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あの試合から30年(IBFジュニアウェルター級:1995年1月28日)

2025年01月28日 05時49分29秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前となる1995年1月28日、米国ネバダ州で行われた試合結果です。
IBFジュニアウェルター級戦(スーパーライト級):
挑戦者コンスタンチン チュー(露/豪)TKO6回1分50秒 王者ジェイク ロドリゲス(米)

259勝11敗というアマチュアの戦績を引っさげプロに転向してきたチュー。アマチュアの集大成として、1991年豪州のシドニーで行われた世界選手権で、後のウェルター級、スーパーウェルター級王者バーノン フォーレスト(米)を破り優勝。同大会の最優秀選手にも選ばれています。

旧ソ連の代表として、1992年のバルセロナ五輪に出場するという選択枠もあったチューですが、世界選手権の開催地であった豪州のプロモーターであるビル モーディー氏の勧誘でプロ転向を決意。同地で順当にプロのキャリアを歩み始めました。

13勝(10KO)の戦績を引っさげ、ボクシングのメッカ・ラスベガスのリングに初登場したチュー(米国では3試合目)。ターゲットは26勝(7KO)2敗2引き分けの戦績を持つロドリゲス。このチューとの一戦が3度目の防衛戦となりました。KO率は低いロドリゲスですが、世界王者になってから自信を付けたのか数字以上にパワフルな選手で、チューがアマチュアのスーパースターとはいえ、決して侮れない選手です。

(ドッシリと世界初挑戦に臨んだチュー(左))/ Photo: Facebook

 

試合前の予想では、挑戦者が有利とされていましたが、蓋を開けてみるとその予想以上に挑戦者のワンサイドの試合となりました。試合開始早々に右に強打でダウンを奪ったチュー。ロドリゲスも王者の意地を見せ時折反撃を見せるも、そのほとんどは焼け石に水。回を追う毎に挑戦者のワンサイドマッチとなっていきました。

5回にダウンを追加し、6回にも立て続けに3度のダウンを奪ったチュー。圧倒的な力量差を見せつけ、当然の如くプロでも世界の挑戦に立つことになりました。

(ロドリゲスから次々とダウンを奪うチュー)/ Photo: Facebook

 

この試合で気に入らなかったのが、名レフィリーと謳われるリチャード スティール氏のレフィリング。5回には明らかなダウンもスリップと見なしダウンと取らず。6回にはバッティングで負傷したチューに何故だか減点1を科しています。当時はまだまだ米ソ(アメリカとソビエト連邦の事です。)による冷戦の爪痕が色濃く残っていた時代だったとはいえ、それほど旧ソ連人が嫌いだったのですかね?

チューといえば、私(Corleone)が大好きな選手の一人です。ボクシングに興味を持ち始めた1990年代の前半、プロデビューして間もないチューは将来の「世界王者」及び将来の「スーパースター」の最有力候補生として専門誌にその名を頻繁に登場させていました。

(堂々と世界王座を獲得したチュー)/ Photo: gettyimages

 

しかし初めてチューの試合を目にした時、「???」という印象の方が強く残りました。ガードはどちらかというと低く、ディフェンスはスウェーバックが主体。左ジャブで相手を切り崩し、それに続く挑戦的な右で相手を倒していく。シンプルで豪快ではあるのですが、決してアマチュアの名選手には見えず、大雑把でしいて言えば雑なボクシングを展開するボクサーにしか見せませんでした。

その後(現在も続いていますが)、何度、何十度とチューの試合を観てきましたが、チューの凄さはそのステップインの鋭さということが分りました。「機を見るに敏」というのでしょうか、チャンスとなれば最小限の動きで相手との距離を潰し対戦相手を倒していく。そんなボクシングは全盛期のマイク タイソン(米)に類似したものがあります。天性のモノを備えたボクサーが出来うる、教えて出来るボクシングではないですね。

実子で前WBOスーパーウェルター級王者ティム チュー(豪)も、昨年2024年に世界戦で2連敗してしまったとはいえ、中々の好選手です。偉大なる父と比べてしまうと可哀そうな面がありますが、親子といえども持って生まれたものが違うようです。


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