歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

町の喫茶店

2022年01月29日 | 日記
コロナ禍のさなかにこの町に引っ越してきた。

ドタバタとせわしなく感傷に浸る時間はほとんどなかった。

10年住んだ町は生粋の新興住宅街で最後まであまり好きになれなかった。

それでも二つだけ気に入っている場所があった。

その一つが古くからある喫茶店だ。



はじめてお店に入ったときを明確に覚えている。

友達と二人で勇気を出して入ってみたら、昭和の雰囲気を残した落ち着いた店内だった。

壁には風景画が飾ってあって、壁の隅の方に大きなサイフォンが置いてあった。

当時はサイフォンなんて知らなかったから、古そうな機械が置いてあるなと思っていた。

ウェイターを呼ぶと茶髪でロン毛の軟派な男の人がきた。

なんだかミスマッチな人選だなと思いながら注文するとタメ口で話しかけてきた。

あっけらかんと実に愉快に。

私たちは戸惑いながらも気になって見ていたら、彼は誰に対してもずっと同じ調子だった。

昭和レトロな店内で垢抜けた青年が軽やかに舞っている。

その姿はどこかメルヘンで不思議の国のアリスみたいな感じがした。

通りから一枚の壁を隔ててこんな異空間が存在するのかと思ったものだ。



それからというもの友達と二人で仕事帰りに通い詰めた。

多い時は週4、5で居酒屋のように閉店までコース。

めがねのおねえさんに「あなたたちエンゲル係数高いね」と言われたのを覚えている。

彼女はメンタリストとかでスプーン曲げの特訓をしてもらったこともある。

その喫茶店で修行していて自分の店を持つのが目標だった。

あっという間にその目標を果たしいなくなった時はやっぱり寂しかった。



マスターは恰幅がよく品のあるおじさんだった。

何時間も話を聞いていたことがあるけれどあれはなんの話だったか。

その話がやたら面白くて勉強になったのは覚えている。

戦争とか全共闘時代の話だったような気がするけどさだかではない。

私たちのことを気に入ってくれていたのかすべての客にそうだったのかはわからないけど、

他に客がいないときは奥からタバコを持ってきてコーヒーを飲みながらいろいろ話してくれた。

いつの間にか息子が継いで、それからはほとんど見なくなったけど。

その頃友達とは仕事が離れいつしか夫と行くようになり、気づいたら夫の方が常連になっていた。



料理がとても上手なおじさんもいたな。

無口で職人肌の色黒の紳士だった。

他の人が作ったときとは段違いに美味しかった。

パスタは照りと張りがあり、量や味が絶妙だった。

他の人が作る時は量もまちまちでパスタが伸びていることもよくあったから、

夫なんかはパートのおばさんにこっそり「今日は誰が作ってるの?」と聞いていた。

そんな失礼な!と思ったけど、パートのおばさんもノリノリだったのは可笑しかった。

そのおばさんがまさかマスターの奥さんだったとはね。

一度職人肌のおじさんとハンバーグ屋で鉢合わせたことがある。

背の高い美女と一緒で、なんだか意外だった。



忘れちゃいけないのがササキさん。

ちびまる子ちゃんに出てくるササキさんに顔が似ているので勝手にそう呼んでいた。

肩の力が抜けた60前後のおじさんで、軽薄だけどユーモアがあってすごく好きだった。

背も高いしすらっとしていてあの軽さだから、きっと昔はモテただろう。

一時期尋常じゃないほど通っていたので、かなりフランクに接してくれた。



一番多く料理を運んでくれたのは背の高い馬面のお兄さんだった。

優しくて穏やかで一生懸命だけどどこか抜けていた。

多分10歳くらい年上だったんじゃないかな。

お店の扉を開けると、いつも彼がいて柔らかい笑顔で迎えてくれた。

パスタを頼むと必ず「大盛りですね」と付け加えてくれた。

当時はかなりの大食いだったからいつも大盛りだったのだ。

夫には「味濃いめですね」と言って、全然濃くないということも多々あった。



小さくて世話焼きなおばさん、

いつまでも新人に見えるお兄さん、

客にはおおらかだけど仕事には厳しいマスターの息子さん、

10年の間に数人は入れ替わったけど、いつも人間味のある店員さんばかりだった。

今更ながら採用条件が気になるところ。

それとも働く環境が人間らしさを引き出していたのかな。



ずっと続くと思っていたあの場所が、2020年の暮れに閉店していた。

急な知らせに驚き、馴染みの従業員たちの顔が浮かんだ。

彼らはどうしているのだろう。

引っ越し前はほとんど顔を出していなかったから、ここ数年の様子はわからない。

我ながら薄情だったな。

否応無く時代が流れていくんだなあと少しセンチメンタルな気分になった。

こうして私も大人になっていくのかね。

あった場所がなくなるってのは変な感じ。

思い出の宛先がなくなるような、から回る感覚だけが残る。

