歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

FUJIROCK2012’7.29 Ⅰ アトミックカフェの再会

2012年07月31日 | 日記
今年もフジロックがやってきた。
思えばレディオヘッドの出演が決まってから長かった。
ついに、ついにこの日が来たのだ。

前回の反省もふまえ、今回は東京から新幹線で越後湯沢まで。
越後湯沢はなじみ深い。
大学の頃、輪島に帰るときはいつも越後湯沢経由だった。

駅をおりると、駅はフジロックに来たであろうカラフルなロッカーたちで溢れかえっている。
そんな彼らに変な仲間意識を抱くのはもうしょうがない。

そこからシャトルバスで約30分、9時丁度に苗場会場に到着。

天気良好でいいスタート。
午前中は、スケジュールに少し余裕があったので散歩。
はじめにGREEN STAGEに隣接されたグッズ売り場へ。
THE BACK HONEのシマウマのTシャツとRADIOHEADの赤いTシャツを手に入れた。

そしてWHITE STAGEのもっと奥、NGO VILLAGEへ。
そこには、脱原発など様々なアクションを起こすNPOや団体のブースが広がっている。
そのさらに一番奥が私たちの目的地、アトミックカフェである。
アトミックカフェは大きな円形のテントになっていて、中は新しいエネルギーや福島の現状について考えるアイディアがいっぱいあった。

入り口を入ってすぐ左には実際に使われている放射能防護服のモデルが置かれていた。
実際に触ってみて初めて分かるその薄さ。
こんな簡素な服で何を守るというのか。

そのまま歩いていくと、自転車の発電装置があった。
誰かが一生懸命自転車をこいで電気を作っている。

そしてテントの真ん中あたりには脱原発グッズがたくさん置かれたブースがあった。
そこで足を止め何を買おうか品定めしていたところ、スタッフらしき女性に話しかけられた。
「この前写真撮らせてくれた方じゃないですか?」
よく見ると見覚えがある。

それは7月16日さよなら原発10万人集会でのこと。
私と彼はその日デモに参加していた。
原宿や渋谷の大通りを練り歩き、表参道の坂をあがったところにデモのゴール地点はあった。
そこで休憩をとろうとウロウロしていたら、片手にカメラを携えた短髪の女性に声をかけられた。
「お兄さんとお姉さん、今度フジロックのNGO VILLAGEという場所で脱原発ブースをやるんですがそのための写真を撮らせてくれないでしょうか。」
なんでも「さよなら原発(SAYONARA ATOM)」という団体で、脱原発をわかりやすくたくさんの人の感性に訴えていくために活動しているとのこと。



そして私たちは快くその嬉しい申し出を受け入れたのだった。

なんとフジロックのアトミックカフェでタイミングよくその女性と再会。
撮ってくれた写真も見せてくれた。


指差した先にいるのが私たち。


これがそのときの写真。暑い中東京の街を長時間歩き疲れているが、ちょっとした達成感にも満ちあふれている。

ここでまた一つ、決してつながることのなかった点と点がつながり線になった。
長時間そこにいることはできなかったけど、最後には熱い握手を交わすことができた。
熱い気持ちを持っていればこその新しい出会い方。
こういう一つ一つの出会いを本当に大事にしていきたいと思う。

7月29日は日本中が脱原発を訴えた日だ。
東京では国会大包囲、注目の山口では県知事選投票日。
東京のデモは昼から大盛り上がりで、夜になっても人は増え続ける一方だったと聞いている。
山口の飯田哲也さんは惜しくも選挙に負けたが、山口という保守王国でなんと18万票の支持を獲得した。

一人一人が考えてアクションを起こすこと、それが大きなうねりになれば未来はきっとあるはず。

そしてフジロックはまだまだ続く。
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2012年07月21日 | 日記
街とはなんだろうか。

唐突すぎる問いだろうか。

私が今住む街は、横浜市の住宅街。
駅はきれいに整備され、ショッピングモールが爛々と光を放っている。
駅を少し歩くと、そこに現れるのはマンションの大群。
その一角に私のおんぼろアパートはある。

