歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

殺戮にいたる病

2018年11月25日 | 
この夏から秋にかけてミステリーやホラー、サイコサスペンス系の本ばかり読みあさっていた。

一時和製ファンタジーに道草していたが先日また戻ってきた。

秋口に買いだめておいた本の山から、

移動時間にと手に取ったのが我孫子武丸の最高傑作と名高い『殺戮にいたる病』だ。

ミステリーやサイコスリラーに耐性があり、なおかつまだこの本を読んでいない人は是非読んでみてほしい。

最高の一冊だと思うかもしれないし、読んだことを後悔するかもしれない、

中にはなぜこんな本を勧めたんだと憤る人もいるだろう。

ひとつはっきりしているのはこの本がどえらい本だということ。

以下ネタバレになるので、読んでいない人は絶対読まないように。





『殺戮にいたる病』

我孫子武丸 著
講談社 1992年(講談社文庫 1996年)



移動時間のために選ぶ本は基本的にあまり期待していない。

読みやすそうなものを基準に選んでいるからだ。

『殺戮にいたる病』は比較的薄い本で、タイトルからも読みやすいと判断した。

タイミングが合っていたからか、案の定1行目からすっと入ってきた。



「蒲生稔は、逮捕の際まったく抵抗しなかった。」

物語は一人の男の逮捕シーンで幕をあける。

そこに居合わせた60代の男樋口と犯人の身内と思われる女性蒲生雅子は、

つい先ほど目の前で行われたあまりに忌まわしい犯行に茫然自失していた。



物語はこの冒頭シーンに登場する蒲生稔、蒲生雅子、樋口の3つの視点で語られる。

稔がいかにして身の毛もよだつ恐ろしい犯罪に手を染めるに至ったのか。

息子が犯罪者だという疑いを持ってから、雅子がどのようにそのことから逃げ、また向き合ったのか。

振った女性がその日に連続殺人犯の手にかかり命を落としてしまい自責の念に苛む元刑事樋口は、

その事件とどう関わっていくのか。

それぞれの物語がある一点で交差する時、メインストーリーはクライマックスを迎える。



最後まで読みやすくあっという間に読んでしまった。

しかし想定外の読後感に未だ戸惑っている。



『殺戮にいたる病』は今まで感じたことのない3つの感覚を置いていった。

まず、絶対に子供に読ませてはいけないということだ。

子供はいないがこの文章から子供を守らなければいけないと強く感じた自分の母性に驚いた。

今までR指定に注目したことはほとんどなかった。

私が子供だった頃は映画など平気でその禁を破っていたわけで、

むしろ厳しすぎるのは過剰な干渉だと思っていたし思っている。

しかしネクロフィリアが主題のこの本は別だ。

今まで散々冷酷非道で残忍な描写を読んできて十分な耐性があるはずなので、

今更人間の闇といわれる部分(小説で描かれる範囲の)に衝撃を受けるとは思わなかった。

犯行の残酷さや非情さよりもグロテスクなのが、

犯人が自分の犯行を真実の愛の行為だと信じてやまないことだ。

そこに何かしらの影響力があるような気がしてならない。

ロリータコンプレックスについて、生まれながらにそういう嗜好を持つ人は確かにいるが、

ウラジミール・ナボコフによる『ロリータ』によって一般に知られるようになると、

そうした人の数が急増したという話を聞いたことがある。

つまり知ることで自らもそうなる可能性があるということだ。

知らない方がいい世界というのもあるのかもしれない。



次に完敗したということ。

言い訳の余地がないほど完膚なきまでに騙された。

この物語が叙述トリックを用いたものだと知らなかったのは本当に幸運なことだった。

すでに知っていた場合や途中で気づいた時とは衝撃が段違いだ。

例えば叙述トリックで有名な綾辻行人の『十角館の殺人』のトリックは確かにとても驚いたけれど、

自分が騙されていることを最初からわかっていたし、

読んでいる時は潜んでいる罠を血なまこになって探した。

しかし『殺戮にいたる病』ではそういう一切を予感させない。

「ん?」と不思議に感じる部分もいくつかあったが、そこで立ち止まることは一度もなかった。

それほど読みやすく違和感を違和感と認識する時間を与えてくれなかったのだ。

また読み手はネクロフィリアという異質な題材で手いっぱいになり、

それ以上の何かがのちに待ち構えているなんて想像もしないというわけだ。

読み終わった後あまりに衝撃的だったので、

頭を整理するために部屋の中をぐるぐる歩き回っていたくらいだ。



そして最後にすぐ読み直したいと思ったことだ。

読み直して自分でちゃんと確認しなければという熱量に我ながら驚いた。

実際に衝動のまま最初の10ページほど読んで我に返った。

とりあえず一旦落ち着こう。



グロテスクさも読みやすさも衝撃度も全てが飛び抜けている。

つまり私にとっては最高の一冊になったというわけだ。

難しいのは誰彼見境なくお勧めはできないということ。

すごいな〜びっくりした〜。
