歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

INSIDE MOEBIUS(インサイド・メビウス)復刻

2018年02月15日 | 
漫画大国日本において、面白い漫画は無数にある。

しかし手元に置いておきたいと思うほど好きな漫画は意外に少ない。

ネット環境が整っている最近では特に所有することの意味が薄れているのも大きい。



漫画の面白さではなく好き嫌いの一番の基準は絵だ(例外もある)。

最初は漫画が持つリズムを大事にしたいからストーリーに重点を置いて読むけれど、

2回目以降は絵をじっくり見るので読み終わるまでに驚くほど時間がかかる。

そんなわけで漫画そのものより絵の虜になり、一度そうなると妄信してしまう。



特別絵が好きな漫画家が3人いる。

リアルな絵で当時の漫画界に衝撃を与えた世界の大友克洋。

独自の世界を独特な線で表現する孤高の漫画家松本大洋。

一本のペンでペーパードラッグを作り出す謎の漫画家小池桂一。


左から大友克洋『童夢』、松本大洋『ピンポン』、小池桂一『ウルトラヘブン』



漫画の絵の好みについてあまり分析したことはなかったが、5年前に明確な共通点があることに気づいた。

それはフランスの漫画家メビウス(ジャン・ジロー)の影響を強く受けているということ。

日本ではあまり知られていないが、フランスでは独自の漫画文化が築かれておりそれはバンド・デシネと呼ばれている。

バンド・デシネの代表的な漫画家がメビウスだ。



メビウスは5年前に亡くなり、当時各美術雑誌はこぞって追悼記事を載せていた。

その時初めて彼の絵を見て雷を打たれたような感覚に陥ったのを今でも忘れられない。

初めて見たはずなのにずっとこの絵を待っていたのだと確信した。

まるで自分を構成するパズルの最後のピースが埋まったかのような興奮だった。

その後多くの日本人漫画家が彼の影響を受け敬愛しているということを知った。

上記した人以外にも宮崎駿監督やジョジョの荒木飛呂彦、寺田克也、浦沢直樹、谷口ジローなど。



彼の作品はとにかく手に入りにくい。

日本語で読める漫画もいくつかあるが、出回っている作品のほとんどが中古かつ外国語表記だ。

外国語表記でも彼の母国語であるフランス語や唯一読めそうな英語ならまだしも、イタリア語やドイツ語では敵わない。

一番の問題は出回っている数が少ないためプレミアがつき希少作品は3、4万円が当たり前の世界だということ。

今のところ比較的安いものを地道に探してどうにか手に入れている状態だ。

欲しいという欲求よりも(もちろん欲しいけど)見たことのないメビウスの絵を見たいという気持ちの方が強い。

しかしメビウスの場合は「買う」しか見る方法がないのだ。



偶然見つけて即購入したメビウス展の図録(最近フランスで開催されていた)が今日届いた。

昨日は待ち遠しくて待ち遠しくてなかなか寝付けなかった。

展覧会のカタログなので半分は文章だが、ゆっくり翻訳していこうと思っている。

やる気があればなんとかなるでしょう。




自画像







今回メビウスファンや興味がある人に朗報がある。

なんとアメリカのダークホースコミック社(アメコミ出版社)が全6巻で構成される『INSIDE MOEBIUS』シリーズを、全3巻のハードカバーで復刻させるのだ!!

手始めに現在すでに第1巻と第2巻の予約購入がAmazonで始まっている。

私も早速予約した。

今のところ情報元がAmazonの英語の商品詳細だけだから少し心もとないが多分合っていると思う。



ーーーーー

商品詳細
Moebius draws himself encountering his favorite characters--creations like Blueberry, Arzak, and Major Grubert--and also meets a younger version of himself!

Working closely with Moebius Production in France, Dark Horse presents Inside Moebius, A six-part study with Inside Moebius Part 1 collecting the first two chapters in this fantastic exploration of a creator meeting his own creations. Dark Horse will release all parts to this exceptional, intimate series in 2018! This is the third volume in the Moebius Library hardcover series and the beginning of Moebius's most intensely personal project.

