歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

はじめての能体験

2021年11月08日 | 演芸
「鎌倉で能の公演があるんですが行きませんか」と友人に誘われたのは9月の半ば頃。

以前能に興味があるがハードルが高いとかなんとか話していたから声をかけてくれたのだ。

展覧会前の立て込んだ時期だがこのチャンスを逃す手はない、ということで快諾した。

メンバーは友人とそのパートナー、その彼の同級生に私を合わせて4人。

私以外の3人は着物姿でバッチリ決まっていて格好よかった。

もともとその彼が着物関係の仕事をしていてそのつながりで今回の能に誘われたのだ。

ちゃんと声に出して言っとくもんだね。



今回は長谷駅から徒歩10分ほどの鎌倉能舞台が会場。

久々の鎌倉は平日だというのに人が多くて驚いた。

観光客の足並みに揃えてゆっくりと歩を進める。

秋深まる11月の初め、快晴の空の下、じんわりと汗ばみつつ喧騒から外れた能舞台に着いた。





能の基本と今回の演目については予習して行ったけれど、どんな出会いが待っているのか想像もつかなかった。

能とは一体なんなのか、自分はそれにどう反応するのか、何か手ごたえはあるのか、何にもないのか。

兎にも角にもファーストインプレッションが楽しみでしょうがなかった。

今回は最初に少し説明がありそのあと狂言「金藤左衛門」に続いて能「楊貴妃」が演じられる。

期待していなかったけど案外最初の説明が面白かった。

お面の種類やどういう心構えでいればいいのかなど初心者にとても優しかったのだ。



「金藤左衛門」は山賊が通りかかった女の持ち物を奪い取るが、

女に隙を突かれ長刀を奪われ反対に身ぐるみをはがされるというお話だ。

出てきた山賊はひょろひょろしていていかにも頼りない感じが間抜けでよかった。

あとで「出てくるなり大声で自己紹介するのが可笑しかった」と同級生が言っていた。

確かにその姿は素っ頓狂で面白い。

山賊が女に脅されて持ち物を奪われるところが見どころで、そこかしこから笑い声が漏れていた。



「楊貴妃」は1時間半あったけど思ったより短く感じた。

置いて行かれたら地獄が待っているかもしれないとかなりの心構えで行ったものだからそれに比べれば、ね。

それをあとでみんなに言ったら「普段どんなスピードで生活してんの?」と驚かれた。

並より少し遅いくらいだと思うんだけど。



「楊貴妃」は唐の時代、

愛する楊貴妃を失い悲嘆にくれていた玄宗皇帝が彼女の魂の行方を捜すべく方士をあの世に派遣する話だ。

方士が蓬莱島(東海上の仙境)に着くと孤独な日々を送る楊貴妃の魂があった。

方士は玄宗皇帝の言葉を伝え彼女に会った証拠の品を賜りたいと言い、楊貴妃は自分のかんざしを渡す。

しかしそれでは確かな証拠にはならないので生前に皇帝と言い交した秘密の言葉を教えて欲しいと言う。

それに答え楊貴妃はいつまでも一緒にいようと誓った七夕の夜の思い出を明かす。

楊貴妃は帰ろうとする方士を呼び止め、かつて自分が皇帝の前で舞った舞を見せる。

やがて帰っていく方士を見おくりつつ、楊貴妃は一人嘆き悲しむのだった。



なんとも悲しげな愛の物語。

方士が蓬莱島にたどり着き、楊貴妃が出てくるまでこれでもかというほどもったいつける。

蓬莱島の人々がいかに彼女が美しいのか繰り返し繰り返し語るのだ。

はじめから舞台上に置かれてる布の被さったお宮の中にずっと楊貴妃の気配を感じながら今か今かと待つ。

すでに私が楊貴妃に出会いたくてしょうがなくなっている。



能の面で若い女を表現する小面という面がある。

無表情の冷たい感じのする下膨れの女の面だ。

今回楊貴妃はこの面で演じられた。



いよいよお宮を覆う布がゆっくりはがされていく。

徐々に露わになる楊貴妃の姿にはっとした。

楊貴妃があまりに美しくておどろいたのだ。

どういう魔法にかかったのか、怖いとすら思っていた小面がとても儚げで美しく見える。

お面を被ったおじさんのはずなのにそんな正体は一切脳裏に入ってこない。

日本の中枢にあり続けた伝統芸能の力は伊達じゃないのね。

