歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

夢の話

2021年09月25日 | 空想日記
夢はいつも変だ。

電車に乗って知らない街へ行ってきた。

建物が密集したごちゃごちゃした街だ。

少し歩くと場違いな西洋風の立派な家があって私はその家に用事があるらしかった。

チャイムを鳴らすと玄関の中から背の低い小太りのマダムが現れた。

「駅に着いたときに連絡をくだされば、迎えに行きましたのに」と言われ、私は来た道を振り返った。

「徒歩3分なのに?」と不思議に思ったのを覚えている。

家の中を案内され、廊下の先の両開きの扉を開けると大広間になっていて大人がたくさんいた。

どうやら食事会だか会合だかに招かれたらしい。

さぁ食べるぞと息巻いているとマダムが「先に召し上がっていてください」と言ってどこかへ行ってしまった。

それに何人か続いたようだった。

私はかまわず現れたご飯を食べはじめた。

夢中になって食べていたのだけどなんとなく違和感を感じてふと顔を上げると周りには誰もいなかった。

さっきまで立食パーティーっぽい雰囲気だったのに、いつの間にか畳の部屋になっていて私は隅の方にちょこんと座っていた。

大きさの違うテーブルがいくつも並べられて、料理が雑然と置いてある。

いかにも田舎で親戚が集まった時の感じ。

みんなどこにいってしまったんだろう。

なんで私はここにいてご飯を食べているんだろう。

と、ひどく疎外感を感じる夢だった。

今思うと元々いた人たちを誰も知らないのになぜ疎外感を感じたのか不思議だ。


『ミッドサマー』いいね

2021年09月22日 | 映画
どうしてそうなったのか、この夏はホラー映画やドラマばかり観ていた。

絵を描いているときはYouTubeで稲川淳二の怪談を聞き、

ご飯を食べてるときはNetflixドラマ『呪怨』『アメリカンホラーストーリー』を観る。

そういうのばかり観ていたらとてつもなく怖い夢を見て慄いた。

ホラー映画は低予算でジャンプスケアのイメージが強かったけど、

ドラマ『呪怨』はお金をかけて映像やストーリーにこだわったいいドラマだった。

B級ホラーもいいけれど、質の高いホラーは美しくて好き。

そういう意味でもアリ・アスター監督作品はよかった。



最近『ミッドサマー』がNetflixに登場したので早速観てみた。

しかも2時間50分あるディレクターズカット版。

その勢いで前作の『ヘレディタリー/継承』も鑑賞。

すごく面白く観れた私って大丈夫なんだろうか。

どちらもそういう映画である。

今回は『ミッドサマー』について。

以下ネタバレあり。



『ミッドサマー』

監督:アリ・アスター
脚本:アリ・アスター
製作:ラース・クヌーセン、パトリック・アンデション
製作総指揮:フレドリク・ハイニヒ、ペレ・ニルソン、ベン・リマー、フィリップ・ウェストグレン
出演者:フローレンス・ピュー、ジャック・レイナー、ウィリアム・ジャクソン・ハーパー
音楽:ボビー・クーリック
撮影:パヴェウ・ポゴジェルスキ
編集:ルシアン・ジョンストン
製作国:アメリカ、スウェーデン
公開年:2019