ーーーーー



めくるめくメビウスの世界にまた一歩近づけるであろうことに感激だ。

やっと中古数万円の『INSIDE MOEBIUS』を見つけては悶々とする日々から抜け出せそうだ。

もちろん当時の物の方が価値は高いけれど、なにより彼の絵を見れるということが嬉しくてたまらない。

小池桂一の漫画は目が回るような展開とコマ割りでペーパードラッグと評されるが、

メビウスの絵はなんでもない一枚の絵がドーパミンを溢れさせある種の快感を与えてくれる。

ここまでいくとフェチシズムに近いが、誰にとっても見る価値はあると思う。

機会があれば是非。
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池田学展The Pen-凝縮の宇宙-日本橋高島屋

2017年10月16日 | 
この秋、新宿の紀伊国屋書店で初めて彼の絵を見た。

ただの画集だったけど、開く前から予感があった。

数ヶ月前に母が、数週間前に大阪の知り合いが言っていた人だ。

画集を手に取り適当にパラパラとめくった。

はっとした。

タイトルは『The Pen』。

よく観もせず半ば興奮した状態でそれを買っていた。

陳列棚の側面に9月後半から日本橋高島屋で行われる展覧会のポスターが貼ってあった。

行こう。



作品数はそこまでないと踏んでいた。

大きな作品が数点観れれば満足だ。

10月1日に大学の友達と観に行くことになった。

日曜日だったから高島屋8Fの食品売り場まで池田学展目当ての人が溢れていた。

おばあさんが不思議な顔で「これは何の列か?」と聞いてきたほど場違いな行列だった。


池田学展The Pen-凝縮の宇宙-日本橋高島屋


入場料は800円のところ、友達が割引券を持ってきてくれていたので700円になった。

なんて安いんだろう。



入口に群がる人の中には、年配の人や若い人、子どもまでいた。

なかなか動かず辛抱しながら、ついに一つ目の大きな作品に到達した。

大学生の頃に描いた白黒の作品だ。

うっひょーーーーーー。

観るのに時間がかかるってのにも納得だ。

何しろ細かい。

タイトルのThe Penとは単純にペンで描いているという意味だ。

絵を描かない人はあまり馴染みがないかもしれないけど、

漫画家がよく使う丸ペンという極細のつけペンを使っている。

細かいだけなら適当に観るけど、細かいのに壮大で楽しくてやさしい。

遠目から観ると厳かな雰囲気すら観てとれる絵が、近づいて観ると全く違う顔を持っている。

細かさの中にユーモアがある。

みんないろんなところを指差して各々笑ったりつぶやいたりしている。

隣で観ていたおばさんが「ここにも何かいるよ」と話しかけてくるほど、気を緩ませてくれる不思議な絵だ。



みんなじっくり観るから人に気を使わずにじっくり観れる。

人がごった返す展覧会は嫌いだけど、今回はこれでよかったのかもしれない。



予想に反して作品数は100点以上。

全部観るのに2時間半くらいかかった。

展覧会には夫Kと行くことが多くその場合会場の入口で解散し別々に観て出口で再会するというのが常だが、

その友達は展覧会に行くのが初めてでできれば私と一緒に観たいと言うので二人で回った。

それが予想外に楽しかったのでK以外と行く時はそれもありだな。

人と見ると自分が気づかなかった部分にも気づけたりするのだ。

今回は絵に紛れている池田さんのサインを二人で探して盛り上がった。



ずっとファンだったならわかる。

つい最近知ってほとんど初めて絵を観てこんなに楽しかったのは初めてかもしれない。

もちろん「うまいっ!」とか「すごいっ!」てのは前提にあるのだけれど、

絵を観るだけでこんなにも楽しくなるというのはすごく不思議な体験だ。

動きもしないただ1枚の絵がまるで遊園地に遊びに行ったかのような満足感を与えてくれる。

私が今まで好きだった多くの画家と大きく違うのは絵が持っている絶対的な包容力だ。

世界観の押し付けがなく、むしろ「なんでもいいんだよ」と受け入れてくれている気がする。

なんてやさしい絵だろう。




シカゴで3年かけて描いた『誕生』。
彼の出身地である佐賀県立美術館が買い取った。



翌日何を思ったか数日家に帰ってなかったKから「池田さんのやつ観に行きたい」と連絡が来た。

私は私でなんの疑いもなく2日連続で観に行った訳だが、そこで思わぬサプライズに出くわした。

池田さんご本人がいたのだ。

それも近くまで来たから顔を出したという感じで、15分間くらいの短い滞在だった。

私はなんて運がいいのだろう。

スタッフが「池田さんのサイン会をやりますので、サインが欲しい方は画集を買って…」と声がけをしている。

これまた何の疑いもなく持っているのと同じ画集ともう一冊買ってサインをいただいた。

眼鏡をかけた素朴で柔らかい雰囲気の人だった。

