歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

ガラスペンで戦意喪失

2016年04月19日 | 文房具
皆さんはガラスペンという存在をご存知だろうか?

その名の通りガラスで出来たペンのことだ。

漫画を描く時に使うGペンや昔の映画でよく見る羽ペンなどと同じで、

インクにつけて文字や絵を書く。

1902年に日本の風鈴職人である佐々木定次郎によって考案されたのだとか。







ガラスペンとの出会いは、数年前にもらった友人からのプレゼント。

軸が奇麗な青色をしたルビナート社の定番の型(写真手前から3本目)。

太い線を書くのには十分だ。

その後奈良で出会った女性からガラスペンを5本もいただいた。

いずれにしろ貰い物ばかりだが、とても重宝している。

中でもよく使うのが写真手前2本の中島製作所の竹軸極細仕様。

日本製はこの2本だけである。

他と比べても、ペン先がとても繊細で細い線が奇麗に書ける。

今まで使ってきたペンの中でも一番のお気に入りだ。

一般的な評価は別としてかなり相性がいいと思われる。

そのうち1本はもともとペン先が欠けていたので実質使えるのは1本だ。









ガラスペンを出発点としていろいろ想起出来るが、

今回は一つのものに執着しすぎると周りが見えなくなるという話。

「恋は盲目」なんて言葉があるが、対象がものであっても同じことだ。



昨日そのペンで楽書きをしていた時のこと、

インクにペンを浸していた時にカツッと不吉な音がした。

恐る恐るペン先をみると案の定ペン先が欠けていたのだ。

残念だがまたネットで探せばいいと慢心していたのだが、

ペンの型番を再度確認するためにシールを見ると嫌な予感が。

「中ニ脱脂綿又ハ海綿ヲ入レテ御使用下サイ」と書いてあったのだ。

カタカナのレトロ具合にこの会社はまだ存在するのだろうかという一抹の不安。

調べるとやはりもうなくなっており、久々にとても落ち込んだ。



ーーー
これからもっと白黒の絵に挑戦しようと思っていたのに、

なぜこんなケアレスミスで大事なペンを破損してしまったのだろう。

他のペンでは思う様な線にならない。

高校生の頃よく聞いていたBUMP OF CHICKENの歌の一節が頭をよぎる。

♬本当の大事さはいなくなってから知るんだ♬

まさに戦意喪失。

他の人からすれば「大げさだ」と一笑されるようなことかもしれないが、

私にとってペンとは相棒であり他には替え難い大切なものなのだ。
ーーー



と、このような感じで執着が広い視野を消し去り進むことを許さない。

我に返るとこんなにばかばかしいことはない。

仕事の視点で見ると、ガラスで出来ている以上ガラスペンは消耗品である。

これからも使っていくことを考えれば、替えのきくものを探さなければならない。

もちろん消耗品として割り切るようなことはしたくないが、柔軟な視点も大切だ。



そうやって少し冷静になって探すと似たような製品が見つかるもので、さっそく注文した。

お気に入りに執着しすぎると安心感により無知のままだ。

これからもっともっと素敵なペンに出会えるチャンスがあるはずだ。

落ち込んでばかりもいられない。



なんだか振られた女が割り切って前を向く話みたいになってしまった。

お気に入りも大事だが、執着しすぎると自分も大変だから程々くらいがいいかもしれない。



噂のガラスペンで一昨日描いた絵。友達の娘バーションの「不思議の国のアリス」だ。
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Alabama Shakes

