歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

夏の終わりに

2014年08月29日 | 日記
もうすぐ8月も終わる頃、小学生たちはとっくの前に夏休みを終えている。

私が小学生だった頃とは事情が違うらしい。



なんで夏はこんなにも浮かれてしまうのだろうか。

ある友達はこう言った「夏は短いんだ」



心なしか蝉の鳴く声が弱くなった気がする。

最近では天気もあまりよくないので、気温も9月下旬並み。

秋は好きだけど、夏の終わりはなんだか寂しい。



遊ぶ時は思いっきり遊ぶというのが信条で、今年も夏を満喫した様に思う。

8月上旬に海へ行き、その後川遊び、そして定番のサマーソニック。

この夏の記憶を写真で振り返ろうと思う。



まずは海水浴、場所は静岡の下田方面にある入多浜。

海へお泳ぎにいくなんて何年ぶりだろう。

子どもの頃はもっぱら日本海の岩場で遊んだし、

大きくなってからは海水浴への偏見からめっきり海へは行かなくなった。

正直なところ中学生以来、10年以上ぶりか…。

砂浜で何をするか、それは相撲、サッカー、砂で造形、荒い波との格闘。

なんともかわいげのないアクティブな遊びでどっちかというとスポーツに近かった。

マイナーな海岸ということもあり、ほとんどが家族連れだった。

そして安さにこだわった民宿で素泊まり。

観光地らしさを感じさせないいいところだった。



人もそんなにいなかった。


透き通るほどきれいな水。


高波。これがなかなかの迫力なんだ。途中で遊泳禁止になったほど。


天気に恵まれた。


父がくれた完全防水のデジカメなので水を恐れなくてすんだ。


サッカーボールと少女(ではない)


この人まさにサマーガール。


下田の朝日とともに。






そして今度は川、奥多摩の奥の方にあるこれまたマイナーな河原。

お弁当持参の日帰りピクニック。

思いっきり遊ぶけども、お金はかけない。

途中知らない子どもが参戦してきて、それもまた面白かった。



緑に囲まれた森の中。


母から送られてきた夏野菜をふんだんに使用。


海に勝る透明度。


田舎の夏の風景。


岩に乗っているんだけどこう見ると水に浮かんでいるみたい。




それからそれからサマーソニック、今年は2日間参戦。

今年は15周年ということもあるのか、出演者が凄かった。

アーティストを羅列してもつまらないのでメインの人たちだけ、

まずvintage troubleでパワフル&ソウルフルなスタートをきり、

ロバート・プラントがRainbowを歌えば空に虹がかかるという奇跡、

熱狂の中3年前からより大きくなって帰ってきたアダルトなArctic Monkeys、

QUEEN+Adam Lambertは最初ボーカルが少し心配だったけども、

アダムというパフォーマーは最高に格好良かった。

そして亡きフレディとの共演が皆の涙を誘った。

この人たち本当言葉にできないほど凄かった。



メインの入り口は今回巨大ヘッドフォン。


ガーデンステージでは太鼓を叩くイベントがあったので参加。


ここのご飯なかなかよかった。


こんな感じ。


やっぱり外は気持ちいい。


夜のマリンスタジアム。


アークティック!


クイーン!!


締めくくりは花火、夏祭りは行けなかったけどこれで満足。



夏は本当短いな。
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雲の下の町

2014年08月19日 | 日記
夜の曇り空を見上げる。

想像するのは雲の上に広がる世界のこと。

そこには満天の星空があって、きっとすごいんだろうな。

そう思うと曇りでじめじめした気分もすぐに晴れる。

気分なんてそんなもんだ。




時間というのは本当に不思議で、

刻々と刻まれる1秒は同じ基準で出来ているはずなのに、

私たちが過ごす時間は均一ではなく平等とも言い難い。

町では時間がお金に換えられる。

新幹線や飛行機の乗車券が高いのは速度が速いからで、

そのための設備投資にお金がかかるからだろう。

町では効率性・利便性・合理性っていうものが優先されがちで、

そうすると時間というものがとても大事になってくる。

お金を対価に時間短縮をして最終的に手に入るのはまたお金。

町にはゆっくり休む隙間があまりない。

座るだけでもお店に入りコーヒーを頼まなければならない。



田舎に行くと人は口を揃えて「ここは流れている時間が違う」と言う。

同じ基準で刻まれる1秒がなぜこうも違う空間になるのか。

最近短期ではあるが越後湯沢で仲居の仕事をした。

すごく穏やかな2ヶ月間であった。

外に出ては太陽の光を浴び優しい風にさらされた。

そこで私は根っからの田舎娘なのだということを思い出した。

あっという間に過ぎていく時間の中で、私は比較的に立ち止まる回数が多い。

というか進まない。

そんな人間には気持ちよく立ち止まれる田舎が向いているのかもしれない。




イメージの話。

私の視点は空へ舞い上がり重くのしかかる灰色の雲を突き抜ける。

飛行機を横目にさらに勢いを増しながら上昇し、ついには大気圏を抜け出した。

そこに広がるのは無重力の世界。

星々の纏う時間のことを考えると面白い。

彼らは何十億年とか何百億年とかいう限りない日々を淡々と過ごしていくのだろうか。

日々なんて言う観念も地球に留まる話か。

それにしてもただ途方ない。

星々がもつ時間は地球が計測する時間と同じなのだろうか。

こんな当て所のない話を、知識もないまま想像するのが好きなのだ。

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2本のやさしい映画

2014年08月10日 | 映画
立て続けに2本の映画を見た。

ネタバレになると思う。


一本目はなんで借りたのか覚えていない。

「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」は1985年のスウェーデン映画だ。

いろいろな不幸に見舞われる一人の少年の話だ。

映画の冒頭の言葉が耳に残る。

「ライカ犬を思うと胸が痛む。
十分な食べ物も積まず、犬を宇宙に送るなんて。
人類の進歩のために、望んだ訳でもないのに」

ライカ犬というのは、ロシアの宇宙船スプートニク2号に乗せられた犬の名前だ。

地球軌道を周回した最初の動物となった。



自分の意志などおかまいなく、環境は変化し無惨に日々は過ぎていく。

自分ではどうにも出来ないことが世の中にはたくさんあると思う。

それがお金もなく知識もない子どもであればなおさらだ。

頼りにしていたものがなくなった時の孤独感というのは計り知れない。

それでも人は生きていくんだな。



何も解決しなくたって、少し角度を変えて眺めてみればそれもそんなに悪い話ではないのかもしれない。

人間くさくて、静かで、冷たくて、暖かい映画だったと思う。





そして2008年の日本映画「トウキョウソナタ」。

私の大好きな映画「アカルイミライ」の黒沢清監督作品。

この人の演出はくせがあるから好き嫌いがはっきり出ると思う。



この映画のコピーは「ぼくんち、不協和音」。

なんかいいね、うまくいかない家族の画が一瞬にして浮かぶ。

子どもが思春期のうちはうまくいかなくていいんじゃないかな。



いやぁそれにしてもこの家族はなかなかの不協和音をならしている。

夫婦が他人であるということに気づくと、家族のつながりが見えなくなっていく。

取り返しのつかない人生、ゆっくりと沈んでいく船、もう助けはこない。

それでも人は生きていくんだな。



何よりも町並みが東京を物語っていた。

幹線道路とマンション、警察署、帰り道、公園。

なんだか一瞬一瞬の画が目に焼き付いている。



人と感動するポイントがズレていたりするから、

また共感は得られないかもしれないけれど、

とにかく涙が止まらなかった。

感動というか、救われた。






2本とも根本的には暗いテーマだったけど、面白かった。
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