声をかけると素の笑顔で「ありがとう」と言ってくれた。

私ってば本当に運がいいんだから、困っちゃうね。





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原故郷のスラヴ民族

2017年06月07日 | 
新国立美術館で開催されていたミュシャ展の最終日に滑り込みで行ってきた。

大分前からやっていたのは知っていたけど、アールヌーヴォーのミュシャを観に行くのはミーハーっぽくて嫌だった。

もともと好きで画集も持っているくせに、変なところがねじ曲がっている。

素直に観に行こうを思ったのは最終日の前日の朝にNHKでアンコール放送されていたミュシャの特集を見たからだ。



今回初来日しているのはミュシャがフランスから故郷のチェコに戻り16年かけて描いた全20点の大作『スラヴ叙事詩』。

『スラヴ叙事詩』は彼の残りの人生をひたすら彼の民族に捧げるという誓いのもと描かれた、

チェコおよびスラヴ民族の伝承・神話および歴史を描いた作品である。

多くの人はフランス時代をミュシャの全盛期だと思っているが(私もそうだった)、

晩年チェコで描いたこの壮大な作品を知らずして彼を語ることはできない。

歴史に虐げられ苦悩を強いられたスラヴ民族の生き様を描くため、彼は16年間それだけに没頭したのだ。

ミュシャ自身もまた抗えない歴史の波に翻弄され、最後はゲシュタポの刑務所に投獄され解放された後亡くなった。

これを逃したら一生見ることはできないかもしれない。

混んでいる美術館は大嫌いだけど、何が何でも行かなければならないと思った。



美術館に気軽に行けるというのは首都圏に住む利点の1つだ。

6月5日ミュシャ展最終日、大変な混雑が予想されたので9時過ぎには家を出た。

千代田線乃木坂駅のホームを降りて長い地下道を上って行くと遠くの方から「ミュシャ展ただいまの待ち時間90分」という案内が聞こえた。

改札を出てすぐのところに特設のチケット売り場がありそこにたどり着くまでにも長い列ができていた。

新国立美術館には何度も来ているがこんなのは初めてだ。

チケットを購入し美術館に到着するが、行列の最後尾はなんと外、これには参った。

一時間以上炎天下で、止まっては少しだけ進み止まっては少しだけ進みを繰り返した。

結局110分ほどかかりやっと会場入り。





初めに驚いたのは絵がとてつもなく大きいということ。

Wikipediaによれば『スラヴ叙事詩』は小さくて4×5m、大きくて6×8mだそう。

今回人口密度が70%くらいあり、どこから見ようが純粋な絵の全体像を把握するのは難しかった。

近くで見ようとすると絵の上の方が見えないし、遠くから見ようとすると絵の下の方が人の頭に隠れて見えない。

それでもただ大きいというだけで相当な迫力がある。



兎にも角にも、一枚目がすごかった。

『原故郷のスラヴ民族』だ。


「スラヴ民族の祖先(3-6世紀)が他民族の侵入者から身を隠す様子を描いた場面。
画面右上では、防衛と平和の擬人像に支えられたスラヴ民族の司祭が神に慈悲を乞う。
1912年 テンペラ、油彩/カンヴァス 610×810cm(写真・説明文はミュシャ展公式ホームページより)」

初めに近くで見て下の女性の眼差しに吸い込まれそうになった。

恐れ、不安、そんな感情が流れてきた。

上の方に大きな人がいるなと思いながら人に押されしょうがなく次の絵へ進む。

何枚か鑑賞し振り返ると正面に先ほど見た『原故郷のスラヴ民族』が厳かに鎮座していた。

その瞬間体が何かに縛られたような感覚に囚われた。

神様がいる。

注釈は読んでなかった。

ただ、神様がいると思った。

神様の後ろからこちらに強い風が吹いている。

思わず尻餅をついてしまいそうなほど、とてつもない迫力だった。

実際は神に慈悲を乞うスラヴ民族の司祭だった訳だが、それは置いておこう。

『原故郷のスラヴ民族』を見ただけで、この展覧会に来て本当によかったと思った。



その他にもいくつか載せておこう。

3枚目『スラヴ式典礼の導入』

「ヴェレフラード城の中庭で、王に宗教儀式でスラヴ語の使用を認可する教皇勅書が読み上げられる場面(9世紀)。
先王は二人の僧侶に聖書をスラヴ語に翻訳させ、それによりゲルマン人司教やローマ教皇を憤慨させていた。
スラヴ式典礼を導入し正教会へ傾倒することで、スラヴ人はローマ教皇や神聖ローマ皇帝の支配を逃れることができた。
1912年 テンペラ、油彩/カンヴァス 610×810cm(ミュシャ展公式ホームページより)」

8枚目『グルンヴァルトの戦いの後』

「15世紀初頭、ドイツ騎士団は北方スラヴ諸国に侵攻した。
ポーランド王ヴラジスラフ王とボヘミア王ヴァーツラフ4世の連合軍は、1410年、グルンヴァルトの戦いでドイツ軍に勝利した。
1924年 テンペラ、油彩/カンヴァス 405×610cm(ミュシャ展公式ホームページより)」

