アメリカのリングでスーパースターとも拳を交え、全勝のまま引退しました。カルザゲより数年先輩に先輩にあたる元IBF/WBA同級王者スペン オットケ(独)も、カルザゲと同様に世界王座(IBF)の21連続防衛に成功し、34戦全勝(6KO)という記録を残しリングから去っています。見てみたかったですね、「カルザゲ対オットケ」という同級を代表する無敗世界王者同士の対戦を。
カルザゲが残した記録は46戦全勝、世界タイトル21連続防衛という凄まじいもの。あと少し頑張れば、ロッキー マルシアノ(米)の49戦全勝記録と、ジョー ルイス(米)が築いた25連続防衛を破ることも可能だったと思うのですが。
(カルザゲ同様、世界王座を21度防衛し、全勝のまま引退したオットケ。カルザゲと対戦する姿が見たかったです)
現在は名トレーナーで、実父のエンゾを支えながら、故郷で家族とともに静かに暮らしているカルザゲ。現役からの引き際と同様、理想的な引退生活を送っているようです。
問題児ジェームス トニー(米)から始まったスーパーミドル級。今回登場するのは同級史上最強の戦士の一人として挙げられるジョー カルザゲ(ウェールズ)になります。
(今回の主人公、英国・ウェールズの誇り ジョー カルザゲ)
スーパーミドル級の歴史は比較的短く、1984年3月に行われたIBF戦が同級初の世界戦となっています。その後WBA初のスーパーミドル級戦が1987年師走に行われ、翌年11月にWBCとWBOが揃って初の同級世界戦を開催。この2つの団体の初代タイトル戦に出場したのはトーマス ハーンズ(米)とシュガー レイ レナード(米)という1980年代を代表する選手たち。しかし実際は、両選手が出場した試合は世界戦として疑問視されるものでした。ハーンズのそれはマイナー団体WBOとWBCの地域団体であるNABF王座統一戦!? レナードのそれは何とWBCライトヘビー級王座とWBC同級王座が同時に争われる反則極まりない建前の世界戦として開催されました。
これまで行われた同級でのタイトル戦は、どの団体より先だってスーパーミドル級の世界王座を認可したIBFの世界戦が89度と最多。WBAが71度、WBOが70度、そしてWBCが67度と続きます。そんな短い歴史を持つスーパーミドル級。今回の主人公カルザゲはそのすべての団体の王座を獲得しており、実力、実績共に同級の代名詞的存在と言って過言ではないでしょう。
カルザゲの通算戦績は46戦全勝32KO(KO率70パーセント)。1997年10月に初の世界王座を獲得したカルザゲですが、それ以前に何度かスーパーミドル級強の体重で試合を行っています。そしてカルザゲの現役生活の最後の年となった2008年。この年に念願のアメリカでの試合を2度行っていますが、その2試合もスーパーミドル級のリミットを上回る体重でリングに登場。しかしそれらの試合以外はすべてスーパーミドル級で試合を行っており、名実ともに同級の第一人者と言っていいでしょうね。
(46戦全勝32KOという輝かしい記録を残したカルザゲ)
1993年11月にプロデビューを果たしているカルザゲ。2008年11月に最終戦を行いました。という事は、カルザゲが現役を退いてから10年経ったという事ですよね。「最近まで現役だったのでは?」と感じることがよくあります。昨年夏にスーパーミドル級のトーナメントが終了していますが、それは同級トーナメント第二弾。カルザゲの後輩になる(あくまで同国出身という事)カラム スミスがこちらもまらカルザゲの同胞であるジョージ グローブスを破り優勝していますね。同級には現在、クリス ユーバンク2世という別の英国出身の強豪選手が君臨中。ちなみにカルザゲが出場した初の世界戦は、ユーバンクの実父シニアと対戦し大差判定勝利を収めています。
そういえば第一回目のスーパーミドル級トーナメントは10年前に始まり、その時はまだまだ新鋭だったアンドレ ワード(米)が優勝。すでにワードも現役から退いていますが、そう考えてみるとカルザゲは随分過去の選手となります。ワードが出場したトーナメントにも強い英国選手が出場していました。カール フロッチ、彼もまた独特のスタイルを持った好選手でしたね。
2度の同級トーナメントはそれぞれ、欧州の選手の活躍が目立ちました。そうなると当然、トーナメントに出場した選手たちとカルザゲを比べて見たくなります。決して贔屓目に見るわけではありませんが、2つのトーナメントに出場したすべての選手とカルザゲを比較してみると、カルザゲが敗れる姿が見えてきません。
1997年11月に、すでに古豪に位置づけられていたユーバンクに勝利しWBO王座を獲得したカルザゲ。世界的な認知度はまだまだでしたが、ひとまず英国内での安定した地位は獲得しました。「さあこれから世界に進出していくぞ」と順風満帆に見えたカルザゲ。同国人で、元WBC王者のロビン リード、リーチホール、米国出身の元IBF王者チャールズ ブリューワーやWBAベルトを腰に巻いていたバイロン ミッチェル等同級の強豪たちに、時には苦戦を強いられながら勝利を重ねていきました。しかし度重なる自身の負傷、それに伴い米国でのデビューの順延が重なり中々正当な評価を勝ち得ることが出来ませんでした。
そんな不運なスーパースター・カルザゲに転換期が訪れたのは2006年3月。プロデビューから12年半、世界タイトルを獲得してから8年半後の事です。その日カルザゲは21勝(17KO)無敗の強打者で、IBF王座を保持していたジェフ レイシー(米)と王座統一戦を行います。拮抗した試合が予想されたその一戦。中には「カルザゲ危うし」の声も聞かれました。
