歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

ゴジラ キング・オブ・モンスターズ

2019年06月27日 | 映画
ゴジラには子供の頃に刷り込まれた愛着がある。

なぜかうちの両親は新しいゴジラ作品が出るたびに映画館へ連れて行ってくれた。

だから当時は本当にゴジラが大好きだった。

子供時代はほとんどおもちゃを持っていなかったけど、

家には4、50cmのゴジラのフィギュアと20cmくらいのラドンのフィギュアがあった。

遊び倒して手だか足だかがもげていたけど、今思えばなかなか迫力のある人形だった。




大人になってもそのゆるい愛着が消えず、日米問わずゴジラ作品が出れば映画館へ観に行く。

記憶に新しいのは庵野秀明の『シン・ゴジラ(2016)』だ。

未だにあの映画の大ヒットが不思議でしょうがない。

確かに面白いけれど、それはインタレスティングであって、一般受けする作品とはどうしても思えない。

先日そんな話をエヴァファンの夫にすると、

あれはエヴァのオマージュだからエヴァファンはそれだけで面白いんだよと言われた。

それには「えーーそういうこと??」という今更ながらの衝撃があった。

当時みんながみんな面白いと絶賛するのがとても不思議である種の怖さすら感じていた。

やっと少しだけ腑に落ちた気がする。

それにしてもゴジラの第一形態は気持ち悪かった。


当時ガチャガチャで当てたやつ。



そして今度はハリウッドゴジラ!!

映画館の予告で初めて知った時は久しぶりのゴジラきたーー!って感じ。

なんでもいいからとりあえず観に行った。

以下ネタバレ(というほど内容ないけど)になるので、観ていない人は一応気をつけて。





『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』

監督:マイケル・ドハティ
脚本:マックス・ボレンスタイン(英語版)
   マイケル・ドハティ
   ザック・シールズ
原作:東宝株式会社
製作:トーマス・タル(英語版)
   ジョン・ジャシュニ(英語版)他
出演:カイル・チャンドラー
   ヴェラ・ファーミガ



『アクアマン』での反省もあり、今回は2Dで観てきた。

IMAXで観たかったけど、2Dでも十分迫力があり満足できた。



率直な感想は「やっぱりゴジラは面白い」だ。

はっきり言って軽い。

人間ドラマはつまらない。

だけど、ゴジラは面白い、これに尽きる。



日本人としては渡辺謙の最後のセリフ「友よ」で少しだけ感傷的になった。

日本ゴジラに対するリスペクトがそここかしこに散らばっているので、

ゴジラの母国民としては嬉しいかぎり。



この映画のゴジラがとにかくでぶっちょでかわいい。

ダダダンダダダンというお決まりのBGMとともにバーン!!と登場したゴジラの顔を見て思わずぷっとなった。

鼻が横に広がっていてぶさかわいい。

人間がピンチになった時に颯爽と登場するのだが、いかんせん顔がプププ。


前作のゴジラ。同じなので参考までに。



キングギドラはすごくかっこよかった。

圧倒的な強さが映像から伝わってきた。

王の降臨は伊達じゃない。

ラドンもなかなかかっこよかったけど、

モスラはモンスター感が強くてちょっと怖かった。

我らがアイドル怪獣モスラはやはりもふもふでかわいくないとね。






日本の特撮ゴジラがやはり原点にあるけれど、

ハリウッドのハチャメチャど迫力のゴジラもたまにはよい。

ゴジラとキングギドラの戦闘シーンはやはり見もの。

前回の『キングコング 髑髏島の巨神』と同じで内容はないけれど、それでいいのだ!という感じ。

鑑賞後は爽快感すらある。

何も考えずにアクション映画を観たい人にはおすすめ。
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海獣の子供

2019年06月27日 | 映画
五十嵐大介という名前は前から知っていた。

知る人ぞ知る奇才漫画家だ。

代表作「魔女」と「海獣の子供」で、

文化庁メディア芸術祭漫画部門優秀賞を2度受賞している。

数年前、NHKの人気番組、浦沢直樹の「漫勉」で知った。

芸術性が高く幻想的な世界を描く、とか。

彼の描く生々しい線と力強い目に惹かれた。

と言いつつ、

読もう読もうと思ってついに映画に先を越されてしまったわけだが。



アニメ「海獣の子供』の予告は、映画館で流れるたくさんの予告の中で際立っていた。

線が生きている、そんな印象を持った。

線が蠢いている、と言う方が近いか。

このとき密かに絶対映画館で観ようと自らに誓った。



乗り気じゃない夫にアニメ『海獣の子供』の画力について力説したが、

反応がいまいちなままなので昨日諦めて一人で観てきた。



結果、ほ〜らね、絶対に観に行くべきだったんだよ。

こりゃすごいアニメです。

以下ネタバレになるので、観ていない人は読まないように。





『海獣の子供』

監督:渡辺歩
原作:五十嵐大介
製作:田中栄子
音楽:久石譲
キャラクターデザイン
総作画監督:小西賢一
美術監督:木村 真二
製作:STUDIO 4℃
主題歌:米津玄師「海の幽霊」



