今から30年前となる1995年2月11日、南アフリカで行われた試合結果です。
WBOフライ級戦:
挑戦者アルベルト ヒメネス(メキシコ)TKO8回2分35秒 王者ジェイク マトララ(南ア)
*1991年10月にタイに渡り、当時のWBC王者ムアンチャイ キィテカセム(タイ)に挑戦者したヒメネス。敵地での世界初挑戦にも関わらず、2度のダウンを奪うなどタイ人に地獄の入り口を見せました。しかしその日のムアンチャイは打たれ脆さをさらけ出したとはいえ、好コンディションも幸いし辛くも逆転に成功。2対0の判定で、強豪ヒメネスを退けています。
ムアンチャイに苦杯を喫してから2年数ヵ月、ヒメネスに再度敵地での世界挑戦の機会が訪れました。ヒメネスを迎え撃ったのは148センチと超短身のマトララ。41勝10敗1引き分けと世界王者としては並以下の戦績の持ち主ですが、国内外の戦いで勝ち負けを繰り返しながら実力を付けてきた実戦派です。
(30年前の今日、南アフリカで実現した軽量級の好カード。写真は地元の王者マトララ)/ Photo: BoxRec
今回もまた、敵地での世界挑戦となりましたが、ドッシリとしたボクシングを展開していくヒメネス。しっかりとした構えから、角度の良い左右のパンチを上下に、あえて軽打で当てていく。王座獲得前から「横綱相撲」とでもいうのでしょうか、すでに世界王者としての風格を漂わせていました。
(ドッシリとしたボクシングを展開するヒメネス(左))/ Photo: Dailymotion
実力拮抗者同士の好試合は、一進一退の攻防が続いていきます。会場は王者がパンチを放つたびに、地元マトララのパンチが当たったように錯覚し盛り上がりをみせました。しかしヒメネスは固いガードやスリッピングアウェー(首を横に振る高度な防御技術)など防御技術を駆使し、南アフリカ人のパンチをほとんど殺していきました。
序盤戦から的確なコンビネーションでマトララにダメージを与え続けたヒメネス。完成度の高いボクシングを展開する挑戦者に必死に抵抗する王者でしたが、徐々に、徐々にと弱り始めました。迎えた8回、マトララはヒメネスのコンビネーションの前に力尽きるような形でダウン。そのダウンはこの回に喫したパンチによるものというより、それまでのダメージの蓄積によるもの。レフィリーのストップが少々早いように感じられましたが、マトララ、マトララ陣営、そして会場から抗議が聞かれなかったので妥当なストップだったのでしょう。
見事なボクシングで念願の世界王座奪取に成功したメキシカン。その後、王座の5連続防衛に成功することになります。当時のフライ級には、WBAには超技巧派セーン ソー プルンチット(タイ)が、WBCにはロシアンスナイパー勇利 アルバチャコフ(露/協栄)が安定政権を樹立していました。ヒメネスはこれら2王者に劣らない評価を受けていました。惜しいことに、その腰に巻いたベルトがまだまだマイナー団体として見られていたWBOだったことですね。
(マイナー団体の新WBO王者となったヒメネス)/ Photo: BoxRec
実力者ヒメネスに王座を明け渡したマトララも、その後長らくトップ戦線で戦い続ける事になりました。この試合から僅か9ヶ月後の同年11月には、一階級下のWBO王座を獲得し、変則的な形で2階級制覇に成功。2年後となる1997年には、米国で当時マイナー団体のIBAタイトルを保持していたあのマイケル カルバハル(米)に挑戦。番狂わせのTKO勝利を収め、その実力を新貯めて世界に知らしめることになりました。
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