コロナ禍のさなかにこの町に引っ越してきた。
ドタバタとせわしなく感傷に浸る時間はほとんどなかった。
10年住んだ町は生粋の新興住宅街で最後まであまり好きになれなかった。
それでも二つだけ気に入っている場所があった。
その一つが古くからある喫茶店だ。
はじめてお店に入ったときを明確に覚えている。
友達と二人で勇気を出して入ってみたら、昭和の雰囲気を残した落ち着いた店内だった。
壁には風景画が飾ってあって、壁の隅の方に大きなサイフォンが置いてあった。
当時はサイフォンなんて知らなかったから、古そうな機械が置いてあるなと思っていた。
ウェイターを呼ぶと茶髪でロン毛の軟派な男の人がきた。
なんだかミスマッチな人選だなと思いながら注文するとタメ口で話しかけてきた。
あっけらかんと実に愉快に。
私たちは戸惑いながらも気になって見ていたら、彼は誰に対してもずっと同じ調子だった。
昭和レトロな店内で垢抜けた青年が軽やかに舞っている。
その姿はどこかメルヘンで不思議の国のアリスみたいな感じがした。
通りから一枚の壁を隔ててこんな異空間が存在するのかと思ったものだ。
それからというもの友達と二人で仕事帰りに通い詰めた。
多い時は週4、5で居酒屋のように閉店までコース。
めがねのおねえさんに「あなたたちエンゲル係数高いね」と言われたのを覚えている。
彼女はメンタリストとかでスプーン曲げの特訓をしてもらったこともある。
その喫茶店で修行していて自分の店を持つのが目標だった。
あっという間にその目標を果たしいなくなった時はやっぱり寂しかった。
マスターは恰幅がよく品のあるおじさんだった。
何時間も話を聞いていたことがあるけれどあれはなんの話だったか。
その話がやたら面白くて勉強になったのは覚えている。
戦争とか全共闘時代の話だったような気がするけどさだかではない。
私たちのことを気に入ってくれていたのかすべての客にそうだったのかはわからないけど、
他に客がいないときは奥からタバコを持ってきてコーヒーを飲みながらいろいろ話してくれた。
いつの間にか息子が継いで、それからはほとんど見なくなったけど。
その頃友達とは仕事が離れいつしか夫と行くようになり、気づいたら夫の方が常連になっていた。
料理がとても上手なおじさんもいたな。
無口で職人肌の色黒の紳士だった。
他の人が作ったときとは段違いに美味しかった。
パスタは照りと張りがあり、量や味が絶妙だった。
他の人が作る時は量もまちまちでパスタが伸びていることもよくあったから、
夫なんかはパートのおばさんにこっそり「今日は誰が作ってるの?」と聞いていた。
そんな失礼な!と思ったけど、パートのおばさんもノリノリだったのは可笑しかった。
そのおばさんがまさかマスターの奥さんだったとはね。
一度職人肌のおじさんとハンバーグ屋で鉢合わせたことがある。
背の高い美女と一緒で、なんだか意外だった。
忘れちゃいけないのがササキさん。
ちびまる子ちゃんに出てくるササキさんに顔が似ているので勝手にそう呼んでいた。
肩の力が抜けた60前後のおじさんで、軽薄だけどユーモアがあってすごく好きだった。
背も高いしすらっとしていてあの軽さだから、きっと昔はモテただろう。
一時期尋常じゃないほど通っていたので、かなりフランクに接してくれた。
一番多く料理を運んでくれたのは背の高い馬面のお兄さんだった。
優しくて穏やかで一生懸命だけどどこか抜けていた。
多分10歳くらい年上だったんじゃないかな。
お店の扉を開けると、いつも彼がいて柔らかい笑顔で迎えてくれた。
パスタを頼むと必ず「大盛りですね」と付け加えてくれた。
当時はかなりの大食いだったからいつも大盛りだったのだ。
夫には「味濃いめですね」と言って、全然濃くないということも多々あった。
小さくて世話焼きなおばさん、
いつまでも新人に見えるお兄さん、
客にはおおらかだけど仕事には厳しいマスターの息子さん、
10年の間に数人は入れ替わったけど、いつも人間味のある店員さんばかりだった。
今更ながら採用条件が気になるところ。
それとも働く環境が人間らしさを引き出していたのかな。
ずっと続くと思っていたあの場所が、2020年の暮れに閉店していた。
急な知らせに驚き、馴染みの従業員たちの顔が浮かんだ。
彼らはどうしているのだろう。
引っ越し前はほとんど顔を出していなかったから、ここ数年の様子はわからない。
我ながら薄情だったな。
否応無く時代が流れていくんだなあと少しセンチメンタルな気分になった。
こうして私も大人になっていくのかね。
あった場所がなくなるってのは変な感じ。
思い出の宛先がなくなるような、から回る感覚だけが残る。
あり続けることの方が難しいのに、あり続けることに一切の疑いをもたなかった。
確固たる場所なんてないのにね。
何が悲しいって、コーヒーが本当に美味しかったのさ。
