勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

復元

2011-02-07 00:55:10 | Weblog
 浮気をしている男がいた。ケータイのメールや通話履歴はその都度削除し、奥さんには絶対ばれないようにしていた。ところがである。奥さんは男の浮気どころか、浮気相手の名前まで知っていた。驚いた男は、何故なのだろうと考えた。そうか、ケータイのメールは復元できるものだったのか。。。

 待てよ、、、削除したメールを復元することはできても、誰もが復元してもらえるわけではない。興信所に頼んだ形跡もない。男はわけもわからず、女の執念に怯えたという。



 世の中便利になり、電話は一家に一台から、一人一台どころか一人で複数のケータイを持つ人もいる時代になった。PCやケータイのメールの文字変換は、学習機能があり、ケータイなどは頻繁に使われる語彙の予測変換をしてくれる。頻繁に使われる名前や語句は、頭の一字で予測語彙が表示されるので、たびたび使う語彙がわかってしまう。メールを削除しても、ケータイが学習した変換機能は削除されないのである。男はケータイを肌身離さず持ち歩くようになったとさ。。。あなたのお宅は大丈夫・・・?

 僕の頭脳は学習機能も壊れ、語彙変換機能などは全く機能しなくなってしまった。どんな語彙も「あれ」と「それ」で間に合わせている。どなたか、わが壊れた頭脳と削除された記憶を復元するソフトを開発してくれる人はいないだろうか。。。???

2011-02-05 02:30:22 | Weblog
 スポーツに於ける勝敗は、予測できないことが起きるから面白い。サッカーのアジア杯は、真夜中にも関わらず、日本チームのすべての試合を見てしまった。普段はサッカーなど見たこともない僕が、、、である。寝不足になりながら、真剣に戦う姿に興奮もした。

 以前も取り上げた話ではあるが、その昔、八百屋の長兵衛さんは打算から、囲碁仲間である大相撲の年寄・伊勢ノ海五太夫との対戦で、故意に負けて機嫌をとり、商売につなげていた。彼はその名から八百長と呼ばれていたという。相撲と八百長は切っても切れない関係なのか・・・???

 仕事仲間に相撲通がいた。休憩室で大相撲中継を見ながら、千秋楽になると彼はその勝敗を言い当てるのだ。それは中入り後の勝負の話である。特に7勝7敗の力士の勝敗は対戦相手の星によっては、ほとんどが彼の予想通りになる。その根拠も解説しながらである。そばで聞いている別の相撲好きがよく言っていた。「お願いだから、夢を壊さないでよ」と。

 ユメと云う字は「夢」の他にも「努」がある。当て字のようだが、「努努」と書いて「ゆめゆめ」と読み、次に禁止の語句を伴って、『決して…するな』という意味になる。「努努八百長はするな」というように。。。

 我が大辞林によると、「努努」には、≪つとめて・精を出して≫という意味もあるらしい。努力もせず、精も出さずに、安易に勝ち負けを決めることが努努あってはならないことと思いながら、病気の母親の薬も買えない対戦相手に、わざと負けて懸賞をとらせた谷風は、拍手喝さいを浴びたという逸話を思い出す。

 石原都知事は、「八百長なんて昔からあった。騙されて見て楽しんでいればいい。そういうもんだよ相撲は」 というような発言をしている。アメリカには、八百長野球をしたジョー・ジャクソンに『嘘だといってよジョー』と少年が言ったという逸話もある。

 騙されて見て楽しむのもひとつの方法かもしれないが、知らなければそれもいい、知ってしまえばそれまでである。今となっては、嘘だといっても誰も信じないだろう。昔、こんな歌詞が散りばめられた、僕の好きな歌があった。♪知ってしまえばそれまでよ、知らないうちが花なのよ♪

鬼は何処?

