勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

来た道行く道

2010-11-03 23:48:00 | Weblog
 雲ひとつない抜けるような青空と、肌にひんやり澄んだ空気に誘われて、家に居るのは勿体ないと、誰もが外出したくなるような秋晴れの東京。仕事に行く途中、信号の手前の植え込みに、前かがみに手をついてもがいている老夫婦がいた。「どうしました、気分でも悪いのですか?」そう問いながらよく見ると、小柄な婦人が背の高い男性を抱き起そうとしている。男性は意識もしっかりしているが、起き上がろうとしては倒れてしまう。非力な女性の力ではどうにもならない。そばには買い物袋が二つ放置されたまま。急いで自転車から降りて手を貸しながら、もう一度聞いた。「具合でも悪いのですか?」。「いいえ、大丈夫です」と婦人が答えた。

 彼女の説明によると、時々このように転んでしまって、起き上がれなくなるらしい。男性の片腕を肩に廻してどうにか立ちあがることができた。「お家はどこですか?」と尋ねると、信号を渡って遥か先らしい。この広い道路を二人だけで渡るには危険すぎる。途中で転んだら起き上がれないだろう。信号が青になるのを待って、肩で支えながらゆっくりと渡り切った。二人ともかなりの高齢、大きな買い物袋は二人には荷が重い。家まで送りたかったが、仕事の時間がある。「ここで待っててくれますか、すぐに戻って来ますから」そう言い残して仕事場に急いだ。タイムカードを押して再び戻ると、そこに二人の影はなかった。あのおぼつかない足で無事家に帰ることができたのだろうか。

 二人暮らしの老夫婦なのか、こんな天気の良い日は揃って買い物に出かけたかったのかもしれない。切なさを胸に感じながら二人の姿を将来の自分に重ね合わせた。年老いて、他人の手を借りなければならない日がいつか来るかもしれない。そして誰かのこんな言葉が浮かんだ。
『子供叱るな来た道だ、年寄り笑うな行く道だ』。

老人のケアは苦労も多い
しかし、いつの日にかあなたも
あなたが老人にしたようなやり方で
ケアされる日が必ず来るのである

-日野原重明さん-

 日々感じる肉体の衰え、記憶の衰え、精神の衰え、それが自然の成り行きであることはわかっているが、上手に老いることは難しい。