こんなど素人がはっきりとその片鱗を感じることができたのだから説明不要だ。

手をゆっくり顔に近づける動作一つで悲しみが痛いほど伝わる。



囃子方と地謡と呼ばれる人たちによる楽器と声の膜の中にうっとり浸っていた。

脳に響く独特の旋律に漂って私は夢とうつつを行ったり来たり。

現実世界から逸脱して、時間や空間が伸び縮みしていた。

最後ぴたーっと音が止まり、静寂の中楊貴妃が退場するまでの数分、あるいは数秒はなんだか泣きそうだった。

すべての人が舞台から退場してから会場が拍手に包まれた。

鑑賞というより体験だった。

初めてだったからより一層そう感じたのかもしれない。





いつか女の怨念を描いた「金輪」を観てみたいな。

能の世界で描かれる暴力にはとても興味がある。

女の表情が変わっていく様や頭にろうそくを立てて藁人形に釘を打つ姿(があるのかは知らないけど)を観てみたい。

女の面は生成から般若、さらに真蛇と恨みの強さや年齢によって面が変わるのに対して、男には面がない。

能が男が主体の芸能だからなのか、もっと深い意味があるのかいろいろ気になるところ。

男に面がないと言っても今回の楊貴妃で出てきた方士は生々しさの感じられないそれでいて強烈な表情だった。

席が近いというのもあるけど、方士がこちら側を向いた時はざわざわして落ち着かなかった。





帰りはみんなであーだこーだ言いながら砂浜を歩き、由比ヶ浜の夕暮れを見送った。

観終わった後に感想を言い合えるのは誰かと一緒に行く醍醐味だね。

着物のお三方と出かけ鎌倉を歩き能を観て最後はカフェでおしゃべりして、全体的になんだかすごく楽しい1日だった。

次は3月9日の野村萬斎が出演する会に行きたい。

能はドラマ『俺の家の話』で話題になった親子の愛を描く「隅田川」だ。



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ほうれい線と落語の日

2021年05月31日 | 演芸
今日朝起きると鼻からくっきりと一本の線が伸びていた。

んっ?いやいやまさか、だって昨日までなかったじゃん。

これほうれい線に似てるけど、、、いやほうれい線以外の何者でもないような。

でもまだそういうのはっきり出る歳じゃないでしょ?

というかほうれい線てある日突然できるものなの?

一応少しだけ思い当たる節があるからそれにかけてみよう。

ということでほうれい線は一旦放置して絵を描くことにした。



基本的に絵を描いている時はラジオをかけているけど、

ごくたまにどうしてもラジオを聞きたくない時というのがある。

真新しい情報を受け付けないのだ。

そういう時は音楽をかけたりするんだけど、今日はそれもいまいち。

ということで久々に落語を聞くことにした。



私は落語ファンだけど落語通ではない。

だからというわけじゃないけど、やっぱり有名な人の確実な落語は好きなのだ。

いつなんどき聞いてもスッと入ってくるのが、名人桂米朝の落語だ。

中でも特に好きなのが「地獄八景亡者戯」。

初めてこのとっつきにくい漢字を見た時は動揺したけど、

読み方がわかればこっちのもの、語呂が気持ちよくて連呼したものだ。

じごくはっけいもうじゃのたわむれ。

研究家としての顔も持つ米朝が過去の文献から再編したものなんだとか。

文字通りあの世での亡者の戯れが描かれており、こんな陽気なあの世なら悪くないかもなんて思わせてくれる。

地獄行きの男たちが大鬼に食べられてお腹の中で悪さする描写なんか分かっていても吹き出してしまう。

絵本にしたら子供が喜びそうだけど権利とかあるのかな。

米朝の落語を聞いている時は、ゆるやかに幸せ。

ユーチューブの流れに身を任せ、次から次へと聞いていく。




「らくだ」という有名な演目がある。

らくだと呼ばれていた男が死に、

ガラの悪い兄貴分が葬式をあげるために居合わせた屑屋を巻き込んでむちゃくちゃするが、、、という話だ。

いろいろな人で何度も聞いてきたけれど今まであまりピンとこなかった。

それが今回米朝の「らくだ」で初めて面白いと思えた、これは発見!