2011-02-03 22:15:18 | Weblog
 「恐れ入谷の鬼子母神、びっくり下谷の広徳寺、そうで有馬の水天宮、志やれ(しゃれ)の内のお祖師様、うそを築地の御門跡」


 言葉に勢いを付ける、数ある付け足し言葉の中でも、恐れ入谷の鬼子母神は有名である。子供を奪っては食べてしまう悪神の女神・鬼子母神に、釈迦は彼女の末子を隠し、子を失う悲しみを教え、改心させたという。以後、鬼子母神は「小児の神」として児女を守る守護神として信仰されるようになった。したがって、入谷の鬼子母神では、子育ての善神になったという由来から、ツノのない「鬼」の文字を使っている。


 その入谷の鬼子母神で、節分会の豆まきが行われた。子育ての神であることから、子ども連れの母親も多いが、豆をまく際の掛け声が変わっている。


 掛け声は通常は「鬼は外、福は内」であるが、地域や神社によっては「鬼は外」とは言わないところもあるらしい。鬼を祭神または神の使いとしている神社では「鬼は外」ではなく「鬼は内(鬼も内)」とするところもあるという。また、姓に「鬼」の付いたり、地名に「鬼」が付く家庭や地域では「鬼は内」というらしい。ところで、入谷鬼子母神では「福は内 悪魔外」と掛け声を掛けていた。我が家にも人を食った暴言を吐く鬼がいるので、人の代わりに恵方巻きを食べて、豆まきはしないことにした。


恵方巻き

2011-02-02 22:22:41 | Weblog
 昔、節分は豆まきをする日だった。今、節分は恵方巻きを食べる日になったようだ。豆まきも恵方巻きもどちらも「まく」わけで、大した差はないかもしれないが。そもそも恵方巻きの風習は関西からだそうだが、年の数だけ豆を食べるよりは、具がたくさん入った太巻きを食べるほうが、美味いし腹の足しになる。


 ということで、一日早い恵方巻きを食べた。恵方とは、陰陽道でその年の干支に基づいてめでたいと定められた方角をいうらしい。今年の恵方は南南東だそうだが、我が部屋はほぼ南南東を向いている。縁起を担ぐことはあまりない僕だが、都合のいい時だけ信じることにしている、おめでたいご都合主義者である。

 恵方巻きには食べ方があるという。「その年の恵方を向いて、願い事を思い浮かべながら、終始無言で黙々と、途中でやめず、一気に食べ切る」というのが正式な食べ方らしい。欲張りな僕は願い事が多く、すべてを思い浮かべることができず、更におしゃべりなので、黙々と食べることも難しく(ひとりでしゃべりながら食べたら、阿呆巻きになってしまうが)、この大きめの太巻きを一気に食べることは困難。。。

 であるから、正式な食べ方が出来るはずもなく、今年も願い事は叶いそうもない。メディアや業者に踊らされていることはわかっていながら、美味いものが食べられる風習ならそれもいいか。


白川夜船

2011-02-01 22:49:37 | Weblog
 古都・京都の祇園を流れる清流の白川沿いは、季節の花や木々が美しい街並みで、川沿いの京町家からは三味の音が聞こえてくるなど、観光客に人気のスポットでもあるという。その京都見物をしたとうそぶく人に祇園白川のことを尋ねると、川と勘違いして「夜、船で通ったから知らない」と答えた。そこから、知ったかぶりをするという意味や、何も気がつかないほどよく寝入っているさまを白川夜船という。

 社交ダンスを生業にしている僕だが、年と共に衰えた足腰は、若い時のような回復力がない。そこで常に身体のケアが必要である。そんな僕にとってマッサージチェアは必需品であった。


 ところが、そのマッサージチェアが昨年の暮れに壊れてしまった。スイッチを入れても全く作動せず、修理を依頼するも、この椅子のメーカーのオムロンは、製造中止の製品のため修理もできないという。シンプルな形がインテリア的にも気に入っていたこのマッサージチェア、家にいる時間の多くはこの椅子で過ごすのが常だった。そこで買い替えることにして、機種選びに悩んでいた。

 この業界の大手の会社は3社あり、それぞれ特徴がある。安い買い物ではないので、量販店に行きいくつかの機種を試してみた。ネットで価格も調べ、あるネット通販会社と値段の交渉をした。納得の価格で送料も設置も無料、古い椅子の引き取りも無料という条件で決めたのが、強揉みに拘ったフジ医療器の機種。


 送られてきたこの椅子は形は少しばかり厳ついが、今までの椅子とは違い機能も進化し全身をケアしてくれる。15分で自動的にスイッチOFFになるのだが、ここに横たわると気分は極楽、睡魔に襲われテレビの音も子守唄代わり、いつの間にか白川夜船の夢の中。極楽トンボと極楽鳥が飛び交い、このまま三途の川を夜船に乗って極楽浄土に行(逝)きそうである。