2016年04月17日 | 音楽
アメリカの若手ロックバンド、Alabama Shakes。

2016年グラミー賞ではアルバム"Sound&Color"がBest Alternative Albumを受賞。

ヴォーカルのブリタニー・ハワードが私と同じ1988年生まれだと知って少し落ち込んだ。



魂を揺さぶる人たち。

前作の"Boys&Girls”から3年、"Sound&Color"はより重厚かつ洗練されたアルバムだ。

"Gemini(双子座)"と名付けられたこの歌が、いったい何を歌っているのかは分からない。

それでもじわじわと体に染みてくる。

目を閉じてゆっくりと息を吸い込む。

ブリタニーのハスキーヴォイスが耳を伝い脳に届く。

すると、自分が宇宙空間に漂っているかのような感覚に陥る。



ただ、ただ涙がこぼれてくるのはなぜだろう。

Austin City Limits Web Exclusive: Alabama Shakes "Gemini"




Alabama Shakesの曲で一番好きなのは"Boys&Girls”に収録されている"You Ain't Alone"。

何百回聞いても、歌いだしの"You ain't alone, so why you lonely?"の部分で「これだっ」と確信してしまう。

是非。
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鎮座DOPENESS延長戦

2016年04月15日 | 音楽
前回に引き続き鎮座DOPENESSの動画を投稿。

前回の対黄猿の延長戦だ。



なんなんだ?

なんということだろう?

もうなんて表現したらいいか分からない。

たった30秒程の動画に脳天を打ち抜かれた。

ラップのフリースタイルの枠を超えている異次元の世界感。

彼が凄いのは見ていて楽しく、決して飽きないこと。

見る者聞く者全てを受け入れてくれる懐の広さ。

独特なリズム感と説得力のある言葉を即興で繰り出し観客を引き込んでいく。

安易だけど「かっこいい」の一言につきる。



彼のベクトルは熱いメッセージを伝えることより、自分が気持ち良くなる方へ向かっているらしい。

なんだか納得、だからこそ聞いているこっちまで気持ちよくなるわけだ。

そんな人間性にも惹かれます。

鎮座DOPENESS vs 黄猿 延長戦
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鎮座DOPENESS(チンザドープネス)