長いし爆発的に面白いわけではないのだけど、度々「んふっ」って気持ち悪い声出して笑ってた。

屑屋の酒癖が悪く、酒を飲むとガラの悪い兄貴分との立場が逆転するところなんか絶妙。

米朝のらくだが良いのか、私の心境の変化なのか、違う人のらくだを聞いて検証せねば。



「貧乏花見」「狸賽」「百人坊主」と聞いて体が温まってくる。

バカバカしくて可笑しくて、なんか幸せ。

落語ってやっぱり最高だ。

明日は人情物聞くのもいいかもな。



夜恐る恐る鏡を覗くとくっきりとあったほうれい線が消えていた。

よかった〜〜ばんざ〜〜い!

起きた時手が頬の上にあったからその重さであとがついたのだろう。

落語はいっぱい聞けたし、らくだは好きになるし、ほうれい線は消えたし今日は多分良い日だと思う。

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談春の文七元結

2019年12月22日 | 演芸
年末年始は落語を聞きたい、なんてここ数年の生かじり感覚だけど、やはり今年も聞きに行く。

去年は六本木EXシアターにて立川志の輔「歓喜の歌」を聞きに行き、

本物のママさんコーラスによる生歌のサプライズを受けた。

大音量のベートーヴェン「歓喜の歌」はすごい迫力で、幸せな年末となった。



さて、今年は三軒茶屋の昭和女子大学人見記念講堂にて同じく立川流の立川談春「文七元結」。

35周年記念独演会『阿吽』ー平成から令和へーの1日目で、2日目は「芝浜」をやったらしい。

談志のこともあるので談春の「芝浜」も魅力的だったけど、私が公演を知った時すでに売り切れていた。

談春は若い頃ギャンブル狂だったこともあり、彼の「文七元結」は説得力があるとどこかで聞いたことがある。

むしろ1日目がいいではないか、と夫と二人で寒い中三軒茶屋へ向かったのだ。





志の輔の時同様2階席の端っこでげんなりしたけど、2階席はカーブを描いているので高座は思いの外近かった。


一階席から見た舞台。



19時過ぎ、お囃子が盛り上がって立川談春登場!!

わははぁ〜2回目の談春だ〜!