はじめに言いたいのは、

わかりやすいストーリーを求めて観たら苦しくなるかもしれないということ。

一つ一つの出来事を整理して理解しようとすると難しい。

全体をふんわり受け止めるくらいの心持ちで観るとすっと入ってくる。

物語自体は明快なのだが、表現が詩的というか感覚的なのだ。

感性に訴えるおぼろげな点が少しづつ集まって一つの強いメッセージを発している。

気をぬくとファンタジーのようにも思えるが、執拗なほど現実世界を語っていると感じた。



『海獣の子供』は海からきた少年たちと少女ルカの一夏の物語。



ー光るのは見つけて欲しいからー

ー最後は消えて無くなるのにー

観終わって1日経つのに、未だ彼らの言葉が頭に残っている。

物語の中で発せられる言葉それ自体が、光っては消える蛍のようだった。



線や色が繊細で一見美しくて儚い世界に見えるのだけど、

物語の根底には宇宙と命のエネルギーが脈々と流れている。

自然の壮大さを遠くから傍観できないのは、

そのエネルギーが自分の体を突き抜けていくから。

お前もそこに繋がっているんだよ、という強烈なメッセージ。

これは根源的な命の物語だ。



最後、主人公ルカの苦しみにそっと寄り添うデデばあさんの

「お前でいいんだよ(記憶では)」という言葉はすべての人に向いている気がした。



祭りは終わりルカは日々に戻っていく。

階段の上からハンドボールが転がってくる。

その先には喧嘩相手の女の子が照れ臭そうに立っている。

一夏の奇跡のような劇的な体験も学校の部活も同じくらい尊いような気がした。

ハンドボールをめいいっぱい投げる最後の姿が胸を打つ。



いっぱいになった心を米津玄師の「海の幽霊」が解放する。

物語がじんわりと体にしみていき、涙がほろり。

「Lemon」の大ヒットもすごかったけれど、

この曲を聞いて初めてこの人の才能を肌で実感した気がする。



個人的には、アニメ映画として高畑勲の『かぐや姫』以来の大大ヒットだ。

監督は意外にもドラえもん作品を多く手がけている人らしい。

エンドロールで驚いたのは音楽が久石譲だったことだ。

これほど事前情報を入れないで映画を観に行ったのはいつ以来だろう。

いや、最近はそんなんばっかか。



巷ではこの映画に対し賛否が分かれているらしい。

それも納得できる。

映画館では途中子供が立ち上がってそわそわしてた。

子供向けではないし、

面白くないと感じた人はきっと腹立つくらい面白くなかっただろうと想像する。



私にとっては私歴に大きな字で刻まれるくらい素晴らしい作品だった。

例えばアニメの評価を表す五角形のグラフがあるとして、

大きくて綺麗な五角形を描く作品はもちろん優秀だと思うが、

形がいびつでもどこかが飛び抜けて高い作品の方が強く印象に残る。

『海獣の子供』の場合はとにかく絵が素晴らしい。

生きた線と色が織りなす芸術的な映像美に思わず息をのむ。

そこに久石譲の音楽や五十嵐大介の原作世界が渾然一体となり画面の中で弾ける。



いつも私が強く惹かれるのは不明瞭な部分が残っている作品だ。

それはアニメでも映画でも漫画でも小説でも同じこと。

把握しきれない部分に物語(世界)の広がりを感じる。

そういう作品に出会うと決まって何度も見返す。

わかりたいという欲求とわからない心地よさを何度も確かめるのだ。



自分でも呆れるくらい好き。

Blu-ray出たら買おうかな。

その前にちゃんと原作読まないとね。

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最近のヒットTVショー

2019年06月21日 | 日記
私はまぁまぁテレビっ子だと思う。

バラエティ番組をダラダラと長時間見ることはあまりないけれど、

やたらめったら録画しまくって時間があるときに少しづつ見る。

ここ最近はこれといって目新しい収穫もなく、

湿気ったテレビライフを送っていたわけだが、

先日、、、ついに見つけてしまったのだ。



その名も「松之丞カレンの反省だ!」。

テレビ朝日系列で毎週土曜の深夜に放送している。

MCは100年に1人の天才講談師と言われている神田松之丞と、

綺麗だがとんでもなくとぼけたモデルの滝沢カレン。