『ヘレディタリー/継承』で長編映画デビューしホラー映画界に衝撃を与えたアリ・アスター監督は、

数年後に『ミッドサマー』を発表しその存在を確固たるものにした、のだとか。

映像や音など外的要素の質が高く、内容も斬新で面白かった。

予告映像からなんとなく奇を衒ったとんでも映画なのかと思っていたら、ちゃんとしたいい映画だった。



『ミッドサマー』は公開当時かなり話題になっていた。

この映画を特異にした分かりやすい要因は二つあると思う。

ユートピアのような明るく美しい世界で繰り広げられる狂気の祭典というギャップ性と、

度を超えたグロテスク描写である。

このグロテスク描写は、評価を完全に二分させる理由になった。

簡単に言うと全部見せる。

なんてことないですよと言わんばかりに一部始終を露わにする。

最初の飛び降りシーンはちょっとびっくりした。

死ぬという事実よりその見せ方に驚くのだ。

この映画の面白いところは、登場人物も視聴者もその見せ方に慣れていくことなんじゃないかと思う。

暴力に緊張感がなくなっていくのだ。

祭典の進行プログラムの一つなのだから当たり前と言えば当たり前か。

後半になっていくにつれてコメディーかってくらいめちゃくちゃなんだから。

サイモンの「血の鷲」やクリスチャンの熊にはさすがに笑ってしまった。

観る者は主人公と一緒に現実感を失くし祭典に埋没していくのかもしれない。

そういう意味では怖い。

最後に残るのがダニーの笑顔だけなのだから不思議である。



こういった不文律を平気で壊してくるあたりに今の時代性を強く感じる。

日本の話になるが一時期衰退気味だった漫画が今かなり盛り返してきている。

今の漫画は本当に面白いものが多い。

その一つの要因が、今まで大事にされてきた暗黙の了解を壊していること。

つまり今多くの漫画で行われているのが破壊と創造の「破壊」の部分なのだ。

今まで守られてきた漫画のセオリーを容赦なく汚す行為が読む者には新鮮にうつる。

テレビのコンプライアンスに反比例するように漫画表現は苛烈になっているように思う。

昨年大流行した『鬼滅の刃』しかり『チェンソーマン』しかり『呪術廻戦』しかり。

『約束のネバーランド』に『メイドインアビス』にとあげたらきりがない。

何も残酷さに限ったことではない、『ワンパンマン』の規格外の強さだってそうだ。

こうした傾向は多様化し複雑化する価値観や倫理観に対する受容を意味しているのかもね。



既存の破壊という意味でも『ミッドサマー』は残酷さに寄りかかった単なるエログロ映画ではなかったように思う。

しかし『ミッドサマー』『ヘレディタリー』を観て意外性と残酷度(というか露出度)には慣れてしまった。

その点、次回作がどうなるのか気になるところである。

それが監督のカラーになっていくのか、また違う方向に向かうのか。

と、ここまで描き方について語ってきたけど、それはそこまで重要じゃない気もしている。



散漫した頭を冷ましてあえて思い返すと、

ストーリーについては本当に人を救うものは何なのか考えさせられるという点において、

ブラジル・フランス合作『バクラウ 地図から消された村』を彷彿とさせる。

一方は命を守るということであり一方は心を守るということなのだが、

それが辺境の小さな村を舞台に描かれている点でも似ている。

見方によっては欧米的、キリスト教的社会からの解放を描いているようにも見える。

ラスト燃えゆく祭場をバックにダニーの表情が絶望から笑いに変わる瞬間はとてもよかった。

『ジョーカー』じゃないけど、抑圧からの解放が描かれる場面はいつも美しい。



実のところ観終わった後にあまり感想が浮かんでこなかったというのが正直なところ。

現実感を損ない惚けていたと言ってもいい。

約3時間の長丁場にも関わらずあっという間に終わったこと、

さまざまな衝撃にぶち当たりながら深い感傷がないこと、