1回目の時は寝不足に加えお腹を壊しほとんど覚えていないのでリベンジ気分。

1話目は枕は無く、「百両欲しい〜」で始まるおなじみの「夢金」だった。

強欲な船頭が手柄を立て大金を手に入れたが、それは夢でしたという所謂夢オチの話。

今までいろいろな人の「夢金」を聞いたけれどこの話はどうも好きになれない。

そもそも夢オチがあまり好きじゃないし、落語×物騒という組み合わせが肌に合わないのかも。

それでもだいたい40分あった談春の「夢金」は体感時間15分。

自覚がないほど集中して聞いていたみたいで、面白かったのかすらよくわからない。

そして休憩15分を挟みいよいよ「文七元結」だ。



「文七元結」は言わずと知れた人情噺。

本所達磨横町の左官の長兵衛は腕はいいが、博打にはまってしまい家は貧乏で借金だらけ。

夫婦喧嘩が絶えず、見かねた娘のお久が吉原の佐野槌に自分の身を売って急場をしのぎたいと駆け込む。

それを知った長兵衛が佐野槌を尋ねると、店の女将は娘を担保に借金分の50両を貸してくれるという。

2年後の大晦日を期限にし、お久にはそれまで女将の身の回りの仕事だけをさせるが、

期限を1日でも過ぎれば女郎として店に出すという。

腕のいい左官なんだから死に物狂いで働いて返済しなさいと説教を受け、

情けないやら女将の人情に感謝するやらとにかく長兵衛は改心し店を出た。

そんな帰り道、夜の吾妻橋で身投げしようとする青年に出くわす。

訳を聞くと青年は店の旦那から集金の使いをうけたが、

その集金した50両をすられたので死んでお詫びをしようとしていたらしい。

長兵衛は「死んじゃあいけね」と何度も諭すのだが青年には響かない。

長兵衛は最後の手段に懐の50両を出しこれを持っていけという。

どんなに苦しくても俺も女房も娘のお久も死なねぇ、でもお前は50両ないなら死ぬという、

だからこの金はお前にやる、何があっても死んじゃいけね、と。

青年も受け取れる訳もなくしばらくすったもんだした挙句、長兵衛は青年に財布を投げつけて走り去った。

さて、借金が倍に膨れ上がった長兵衛の家はもう大変、夜通し夫婦喧嘩をし朝になったところで扉を叩く音。

いったい誰が訪ねてきたのか?借金は?お久は?青年は?いったいどうなることやら。



私は「文七元結」みたいに演じるのが大変そうな王道大ネタが大好きだ。

「死神」「紺屋高尾」「居残り佐平次」「品川心中」「子は鎹」、

桂米朝の「地獄八景亡者戯(じごくはっけいもうじゃのたわむれ)」等々。

中でも「文七元結」は聞いた回数が多く、YouTubeで聞いた古今亭志ん朝の噺がお気に入り。

生粋の江戸っ子だからか、あけすけでいいんだよね〜。



さて、今日は談春の「文七元結」だけど、談春に対する多大なる信頼と期待、

当たり前にいいと思っている観客の惰性を彼は見事打ち砕いてくれたと思う。

まず始まりから驚かされた。

普通は、というか今まで聞いた全ての「文七元結」は

博打で大負けした長兵衛が家に帰ってくると、妻に「お久がいなくなった」と言われる場面から始まる。

そこに佐野槌の使いが来てうちで娘を預かっているというので店に向かうのだ。

しかし今回の談春は、いきなり女将さんの説教から始めたのだ。

初めて聞いた人は噺についていけず、最初戸惑うかもしれない。

というか、わかっている私でさえ大いに戸惑った。

最初の夫婦のやりとりで家族の人柄や事情を読めるし、

汚い女の着物を着て店に向かういきさつや番頭に羽織を借りる様子など、

初めの方にも好きな場面が散りばめられているから、それ全部捨てちゃうの!?と残念な気持ちにもなった。

偉そうに初心者の夫のことを慮った。



寄席などで大ネタをやる場合時間の兼ね合いで噺を短く区切ることはよくあるが、

独演会でもそういうことがあるのかななんてウダウダ考えていたとき、はたと閃いた。

談春だぞ、はじめを大胆に削るということは他に膨らませたい場面があるんだ。

そしてそれは佐野槌の女将さんの説教と吾妻橋のやりとりに違いない。

この人はひとところに留まらないんだ、変化し続け今に挑戦しているんだ!そう思うと鳥肌がたった。

この時はまだそれがどういう化学反応を起こすのかまではわかっていなかった。

案の定くどいくらい長い女将の説教と、長兵衛の「死んじゃいけねぇ」という説得の場面、

人情味溢れた女将さんと、見知らぬ青年に借りた50両を渡してしまう気のいい長兵衛が強調され、

会場は談春の一言一言に息を飲んだ。

この面倒くささが最高だよ、談春師匠!

