「そろそろ行くから、行ってきます」
そう言いながら、夫は寝室で仮眠をとるらしい。
目が覚めて私の部屋に顔を出し、
「じゃあ、行ってきます」
しばらくして今度は階段の下から大きな声で、
「行ってきます」
間髪入れず、
「ケータイ無くしたから鳴らして!」
下の部屋に行きケータイに電話をかける。
「あった、ありがとう!行ってきます」
下に行ったついでにシンクにたまった皿洗い。
夫は洗面台で歯でも磨いているのかまだ気配がある。
気にせず嫌いな食器洗いに没頭しているとキッチンの扉が開き、
夫は変わらず大真面目な顔で言う。
「行ってきます」
これには吹き出してしまった。
何回言えば気がすむのだろうか。
離れるたびに今生の別れでも覚悟しているのか、
はたまた言い忘れない為の保険か、出くわすごとに確実に言葉にする。
その度に私は大真面目な顔で「行ってらっしゃい」と言う。
力を込めて「運転、気をつけて」と付け加える。
夫が家を出てしばらくして、床を這う小さな虫を発見した。
右に左にうねうね体をうねらせて歩く黒くて細長い虫。
頭は丸く尻尾は二手に別れていた。
少し懐かしい感じがした。
なんとなく頭の中に「オケラ」という言葉が浮かんだ。
オケラってなんだっけ?
不思議な形に不規則な動き。
こんなの見たら虫嫌いの夫は発狂するだろうな。
最近YouTuberのうごめ紀さんの動画をよく見ているのもあって、
形状や色がわかりにくい一見見所のなさそうな虫も悪くないと思い始めたところ。
紙に乗せて玄関から外に出した。
それからNetflixで友達一推しのドラマを見ていたら、
猫が横でうずうずソワソワしはじめた。
これは何か発見したな?と思いカーペットをめくったら、
案の定小さな虫がテテテと歩いていた。
よく見たらゴキブリの子供じゃないか。
コンバットを置いているのに珍しい。
大きくて黒々としたゴキブリはやはり苦手だけど、
小さいのはまだ他の虫と大差ない。
爪でカーペットの外に弾くと猫が追いかけた。
しかし手は出さない。
じーっと離れたところから観察している。
この臆病者〜。
さっきと同じように紙に乗せて玄関から外に出した。
これってまた戻ってくるよなとチラリよぎったけど、
ゴキブリですら殺す気分にならなかった。
扉を閉めて戻ろうとすると、視界の片隅で何かが光った。
タイルの上にテカテカした筋が一本、その先に小さなナメクジが丸まっていた。
なんだ、なんだ、何事だ?
3連続の侵入者に関連性を求めてしまう。
何かが起こる予感めいた、ファンタジックな香り。
ざわざわとわくわく。
普通だったら見逃してしまうような生き物たちの気配に私も敏感だった。
これはレイチェルカーソンの言ったセンスオブワンダーみたいなものでは。
そう思いつつ本はまだ読んでいない。
ただなんとなくセンスオブワンダーという言葉がしっくり来る。
その後特に何かあったわけではない。
きっと先日の大雨の影響で生き物たちもそれぞれ蠢いているのだろう。
ひと段落してスマホで調べるとさっきの虫はオケラだった。
不思議だな。
覚えている限り実家を出てからオケラのことを思い出したことはない。
実家にいたころだってオケラに注目したことはない。
それでも懐かしさとともに記憶が戻ってくる。
どういう動きをするのか知っている。
最近のことなんだよね。
ホウセンカの実を見てそれが弾くことを知っていたし、
小さな黒い虫を見て「コメ」というワードが浮かんだと思ったら、
コメツキムシだったり。
子供の頃の記憶が、生き物をきっかけに蘇ってくる。
それを取り巻く景色がぼんやり浮かんでくる。
ゴミムシがなんでゴミムシというのか気になって追いかけまわしたり、
跳ねるのが面白くてコメツキムシをしつこく触って死なせてしまったり。
忘れるって、消えるってこととは違うんだな。
家に虫がいるとギョッとするのはわからなくもない。
テリトリーへの侵入はそれが何であろうと違和感はある。
そのテリトリーが広すぎて、他を寄せ付けないようになってしまっている。
でも虫やいろんな生き物はそこに確実に存在していて、
人間の意思とは関係なく勝手にやっている。
それは人間にとってある意味希望なんじゃないかな。
それぞれ好きな絵本。