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代官山パーチーナイト

2018年11月25日 | 日記
18時半過ぎ、電話がかかってきた。

「今代官山でパーティーやってるんだけど来れば。」

夫はいつも唐突だ。

彼は照明関係の仕事をしているので、いろんなイベント会場に出入りしている。

その日はとある建物のクリスマスイベントのオープニングパーティーだったようだ。



ど田舎出身の芋っこ芋子にとって瞬時に心のシャッターを閉じるワードが2つ入っている。

「代官山」と「パーティー」だ。

代官山…いまだかつて足を踏み入れたことがない未開の地に加え、

パーティー…きらびやかな怪物たちの集い、今まで何度その誘いを断ってきたことか。

「いやもうご飯作っちゃったから、、、もっと早く言ってよ。」

と、まな板の上の切れ目一つ入っていないナスを眺めながら言う。

「Rちゃんもくるよ」

ズズッと心が動くが、後一歩踏み出せない。



電話を切った後少しぼーっとしていると、いろんな著名人の言葉が頭の中をぐるぐる回り始める。

「誘われたら全部顔を出します」「結局人ですから」「一期一会ですよ」「、、、、」「、、」

気づいたら夫に連絡をしていた。



ややあって家を出たのは20時前、会場に着いたのは21時前で閉店まで約1時間だ。

会場はガーデンカフェと言ったらいいのか、

植物やミラーボール、キャンドルで装飾された広めのテラスと屋内のバーに人がちらほら。

横から夫が「最初は300人くらいいたんだけどね」と付け加える。

奥の方からRさんが近づいてくるのが見えて、一気に心の花が咲く。

Rさんは夫の仕事仲間で私の大事なお友達だ。

よくよく周りを見渡せば見知った顔ばかり、拍子抜けだがほっとした。

みんなとても気のいい人たちで話も面白い。

熱い話もいろいろ聞けて、ちゃっかり刺激されてやんの。

想像以上に楽しいのなんので、好きな人たちがいたら結局場所や形態は関係ないのだと実感した次第。

この人たちのいる場所だったらどこでも面白そうだ。

そういう場所にはほとんど顔を出さないので、彼らの中で私はレアキャラらしい。

私はどこでもレアキャラだな。



パーティーという言葉に媚びるのが嫌で代官山のパーティだというのに、

思い切って母がつくった藍染の刺し子のズボンをはいて行ったのだが、

これが好評でおしゃれ番長のRさんから「お母さんやるね」との言葉を頂戴。

最近は家でも毎日はいている。



「代官山」とか「パーティー」とか聞くと腰がひけるけど、わざわざそれに合わせる必要はない。

勝手に想像して無理に合わせようとするから億劫になるんだろうな〜。

これからは誘われたらできるだけ顔を出そう。

そこからしか始まらないものもあるだろうしね。

それにしても夫くん、もう少し早く教えてくれよ。

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秋の夜長

2018年11月15日 | 日記
くっきりとした輪郭の陽光がカーテンの隙間から床に落ちている。

窓を全開にすると少し冷えた柔らかい風が首を撫で、通り過ぎていく。

寒い寒いと言いながら窓は閉めずにフリースを羽織る。

そういうささやかな暖かさが好きだ。



大分に住んでいる幼馴染が自分で作っている野菜を送ってくれた。

クセのある形をしているがスーパーで買うものとはやはり違う。

なんだかとても美味しいのであった。

なかでもさつまいもを焼き芋にするとその甘さとみずみずしさに驚いた。





2ヶ月くらい前から玄関先に立派な女郎蜘蛛が巣をはっていた。

うちと隣の家と背の高い金木犀の3点を結ぶ大きな巣だ。

ちっぽけな虫がどうやってそんなに大きな巣をつくるのか不思議である。

女郎蜘蛛はいつも巣の真ん中に鎮座し、じっとしていた。

リアルドリームキャッチャーかな。

どういうわけか昔から蜘蛛が好きだ。

気持ち悪いものと思われがちだが、どちらかというと神聖な感じがする。

さっき確認したら巣もろとも消えていたので、大家さんが処分してしまったのだろう。

全く、残念だ。





秋は貴重な季節だ。

一年でもっとも気持ちのいい季節なのに、意識しなければ一瞬で過ぎてしまう。

地元に住んでいた頃は山や田んぼが赤や黄色に染まり、秋を教えてくれた。

街では駅の広間や店々のショーウィンドウがハロウィンからクリスマス装飾に入れ替わったところ、

こうやってぼんやり景色を眺めていると1年がイベントで回っているような錯覚に陥る。

私もずいぶん前からその景色に同化しているような気がする。



いつもと違うスーパーの帰り道、

とぼとぼ歩いていると大きな空き地一面に広がるススキ野が目に飛び込んできた。

行きでは全く気づかなかったのになんでかな。

日がだいぶ西の方に傾いている、思えばずいぶん日が短くなったような。

ああ、秋なんだな。

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夫と『ロードオブザリング』

