日本には八百万(やおよろず)の神がいる。しかし、神と名が付いても付き合いたくない神様もいる。
落語「死神」では、働かず女房に愛想を付かされた男が死神と出会う。死神は彼に病人を治すおまじないを授けるが、それは、死神が病人の足元にいる時にだけ効果を発揮する。
枕元に死神がいる大金持ちを治すように頼まれた男は、死神が居眠りをしている隙に、病人の布団の枕元と足元を入れ替えてしまう。
病人は生き返り、男は大金を貰うが、自分の命と引き替えだったことに気が付く。

(画像はWikipediaから拝借した、著作権の発生しない死神です)落語「死神」では、働かず女房に愛想を付かされた男が死神と出会う。死神は彼に病人を治すおまじないを授けるが、それは、死神が病人の足元にいる時にだけ効果を発揮する。
枕元に死神がいる大金持ちを治すように頼まれた男は、死神が居眠りをしている隙に、病人の布団の枕元と足元を入れ替えてしまう。
病人は生き返り、男は大金を貰うが、自分の命と引き替えだったことに気が付く。

朝日新聞夕刊のコラム『素粒子』は、世相を切る辛口の風刺で、時には溜飲を下げてくれる。

その言動の軽さから、あまり好きになれない鳩山さんだが、この件に関しては彼にエールを送りたい。
死刑については異論もあるようだが、今の日本の法律では死刑制度がある。裁判で死刑が確定したのだから、それを執行して何が悪いのか?執行した人を非難するのなら、裁いた裁判官を何故非難しない。
人が人を裁くことの不条理はあるかもしれないが、それ以前に罪のない人が犯人の手によって命を絶たれているという事実がある。
罪のない人間の命を奪った者が、それと引き替えに己の命を奪われたとしても、それは当然の報いなのではないだろうか?