ここに住み始めて約2年、まだこの街を街として好きになれないでいる。

しかし、密かに気に入っている場所もあるのだ。

例えば、ブランドショップの間に潜む古びた上り階段。
そこだけ絵のようにぽっかりと切り取られている。
その階段一つで私の想像力に花が咲く。
麻痺した心がふとよみがえるのだ。

例えば、賑やかな駅の裏路地に続く下り階段。
ビルとビルの間から見える高い空。
その下を走る電車。
この階段はいったいどこに行くんだろう。

それは、前にも書いた「あいだの空間」。

でもここは開発中の街。
誰が決めたのか、上り階段の錆びたハンドレールは水色のペンキできれいに塗り直されていた。
下り階段の奥に広がる空き地に建設され始めた巨大マンションが、空を狭くした。

そんな一つ一つの街の変化に一喜一憂してしまうのだ。

街とは何だろうか。
私の望まないその巨大マンションに、いつしかたくさんの人が住み、そこで生活が送られていくのだろう。
そしてその場所はこの街の一部になっていくのだ。

この街に地域という人のつながりはない。
人が住むための街。
街という名のマンション。

ぽつんと突っ立ていると、そのマンション群がどんどん大きくなって私の中に押し寄せてくる。
ぼーっと突っ立ていると、ショッピングモールや大手スーパーの真っ白な蛍光灯の光が私の体に突き刺さってくる。


そこで、ガタンゴトンという電車の音が遠くの方から近づいてきた。
ふと我に返ると、そこは駅の裏路地に続く下り階段。
夜だ。
階段下に目をやると、ビルとビルの間を颯爽と駆け抜けていく田園都市線の電車。
四角い小さな光の中には、いろんな人の表情が見える。
そんな風景に今日は勇気づけられた。


ここは私の住む街。
今日もかすかな光を眼前に、家路を辿る。
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声を上げるとき。

2012年07月20日 | 社会
今こそ声を上げるとき。

3.11で露呈した、日本の政治の姿。
複雑に絡み合った利権構造。
それを守るための時代遅れのプロパガンダ。
いくつもの媒体で情報を得ることができるこの時代に、報道規制などいつまで通用するだろうか。

日本人は控えめだとよく言われるだろう。
世界で日本人女性のうけがいいのは、その恥じらいだと言う。
若い人はクールで政治に無関心、
下手したら熱い人はださいなんて風潮がまかり通ったりする。

私も生粋の日本人だ。
そういう社会の中で育った。
少なからず、そういった空気感を共有しているだろう。
でもその空気感に負けない情熱を持てばいい。
大事なのは今。

原発の実態を知った今。

前代未聞の人数が集まった6月29日官邸前脱原発デモを亡き者にし、翌日平然と大飯原発が再稼働された。
「安全だから稼働しても大丈夫」なんて言い訳はそもそもお門違いなのだ。
稼働するだけで放射性廃棄物という死の灰を生み続ける。
一刻も早く原発という発電システムを廃止しなければならない。

ドイツやスイス、イタリア、スペインなど世界の国々は3.11を経て脱原発の方向へ進んでいる。
それなのに肝心の日本が原発再稼働。
なぜ時代を後退しようとするのか。

いま声を出さなければいけない。
日本人にとっては勇気が必要なことかもしれない。
でも勇気を出さなければいけないんだと思う。
一つ、見落としがちで重要なことは、無関心という立場は政治的には賛成と同じということ。

今山口県では注目すべき知事選が行われている。
脱原発で現実的なエネルギー開発を提案する飯田哲也さんが知事選に出馬した。
彼はNPO法人「環境エネルギー政策研究所」の所長で3.11後も献身的に活動されていた。
投開票は7月29日。
日本中がその選挙戦に注目している。

3.11から約1年ちょっと、ここにきてやっと点と点がつながり線あるいは面になった。

戦いはまだまだこれから。
今、声を上げるとき。
続けていくことが大事。
まさにサマーウォーズ。
今年は熱い夏になりそうだ。


7.16さよなら原発10万人集会
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