2018年11月10日 | 映画




実家でもっぱら評判の良かった映画『ロードオブザリング』だが、

映画好きの知り合いはファンタジーが苦手という人が多く、

今まで誰かとそれについて語らうような機会には恵まれなかった。

夫も全作観たらしいが一緒に観ようと提案するといつも難色を示す。

しょうがないからいつも夫がいない時にひっそり観ていた。

それがどういう風のふきまわしか、

私が独り言で「ロードオブザリング観たい」とつぶやいたら

夫が一緒に観ると言いだすものだから、

彼の気が変わらないうちにと夜な夜な映画大会が始まったのである。

三部作全10時間弱の大作を5日かけて鑑賞。



やはり『ロードオブザリング』は最強のエンターテイメントだ。

ピータージャクソンと俳優とスタッフさん、よくぞこのような大作を世に残してくれた。

どれだけの人と時間とお金がかかったか想像もできないけれど、

途中で投げ出すことなく作り上げてくれたことに心から感謝。

『ロードオブザリング』は私にとってディズニーランドのようなものだ。

「大冒険」という夢の世界をひと時観せてくれる。

薄皮一枚で繋がるようなギリギリの物語が続くので休まる時間はほとんどない。

まさにジェットコースターだ。



夫は初めて観たような感覚らしく、いちいちリアクションを取っていた。

私は私で偉そうに「わからないことがあればなんでも質問して」と威張るものの、

本は途中で断念したので映画上の知識しかない。

夫「サムはなんで敬語なの?」

私「サムはフロドの家の庭師だからだよ」

夫「ケイトブランシェットが怖いんだけど味方なの?」

私「味方だよ。指輪がそうさせるんだよ」

夫「ガンダルフはなんでたまにしか魔法を使わないの?」

私「万能じゃないんだよ(適当)」

その他多くの質問には、

「それが使命だからだよ」と「指輪のせいだよ」でだいたい間に合う。



夫の反応で一番面白かったのは第一部「旅の仲間」の後半、

アイゼンガルドでサルマンが軍隊を量産する場面に差し掛かった時だ。

後の大戦を予感させるとても恐ろしい場面、

無数のオークが薄暗く不気味な地下空間で武器や鎧をせっせと作り、

妖術で生み出されたウルク=ハイの世話をしている姿を観て夫が一言、

「オークは本当に働き者だな」。

これには笑ってしまった。

その視点はなかった。

確かに文句も言わずよく働くこと。


アイゼンガルド

オーク

ウルク=ハイ



『王の帰還』のエンドロールで口を開いたかと思えば、

「つまりはレゴラスが最強ってことでいいですか?」だと。

「はい、いいでしょう」

夫は夫なりにはまったらしく、いろいろ回想してあーだこーだ言っている。

生活に覚えたてのロードオブザリング知識を挟んでくるのもその証拠だろう。

壁にはっている蜘蛛を指差して「婆さんがいるよ」とか、

「君はウルク=ハイに似ているね」とか、、、おいおい。



子供の頃はアラゴルンがかっこいいと思っていたけれど、

今観ると旅の仲間で唯一死んでしまったボロミアがとても人間臭く趣深い、

というかかっこいい、というか好き。







この勢いのまま次は『ホビット』三部作だ!

Amazonがドラマ製作に取りかかるらしいから、それも楽しみにしておこう。
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ドラッグストアのエンドウさん

2018年11月07日 | 日記
レジに彼がいるとラッキーと思わせてくれる、そんなエンドウさん。

年は30代後半くらい、ちょっと細長いおまんじゅうみたいな顔で、

柔らかい笑顔を絶やさず、それがわざとらしくない。

レジ打ちはとてつもなく早いのに、余裕があって角がない。

物腰が柔らかいとはまさに彼の事だろう。

優しさというか慈悲深さが滲み出ている感じ。

夫と二人で密かにエンドウさんのファンになってもう3、4年経つ。

前にバス停でプライベートな彼と鉢合わせた事があったけど、

私服はピチピチの革ジャンにジーンズというかなりロックな感じで、

そのギャップもなんだかぴったりな感じがした。



アマゾンプライムの恩恵に与かり最近はあまり行けていないが、

最寄駅の近くにあるTSUTAYAの店長もなかなか印象的な人だった。

入店と退店の際はどこにいようが高い声を張り上げて力一杯挨拶してくれる。

ハンプティダンプティみたいな見た目でよくおでこに汗を滲ませていた。

エンドウさんとは違いきっと頑張って接客をしていたのだろう。

誰もそばにいない時にふと表情が翳ったのを見た事がある。

でもやっぱりいつも大きい声でハキハキ対応してくれるので、よく元気をもらっていた。



それにしてもエンドウさんの頭は一体どうなっているのだろう。

あの慎ましい柔らかさは生まれつきの性質なのかしら。

こちらまで洗われるようだ。


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