歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

ハングルにはまる

2020年10月24日 | 日記
『ブレードランナー』の町並みにハングルが溢れたのは2017年の『2049』からだ。

ハングルの形が奇妙な記号に思えるのは、

中国と日本に囲まれていながら漢字とは全く違う原理で成り立っており、

日本人には馴染みがないから。

韓国映画や韓国ドラマを観ていると、ハングルへの興味がどんどん強まっていく。

なんかかわいい、、、。



今は亡きSF作家の伊藤計劃は小説『虐殺器官』の中で文字について、

「読めない文字は情報というよりも意匠だ。」と語っている。

このキレた文章をはじめて読んだ時は胸が高鳴った。

さらに文章はこう続く。

「理解できない文化は排斥の対象になりやすいのと同じくらい、崇拝や美化の対象になりやすい。
エキゾチック、とか、オリエンタル、とかいう言葉のもつクールさは、理解できない文化的コードから発している。」

同じ東洋人の中でも当てはまる話だ。

しかしこれはあくまで文化の外側に居続ける人の話。

表層的な部分だけ受け取っていれば、内なるその文化も汚されることがない。

それは海外の人が的外れな日本語のTシャツや刺青を自慢する絵面を彷彿とさせる。

逆もまた然りなのだけど。



ハングルの理解不能具合はアラビア語に近いかもしれない。

文字というより記号に見えて読める気がしない。

なぜハングルはここまで独自路線を走っているのかだけど、

それはきっと最近つくられた文字だから。

ハングルができる以前は韓国語と言語体系の異なる中国の漢字が使われていたのだが、

漢字を理解できるのは高級官吏などの支配階級ごく一部に限られていた。

そこで民衆にも使える言葉として15世紀半ばに作られたのがハングルなのだ。

韓国で最も尊敬される歴史的人物として名高い朝鮮王朝第4代王世宗大王による偉業である。

ハングル誕生を描いたドラマ『根の深い木(2011)』はいつか観たい。

ハングルほど明確な文字の成り立ちって他にあるのだろうか。

そういう意味でも面白い。



ということで2日前からYouTubeでハングルの勉強をしているのだけど、これが楽しい。

驚くことに仕組みがとてもシンプルなのでルールさえつかめばすぐ読めるようになりそうだ。

ローマ字と同じで基本的には<子音+母音>の組み合わせで成り立っているのだが、

ローマ字と違うのは一つの文字の中に<子音+母音>が入っているということと、

中には<子音+母音+子音>で成り立つ文字がありその場合は子音の発音で言葉が終わるということ。

ハングルを読むにあたって難しいのは日本語にない発音があることと子音で音が終わる感覚だ。

仕組みと発音記号がわかっても実際に口に出して発音するとうまくいかないのだ。

ここら辺は練習あるのみかな。

それにしてもまた趣味が増えてしまったぞ。

저는 탄포포 입니다.
(わたしは たんぽぽ です)

なんちゃってグフフ。



スマホのキーボードに韓国語を追加してみた。

キーボードで字を打ってみると文字の仕組みがよくわかるので興味があれば是非。

ーーーーー
訂正
たんぽぽ
단포포 ○
당포로 ×
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オフライン

2020年10月17日 | 日記
頭が痛い。

目の奥がツーンと突っ張って、その違和感が頭に干渉している。

原因はわかっている。

ブルーライトだ。

テレビやパソコン、スマホを長い時間利用していると例外なく訪れる時間。

ここで頭痛薬を使うのは簡単だ。

でも根本的な解決にはならない。

生じた問題を無視できる手段を得ただけのこと。



痛みをできるだけ波立たせないよう部屋を暗くして目を閉じる。

眼球の奥がドクンドクンと脈打っている。

まぶたの裏を走る血脈が膨らんだりしぼんだりしている。

痛みは体の危険信号だとすると、よくない。



今や無意識で常時ネットに繋がっている時代。

スマホは触ってなくたって位置情報やらなんやらどこかと通信しているし、

テレビだってWi-Fiつないでいるし、ラジオでさえネットで聞く時代だ。

タイマーやら音楽やらはアレクサに任せっきりだし、

冷蔵庫や体重計だってスマホと連動できる。

まるでネットという濃度の高い空気の中で生活しているみたいだ。

その重い空気に足はもつれて突っかかり、私はこけそうになる。

ネットは軽いようで結構重い。



私は技術開発が進んで世界が未来化していくことが楽しみでならない。

新しい物は好きだし、AI反対論者でもなければ、ナチュラル志向も強い方ではない。

それでも5G環境が整う前に、一旦立ち止まって考えなけれなならない。

オンライン社会の恩恵と弊害について。

だって頭が痛くなるのはよくないことでしょ。



何度かここにも書いたけれど、

媒体に関わらず多くのSFで描かれてきた近未来はいつもディストピアなのだ。

技術は発展していくはずなのになぜ退廃的ムードが漂うのか。

それはきっと発展の速度に人間の順応が追いついていないから。

科学技術がどんどん発展していくのは必然だと思っている。

そこで大事なのが発展の速度なのだ。

人間性を置いてきぼりにしてはいけない。

発展と変われない人間の乖離がディストピアを作っている。

変わるべきか否かの議論をするとまた長くなるけれど、

人間性の大事な部分を失わずに時代の変化に順応していくことはできると思う。

人間性の大事な部分まで無視して変わってしまうと映画『ダカタ』みたいな世界になるのかな。

反対?にAIが人間性を持つとそれはそれで悲劇なんだな。

映画『 A.I』や『ブレードランナー2049』で描かれている。



発展の速度でいうと、今はコロナ禍による急激な変換期といえる。

コロナによってオンライン環境の整備が押し上げられ技術的に発展していくのは間違いないけれど、

(日本がその波に乗れるのかは別の話。何せびっくりするくらい前時代的な国だからね。)