(世界が注目した強打者レイシーとの王座統一戦)
英国のみならず世界が注目した2団体統一スーパーミドル級戦。カルザゲはそれまでのうっ憤を晴らす素晴らしいパフォーマンスを演じます。キャリアの違いと言ってしまえばそれまでなのですが、カルザゲの前に強打のレイシーは何も出来ず。回を重ねるごとにポイント差は老獪なカルザゲに傾いていくばかりで、最終回には留めのダウンを奪ったカルザゲ。カルザゲが失ったポイント(ラウンドではなく)は、レフィリーのブレイク中にカルザゲがライバルを小突いたために科された減点のみ。まさに完封勝利で2つ目のベルトを獲得したカルザゲは、同時にその実力を世界中に知らしめる事にも成功しました。
(レイシーに何もさせなかったカルザゲ)
カルザゲが獲得した王座(獲得した順):
英国スーパーミドル級:1995年10月28日獲得(防衛回数1)
WBOスーパーミドル級:1997年10月11日(21)
IBFスーパーミドル級:2006年3月4日(1)
WBA/WBCスーパーミドル級:2007年11月3日(0)
(スーパーミドル級で4団体のベルトを獲得したカルザゲ)
カルザゲが獲得した王座を載せてみましたが、いかに彼がスーパーミドル級に貢献していたかが分かりますね。カルザゲのタイトル歴で残念な事は、4団体同時統一王座の座に就かなかった事です。WBA/WBC王者だったミッケル ケスラー(デンマーク)と対戦した際、カルザゲはすでにIBF王座を返上。この戦いで争われたのは3つの世界王座のみでした。
(カルザゲのベルト・ファイト、対ケスラーとの王座統一戦)
レイシー戦後、2つの防衛に成功したカルザゲ。同級で残した仕事と言えばレイシー以上の実力者と言われたケスラーとの一騎打ちでした。結果から言えばこの試合も試合巧者ぶりを十二分に発揮したカルザゲが勝利を収め、WBO王座の21度目の防衛に成功。そしてケスラーが保持していたWBAとWBC王座の吸収にも成功しています。しかしこの試合で、ケスラーもキャリア初の黒星を喫したとはいえ評価が落ちることはありませんでした。それだけ両者の実力、試合内容は拮抗し、そして素晴らしい試合を演じてくれました。
持ちうる技術を出し尽くした両者。そんな中で打ち気に逸るケスラーと打ち合い、時にはリラックスして試合ペースを徐々に、徐々にと握っていったカルザゲ。このケスラー戦がカルザゲのペスト・パフォーマンスと言っていいのではないでしょうか。
カルザゲのキャリアで特徴的なのが、そのボクシング・スタイルの変化。世界王座を獲得するまでは即効型のKOパンチャーでした。しかし自身の拳を守るスタイルに変貌していったカルザゲ。彼はオールラウンダーとして名を留めるようになりました。それを怪我の功名とでもいうべきでしょうか、その変化がレイシーやケスラーといった次世代の強豪に勝利を収めることが出来たと言っても言い過ぎではないと思います。
(超強豪ケスラーをも下したカルザゲ)
またカルザゲが世界タイトルを初めて獲得した時、WBOはまだマイナー団体の域を出ていませんでした。1990年代後半から2000年前半にかけて「英国内に閉じこもったマイナー団体の世界王者」としか見られていなかったカルザゲ。彼の名がマスコミに出るようになったのは、ライトヘビー級で王朝を築いていたロイ ジョーンズ(米)にスーパーミドル級再降格の話が出た頃から。確かその時ジョーンズは、「カルザゲもWBOも、もっと評価されるべきだ」のようなコメントを残しています。結局カルザゲとジョーンズが拳を交えたのは2008年11月。その戦いはライトヘビー級の無冠戦として行われています。そういえばジョーンズ、WBOのベルトを腰に巻くことはありませんでしたね。
2008年にその全勝キャリアを終えることとなったカルザゲ。その年にようやく米国のリングで試合を行うことが出来ました。4月にラスベガスでバーナード ホプキンス(米)と、そして11月にニューヨークでジョーンズ(米)と拳を交えたカルザゲ。歴史に残る両偉人からそれぞれ初回にダウンを喫してしまったカルザゲですが、そこから精神的強さと手数で逆転勝利を収めることに成功しています。時には反則スレスレのいやらしいボクシングを展開するホプキンスも、まだまだ超人性を失っていなかったジョーンズも、カルザゲの回転力の落ちないボクシングにはお手上げでした。
(ホプキンス、ジョーンズを破りそのキャリアを締めたカルザゲ)
カルザゲは同級で4つのベルトを獲得し、WBO王座の21連続防衛に成功。本場アメリカのリングでスーパースターとも拳を交え、全勝のまま引退しました。カルザゲより数年先輩に先輩にあたる元IBF/WBA同級王者スペン オットケ(独)も、カルザゲと同様に世界王座(IBF)の21連続防衛に成功し、34戦全勝(6KO)という記録を残しリングから去っています。見てみたかったですね、「カルザゲ対オットケ」という同級を代表する無敗世界王者同士の対戦を。
カルザゲが残した記録は46戦全勝、世界タイトル21連続防衛という凄まじいもの。あと少し頑張れば、ロッキー マルシアノ(米)の49戦全勝記録と、ジョー ルイス(米)が築いた25連続防衛を破ることも可能だったと思うのですが。
(カルザゲ同様、世界王座を21度防衛し、全勝のまま引退したオットケ。カルザゲと対戦する姿が見たかったです)
現在は名トレーナーで、実父のエンゾを支えながら、故郷で家族とともに静かに暮らしているカルザゲ。現役からの引き際と同様、理想的な引退生活を送っているようです。