松之丞がロケに行ってきた映像を、二人で見ながらやいのやいの言うだけの30分番組。

強烈な二人だが意外にも相性が良く二人が喋っているだけで面白い。





神田松之丞は来年真打に昇進して、

6代目神田伯山(はくざん)という高名な名を継ぐことになっている。

落語は聞くけど講談はまだわからないという状態で、

テレビでチラッと流れた松之丞の宮本武蔵の一節を見て夫と二人仰天した。

ほとばしる汗、はり扇の弾ける音、据わった瞳、息もつかせぬほどの迫力だった。

それからずっと松之丞には注目しているのだ。



TBSラジオ日曜夜の「問わず語りの松之丞」という番組も毎週聞いているが、

これまた時代錯誤の悪口オンパレードで最高に面白い。

メディア業界の人ではなく一芸を磨く人だからこそそこまで自由にできるのだと思う。

業界に染まっていない感じが新鮮で面白い。



あれ、私が松之丞のファンなだけかも。

テレビで松之丞の映像が見れるだけで楽しい。

カレンも好きだしね。



メディアに出るのは講談を広めたいからだって松之丞が前に言っていた。

伯山になる前に生で松之丞の講談が聞けたらいいな〜。
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シド・ミードと出会った日

2019年06月03日 | 
私は絵を書いている時はほとんどラジオを聞いている。
 
普段TBSラジオを流していることが多いけれど、
 
先週の月曜日、ふと母がよく聞いているラジオのことを思い出した。
 
NHKラジオのすっぴんだ。
 
月曜日のパーソナリティはもともと私の大好きな変なおじさん宮沢章夫だったけど、
 
4月の新編成でこれまた私の好きなサンキュータツオに変わったらしかった。
 
さっそく聞いてみると宮沢さんの分野を踏襲しているのか、
 
「サブカル用語の基礎知識」というコーナーが始まった。
 
しかも「SF」特集だというから自然と耳が傾く。
 
 
 
添野知世というコメンテーターが出てきて、
 
いきなり世界的なインダストリアルデザインの巨匠について話しはじめた。
 
今年85歳になるその人は添野さん曰く工業デザインの天才なんだとか。
 
その名もシド・ミード(Syd Mead)。
 
なんでも立体でしかものを捉えることができないらしい。
 
つまり平面的な絵では見える部分だけ描けばいいのだが、
 
例えばカーデザインにおいては、
 
どこにエンジンが積まれていて裏面はどうなっているのかといったことまで考えるのだ。
 
そうやって描かれた絵は単なるデザインではなく、設計に近いのかもしれない。
 
しかもその徹底した合理性やリアリティをもって「未来」を描くのだという。
 
シド・ミードは世界でただ一人「ビジュアル・フーチャリスト」の肩書きを持つ未来をデザインする人なのだ。
 
 
 
話を聞いているだけでワクワクする。
 
どんな絵を描くのかすら知らないのにもうすでにファンだ。
 
我ながら影響されやすいな〜。
 
 
 
話を聞いているとまさかの「ブレード・ランナー」のビジュアルデザインを手がけたというではないか!
 
はじめはリドリー・スコットから映画のカーデザインを依頼されたのだが、
 
車の背景に描かれた街が素晴らしくその他のビジュアルデザインも任されたのだとか。
 
あのス、ス、スピナーをデザインした人なの!!?
 
あの湿っぽい退廃的な街を、デッカードのバスルームを、セバスチャンのバンをデザインした人なの!!?
 
もうダメ、私のオタクセンサーに引っかかる単語のオンパレード。
 
 
 
どうやら日本で34年ぶりの展覧会が五月の半ばまでやっており、
 
好評につき6月2日まで延期されたのだとか。
 
会期2週間で1万7千人が来場したらしい。
 
コメンテーターの添野さんも行ったらしいけど、すごい混雑だったとか。
 
 
 
その日私は気づいたら展覧会場の3331Arts Chiyodaまで来ていた。
 
これぞ精神のテレポーテーション。
 
おかしいな〜、テンションが上がるとどうも自分を制御できなくなる。
 
 
 
 
そこまで広い会場ではないけれど、みっちり2時間居座った。
 
本当に日に恵まれたと思う、というのもお客さんが少なかった。
 
待ち時間は全くなく、全ての絵を納得がいくまでじっくり見ることができた。
 
 
 
