歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

夫と虫の話

2024年07月09日 | 日記

「そろそろ行くから、行ってきます」

そう言いながら、夫は寝室で仮眠をとるらしい。

目が覚めて私の部屋に顔を出し、

「じゃあ、行ってきます」

しばらくして今度は階段の下から大きな声で、

「行ってきます」

間髪入れず、

「ケータイ無くしたから鳴らして!」

下の部屋に行きケータイに電話をかける。

「あった、ありがとう!行ってきます」

下に行ったついでにシンクにたまった皿洗い。

夫は洗面台で歯でも磨いているのかまだ気配がある。

気にせず嫌いな食器洗いに没頭しているとキッチンの扉が開き、

夫は変わらず大真面目な顔で言う。

「行ってきます」

これには吹き出してしまった。

何回言えば気がすむのだろうか。

離れるたびに今生の別れでも覚悟しているのか、

はたまた言い忘れない為の保険か、出くわすごとに確実に言葉にする。

その度に私は大真面目な顔で「行ってらっしゃい」と言う。

力を込めて「運転、気をつけて」と付け加える。

 

夫が家を出てしばらくして、床を這う小さな虫を発見した。

右に左にうねうね体をうねらせて歩く黒くて細長い虫。

頭は丸く尻尾は二手に別れていた。

少し懐かしい感じがした。

なんとなく頭の中に「オケラ」という言葉が浮かんだ。

オケラってなんだっけ?

不思議な形に不規則な動き。

こんなの見たら虫嫌いの夫は発狂するだろうな。

最近YouTuberのうごめ紀さんの動画をよく見ているのもあって、

形状や色がわかりにくい一見見所のなさそうな虫も悪くないと思い始めたところ。

紙に乗せて玄関から外に出した。

 

それからNetflixで友達一推しのドラマを見ていたら、

猫が横でうずうずソワソワしはじめた。

これは何か発見したな?と思いカーペットをめくったら、

案の定小さな虫がテテテと歩いていた。

よく見たらゴキブリの子供じゃないか。

コンバットを置いているのに珍しい。

大きくて黒々としたゴキブリはやはり苦手だけど、

小さいのはまだ他の虫と大差ない。

爪でカーペットの外に弾くと猫が追いかけた。

しかし手は出さない。

じーっと離れたところから観察している。

この臆病者〜。

さっきと同じように紙に乗せて玄関から外に出した。

これってまた戻ってくるよなとチラリよぎったけど、

ゴキブリですら殺す気分にならなかった。

 

扉を閉めて戻ろうとすると、視界の片隅で何かが光った。

タイルの上にテカテカした筋が一本、その先に小さなナメクジが丸まっていた。

なんだ、なんだ、何事だ?

3連続の侵入者に関連性を求めてしまう。

何かが起こる予感めいた、ファンタジックな香り。

ざわざわとわくわく。

普通だったら見逃してしまうような生き物たちの気配に私も敏感だった。

これはレイチェルカーソンの言ったセンスオブワンダーみたいなものでは。

そう思いつつ本はまだ読んでいない。

ただなんとなくセンスオブワンダーという言葉がしっくり来る。

 

その後特に何かあったわけではない。

きっと先日の大雨の影響で生き物たちもそれぞれ蠢いているのだろう。

ひと段落してスマホで調べるとさっきの虫はオケラだった。

不思議だな。

覚えている限り実家を出てからオケラのことを思い出したことはない。

実家にいたころだってオケラに注目したことはない。

それでも懐かしさとともに記憶が戻ってくる。

どういう動きをするのか知っている。

最近のことなんだよね。

ホウセンカの実を見てそれが弾くことを知っていたし、

小さな黒い虫を見て「コメ」というワードが浮かんだと思ったら、

コメツキムシだったり。

子供の頃の記憶が、生き物をきっかけに蘇ってくる。

それを取り巻く景色がぼんやり浮かんでくる。

ゴミムシがなんでゴミムシというのか気になって追いかけまわしたり、

跳ねるのが面白くてコメツキムシをしつこく触って死なせてしまったり。

忘れるって、消えるってこととは違うんだな。

 