そうしてある意味で抑圧された空気が、近江屋の番頭の吉原通いがバレる場面で弾け、会場が大笑いに包まれた。

自分でもなんでこんなに笑えるのかわからないけど、なぜか笑いが止まらない。

それから長兵衛と妻の喧嘩、訪ねてきた近江屋との噛み合わなさに会場がどかんどかん。

前半のくどいくらいの人情噺が後半笑いに転化し、動き出した空気はもう止まらない。

その時の状況を後で夫は「あの時光が見えたよね」と表現していた。

キラッキラが目に見えるほど、あの時高座の談春は輝いていた。

いや、輝いていたのは談春による「文七元結」なのか。

何て幸せな場面に居合わせたのだろう。

あれだけ削ってなお1時間半の長丁場だったけれど、とても短く感じたのは言うまでもない。



「文七元結」はもともと笑う場面は多くないし、談春もあまり笑わせない落語家だと思い込んでいた。

まさかこんなことになるとは予想だにしなかった。

公演が終了し会場を出る人ごみの中、そこかしこから観客の興奮の声が聞こえてきた。

すぐ後ろの若い男の集団は大きな声で「立川談春すっげー!!まじでやばい!!さすが!!」と騒いでいた。

私はほんとそうだね、と心の中で何度も頷いた。



それから数日経った昨日、今年の面白かった大衆娯楽について夫と話していたら、

夫は「俺はやっぱブンシュンかな」と言い出した。

世間を賑わすあの週刊文春?と思ったけど談春のことを言いたかったらしい。

いいんだけど、うん、なんか台無しだよ。


人見記念講堂から出てくる観客。
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松之丞の万両婿

2019年11月29日 | 演芸
最近テレビでもよく見る講談師の神田松之丞は、

来年2月に真打に昇進して神田伯山を襲名する。





1、2年前にテレビでちょっとだけ講談を見て、

それからラジオ『問わず語りの松之丞』にはまり、

最近は「太田・松之丞」とか「松之丞・カレン」とかテレビ番組もよく見る。

すっかり松之丞ファンの私だけどまだ彼の講談を生で聞いていない。

「松之丞」を好きになったわけだから伯山になる前にどうにか生で聞いておきたい。

そこまで名前にこだわらなくていいような気もするけれど、

これからもずっとファンでいる予感があるから記念にね。

だけど、すごい人気があるからとりあえずチケットが取れないらしい。



そして時間だけが過ぎていき、襲名まであと約3ヶ月、

新宿に行く予定があったので、

なんとな〜く最近の新宿末廣亭は誰がやっているのかなぁってチェックしてみたら、

なんと最近人間国宝になった神田松鯉をトリに神田一家が興行しているではないか!

そこに「神田松之丞」の名前を発見して飛び上がった。

そうか松之丞は寄席で見れるじゃん!ということで早速見に行った。



「神田松鯉」に「神田松之丞」という二大看板で相当混むだろうと思い、

開演30分前に行くとちょうど昼の部の観客がぞろぞろと出てくるところだった。







少しだけ並んで入ると思ったよりたくさん客がいた。

昼夜続けて見る人たちなんだろう。

私は前から4列目の椅子の席にしてもらった、近い!

中入りに身動きするつもりもないので、

まるまる4時間の座りっぱなしを考えると座敷席はちょっときつい。



前日一睡もしていなかったので途中寝ちゃうかもと思っていたけどみんな面白くて眠気が飛んだ。

やんややんやと前半が終わり、中入り後のトップバッターが松之丞。

昨日の末廣亭は満席で、松之丞が顔を出した瞬間会場がわっと花開いた。

会場の雰囲気が変わり、あぁこの人はやっぱりスターなんだとしみじみ思った。

それまで寝ていた斜め前の女性も目を輝かせていたし、私もそうなっていたんだと思う。

今日は何を話すの?ってみんなが松之丞の言葉を待っている。

バラエティやラジオとはまた違う、講談師・松之丞。

だいぶ痩せたのか、ほっそりしていて、テレビで見るより男前だった。

松之丞の一挙手一投足にこっちはもう夢中で、笑いどころでは会場が揺れていた。

面白いところは素直に面白い、この安心感がすごい。

面白くないところも面白い。



いや、講談ってこんな笑えるの?

まぁ、私は講談には詳しくないしこういうのもあるのかな、

ってこれ落語ジャーーーーーン!!!