一方で生活に直結する最もシンプルな部分、衣食住を見直す動きも同時に発展していくはずなのだ。

両者は相反するようで案外相性は悪くない。

オンライン化が進めば場所に縛られなくなり、生き方の選択肢も増えるだろう。

そうすれば、急激な発展に耐えうる生活の土台を確保できるかもしれない。



って、なんの話やっちゅーねん。

ただ頭が痛いだけなのにね。

でもそれって実は結構深刻なことなんじゃないかって最近考えている。

意識的にオフラインの時間を作っていこうと思う。

家のブレーカーを落とすまではやらないけれど、

本を読んだり、猫や植物を眺めたり、ただぼーっとするだけでもいい。

あ、まだ手に入れてないけど自転車で走るってのも良さそうだ。




麦畑
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もう言い訳は通用しない

2020年10月14日 | 日記
家が片付かないのも、

洗濯物が積み上がっているのも、

ご飯を作らないのも、

全部展覧会のせい。



誰に責められるわけでもないのに、

自分の中の罪悪感に言い訳をして平静を保つ。

でも展覧会が終わったのでもう通用しない。

後回し根性のツケがついに回ってきた。

忙しい中での引っ越しだったのもあり、

ほとんどの物が仮置き。

物が多い二人なので途方ない。

うへぇえ


我が家の坊ちゃん



そんな合間にNetflixで久々に映画を観た。

特に見ようと思ったわけでもなくおすすめに出てきたやつ。

なんで前々から観ようと思っていた映画じゃなくて、

全く気にしていないような作品ばかり観てしまうんだろうね。

Netflixのオリジナルドラマ『エノーラ・ホームズの事件簿』というやつだ。

前情報も一切なくタイトルもちゃんと見ていなかったので、

マイクロフトとシャーロックの妹が主人公だったのにはひっくり返った。

しかも女優が『ストレンジャー・シングス』のエルの子。

それにしてもシャーロックがやたらイケメンでガタイがいいのには違和感。

この人どっかで見たことあるなぁと思ったら『ウィッチャー』の主人公の人!

『ストレンジャー・シングス』で知ったデビット・ハーパーも、

これまたNetflixオリジナルの『タイラー・レイク』に出ていたし、

Netflixで売れた人はNetflixで活躍するシステムなのかね。



シャーロックしかり、マイクロフトしかり、エノーラの出会う少年しかり、

美しい人がたくさん出てくるのでそれを眺めるのもいいでしょう。

エノーラ役のミリー・ボビー・ブラウンもだいぶ成長して可愛くなってきた。

何も考えないで観れるので頭を休めたい人にはおすすめ。

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展覧会を終えて

2020年10月13日 | 日記
奈良の室生での展覧会が終りました。

秋の室生ははじめてでした。

ギャラリーに入る瞬間、秋の匂いがぶわっと吹き込んできます。

そこではじめて、ああこの木は銀木犀だったのかと気づくのです。

何も見えていないんだなあとしみじみ。





今回の展覧会はとても感慨深いものでした。

2020年という年だったことも少なからずあるでしょう。

誰が何を大事にしているのかよく見える展覧会でした。

人の真心に触れ、エネルギッシュな空間に出会えて、夜には空に月がのぼる。

なんてありがたいんだろうと思うのです。

なんだか涙が出そうです。



いろんな出会いに恵まれ、支えられた今回の展覧会です。

ただでさえ足を運んでくれるということはとてもありがたいのに、

今年はコロナ流行のさなかにもかかわらず本当にたくさんの人が来てくださいました。

オンライン対面の可能性に気づいた今日この頃ではありますが、

やはり直接顔を見てお話しできるということは他に代え難い瞬間なのでした。

展覧会が終わって1週間が経ちますが、まだみなさんの顔が頭に焼き付いております。

来てくださった皆さん、本当にありがとうございました。



そして、その場を与えてくださったオーナー、一緒に出展した作家さんたちとライブ奏者のロビンさん、

支えてくれたスタッフさん、いつも美味しいケータリングを提供してくれるおなじみの皆さんにもお礼を。

会期の約10日間を共に挑む戦友みたいな人たちです。

本当にありがとうございました。





そういえば、最終日に思わぬ人が来たんです。

子供の頃からお姉さんのように慕う人、いやお姉さんより慕う人かな。

彼女はここ最近ずっと忙しくて、タイミングがなかなか合わず7年くらい会えていませんでした。

今回も案内を送ったら、やはり忙しくてこれないとのことでした。

だから、ギャラリーで彼女の顔を見た瞬間思わず「えーーーー!!」って叫んでしまいました。

彼女は少しいたずらっぽく笑っていました。

本当に目が飛び出るほどびっくりして、涙がブワッて溢れて、なんじゃこれってなって、彼女も涙ぐんで。

誰かとのこんな再会ははじめてでした。

心が嬉しいって叫んでる。

聞くと身内ではみんな知っていてサプライズだったようです。

サプライズは効かない方なんだけどな。



そして展覧会が終わるといつもの彼女の元へ。

その人もお姉さんより慕う人。

一泊させてもらって、帰る前に生駒の茶粥屋さんへ連れて行ってもらいました。

茶粥屋さんは花畑に囲まれていて、ハチドリにそっくりなホシホウジャクが花の蜜を吸う、

天気が良かったのもあるけれど、空が近くてなんだか天国みたいな場所でした。

彼女のおかげでいつも晴れやかな気持ちで帰れるんです。

ありがとう。



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