2016年04月13日 | 音楽
音楽に対して特定のジャンルに偏った聞き方はあまりしないけれど、

メジャーなジャンルでこれだけは手が出ないというのが2つかある。

まずメタル、ハードロックは好きだがメタルはうるさいイメージがあって苦手だ。

そして日本人のヒップホップ、東洋人の血には合わないような気がしている。



今日のテーマはヒップホップだ。

自分から聞いてみようと挑戦したことはないのではっきり言って食わず嫌いだ。

日本人がやったところで本場には勝てないし、チャラチャラしていて共感出来ないというイメージ。

海外のアーティストをとってしてもiTunesにはEminemやLauryn Hillくらいしか入っていない。



テレビ朝日にて火曜の深夜25時26分からフリースタイルダンジョンという番組がやっている。

これは即興のラップで相手を倒すというラップバトル番組だ。

Eminemの『8Mile』を彷彿とさせる。

去年の暮れ辺りから何となくこの番組を知り、何となく見るようになった。

最初は「何か変な番組がやっている」という半分茶化す態度で見ていたのだが、

生の言葉の掛け合いに少しずつはまっていくのがわかった。

もともと言葉への関心が強いのもあり、想像以上に素直に入ってきた。

今思えば勝敗を決める審査員の中にいとうせいこうがいたのも大きかったと思う。

信頼を置く大人が一人いるだけで、番組を見る時の安心感が違う。



日本のアンダーグラウンドな音楽シーンには以前からフリースタイルラップバトルというものがあり、

そういうルーツを辿るとチャラチャラしているというイメージもなくなった。

反対に真面目でなければこんなに言葉に向き合うことは出来ないだろうという気さえする。

全体的には冷めていてつかみ所がないと言われがちな今の若い人たちが、

暑苦しいほどの情熱を持った真剣な眼差しで舞台に立つ姿は見ていて気持ちがいい。

面白いのは一瞬一瞬に言葉を紡ぎだすというスリルを含むライブ感と、

一人一人の生き方を投影するようなドキュメンタリー性だ。

そして日本語のラップだからこんなにもストレートに伝わるのだと思う。

余談だが、俳優浅野忠信や中村獅童もこの番組を見ているのだとか。



こんなに熱く語ってみたが、本当のところは私よりも同居人の方が熱心に見ている。

私はどちらかというと面白いと思うバトルだけ見ている。

また私の中のラップはあくまで番組の中で完結しておりそれ以上を求めるという風でもない。



そんな折私の中で事件が起きた。

つい先日、同居人が「凄い人を見つけてしまった」と一人で興奮していたのだ。

ネットサーフィンしていたら偶然ぶつかったらしい。

なんでも以前日本のラップバトル界で名を馳せた有名人らしく、彼曰く「神に許された人」なんだとか。



それが鎮座DOPENESSだ。

何と表現したらいいのか、確実なのは一回彼のラップを聞いただけでファンになったということだ。

少ないが今まで見てきたどんなラッパーとも違う異質な存在感。

並外れたリズム感と自由自在なフロウ(メロディのようなもの)、言葉を選択するセンスと説得力。

余裕と絶妙な間、肩の力を抜いて一番楽しんでいるのが本人。

神は分からないけれど音楽にはとことん愛された男なんだと思う。

今はラップバトルはしておらず楽曲製作などをしているらしい。



正直なところラップに関して私はド素人だ。

しかし素人目で見ても鎮座DOPENESSが普通のラッパーでないことは分かる。

こんなに中毒性のある人は他のジャンルでもなかなか見当たらない。



戦極MC BATTLE 第六章(13.4 .28)黄猿 vs 鎮座DOPENESS @BEST BOUTその1




もはやこれがラップなのかどうかさえ私には判断しかねる。

ただ2人の温度差が鎮座DOPENESSのかっこよさを際立たせる。



最近の一連の出来事ではヒップホップへの扉が開いたというだけで、そこに浸水したわけではない。

私が面白いと思ったのは即興でラップをするというフリースタイルの文化である。

しかしもしかしたら鎮座DOPENESSがヒップホップの道をもう少し導いてくれるかもしれない。

一つネックなのはラップバトルを見たあと言葉遣いが少し暴力的になること。



なんであれ、知らなかったものを知るというのは楽しいことだ。

さてはてメタルが近づく日は来るのだろうか。
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花を咲かせよう

2016年04月10日 | 日記
感情って不思議で面白い。

いったいどこから湧いてくるのか。

真っ白な四次元空間で謎の粒子が結合し一気にふくれあがると、人の感情として世に出るとかどうだろう。



どんな感情だってそんなに長続きするものじゃない。

喜びも悲しみも怒りもすぐに消えてしまう。

だからいい悪いなしにその一瞬は花が開くようだと思うのだ。



私が感情に対する執着が希薄なのか、皆同じなのかはわからない。

もちろん事態によっては感情が連鎖して、一定期間膨れあがることはある。

しかし過ぎてしまったその気持ちは二度と実感出来ないのだ。

時間が経てば美化されるか捻じ曲げられるか、忘れるか。



最近人の深い感情に触れる出来事があった。

それは「悲しみ」だった。

そういうものに触れ続けると自分の中の何かが壊れそうになる。



ここのところ、胸の奥深くに思いを抱く機会なんてあったろうか。

人はこんなにも強い感情を生むことができるのだね。

その姿は私にとってとても強烈で忘れ難く、今ももやもやしたまましこりとなって残っている。

そのしこりは間接的に「悲しみ」が連鎖した結果なのかもしれない。

いや、考え過ぎか。

その時の私はあまりにも無防備で、必要以上に防衛本能が働いただけなのだろう。



いつだって自分のことは分からず、人の姿を見て気づく。

こんなものだと割り切ったつもりで、何も割り切れていない私がいる。



半ば諦めモードの風潮を背に、人の思いというものは捨てたもんじゃないかもしれないと思う。

それがどんな類いの感情であろうとも、その奥にあるぬくもりにとてつもない力があるような気がしている。

コメント (2)
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