ドタバタとせわしなく感傷に浸る時間はほとんどなかった。
10年住んだ町は生粋の新興住宅街で最後まであまり好きになれなかった。
それでも二つだけ気に入っている場所があった。
その一つが古くからある喫茶店だ。
はじめてお店に入ったときを明確に覚えている。
友達と二人で勇気を出して入ってみたら、昭和の雰囲気を残した落ち着いた店内だった。
壁には風景画が飾ってあって、壁の隅の方に大きなサイフォンが置いてあった。
当時はサイフォンなんて知らなかったから、古そうな機械が置いてあるなと思っていた。
ウェイターを呼ぶと茶髪でロン毛の軟派な男の人がきた。
なんだかミスマッチな人選だなと思いながら注文するとタメ口で話しかけてきた。
あっけらかんと実に愉快に。
私たちは戸惑いながらも気になって見ていたら、彼は誰に対してもずっと同じ調子だった。
昭和レトロな店内で垢抜けた青年が軽やかに舞っている。
その姿はどこかメルヘンで不思議の国のアリスみたいな感じがした。
通りから一枚の壁を隔ててこんな異空間が存在するのかと思ったものだ。
それからというもの友達と二人で仕事帰りに通い詰めた。
多い時は週4、5で居酒屋のように閉店までコース。
めがねのおねえさんに「あなたたちエンゲル係数高いね」と言われたのを覚えている。
彼女はメンタリストとかでスプーン曲げの特訓をしてもらったこともある。
その喫茶店で修行していて自分の店を持つのが目標だった。
あっという間にその目標を果たしいなくなった時はやっぱり寂しかった。
マスターは恰幅がよく品のあるおじさんだった。
何時間も話を聞いていたことがあるけれどあれはなんの話だったか。
その話がやたら面白くて勉強になったのは覚えている。
戦争とか全共闘時代の話だったような気がするけどさだかではない。
私たちのことを気に入ってくれていたのかすべての客にそうだったのかはわからないけど、
他に客がいないときは奥からタバコを持ってきてコーヒーを飲みながらいろいろ話してくれた。
いつの間にか息子が継いで、それからはほとんど見なくなったけど。
その頃友達とは仕事が離れいつしか夫と行くようになり、気づいたら夫の方が常連になっていた。
料理がとても上手なおじさんもいたな。
無口で職人肌の色黒の紳士だった。
他の人が作ったときとは段違いに美味しかった。
パスタは照りと張りがあり、量や味が絶妙だった。
他の人が作る時は量もまちまちでパスタが伸びていることもよくあったから、
夫なんかはパートのおばさんにこっそり「今日は誰が作ってるの?」と聞いていた。
そんな失礼な!と思ったけど、パートのおばさんもノリノリだったのは可笑しかった。
そのおばさんがまさかマスターの奥さんだったとはね。
一度職人肌のおじさんとハンバーグ屋で鉢合わせたことがある。
背の高い美女と一緒で、なんだか意外だった。
忘れちゃいけないのがササキさん。
ちびまる子ちゃんに出てくるササキさんに顔が似ているので勝手にそう呼んでいた。
肩の力が抜けた60前後のおじさんで、軽薄だけどユーモアがあってすごく好きだった。
背も高いしすらっとしていてあの軽さだから、きっと昔はモテただろう。
一時期尋常じゃないほど通っていたので、かなりフランクに接してくれた。
一番多く料理を運んでくれたのは背の高い馬面のお兄さんだった。
優しくて穏やかで一生懸命だけどどこか抜けていた。
多分10歳くらい年上だったんじゃないかな。
お店の扉を開けると、いつも彼がいて柔らかい笑顔で迎えてくれた。
パスタを頼むと必ず「大盛りですね」と付け加えてくれた。
当時はかなりの大食いだったからいつも大盛りだったのだ。
夫には「味濃いめですね」と言って、全然濃くないということも多々あった。
小さくて世話焼きなおばさん、
いつまでも新人に見えるお兄さん、
客にはおおらかだけど仕事には厳しいマスターの息子さん、
10年の間に数人は入れ替わったけど、いつも人間味のある店員さんばかりだった。
今更ながら採用条件が気になるところ。
それとも働く環境が人間らしさを引き出していたのかな。
ずっと続くと思っていたあの場所が、2020年の暮れに閉店していた。
急な知らせに驚き、馴染みの従業員たちの顔が浮かんだ。
彼らはどうしているのだろう。
引っ越し前はほとんど顔を出していなかったから、ここ数年の様子はわからない。
我ながら薄情だったな。
否応無く時代が流れていくんだなあと少しセンチメンタルな気分になった。
こうして私も大人になっていくのかね。
あった場所がなくなるってのは変な感じ。
思い出の宛先がなくなるような、から回る感覚だけが残る。
あり続けることの方が難しいのに、あり続けることに一切の疑いをもたなかった。
確固たる場所なんてないのにね。
何が悲しいって、コーヒーが本当に美味しかったのさ。