目が覚めるとそこは真っ暗闇だった。
ほとんどの人は一生を通して、本物の真っ暗闇に遭遇することなどなかなかないだろう。
本物の真っ暗闇を想像することはあれど、それがいつか自分の目の前にくるなんて思いつきもしない。
まるで黒色のアクリル絵の具で塗りつぶされたキャンパスのように、一点の光すら入らない一色の世界。
私は自分が如何様な姿でそこにいるのかも分からないまま、身動き一つせず目の前にある状況を眺めていた。
眺めているのか、そうでないのかも本当のところはよくわからない。
見ている方向が前なのか後なのか上なのか下なのかそれすらもわからない。
こんな突拍子もない状況がいきなり現れると、案外人というのは冷静なのかもしれない。
それでも自分がいた世界にこんな空間があるということ、そんな非現実的な世界に自分が接触しているということを受け入れるのは容易ではない。
私は思い直して何度も目を閉じてみた。
もう一度目を開いたらそこには私が思い描く現実世界があるはずだ、これは一時的な困惑の中にいるだけなのだ、と。
私は夢を見ることが多く、途中でこれは夢だと気づくことが今までに何度もあった。
大抵はよくもわるくも現実離れし過ぎていたのだ。
そういったとき私の思考はひどく冷静で、夢の執着地点をより効率的に見つける方法を模索した。
それは今まで何の弊害もなく遂行されたし、そのことが自分の中で表立って問題として現れることはなかった。
しかし今回の場合は少し違う。
夢であれという淡い期待は、目を閉じた瞼の色が一向に暗闇から解放されないため開く前からすでに崩れていた。
夜道の暗さとも、遮光カーテンを閉め切った部屋とも、都会にそびえ立つビル群の陰とも、目を閉じたときの瞼の裏とも違う際立った真っ暗闇。
もしかすると地下室を所有する人は「電気がついていない地下室は本当に真っ暗で、何も見えないんだよ。光なんて全く届かないんだ。」と言うかもしれない。
確かに暗闇の度合いでいうと、地下室の暗さというのはなかなかのものである。
しかし私はその真っ暗闇に、地下室のようなぬくもりを感じることができなかった。
何かがそこ存在しているという気配さえ捉えることができないのだ。
そこには現実も非現実も介在することのない絶対的な闇があるだけだった。
そんな気がした。
何回目を閉じようがその状況が変わることはなかった。
これは夢ではない。
私はついに諦めるしかなかった。
しかしまたしばらくして気づくことになる。
闇、とりわけ真っ暗闇に遭遇した時には諦めや開き直りや素直さを持ってしても対抗することが出来ないということ、それは闇というものが人間の持つ意志を吸収し無に変えてしまうから。
そこから無気力というイメージがうまれてくるのかもしれない。
そして私はあくまで一時的な無気力の中に甘んじることになった。大学二年の春のことである。
to be continue...
ほとんどの人は一生を通して、本物の真っ暗闇に遭遇することなどなかなかないだろう。
本物の真っ暗闇を想像することはあれど、それがいつか自分の目の前にくるなんて思いつきもしない。
まるで黒色のアクリル絵の具で塗りつぶされたキャンパスのように、一点の光すら入らない一色の世界。
私は自分が如何様な姿でそこにいるのかも分からないまま、身動き一つせず目の前にある状況を眺めていた。
眺めているのか、そうでないのかも本当のところはよくわからない。
見ている方向が前なのか後なのか上なのか下なのかそれすらもわからない。
こんな突拍子もない状況がいきなり現れると、案外人というのは冷静なのかもしれない。
それでも自分がいた世界にこんな空間があるということ、そんな非現実的な世界に自分が接触しているということを受け入れるのは容易ではない。
私は思い直して何度も目を閉じてみた。
もう一度目を開いたらそこには私が思い描く現実世界があるはずだ、これは一時的な困惑の中にいるだけなのだ、と。
私は夢を見ることが多く、途中でこれは夢だと気づくことが今までに何度もあった。
大抵はよくもわるくも現実離れし過ぎていたのだ。
そういったとき私の思考はひどく冷静で、夢の執着地点をより効率的に見つける方法を模索した。
それは今まで何の弊害もなく遂行されたし、そのことが自分の中で表立って問題として現れることはなかった。
しかし今回の場合は少し違う。
夢であれという淡い期待は、目を閉じた瞼の色が一向に暗闇から解放されないため開く前からすでに崩れていた。
夜道の暗さとも、遮光カーテンを閉め切った部屋とも、都会にそびえ立つビル群の陰とも、目を閉じたときの瞼の裏とも違う際立った真っ暗闇。
もしかすると地下室を所有する人は「電気がついていない地下室は本当に真っ暗で、何も見えないんだよ。光なんて全く届かないんだ。」と言うかもしれない。
確かに暗闇の度合いでいうと、地下室の暗さというのはなかなかのものである。
しかし私はその真っ暗闇に、地下室のようなぬくもりを感じることができなかった。
何かがそこ存在しているという気配さえ捉えることができないのだ。
そこには現実も非現実も介在することのない絶対的な闇があるだけだった。
そんな気がした。
何回目を閉じようがその状況が変わることはなかった。
これは夢ではない。
私はついに諦めるしかなかった。
しかしまたしばらくして気づくことになる。
闇、とりわけ真っ暗闇に遭遇した時には諦めや開き直りや素直さを持ってしても対抗することが出来ないということ、それは闇というものが人間の持つ意志を吸収し無に変えてしまうから。
そこから無気力というイメージがうまれてくるのかもしれない。
そして私はあくまで一時的な無気力の中に甘んじることになった。大学二年の春のことである。
to be continue...