歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

魅惑の階段

2016年10月31日 | 空想日記
階段にはロマンがある。



映画「青い春」ではクールなはずの主人公九條が必死になって学校の階段を駆け上る場面が印象的だ。

その合間合間にちりばめられたなんでもない学校の風景に涙が出てくる。



村上春樹の短編小説『TVピープル』では、会社の階段でTVピープルとすれ違う。

これはなかなかに衝撃的な物語だった。



ジブリアニメ「耳をすませば」における図書館下の階段を駆け下りる場面は、

バロンと共に物語の中へ入っていく扉のような役割を果たす。



トリックアートで描かれる終わりのない階段も面白い。



大学時代映画研究部で作ったショートホラームービー「十三階段」も言ってみれば物語を持った階段だ。



建築家安藤忠雄はエレベーターを待つ時間が嫌いで、70歳を超えた今でも基本的に階段を使っている。

ん?これは関係ないか。



とにかく階段には何とも言えない魅力があり、物語の重要な場面を表現する絶好のツールとなり得る。

人は「登る」とか「下る」という行為に何かしらの意味を求めたり、感じ取ったりしやすいのかもしれない。

あるいはその高低差のある風景自体に思いをよせるのか。

そう考えてみれば、階段に限らず坂道も表現の場で重宝されているのがなんとなく頷ける。



田舎で育った私はほとんど屋内の階段以外見た事がなく、それゆえ屋外の階段にはめっぽう弱い。

歩道橋の汚いターコイズブルーの階段とか、公園の階段とか、神社の階段とかね。

以前にも書いたけど、私の住む町にも好きな階段が2個程あった。

それも今は都市計画の波を受け姿を変えてしまったけども。



階段には物語がある。

階段にはロマンがある。


7年程前に撮った写真。かつて好きだった私の街の階段。
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世界の終わり

2016年10月28日 | 空想日記
私たちは、自分が生きている間は世界は終わらないと思っている。

当たり前すぎてそんなことは考えもしない。

それを裏付ける根拠なんてなくていい。

だって、世界は終わらないのだから。



プレートのぶつかり合う音が聞こえてくる。

揺れる大地、

ガイアの叫び。



眠そうな顔で欠伸をするサラリーマン。

満面の笑みで接客するウエイトレス。

けだるく対応するコンビニの店員。

公園で遊ぶ子ども。

畑を耕すおばあちゃん。

散歩をしている私。

皆意識の外で、明日の生を確信している。



そう、きっと明日世界は終わらない。



それでも、きっと世界が終わる時の色は赤だと思う。

美しすぎる夕日を見ると、ふとそんな想像をする事がある。

日本のど真ん中で見る夕日は、感動と悲しみを一緒に運んでくる。

46億年の地球を思えば、とても儚い景色だ。

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いかがお過ごしですか

2016年10月28日 | 空想日記
この週末にハロウィンを迎える(厳密には月曜)。

ここ数年爆発的ブームとなり、当日は今まで息を潜めていた魔女やお化けが街を占領する。

その顔ぶれを見てみれば、子どもはもちろん大人の数が多いことに驚く。

今やハロウィンは日々鬱憤を抱えた大人たちのイベントでもあるのだ。



しかしながら今までハロウィンなるものに関わった事がほとんどない。

私が子どもの頃はまだお化けたちもなりを潜めていたしね。



本来は宗教的意味合いをもった秋の収穫祭だったけど、世界的に見ても今は宗教的意義を失っているのだとか。

公にコスプレや仮装が許される日だが、この「公に」というのがみそかな。

あくまで想像だけど、最初は仮装して街を歩くのは恥ずかしいはずだ。

それが「赤信号、皆で渡れば怖くない」になり、やりきると今度は日々の反動からか特別な楽しさに変わる。

楽しむための動機、大いに結構ですがゴミは持ち返りましょう。



ここで疑問に思うのは、近年盛り上がっているハロウィンだけど、これは日本中を巻き込んだブームなのかということ。

ハロウィングッズが至る所で売られていたり、渋谷を仮装の大行列が行脚する映像はよくテレビで見るけれど、

それ以外にあまりハロウィンを感じる事がない。

ましてや田舎の商店街を仮装した大人たちが行進する姿は想像できない。

そんなものを見てしまった日には、この私でさえ仲間に入りたくなるかもしれない。

そしてその時は素直に認めよう、ハロウィンは日本全体で盛り上がっているイベントだ、と。

しかし、田舎でこれを形にするのはなかなか大変だ。



テレビの中で盛り上がっているけど、実際どこでそんなことになっているんだ?と疑問に思う事がよくある。

数局で同じニュースが流れるだけで、「今日起こった出来事」はそれになってしまう。

なんだかつまらない。



といいつつ先日友達からハロウィンのカードが届いた。

アメリカの友人にもらったポストカードだとかで、絵もかわいい。

あれ?なんかこれ案外嬉しいかも。

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ニューブログ開設

2016年10月23日 | 音楽
一日一曲おすすめの曲を紹介するというブログをはじめました。

その名も「今日の一曲」。

結構適当なブログなので気楽に見ていただけたらこれ幸い。



この画像をクリックすれば、飛ぶので良かったら見てみてください。
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電車内にて、とある女たちの会話

2016年10月15日 | 日記
とある昼下がり、ガタンゴトン揺れる山手線電車内での会話。

私「虫を嫌いだという人が、植物は好きというのはなんだろう。分けられないものじゃない?」

友人Y(以下Y)「確かに私も田舎育ちだからか、自然という意味では同じだと思う。」

私「好き嫌いってのはあるだろうから、ただの虫嫌いを否定したい訳じゃなくて、
  植物という側面だけ切り取って”自然が好きです”っていうのに違和感を感じる。
  見たいところだけ見るみたいな。」

Y「確かにね。ところで、虫は本当は宇宙から来たものだっていう仮説があるの知ってる?」

私「えっ何それ?」

Y「結構有名な話だよ。虫だけ進化の過程がないだとかいって生まれた説。
  (その他、生命の起源である海に住む種類が極端に少ないとか諸理由あり)」

私「ほぉ」

Y「つまりだよ、そもそも植物は地球のもので虫は地球外生命体だとすると、”同じ自然”じゃないという事になる。」

私「お〜なるほど、面白いね。」

Y「虫だけを特別嫌う人たちは地球人なんだよ。地球人からしたら虫はエイリアンだからね。」

ここで、目の前の席に座っているおじさんと目が合う。

私「え?その場合私は何になるの?」

Y「宇宙人」

私「私宇宙人なの?じゃあYは?」

Y「私も宇宙人かな。」



そうか、そういうこともあるのか。

地球人が圧倒的に多いと思ってたけど、そう考えると宇宙人もたくさんいるな。

どうやら私も宇宙人だったようです。

以後お見知りおきを。



「次は〜新宿〜、新宿でございます。」


清澄庭園の鴨。右の鴨を見て「頭がない」と焦ったが変な方向に曲がっているだけだった。
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