歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

ショート・ターム

2016年03月31日 | 映画
1週間以内におすすめ映画2016の記録が塗り替えられるという緊急事態発生。



『ショート・ターム(原題:SHORT TERM12)』

2013年のデスティン・ダニエル・クレットン監督作品。

97分という短い時間に詰め込まれた、溢れんばかりの感情。

登場人物一人一人にここまで深く感情移入してしまう作品は珍しい。

はじまり方も終わり方も最高に心地よく、観た者に大切な何かを残すはず。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

父と息子の物語

2016年03月28日 | 映画
何となく借りてきて、何となく観た映画が2本とも父親と息子の話だった。

昨日のこと。



私は女だから男同士の距離感や思いについてはよく分からない。

でも今回の映画は2本とも父親と息子の話でなければならなかったと思う。



ロバート・ダウニーJR.とロバート・デュバルが初共演を果たした『ジャッジ 裁かれる判事(原題:The Judge)』。

そして名優ウィリアム・H・メイシー初監督作品『君が生きた証(原題:RUDDERLESS)』。

2本ともハンカチなしでは観れない映画だ。



映画について昔から私の中に一つの定義がある。

それは単純に「緊張感とリアリティが揃うと映画は面白い」というものだ。

サスペンスや社会派、真面目なヒューマンドラマには欠かせない。

今回の2本はまさにその条件が揃った映画といえよう。

勘違いしてはいけないのは、これが面白い映画の絶対条件というわけではないということ。

コメディやSF、ファンタジーに求めるものはまた違ったりもする。

以下ネタバレになるので要注意。



まず『ジャッジ 裁かれる判事』。

都会で働く息子はエリート弁護士、勝つためには手段を選ばない。

ある日母の訃報が届き疎遠にしていた故郷インディアナへと帰ることになる。

故郷の町で裁判官をしている父は頑固で傲慢で真面目な男。

2人の間には埋めることの出来ない大きな溝があった。

そして母の葬儀の日にある事件が起きる。

その事件の容疑者にされた父と弁護をすることになった息子。



この映画の凄いところは、ことごとく現実的なことだ。

裁判の行方は決してドラマチックでなく、真実というものがそこまで重視されない。

裁判とどう向き合うか、父とどう向き合うかという人間ドラマなのだ。

正義という言葉はあまり好きではない。

星条旗もあまり好きではない。

劇中、星条旗が意味深げにはためく場面が安っぽくて少し残念だった。

それでも全体的には締まりのある渋い映画だと思う。

ラストシーンでBon Iverの曲が流れたのには驚いた。





次に『君が生きた証』。

ある大学で起きた銃乱射事件で息子を亡くした父親の物語。

会社を辞め一人荒んだ生活を送る彼の下に別れた妻がやってきて、音楽好きだった息子の遺品を置いていく。

そこで妻が言った言葉が印象的だった。

「私には手が出せない領域よ」という感じだったか、父の影響を思わせる言葉だった。

遺品の中には息子が生前録音した自作の曲と歌詞が書かれたノート、そしてギターがあった。

音楽を通じて人と出会い息子と向き合うことで、止まった時間が進み始める。



後半、物語が加速していくところで度肝を抜かれる。

想像もしなかった展開に私自身頭を抱えた。

ストーリーもさることながら、劇中に流れる歌が胸に沁みる。

全体を通して漂っている優しさと寂しさと悲しさがとてもいい。

2016年あまり映画を観れていないけれど、今のところ薦めたい映画2016(2016年に観た映画という意味で)ベスト1だな。





父と息子の物語。

いいね、憧れるけどきっと男同士にしか分からない何かがあるんだろうね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中央銀座通り

