「手考足思」 初めて聞く言葉だが、陶芸家、河井寛次郎の言葉だそうだ。
「手を動かして考え、自分の足で歩きながら思いをめぐらせる」という意味で、簡単にいうと手と足で経験を積みながら考えるということらしい。
「ニュース23」のキャスターでジャーナリストの筑紫哲也氏は言う。
「新聞記者になって10年近く『自分は向いていない』と思い続けた、でも手と足を使って10年やってたら『続けられるかもしれない』と思えるようになった。人間は経験によって変わり得るということです」
「夢を支えるのは、手足だけではない、頭を使う人は学者を夢見たらいい」ともいう。
僕は今の仕事をする前に2度ほど職業を変えている。
今の仕事の途中でも紆余曲折があり、一度辞めたが、2ヶ月足らずで舞い戻った。
その時はずいぶん迷ったが、人生経験豊富な女性から言われた一言で決心がついた。
「人間、生きていれば誰だって、一生のうちに一度や二度は恥をさらす事だってあるわよ」
その言葉で送別会までして送られた仕事場に戻る気持ちになれたのだ。
そして今、この仕事が自分に合っていると思える。
筑紫さんは言う「この言葉、若い皆さんに当てはめると、自分の将来は早く決めるのがいいのだと思い込まないこと。手と足で経験を積みながら、これからも考えていけばいい、若い人の夢には、ゆとりと幅があっていいのだ」と。
今の僕にはこれからの経験よりも、今までの経験を如何に生かすことができるかということだが、若いときの経験は、たとえそれが失敗に終わったとしても後に大いに役立つものだ。
若い皆さんは冒険もしながら、多くの経験を積んで、夢に向かって「手考足思」してもらいたい。
老婆心ならぬ老爺心。隠居できない隠居じじいの独り言です。
写真は昨年の秋の六義園の池です。
2005.11.26
それはもう、ありとあらゆる「恥」をさらしてきちゃいました
ただ、心身にこたえる「苦しみ」は、
後々の「糧」になるのですよね
今、思えること
「恥をかいたぐらいでは、人間死にはしない」ということです
穴もいっぱい掘ってます。
いつでも入れます。
でも失敗を経験にすることができたら、
穴も自然に埋まっちゃいますね。
私の周囲には埋めた穴ぼこと、
掘り続けている穴ぼこが無数にあります。
たまに埋めたはずの穴に落ちたりして・・。
(懲りずに失敗を繰り返す人)
恥を恥ずかしいと思わないこと、役に立つことなんだと思えば何とかなるんですね。
来週から営業頑張ってみよう。
それでも”ま、いいや”と近頃思うようになりました。
だんだん図太くなってきたみたいです
たとえば、今習っている笛だって、20代に始めていたらとか、20代のころもっと計画性をもって商売をやっていたらとか、いろいろとあります。それが、やっと30代になって少しずつ地に足が着き始め、あまり後悔しなくなりました。反面、後悔してもどうにもならないから、常に前を向こうと思ったといってもいいかも知れません。開き直ったともいえるかも。
多くの経験をつむ、夢を持つなど、本当に大切なことですね。
ところで恥をしのんで、「しゅこうちそう」と読めばいいのでしょうか?
懇意にしていただいてる方々から
いろいろな経験談を
ありがたくお聞きして
自分の心の成長の
養分としてきたところが多いのですが
まだまだ実経験の乏しさで
真意に身に付いてないと自覚しております
「手考足思」
その言葉の意味を
心に留めておきたいと思いました
本日は遅くのお帰りとのこと
お疲れさまでした
ゆっくり休まれて疲れを取ってくださいね
なんか変と思っているでしょう?
(o ̄ー ̄o) ムフフ
出直して
騒ぎます(にんまり♪)
「手考足思」実は僕も読み方わからないんです、文章を読んだものですから。
仕方ないから「手で考え、足で思う」と読んでます。ごめんなさい、いいかげんで。
◆他の皆さん
後ほどコメントいたしますので、お許しを。
ゆっくり休んでくださいね。
看病にいきたいです。