鑑賞中に考えていたことをあまり思い出せなかったことから考えて全くもって変な体験だった。

がしかしそこにこの映画の凄さがあるような気もする。

ダニーがメイクイーンになりみんなでテーブルを囲む場面で花や食べ物がさりげなく動き出すのだけど、

仲間たちの惨たらしい亡骸を見たときよりも不気味で怖かった。

ダニーの視点を通して観ていたはずの世界が、その瞬間から私の視点にシフトする恐怖だ。

蠢く花は観る者に疑似体験させる装置になっていて、私はまんまとひっかかった。

そういうわけで鑑賞後のからっぽ感にやっと合点がいく。

『ミッドサマー』は自分を写す鏡のような映画なのかもしれない。

やっぱり細部まで手の行き届いたいい映画です。



余談だけどダニーの泣きそうな時の顔は最悪だね。

あの顔をされるたび胸のあたりがキューッと締め付けられて嫌な気持ちになったし、特に嫌いな場面だった。



最後に書くのはルール違反かもしれないけれど、私にはグロテスク耐性が十分にあるということは一応言っておく。

イタリアのハードロックを聞いています

2021年09月19日 | 音楽


イタリアのバンドMåneskin(マネスキン)が今きてる。

武田砂鉄のラジオでこの曲を聞いた途端脳天をガツーンとやられました。

最近激しいのはめっきり聞かなくなったけれど、そんなことは言ってられない。

イタリア語って聞きなれないけど、新鮮で心地がいい。

PVを見るとヴィジュアルも完璧でこりゃすごいとなった次第。

日本では昨年デビューした藤井風が当時22歳で驚いたけれど、

このボーカルのダミアーノもまだ22歳だというのだからたまったもんじゃない。

しかも他のメンバーはダミアーノより年下だ。

若い才能が押し上げていくね。

内から湧き出るグルーヴを感じる。

それをロックという一つのジャンルにくくっていいものなのかわからない。

とにかく超カッコイイ!

これからが楽しみです。



友人が都会の喧騒に疲れたから田舎に行ってBPM30くらいで暮らしたいと言っていたので、

私は今イタリアのハードロックを聞いてると言ったら爆笑されました。

確かに「イタリアの」しかも「ハードロック??」ってなるよな。

いろいろと遠い。

フランスの画家Moebius(メビウス)を好きになったときもフランス語に馴染みがなさすぎて、

どうやって彼のことを知ればいいのか途方にくれたものです。

しかし、意味はわからなくてもいいことはわかる。

マネスキン、いつかフジロックとかにきてくれないかな。

「東京ヒゴロ」 松本大洋の新作について

2021年09月17日 | 
アマゾンで好きな画家の本を買うと、おすすめに出てきたのが松本大洋の新作『東京ヒゴロ』だった。

アルゴリズムとかよくわからないけれど、その選択ちょっとどんぴしゃすぎない?

1話分試し読みができたので流されるまま読んで次の瞬間にはポチッとしていた。

マーケティングの掌の上でまんまと踊っている。

でも今回はその出会いに感謝している。

感情ゆさぶる名作の誕生です。





『東京ヒゴロ』

松本大洋 作
小学館 2021年9月4日



物語は一人の男が30年勤めた出版社を辞職するところからはじまる。

第1話、出版社を辞めた男はかつて担当していた漫画家に会いに遠くの街へ行く。

登場人物たちのやりとり、表情、間、風景、生きた言葉にノックダウン。

第1話から泣いてしまった。

必ずしも感情移入することが重要とは思わないけれど、これはすごい。

出会って数分で登場人物たちの人生に魅入られている。



主人公塩澤はいかにも誠実で朴訥な男だけど、頑固で誰よりも人を振り回す、

ある意味でもっとも自分勝手な人なのかもしれない、と思う。

でもだからこそ周りにしてみれば気になってしょうがない人なんだとも思う。

「第4話 本日、古書店に連絡し、漫画と決別する。」はシンプルだけどすごく好きな話だ。

塩澤は漫画と決別するために持っている漫画を全部売ることにした。(極端!)