というより落語として何度か聴いたこのある演目「小間物屋政談(別名:万両婿)」。

落語も講談も関係ないのかな。



時は江戸、櫛、簪を売り歩く小間物屋の相生屋小四郎が、女房のおときに留守を任せしばし行商の旅に出る。

小四郎は旅の途中、追い剥ぎにあった襦袢一枚姿の男、若狭屋仁兵衛に助けを求められる。

仁兵衛は江戸・芝で大きな小間物屋を営んでおり、湯治のため一人箱根へ行く際災難にあった。

小四郎は仁兵衛に着替えと路銀、自分の身元を書いた紙を渡し二人は別れたのだが、

仁兵衛は泊まった宿でそのまま亡くなってしまう。

服装や身元の書かれた紙によって亡くなったのは相生屋小四郎だということになり、妻へ報らされた。

葬式後もずっと元気のない妻を見かねた大家は小四郎の従兄弟佐吉を後見人につけ、二人で小間物屋をさせた。

二人は馬が合いそのまま夫婦となったわけだが、そこに何も知らない小四郎が帰ってきて一騒動起きるという話だ。



これが笑う笑う、もう声を出して笑った。

松之丞の「万両婿」は多分老若男女みんな笑ってしまうと思う。

自由自在な松之丞ワールド、「空間を支配」というと怖いけれど、

実際会場は松之丞の手の上でコロコロ転がされていたのだと思う。

独特なお辞儀も話す時の鋭利な目もみんな見入ってしまう。

短い時間だったけれど濃密だった。



トリの神田松鯉師匠は講談の有名な演目らしい「赤垣源蔵徳利の別れ」をやった。

討ち入り前日の一人の赤穂浪士の兄との別れを演じている。

淡々としていたけれど気づいたらじんわりきていた。

何より松鯉師匠は顔がいい。

ごつい見た目なのに穏やかな雰囲気がまたなんかいい。



いや〜寝不足だったけど思いつきで行ってきて本当よかった。

全体的に面白くて大満足。

3000円がすごく安く感じる4時間だった。



受ける側も講談とか落語とか、テレビとかラジオとか形とか肩書きにこだわってしまいがちだけど、

何をもってしても神田松之丞は聞かせる力がずば抜けていて、とにかく面白い。

シリアスな講談も聞いてみたかったけれどそれはまた今度。

伯山になってもっともっと大きくなっていくんだろうなと肌で感じた昨日の寄席でした。
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歓喜の歌

2018年12月18日 | 演芸
私のライフスタイルを鑑みると、

「18時に六本木で待ち合わせ」だなんていったい何事かといぶかしむ。

しかし昨日は数ヶ月前から楽しみにしていた大事な日、

普段よりシックにきめて夜の六本木に繰り出した。

目的地はEX THEATER ROPPONNGIだ。

なんでも5年前にできた劇場で夢の音響装置がつまっているらしい。



会場に着くとのぼりが冷たい風にたなびいている。

きたきた、これよこれ!