2016年03月24日 | 日記
昭和の最後の年に生まれ、平成の時代を育った。

経済面では生まれて間もなく失われた10年に突入し、教育面では勝手にゆとりのレッテルを貼られた。

暗い時代に育ったらしく、その影響を多分なく受けているそうで、何かと問題視される世代だ。

他の時代を知らないから私たちは自覚出来ないけれども。



手に余る現代を放り投げて、知りもしない昭和に思いを馳せては叶うわがけない妄想の中へダイブする。

映画の場面や白黒写真、親に聞いた話を手がかりに私の中の昭和が構築されていく。

それはきっと非日常に一瞬の安らぎを求める旅行なんかと同じなのかもしれない。

よく言えばリフレッシュ、悪くいえば現実逃避といったところか。

ここではない何処かへ。



大学生の頃住んでいた町に中央銀座通りという商店街がある。

シャッターはほとんど下りていて、商店街というのも憚れる程寂れている。

でもその錆び付いた空気がたまらなく好きだった。

地元の人は賑わっていたかつての話をするけれど、私は今の姿に胸を打たれるのだ。

何回か映画の撮影に使われたこともあるのだとか。



先日用事で久々にその町に行き、帰りに中央銀座通りをぶらり散歩してきた。

取り潰されることもなく、数年前のままの姿でそこにあった。

止まった時間を巻き戻す人も進める人もいない。



何年か前の大雪でアーケードが壊れたらしい。


閉館したはずの映画館が復活していた。
毎年この時期に町を挙げて映画祭が開催されるがそのためのための一時的な復活なのか。


なぜか若き日のエリック・クラプトン。


オリオン座。この通りの2つ目の映画館。ここはやってないみたいだ。
ポスターがボーン・アイデンティティで止まっている。


映画に出てきそうな壁。


飲屋街でもあるので夜は人が集まってくる。












行き交う人を風景の一部にしてしまう、不思議な空気を持った寂しい通り。



この日は日曜日だったにも関わらず町中に人の姿がほとんど見えず、

こんなにも静かな町だったろうかと首を傾げていたがしばらくして合点がいった。

トイレのために寄った駅前のデパートに、驚く程たくさんの人がいたのだ。

地方都市における大型店舗への一極集中を目の当たりにして、残念な気持ちになるが何かをするわけでない。



そういえば駅の裏通りに見かけない喫茶店があったので入ってみたら、私の母校の学生が運営しているお店だった。

コーヒーはもちろん、地元の食材にこだわって作ったというピザトーストがとてもおいしくて驚いた。

何もしない私がいる一方で、何かをやっている大学の後輩がいて少し感化されて神奈川に帰ってきた。

これからの時代、地方にも新しい可能性が秘められているのかもしれないね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

よく見る夢

2016年03月08日 | 日記
「これは爆弾だよ!」

「いやこれはとても大事な物だ!」

白い浜辺で私の両親が1本の瓶を取り合いながら言い争っている。

村の人たちは中身が爆弾だった時に備えて、遠くの灯台から2人を見守っている。

どう見ても無人島からのメッセージが入った瓶だ。



ここら辺で目が覚め、とても怖くなりよく一人で泣いた。

小学生に上がる前によく見ていた夢だ。

よく見た理由も怖かった理由も今となっては分からない。



もし夢に関するアカデミックな文献なんかがあったとしても、あまり読みたいと思わない。

精神面を探るのは面白いけれど、グラフで片付く話だとは思えないからだ。

だからこういうのは自己分析くらいが丁度いい。



ここ4、5年よく見る夢が2つある。

よく見ると言っても場面や年齢などはまちまちだ。

一つは体操着を家に忘れるか忘れそうになる、あるいは失くすという夢だ。

小学生の時もあるし、高校生の時もある。

忘れた時の絶望感と、忘れないように時間割を確認する緊張感。

体操着ごときになぜ私はこんなに怯えているのだろうか。



この夢はつい昨日見たばかりだ。

場所は家、どうやら私は高校生に戻ったらしい。

久しぶりに学校に行くらしく準備に手間取っている。

はっとして時間割を確認すると体育があった。

危ない危ないと思いながら体操着を探すがなかなか見当たらない。

母に場所を聞き見つけたと思ったら、体操着に大きな穴が2つあいていた。

がーん。

母が裁縫に使ったらしい。

怒りが頭の天辺まできて母に大声を張り上げると母はあっけらかんとした顔で

「しょーがないじゃん。」

そこで私は絶望的な気分に陥る。

昨日はこんなところだ。



もう一つは大学4年の後期。

単位がぎりぎりで卒業出来るか出来ないかにはらはらする夢。

これはノンフィクションだからきっと少しトラウマのような作用が働いているのだろう。

絶対落としてはいけない講義に出れずに焦ったり、最後のテストを受ける前だったり、結果待ちだったり。

これまた冷や汗ものだ。

目が覚めると夢だという事実を噛み締めゆっくり現実に戻ってくる。



この夢もここ1週間以内に見た。

新学期がはじまるにあたり開かれたオリエンテーションに参加するため大講堂で席を探していた。

(厳密な話をすれば実際はこういう類いのものには参加したことがない。)