家に虫がいるとギョッとするのはわからなくもない。

テリトリーへの侵入はそれが何であろうと違和感はある。

そのテリトリーが広すぎて、他を寄せ付けないようになってしまっている。

でも虫やいろんな生き物はそこに確実に存在していて、

人間の意思とは関係なく勝手にやっている。

それは人間にとってある意味希望なんじゃないかな。

それぞれ好きな絵本。

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フュリオサのこと

2024年07月03日 | 映画

「思い出の反芻は目減りのしにくい娯楽だ」と言った人があったけど、

懐かしさを添えるだけで極上の娯楽になるのは何故だろう。

「最も好きな映画は?」と問われ思いつくいくつかは、子供の頃に見た映画ばかり。

見た当時の風景や、空気のようなものまで一緒にラッピングされている。

思い入れは時間と共に熟成されていくのだ。

 

そんな中ノスタルジーなど関係なくリアルタイムの衝撃だけで私の映画ライフに食い込んできた映画がある。

『マッドマックス 怒りのデスロード』だ。

無防備に見た私は度肝を抜かれた。

製作者のはち切れんばかりの情熱を浴びて、すっかりその熱に当てられた。

全ての場面を食い入るように見て、いちいち反応しいちいち感動した。

最初のシーンからビシバシ伝わる「尋常ではない」感。

 

『七人の侍』や『スターウォーズ』を公開当時に見た人たちの衝撃に近いのかもしれない。

こんな世界は知らない、とんでもないものを見せられている、その現場に立ち会っている興奮だ。

 

その物語を引っ張っているのがシャーリーズセロン演じるフュリオサだ。

ああ、だめだ、カッコ良すぎる。

虐げられている女たちを、1人の女がさ、救おうと戦う姿に私は涙が出るんだよ。

私の嫌いな言葉に「男のロマン」というやつがある。

ロマンを男だけのものにしやがってといつも悔しい気持ちになるのだ。

そこへきてフュリオサは女のロマンだよ。

私は孤独なかっこいい女が本当に好きなんだ。

泣き言ひとつ言わない、屈強で決して折れない女。

女を救うのは女だよ。

 

だから彼女が膝を降りへたり込む場面で私はいつも号泣してしまう。

映画は彼女がイモータン・ジョーを裏切る場面から始まるけど、

そこに至ったであろう苦境と孤独を勝手に想像してやりきれなくなるのだ。

それでも立ち上がる。

生きていく。

 

そこで一匹狼マックスの己との戦いが交差して、一緒に強大な敵に立ち向かうわけだ。

初めて見た時はトム・ハーディのマックスにあまり興味がなかったのに、見るたびに魅力的に見えてくる。

マックスと対等に渡り合える女になりたいね。

心で完全に信頼していなくても、技量がありお互い見定めることができれば背中を預けることができる。

プロフェッショナルなのだ。

マックスに限らず、登場人物一人一人が自分の役割を理解していて実行する力を持っている。

ウォーボーイの端っこの一人でさえ車に献身しているのだ。

 

フュリオサとマックスに引っ張られ、

最初守られるだけだった女たちまでもが戦い自分たちで生きる道を獲得していく。

ウォーボーイの一人に過ぎなかったニュークスの己を取り戻す戦いに涙。

思い出すだけで胸が熱くなる。

あまりに突き抜けた、感情的で特別な映画だ。

 

 

映画『フュリオサ A MADMAX SAGA』はずっと待っていた。

公開日が発表されてから、大げさでなく指折り数えて待っていた。

万全の状態、最高の環境で観たいから体調にも気をつけ座席は予約可能日の深夜0時すぎにとった。

もちろん公開日のIMAXシアターだ。

 

1回では消化できず2回見に行った。

というのも1回目観た時は『怒りのデスロード』を超えるヴィジュアルインパクトを期待していたので、

あまりの予想外な話に面食らってしまったのだ。

本当ジョージ・ミラー監督に失礼なことをした。

この9年の現実世界の変容たるや、もはや別の世界と行ってもいいくらい大きい。

その中で同じようなド派手な爽快ヒーロー物語をつくっても意味がなかったのか。

前作のフュリオサ然り、主のために美しく散るウォーボーイ然り。

生々しく地を這う若き日のフュリオサを、決してヒーローにしなかったんだな。

苦しいな。

こういうところに創作者の凄みを感じる。

 

子供時代が長いという話があるけれど、私は子供時代がとても好きだった。

導入部の緊張感とワクワクはすごい。

何と言ってもフュリオサの母ジャバザの圧倒的なかっこよさにノックアウト。

この母の魂がシャーリズセロン版フュリオサにも受け継がれていくんだね。

母との約束には序盤にもかかわらず涙が出た。

ここから孤独な戦いがはじまったんだね。

そしてディメンタスとの変な関係性も面白い。

力がないゆえ外部の環境に振り回されあっちにいったりこっちにいったり。

ディメンタスってなんか嫌いになれないんだよな、愛嬌があるからかな。

 

私の願いは一人でいいからマックスみたいなかっこいい男が出てきて欲しかったということ。

ジャックではだめだ。

彼は優秀で優しい普通のいい男に過ぎない。

この男とずっと一緒にいたらダメになりそうだなとすら思わせる。

マックスみたいな超人的なかっこいい男が側にいたらと思うけれど、それではヒーロー物語になってしまうか。

それに男に助けてもらうようでは、フュリオサは生まれない。

かっこいい男といえば敵方のオクトボスはとてもよかった。

マスク姿も素顔もかっこいいしカリスマ的な雰囲気がある。

部下を大切にしていて信頼もされており、何より戦い方が最高。

冒頭ディメンタスの基地の空にたなびいていた黒い蛸(凧)がタンクの後ろに現れた時は感激した。

そういうことだったの!?と。

どれだけ楽しませてくれるの。

 

マッドマックスシリーズでとても好きなのが、敵の親玉が自分で運転するところ。

1のトーカッター、2のヒューマンガス、『サンダードーム』のアウンティ・エンティティ、

そして『怒りのデスロード』のイモータンジョーに今回のディメンタス。

バイクはわかるんだけど、偉そうな奴が車を自ら運転するって本気度が伝わって愛着がわく。

ディメンタスが愛車のシックス・フットに乗り込んで、運転手を押しのけ自分でハンドルを握る場面は特に好きだ。

顔を歪ませ、大きい体に力を込めて小さなハンドルを一生懸命握って、

それがズームアウトしていくとバックでは炎が燃え上がっている。

怖いし、かっこいいし、面白いし、ちょっと可愛い。

その荷台には部下が二人乗っていて笑ってしまう。

 

クライマックスになるかと思った40日戦争は昔の絵画風ダイジェストで、

しっかり描かれていたのはフュリオサとディメンタスの対峙。

じりじりと追い回し、ついには追い詰めた。

復讐か、そこはいまいちピンとこなかった。

人権など捨て置かれた砂漠の世界で、人一人の命がどれだけの重さなのか私にはわからない。

ジャバザは想像するに「母」であり、村の支柱的存在でもあったんじゃないかな。

フュリオサの誇りだったんだろう。

だから母を殺した相手を許さないのは理解できる。

しかし、その相手がディメンタスというのがなんだかしっくりこない。

うまくいえないのだけど復讐の相手として適切じゃない気がする。

空っぽだから苦しめたところで意味がないような。

そういう意味でも私にとってディメンタスとは掴みにくい不思議なキャラクターなのだ。

よく見るようで見たことのない悪役。

「お前は俺と同じだ」という彼の言葉が今も心の中でザラついている。

何度でも見よう。

それだけの奥行きがある。

 

ディメンタスのバイクを馬のようにつないだ乗り物を見た時、子供の頃に見た『ベン・ハー』を思い出した。

あれは馬を何頭かつないだ馬車だったと思う。

それが煙を立てて闘技場を走り回る場面は今でもよく覚えている。

英語を話す人に言わせると台詞の中に古代ローマに関する言葉がちょくちょく出てくるらしい。

神話的な物語となるべく仕掛けが細部に描かれているんだねぇ。

 

最後、ウォーリグに乗り込むフュリオサと女たちの姿が描かれ、

エンドロールはそのまま『怒りのデスロード』に突入していく。

前作ファンにはたまりませんな。

映画館で『フュリオサ』を見た後、帰って『怒りのデスロード』を見た話はよく聞くけれど、

私は帰って『MADMAX』『MADMAX 2』『サンダードーム』を3本立てで見た。

朝『怒りのデスロード』を見てから映画館に行ったので、1日で5本見ちまった。

1ヶ月以上前の話だけど、なんともいい一日だったな。

ジョージ・ミラー79歳か、まだ映画作れそう。

大人しく待っています。

映画館でポスターとステッカーをもらった。こういうのはすぐ貼る。

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