12枚目『ヴォドニャヌイ近郊のペトル・ヘルチツキー』

「フス戦争の時代、ヴォドニャヌイは熾烈な戦いの場となった。
怒りに満ち、悲しみにくれる住民たちは、司祭にして偉大な哲学者であるヘルチツキーに救いを求めた。
司祭は聖書を手に、復讐しないよう彼らを諭した(1433年)。
1918年 テンペラ、油彩/カンヴァス 405×610cm(ミュシャ展公式ホームページより)」

17枚目『聖アトス山』

「ギリシャのアトス山は正教会の最も神聖な場所である。
スラヴ民族をビザンティンの教育や文化へとつないだ正教会への賛辞をこめた作品。
1926年 テンペラ、油彩/カンヴァス 405×480cm(ミュシャ展公式ホームページより)」

18枚目『スラヴ菩提樹の下でおこなわれるオムラジナ会の誓い』

「1894年にスラヴ文化の再興を求めるオムラジナと呼ばれる民族主義的な団体が結成された。
20世紀初頭に団体は弾圧を受け、提唱者たちは公職から締め出された。
1926年(未完成) テンペラ、油彩/カンヴァス 390×590cm(ミュシャ展公式ホームページより)」

20枚目『スラヴ民族の賛歌』

「スラヴ民族の勝利のヴィジョン。
画面右下の青はスラヴ史の神話の時代、左上の赤はフス戦争、中央の黒い人物像はスラヴ民族の敵、
黄色い人物たちはスラヴ民族に自由と平和と団結をもたらす人々。
1926年 テンペラ、油彩/カンヴァス 480×405cm(ミュシャ展公式ホームページより)」



感想を書くのがおこがましく感じるほどの凄まじい展覧会だった。

展覧会でこんなに疲れたのは初めてかもしれない。

絵が大きいので作品数は少ないのだが、一つひとつの絵が放つエネルギーが桁違いだった。



絵を描く者として凄く稚拙な表現かもしれないが、うますぎてそのうまさに理解が追いつかない。

「これ最初にイメージ出来てるの?そんなのありえないよ!」



例えば写実主義はどんなにうまかろうがそこにあるものを客観的に描くだけであって(もちろん相当高い技術を持っているには違いないが)、

とてもわかりやすく鍛錬を重ねればいつか自分にも手が届くのではないかとぎりぎり妄想出来る。

しかしミュシャは相当高い写実的技術を持っている上に、精神性を形にする独特な感性さらには表現方法を持っている。

彼は主義などに縛られていないのだろうが、端から見るとリアリズムとロマンティシズムの狭間にあるような感じ。

現実ではなく想像を絵にするというのは非常に難しいことなのだ。

構図、配色があまりにも天才的で、どれほど空間を把握する能力に恵まれていた(あるいは培った)のだろうと想像すると気が遠くなる。

『スラヴ叙事詩』は通してテンペラ画法なる方法で描かれている。

それが何なのかよく分からないが、チューブの油絵が普及する以前の主要な画法だったのだとか。



今回のミュシャ展ではフランス時代の代表的なポスター画なども多く展示されていた。

20枚の大作を観たあとの、ポップささえ感じるリトグラフで描かれたアールヌーヴォーの代表作、幅広すぎるよ本当。

『四芸術』-「詩」、「ダンス」、「絵画」、「音楽」;(1898年)


連作『四つの花』(1898)




意気消沈したけど心から行ってよかったと思う。

出口付近でもう一度だけ『原故郷のスラヴ民族』を見たいと思ったが、この人の多さでは逆戻りは無理だと諦めた。

『スラブ叙事詩』で描かれている人間はチェコに住む人がモデルをしたそうな。

いろいろ詳しい人が書いたブログなど面白かったので載せておく。

最強のミュシャ展がスタート!スラヴ叙事詩全20作を見逃すな!【展覧会感想】

ミュシャ展公式ホームページ



いやいや、参った。
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久々の新作

2011年10月04日 | 
久々の更新にして、久々の新作。
4年前に亡くなった幼なじみの墓標だ。














下書きして描いたものを1回消した。
「やさしさ」とか「かわいらしさ」を意識して描いたのだけど、
私らしくないので結局納得できなかった。

描いていて楽しくないとやっぱり描ききれないのだ。
ということで自由に描かせてもらった。
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「春がきた」

2011年05月18日 | 
もう初夏だけれども、「春がきた」。



裏彩色で色も付けてみた。



春なんてあっという間に過ぎさって、もう日中は厚いわけだ。
時間なんて、何の感慨も違和感もないまま過ぎて行く。
私は、時間を止める術を持ち合わせていない。
その流れに抗うことも出来ない。
でも、それでいいんだと私は思う。
今、サラサラと涼やかにその流れにとけ込んでいく。

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