何もないところから何かを作り出すというのは本当に凄いことだ。
その対象物はなんでもいいけど、必需品でなければないほど際立つ様な気がする。
最近かの有名な現代アーティスト村上隆の展覧会に行ってきた。
興味があったというよりはなんでもいいから創造物に触れたかったと言う方がしっくりくる。
そもそも私は現代アーティストという言葉に反感を持っている。
それは「なんか怪しい」という直感にのみ頼った反感で、無知故のことかもしれない。
行ったはいいが想像以上にポップで人工的な絵を見ると頭が混乱した。
説明文を読み大勢のアシスタントに作業を任せたり多くのパソコン作業を
介している絵だと知りさらに「これは絵じゃない」という拒否反応が出る。
彼がやっていることはただのデザインではないかと。
村上隆はなんのためにこのような作品をつくり続けるのだろうか。
しかし芸術とデザインは何が違うのか、と問われればよくわからない。
今まで構築してきた表面的な芸術へのイメージが邪魔をしている。
例えば今まで考えていた芸術家のマストアイテムが貧困、孤独、アナログだったとして、
彼を取り巻くのは驚愕の金、多くのアシスタント、コンピューターと真逆をいく。
これは単なる私の考えだが、芸術家らしさというものは彼にとってはどうでもいいのではないだろうか。
大学の卒業論文のタイトルが『意味の無意味の意味』だったそうだが、私のストーリーの中で勝手に合点がいった。
意味がないということに意味がある。
絵に関しても大事にしている部分が他の人と違うのかもしれない。
いや、もしかしたら私が遅れているだけなのかもしれないなと思い直す。
やはり好みで言ったらあまり好きではないが、ひとつ圧倒されたことがある。
それは「五百羅漢図」というタイトルの絵だ。
幕末の絵師狩野一信によって描かれた「五百羅漢図」をモチーフにしたもので、なんと全長100メートル。
何はともあれそれをつくったという事実が凄いと思った。
当たり前だが彼なしではその作品がつくられることはなかった。
シンプルにそれがすごい。
村上隆の作品。制作に8年かかったのだとか。
そして今日、知り合いが携わっているミラーボールのオブジェを六本木まで見に行った。
クリスマスやイルミネーションというイベントには縁がないが、それはあまり関係なかった。
ただただ上を見上げその美しさに息を飲んだ。
発企、デザイン、制作、設置、光の調整、すべての行程に人が携わり目の前の作品が形になっている。
つくる人がいてその人たちがそれをつくった。
そのことに心底胸を打たれる今日この頃だ。
その対象物はなんでもいいけど、必需品でなければないほど際立つ様な気がする。
最近かの有名な現代アーティスト村上隆の展覧会に行ってきた。
興味があったというよりはなんでもいいから創造物に触れたかったと言う方がしっくりくる。
そもそも私は現代アーティストという言葉に反感を持っている。
それは「なんか怪しい」という直感にのみ頼った反感で、無知故のことかもしれない。
行ったはいいが想像以上にポップで人工的な絵を見ると頭が混乱した。
説明文を読み大勢のアシスタントに作業を任せたり多くのパソコン作業を
介している絵だと知りさらに「これは絵じゃない」という拒否反応が出る。
彼がやっていることはただのデザインではないかと。
村上隆はなんのためにこのような作品をつくり続けるのだろうか。
しかし芸術とデザインは何が違うのか、と問われればよくわからない。
今まで構築してきた表面的な芸術へのイメージが邪魔をしている。
例えば今まで考えていた芸術家のマストアイテムが貧困、孤独、アナログだったとして、
彼を取り巻くのは驚愕の金、多くのアシスタント、コンピューターと真逆をいく。
これは単なる私の考えだが、芸術家らしさというものは彼にとってはどうでもいいのではないだろうか。
大学の卒業論文のタイトルが『意味の無意味の意味』だったそうだが、私のストーリーの中で勝手に合点がいった。
意味がないということに意味がある。
絵に関しても大事にしている部分が他の人と違うのかもしれない。
いや、もしかしたら私が遅れているだけなのかもしれないなと思い直す。
やはり好みで言ったらあまり好きではないが、ひとつ圧倒されたことがある。
それは「五百羅漢図」というタイトルの絵だ。
幕末の絵師狩野一信によって描かれた「五百羅漢図」をモチーフにしたもので、なんと全長100メートル。
何はともあれそれをつくったという事実が凄いと思った。
当たり前だが彼なしではその作品がつくられることはなかった。
シンプルにそれがすごい。
村上隆の作品。制作に8年かかったのだとか。
そして今日、知り合いが携わっているミラーボールのオブジェを六本木まで見に行った。
クリスマスやイルミネーションというイベントには縁がないが、それはあまり関係なかった。
ただただ上を見上げその美しさに息を飲んだ。
発企、デザイン、制作、設置、光の調整、すべての行程に人が携わり目の前の作品が形になっている。
つくる人がいてその人たちがそれをつくった。
そのことに心底胸を打たれる今日この頃だ。