お客さんのほとんどが何かのプロフェッショナルまたはオタクっぽい雰囲気で、
 
(萎縮してそういう風に見えただけかもしれないけれど)、
 
シド・ミードの何たるかを知らない私には少し場違いな気もした。
 
それに男性客9割強で、ここまで男女比の偏る展覧会も珍しいように思う。
 
いやむしろこのアウェーを楽しもう。
 
 
 
今回は珍しく音声ガイダンスを借りた。
 
もちろん芸術作品なんだろうけど、デザインや設計の要素が強いので、
 
説明が邪魔になるというより理解を深めてくれるような気がしたのだ。
 
それにしても首にかけている音声ガイダンスの紐が邪魔くさかった。
 
 
 
会場に入って最初のコーナーから度肝を抜かれた。
 
未来の車とそれを取り巻く風景だ。
 
今にも動き出しそうな人々、まばゆい光、温度、
 
影を写す地面、車の側面に映り込むこちら側の景色。
 
1枚の絵の中に隙のない完璧な世界が存在している。
 
言うの忘れていたけれど彼の絵は全部手描きだ。
 
いや、えっ?絵うまっ!!
 
そのまま額をまたいで絵の中に入れそうなほどリアリティがある。
 
それなのにあちら側は見たこともない未来の世界なのだから、困惑してしまう。
 
 
 
 
この絵はもともと小さい絵を特大パネルにするため何倍にも引き延ばしている。
それにもかかわらず粗が全く見当たらないのがすごいを通り越して理解不能だ。
 
 
 
ラジオの添野さんの言葉で最もヒットしたのが「シド・ミードの描く未来は明るい」というもの。
 
ディストピアなど暗い未来が多く描かれてきた中で、
 
異彩を放つ明るい未来とはいったいどんな姿をしているのだろう。
 
ここ最近の私のテーマの一つがちょうど「明るい未来とはどんな世界なのか」だったから、
 
知りもしない天才が描いた明るい未来をどうしても見てみたくなったのだ。
 
私の疑問を解く鍵がもしかしたら見つかるかもしれないと期待した。
 
 
 
例えばシド・ミードが描いた1枚の絵を見てその世界の全てが明るいのかはわからない。
 
しかしそこに描かれている人々には活気があり、絵全体に活力がみなぎっているのが伝わる。
 
空気もきれいで風景も美しく漠然と健全な感じが伝わってくる。
 
変に現実離れしておらず、私の世界の地続きに彼の描く未来があるのだとしたら悪くない。
 
いや、むしろワクワクする。
 
もしシド・ミードの描く繁栄の裏側にそれを支える闇が存在していたとしたら、
 
それは相当深いものかもしれないなんてひねくれた考えも片隅に置きながら、
 
初めて見る明るい未来、というか彼のアイディアと緻密さに感激し、
 
私の問いに対する一つの可能性を見ることができたような気がして本当によかった。
 
 
 
 
 
 
 
もちろん一枚一枚にとてつもない世界が描かれているのだけど、
 
特に好きだったのが犬の超巨大ロボットが1周10キロの円形競技場を走り抜けるドッグレースの絵。
 
写真では小さくて見えないけれど観客は携帯サイズの長方形のモニターを手に持っていて、
 
巨大犬がどこを走っていようとその動向を観戦することができるのだとか。
 
この絵についての説明を聞いて、心から音声ガイダンス借りてよかったと思った。
 
この大胆で綿密な発想とそれを最大限描き切る画力に感銘を受けてしばらく見入ってしまった。
 
抑えようのない何かが内からふつふつと湧き上がるのだ。
 
 
 
 
それからそれから、やっぱりシド・ミードと切り離せないのが前述したムービーアートだ。
 
「スタートレック」「ブレードランナー」「エイリアン2」とあげたらきりがない。
 
これ以上書くと長くなってしまうので今日はここまでにしようと思う。
 
 
 
圧倒された。
 
とてつもない。
 
あまりに人間離れした仕事なのでこちらが少し不安になるくらいだった。
 
そこにシド・ミードがいたんだ、彼は私と同じ人間なんだという痕跡を探して、
 
紙の端っこが汚れていたり折れ曲がっているのを見つけてはほっと胸をなでおろした。
 
我ながら器の小さいこと。
 
 
 
ラジオで出会ってたった半日の出来事だったけれど、濃い時間だった。
 
シド・ミードの絵が鮮明に目に焼きついている。
 
またすごいものに出会ってしまったよ。
 
 
 
帰りの電車ではロバート・A・ハインラインの有名なSF小説『夏への扉』を読んで、
 
飽きもせずシド・ミードとは違ったSF世界に浸るのだった。
コメント (2)
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