去る1月17日、突然の訃報に驚かされた甥の四十九日の法要と納骨式が今日行われた。寒い日ではあったが、幸い雪の予報は外れ、曇り空の下、40代半ばという若さでこの世を去った故人の供養に訪れたのは30数名。その後の忍ぶ会もしめやかに行われた。
彼が子供のころ、まだ実家から仕事に通っていた僕は、我が子のように可愛がり、僕が撮った幼い頃の数多くのモノクロ写真がアルバムに残っていた。
そのいくつかを、アルバムからスマホに写し撮って持ち帰った。成長してからの彼は身体も大きくなり、100キロを超える巨漢になったが、僕の心の中にはいつまでもあの可愛いままの彼がいる。
僕の両親(彼のおじいちゃんとおばあちゃん)を含め、姉家族たちと一緒に弟の車2台に乗り分け、何年も続けて泊りがけの海水浴にも行った。あの頃の彼の姿と思い出が、今走馬灯のように駆け巡る。僕の母が亡くなってしばらくしてから、彼が「おばあちゃんのベッドの布団の下に僕の写真があったんだよ」と、うれしそうに話していた。彼は天国でおばあちゃんやおじいちゃん、そして父親に会って、何を話しているのだろう。
彼が子供のころ、まだ実家から仕事に通っていた僕は、我が子のように可愛がり、僕が撮った幼い頃の数多くのモノクロ写真がアルバムに残っていた。
そのいくつかを、アルバムからスマホに写し撮って持ち帰った。成長してからの彼は身体も大きくなり、100キロを超える巨漢になったが、僕の心の中にはいつまでもあの可愛いままの彼がいる。
僕の両親(彼のおじいちゃんとおばあちゃん)を含め、姉家族たちと一緒に弟の車2台に乗り分け、何年も続けて泊りがけの海水浴にも行った。あの頃の彼の姿と思い出が、今走馬灯のように駆け巡る。僕の母が亡くなってしばらくしてから、彼が「おばあちゃんのベッドの布団の下に僕の写真があったんだよ」と、うれしそうに話していた。彼は天国でおばあちゃんやおじいちゃん、そして父親に会って、何を話しているのだろう。