あり続けることの方が難しいのに、あり続けることに一切の疑いをもたなかった。

確固たる場所なんてないのにね。

何が悲しいって、コーヒーが本当に美味しかったのさ。

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ひとごと

2022年01月26日 | 日記
「なんでアホであることが恥ずかしくないのか」



とある本で問われ読む手が止まる。

こと第一次中曽根内閣以降に生まれた世代に多い態度なんだとか。

ドンピシャである。

10年くらい前、友人が「自分から自分はバカだと言う奴は嫌いだ」と言っていたのを思い出す。

彼は思慮深く傷つきやすかったが、ものははっきり言う人だった。

その時はあまりピンとこなかった。

まぁそういう人もいるだろうくらいの感想しかなかったのだ。

しかし本の中で「なんでアホであることが恥ずかしくないのか」と問われ、

立ち止まり改めて考えてみるとこれは私に言っているんだと気づいた。

今までどこかで他人事だったのだ。

別に私はそう思ってないからいいやって(「別に」という前置きを母は嫌っていた)。

私が彼の言葉にピンとこなかった時点で私の問題だったのだ。



これが世代的な傾向だとすると内側から考えてもよくわからない。

他の世代のことをよく知らないからね。

でもそろそろ全体を見渡して相対的に自分たちのことを考えないといかんよなと思うわけです。

いつまでも口うるさい上の世代におんぶに抱っこではいけない。

もちろん前時代的で腹の立つ輩もたくさんいるけれど、まだまだ学ぶことの方が多い。



年長者たちは「今の若い人たちには歴史感覚がないんですよ。」としきりに訴える。

私自身、圧倒的にその感覚が乏しい。

これは世代的な傾向なのかもしれない。

どうして今があるのか、なぜこのような状況にあるのか、という感覚を持ちにくい。

我ながら中国人や韓国人の反日感情に無反応だったように思う。

「なんであんなに日本を嫌っているんだろう」って他人事。

知ろうと思うフックがそれまでなかったのだ。

授業は比較的真面目に受けていたが、学校でそういうことは教わらなかった。

個人差はあるけれど無知なままほいほいと社会に放り出される。



私は年長者たちの話や議論を聞くのが好きだ。

大人たちのそういう話を聞いているだけでどこかで安心していた。

やっぱり今の今までどこかで他人事だったのだと思う。

何回気づいても何回も忘れてしまう。

この人たちが言っているのは「わたし」のことなんだと。

自分のことだと実感すれば痛みを伴う。

その痛みを引き受けていくしかないのかな、ないんだろうな。



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家庭内ホラーの行方

2022年01月09日 | 日記
「この曲知ってる?めっちゃいいよ。」

「いやその動画一緒に見たじゃん。」

夫とよくする会話のパターン。

私は、いや一緒に見てないよ、と思う。

本当にそうか、ともう一度自分に問うてみる。

どう考えても一緒に見ていない。

二人とも「?」を抱えて話は後ろに流れていく。

この「?」を共有できればそれでいい。



人と一緒に住むというのはホラーに近いところがある。

夫は飲み物や食べ物の温度をとても大事にしている。

決して几帳面なタイプではないが、こだわりは強い。

冷たい飲み物には氷をいっぱい入れるし、買ってきた焼き菓子は必ず少し温める。

熱々のスープは適温まで冷ますし、挙句それを私にまで強要してくる。

わけがわからない。

その善意がちょっとこわい。



私が彼の行動でもっとも理解し難いのがタンブラーや高性能のジョッキをよく買うことだ。

そんなものひとつあればそれで事足りる。

洗うのが億劫ならせめて2個までだ。

それがことあるごとに買ってくる。

タンブラーを置いてあるシンク下のスペースがもういっぱいだ。

どう考えても無駄遣いである。

もう買わないでくれとお願いしても怒ってみてもやめない。

11月の展覧会から帰ってきて新しいブツが増えていた時は途方にくれた。

理由を聞いてもいつも濁して要領を得ない。

本当に意味がわからない。

頭が混乱するのだ。

生活空間に潜むミステリ。

足を踏み入れてはならない奈落の入り口。



夫は驚くほど家事ができない。

というか意識が向かない。

その夫が冷蔵庫の製氷機にこまめに水を補充したり、

奥に片付けたサーモスのジョッキを見つけ出し氷をたくさん入れてコーラを飲んでる姿はやばい。

なんか変なんだよ。

こまめに水を補充する姿も、サーモスのジョッキを探す姿も尋常じゃない。

その姿を見てつい大笑いしてしまった。

一貫性がありすぎてもはやコメディ。


東京で雪が降りました。
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