まだ開場5分前なのでシアターの前には人が溢れている。

年齢層は少し高めだ。

端の方で誰かと喋っているウド鈴木を見つけて夫と目があった。

いよいよ待ちに待った「志の輔らくご in EX 2018」の開演だ。

先行発売の初日に応募してチケットが当たった時はひとりで飛び跳ねた。







シアター内に入ると著名人から送られたスタンド花がたくさん並んでいた。

桑田佳祐とか徹子の部屋とか龍角散とかウド鈴木もあったな。

我らが山寺宏一(スパイク・スピーゲル)さんのもあってテンションが上がる。





はやる気持ちのまま席に着くが開演まで30分もある。

夫は体が大きいので席に座っているのが苦痛らしく一人でどっかに行ってしまった。

席番号がB1の2列目だったのですごい近い席なのではと期待していたが、

2階席の前から2番目で観客1000人の中ではまぁまぁ後ろの方だった。

幸い小さな会場なのでどこからでも肉眼で志の輔師匠の表情が見えそうだ。

もうなんでもいいのさ、だって30分後には本物が見れるのだから。



開演が近くなるとお囃子が鳴り響き、

しばらく続いたかと思うと幕がゆっくりと上がった。

舞台の上に置かれたマイクと座布団、

それだけで指笛を鳴らしたくなるくらいかっこいい(できないけど)。

袖からゆらゆらと現れた志の輔師匠に拍手喝采が鳴り響き、

会場中の視線が彼の一挙手一投足に集まる中話し始めた。

昨日はパルコ公演全5日の4日目ですでに3日連続でしゃべり続けているためか、

声が少し掠れており少し心配だったが話し始めればなんのその。

「前3日は今日のための練習で今日がピークです。明日はもう余韻でやるだけ。」

なんて調子のいいことを言って会場を温める。



演目は「歓喜の歌」と「踊るファックス」だ。

どちらも志の輔のオリジナルで、どちらも有名な演目なので私もYouTubeで何度か聞いたことがある。

「落語は生がいい」なんてよく聞くけど、確かに映像で見るのとは全然違う。

マイクから漏れる息遣い、着物の擦れる音、観客席の温度、

扇子をパチンと閉じた時の空気が弾ける音、息を飲む観客席。

じんわりと前のめりになっているのに気づいて、椅子に深く座り直す。



「踊るファックス」はファックスをめぐるドタバタ劇だ。

吉田薬局のおやじはクリスマスセールのチラシを書いて至急印刷所に送らなければならないのだが、

そこに送られてきた一通の間違いファックスによってそれどころではなくなってしまう。

男に振られた女まみこが「あなたのせいでこの世ともお別れする」うんぬん言っている。

まみこに何か起きてファックスの履歴から警察に怪しまれるのは困るということで、

まみこに間違えてますよとファックスを送り返すのだが事態は思わぬ方向へ。

最後の物語の回収が見事で、会場は笑いの渦に包まれる。

バカバカしくて、あったかくて、元気が出る、もう最高。

私なんかはもう涙が出るくらい笑ったのだった。



休憩を15分挟んで「歓喜の歌」、これは大晦日の公民館が舞台だ。

公民館職員の主任と加藤は、

大晦日の同じ時間に似たような名前のママさんコーラスの公演会をダブルブッキングしていた事に前日気づく。

ママさんコーラスをなめていた2人は事の重大さを理解しておらず、

コーラスグループのリーダーたちに軽々しく時間をずらすか合同でやるしかないと提案するのだが、

コーラスメンバーが自分のためだけでなく子供や家族、町内のために歌っているという事、

ママさん一人一人が煩雑な日々の中、大変な思いで歌う時間をつくり一生懸命取り組んでいるという事を知り心を改める。

結局合同でする事になったわけだが、本番当日は主任と加藤も公演会を成功させるために奮闘する。



「歓喜の歌」は笑いあり感動ありの大作で、2008年に映画化もされている。

志の輔師匠がさげてお辞儀すると会場ははち切れんばかりの拍手に包まれた。

心のどの部分にはまるのかわからないけれど、ぴったりはまってジワジワ満たされていく。

なんていい暮れだろう。

拍手の中でかすかに聞こえてくるベートーヴェンの交響曲第9番第4楽章、

幸せな余韻の中でおぼろげな意識を舞台に寄せているといきなり幕が上がった。

と同時に大音量の歌声が響いた。

そこにいたのはママさんコーラスと思しきコーラス隊。

圧巻の歌声、あまりに突然の出来事で胸がつまった。

「ママさんコーラスだ」

その時の感情を感動という言葉で片付けていいのかわからない。

喉の奥の方がぎゅっと縮まって、鼻の付け根がツンとする。

隣のデカブツは訳も分からず号泣したらしい。

曲が終わり指揮者がこちらに振り返るとまさかの志の輔師匠!

まったく、最高なんだから。

この企画は3年限定で今年が最後だったらしい。

何も知らなかったけれど、最後の最後に滑り込めて本当に良かった。




欲しかった手ぬぐい、最後の1枚だった!危ない危ない。
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