漫画の山を時間をかけて査定する古書店店主、淡々と片付けをする塩澤。

しかし最後のダンボールを運ぼうと持ち上げた瞬間底が抜けて大事な漫画が散らばってしまう。

それを見つめる塩澤の立ち姿が本当いい。

その中に諸星大二郎や大友克洋の『ショートピース』があるのもまたいい。

そして古書店店主にやっぱり売るのはやめると言うのだ。

びっくりする店主の顔がおかしい。

面倒臭いけど一つ一つが大事な作業なんだろうね。

生きることに誠実というか、不器用で自分勝手でいとおしい。

あと、大真面目な顔でゲーテやシェイクスピアの格言を言うのもなんだかおかしい。

ドキッとするんだけど、言われた方との温度差が絶妙で笑ってしまう。



登場人物がそれぞれ自分の人生を生きているのがいい。

松本大洋の漫画はいつもそうだ。

ストーリーのためのキャラクターではなく、そこに生きている人たちの人生を描いている。

街が人が息づいている。

静かだけど激しくて心揺さぶる名作です。

アデニウムのヴァイオレットさん

2021年09月06日 | 日記
街角の植物屋さんでヴァイオレットさんと出会ったのはいつのことだったか。

珍しいことに成長したアデニウムが大量に入荷されていて、破格の値段で売られていた。

生育環境が悪かったのか、どれもあまりいい状態ではなかったように思う。

それでも私は興奮していてどれも魅力的に見えた。

丁寧に育てて元気を取り戻してあげればいい話だ。

一際目立っていたのが鉢から大きなお尻をはみ出して窮屈そうにしていたヴァイオレットさんだった。

形が変わっていてアデニウムっぽくない、バランスが悪くてきっと売れ残ってしまう。

そう思いながらも気になり鉢を持ち上げてあれこれ見ていると、目があった。

こっちを見ていた。



はっとして、それからはもうその株しか目に入らなくなった。

一緒にいた友達にはその時点ですでに「このひとはヴァイオレットさん」と言っていた。

植物に名前をつけたのなんてこの一回きりだ。

それほどまでにこの株には表情があった。

帰ってすぐに大きな鉢に植え替えて、それから何年も一緒に過ごした。





ヴァイオレットさんの表情が少しすぐれないような気がしたしたのは、今年のはじめのことだ。

葉っぱには張りがないし、幹の色がくすんでいてシワが寄っている。

冬は休眠期でいつも元気がないからその時点ではそこまで気にしなかった。

それが春頃になると異変が顕著に現れた。

水をあげても幹はやせ細っていきぶよぶよしたまま一向に回復しない。

さすがに焦った。





引っ越してきて初めての越冬でリズムを誤ったか、確かに今思えば水をあげすぎたような気もする。

幹を掴んで左右に動かすと痩せすぎてカパカパしていた。

やめてくれ、お願いだから!と祈る思いで土から出してみると、深いところまで根腐れしていた。

あまりのショックにしばらく放心していた。

頭の中は後悔でいっぱいだった。

しかしここで諦めてはヴァイオレットさんに申し訳が立たない。

これで終わりなんて悲しすぎる。

そういうわけで、日を改めてヴァイオレットさん救出大作戦を決行することにしたのだ。



4月7日 手術決行日

根腐れ

消毒したナイフないしハサミで根腐れした部分をカットしていく。
想像以上に深くまで侵食していた。
少しでも腐った部分を残してしまうとまたそれが広がってしまうので思い切ってカットした。
するとほとんど根っこがなくなった。
大丈夫かこれ。





細菌が入らないように傷口に癒合剤を塗る。


それからは風通しのいい場所でひたすら乾燥させる。




4月18日 傷口が完全に乾いたので鉢に植え付けた。
ずいぶん小さくなったもんだ。
場所:風通しがよく、たまに直射日光が当たる場所
水やり:根っこができていないので最初はほとんどあげなかった




それから1ヶ月経っても変化はあまり見られず、やはりだめだったかと落胆する日々がつづいた。

幹を触ると相変わらずぶよぶよしていて、回復の兆しが見えないので半分諦めていたと思う。

それでも葉っぱが完全に枯れることはなく、どうにか生きていることだけは確認できた。

なんだかんだでのらりくらり4ヶ月生き延びて、植物の生命力に改めて驚いていた。

そんなところに展覧会で2週間離れることに。

しかもちょうど夏の暑さが戻ってきたころだった。

どうなることやらと家を出たのだが、戻ってみるとなんとびっくり、復活しているではないか。

葉っぱを見て一目でわかった。

青々として張りとツヤが戻っている。

そっと幹をつまむとみっしり満ち満ちで硬い。

なんだか涙が出そうだった。

おかえり、いやただいまか。

ずいぶん小さくなって、私のせいでごめんよ、でも生きててくれて嬉しいよ。







君はやっぱりこっちを見ているね。