講堂の階段を下りていたら、消しゴムが目の前に飛んできた。

その方向を見るとそこにはなぜか高校時代の同級生。

「よ!皆いるぜ」

と背中を丸めて、親指を立て後を指した。

周りには大学時代の同級生。

ここでの違和感は高校の同級生だけでなく、大学の最終学期にこんなに4年生が授業を受けるわけがないということ。

きっとここら辺に私の心理が反映されているのだろう。

その後の細かい会話までは覚えていないけど、必死に皆と取る授業を合わせようとしていた。



どちらも何十回と見ている。

なぜ姿を変えた同じ夢を何度も何度も見るのだろうか。

しかもわざわざ見なくてもいいようなとても薄っぺらい夢を。

夢とは手の出しようがない不思議な領域だ。

そしてこれからも何ということはなくこの夢を見続けるのだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奇譚日和

2016年03月05日 | 日記
平凡な毎日。

同じことの繰り返し。

見慣れた風景。



もしそんな日々を送っていたとしても、この日常に飽きることはない。



今見てる世界は、目を通して見ているというよりは意識で見ている。

自分の信じている世界が見えているだけ。

だとすれば、そんな狭い世界は毎日壊されては再構築を繰り返してしかるべき。

それができるならこんなに刺激的なことはない。



見えている世界が妄想ならこれからの話も妄想と紙一重。

よくも悪くも誰もが小さなきっかけで今まで知らなかった別世界への扉を開くことができる。

小説や映画など物語ではよくある話だ。

「マトリックス」とか「千と千尋の神隠し」とか「レベルE」の宇宙人とか。

主人公はいつも驚く程順応が早いけれど、自分だったらああはいかないだろう。



話は少し大げさな方向に向いてしまったが、

現実の生活の中にも不思議な世界がたくさん潜んでいる。



私は外出時のイヤフォン使用をやめた。

すると思わず「そんなはずはない!」と突っ込みたくなるような音によく出会うのだった。



昨夜、家の近所をジョギングしていたら、あるアパートの前で鶏の鳴き声がしたのだ。

そしてそれに呼応する様に道路を挟んで反対側から同じく鶏の鳴き声。

にわかには信じられない出来事である。

このままだと同じ区域で2件の家が鶏を飼っており、その1つがアパートという事になってしまう。

それとも鶏と同じような鳴き声の鳥が他にいるのか。

勘違いなのか。

どちらにしろ不思議な出来事だ。



そして今日、夕方頃にこれまた近所の歩道を歩いていたら道路からトランペットの音が聞こえてきた。

誰かが車中で音楽を再生していると思えば全く不思議な話ではないが、

その音はどこかおぼつかない感じのソロ演奏だったのだ。

ふと道路の方に目を向けると、なんと信号待ちの小さな軽自動車の運転席で

体の大きな40代くらいの女の人がトランペットを吹いていた。

びっくり、の一言。

本人は少しでも時間があるなら練習したいという感じなのだろうが、

私からすれば町中に突如現れたたった一人のフラッシュモブに遭遇したような気分だった。

運転席いっぱいを使ってトランペットを吹く姿はもはやエンターテイメント。



いやはや面白い。

それもこれもイヤフォンを外したおかげだ。

音楽は好きだけど、やはり解放された空間で聞くのがいい。



極めつけに変な話をもうひとつ。

ある日庭で靴棚のペンキ塗りをしていたら、葉っぱの下から小さなサンタクロースの人形が出てきた。

約1cmのその愛らしい人形は、きっと前の住人の痕跡だろうと思って何も考えずにゴミ箱に捨てた。

そして先日、庭でロゼットの写真を撮っていたらなんと葉っぱの横に同じ人形が…。

驚くとともに背中に肌寒いものを感じた。

捨てたのに…。

庭にはよく出入りするわけで、こんな目立つ物を見逃すだろうか。

ぞわぞわしながら、奇怪な出来事に喜ぶ自分もいる。

現実的に考えたら今まで気づかなかっただけということになるが、不思議な出来事のままにしておこう。

なぜならその方が面白いから。



やはり不思議な出来事は妄想と紙一重。

でも反対に見ている世界も妄想みたいなものだから、簡単に壊せる心構えを養いたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする